811日シャンパーニュ地方

シャンパン抜きで迎えた至福の午後025分~27

あるいは

ある“皆既日食狂”の歩み

 

パパ・ウルス

訳・正法地弘子

 

        ことは5年前に遡る。私は旅を生業にしており、それで、1994113日の皆既日食観測チームの旅のアレンジを依頼され、彼らとともに、その皆既日食を観測するという幸運にめぐり会った。チームのメンバーはベルギーの科学者たちで、全員既に実際の場で、皆既日食を67回は観測した経験を持った者ばかり。観測地点として選ばれたのは、標高3800メートル、チリ北端にあるアタカマ砂漠の一点。お祭り騒ぎの人々から遠く離れ、観測にあたり完全に保護されたその場所で、私は、非常に稀な“宇宙の一大スペクタクル”を体験することになったのである(注1)。

        その時の日食は約3時間、太陽が月の背後に完全に隠れていた時間が434秒、上空には一片の雲さえなかった。(もちろん、この気象条件ゆえにこの地点が選ばれたのだけど。)そして、きらめくダイヤモンド・リングと、太陽半径の34倍のコロナが、しっかり観測された(注2)。その美しさは私の想像をはるかに上回り、あまりの感激に、不覚にも涙すらこぼす始末。

        その日以来、今年の811日の皆既日食は絶対に見逃さないと心に決めていた。もちろん我が家の庭でも、9798%の日食を見ることはできたのだけど、それでは、あの100%の感動は味わえない。

        チリでの観測チームのメンバーのひとりが、ストラスブール天文台チームとともに定めた、ルクセンブルグとヴォ-ジュ山脈の間にある観測地点に、我が一家を招待してくれた。今回の皆既日食は最長で216秒と短く、研究観測には不十分で、それ以上遠くまで足を運ぶには及ばないとのこと。ちなみに観測史上最長時間は、赤道上での758秒だそうである。

        その道の専門家たちによって選ばれた最適の場所への招待に、私は興奮した。そこなら、世間の騒ぎをよそに、その瞬間を、家族とともに静かに味わうことができるに違いない。

        日食の日が迫るにつれ、商売の立場から、あるいは政治的な立場から、大々的な報道がなされ、当日は日食用のめがねを用意した人々で、大変な騒ぎになることが予想された。オペラ歌手を迎えてのスペクタクルや、めがねをはめろ・はずせといった合図を送るラウド・スピーカーを備えた大駐車場、あるいは、いわゆる“村祭り”などなど。さらには、特別列車や特別バスの運行。

        ところで、一番大事なことがあとひとつ。天候である。長期予想はあてにならない。日食まであと4日を残すところの予報では、ヴォージュあたりの天候には、あまり期待できない様子・・・、どうしよう !?

        専門家たちは、あらゆる測定機器を抱え、身動きできない状態だけれど、我々はその点、動きは自由だ。そこで私は、午前11時からの一時間、少しでも天候のいい所へ、半径10数キロメートルは移動できることを考慮に入れながら、主要自動車道から外れた、どこか他の地点を探してみることにした。自ら選んだ場所なら、私たちの友人や身内を誘うこともできる。

        結局、“旅のオーガナイザー”の虫が、私の中でムズムズ動き始め、友人・家族のための、オリジナル皆既日食ツアーをアレンジすることになった。私の旅の哲学は、“忘れられない感動の時”であり、この機会がまさしくそれだった。どこへ?いつ?どうやって?また、安全性は?必需品は?神様の贈り物ともいえるその瞬間を満喫するために用意するべきことが、私の中で少しずつ形をなしていった。

        緊急にするべきこと : 地形や植物群落に至るまで詳細に記されたフランス北部の地図を入手すること、一般の人々のためにフランスで出版されている専門誌を買って、日食の中心地点の動きやその正確な時間などを把握すること、複数のアマチュア天文クラブに問い合わせること。専門家による案内が得られないところに行くのであれば、以上の情報を自ら統合し、そして計算し、精密な時間を測定しなければならない。

        ちょっとくどくなるけれど、ここで、日食を上手に観察するためのレシピを紹介させてもらう。皆既日食ゾーン(3)の中心地にできるだけ近いところ、あるいは中心点そのもの、さらに、誰も思いつかない場所、アマチュア天文家たちによって観測地点としてとして予定されていない場所を見つけること。地図上で検討するのみでなく、その地点に足を運び、特に西側に視界を遮る物がないこと(4)、写真を撮るつもりなら、霧を避けるため、近くに水が流れているところがないこと、皆既日食の際の気温の急降下によって水蒸気を発生させやすいアスファルトの地面でないこと(地面は土が望ましい)を、十分に確かめるべきである。

次に道具や付属品であるが、まず日食用めがね。これは、天文クラブ推薦のものが望ましい。あるいは、溶接用のフィルターで、指数が少なくとも14のもの。写真機材としては、プラスチック・フィルターでレンズを覆った望遠カメラ。もちろん、皆既日食の間は、めがねもフィルターも必要ない。

皆既日食の間は、10度ほど気温が急降下するので、寒さと風から身を守る“諸国漫遊者”風のジャケットや、どんなところでも歩ける靴なども必要である。

その地点のローカル時間で(雑誌などに記されている時間は、グリニッジ標準時間であることが多いので、注意すること)、月と太陽の最初の接触の時間、特に皆既日食あるいは金環食(5)の始まる時間を知った上で、ストップ・ウォッチかそれに準ずるものも必要である。方向を知るための磁石もあった方がいいし、太陽の高さを測る装置も、カメラをのぞかず調節するために有効だろう。こうすれば、今のところまだ課税の対象になっていない皆既日食という現象を、自分自身の目で観ることができる(訳者注・ベルギーでは雨水すら、それを集めて使用すれば、課税対象となるので)

以上の要素を全部考慮して私が選んだ地点は、ランスの北東に位置する台地で、そこには万が一の悪天候の際には、避難できる農家の納屋も散在している。出発時間は810日午後9時か十時頃に決めた。朝食用の弁当を用意し、ゆったりと、例を見ない宇宙の贈り物を受け取ることにしよう(6)

ああ、しかし、その夜は風雨が激しく、予定変更。結局、早朝6時半から7時頃に目的地に着くべく、11日の午前4時頃出発。とはいえ、我々の状況は、先人に比べれば、よほど快適といえる(7)

雨は絶え間なく降り続き、それに寒い・・・、しかし行かなければ・・・。フランスとの国境に近づくにつれ、どこを見まわしても、家族連れのベルギー・ナンバーの車でいっぱいである。この頃になって、ようやく我が家の子供たちも、ことの重要性を意識し始めるようになった(8)

モーブージュあたりになると、交通は渋滞。そこで、主要道路を避け、小さな田舎道をとることにした。すると、信じ難いことに、人影はなく、誰もが眠りについたまま、家々の明かりも消え、他に車もいない。皆既日食騒ぎを感じるため、再び主要道路に少し戻ったほどである。一方、雨はさらに激しくなり、車を走らせていると言うより、船を漕いでいると言いたくなるほど。ついには、道に迷ってしまった。雨で道路標識も見えない。とりあえず、皆既日食ゾーンの北端で待つことにする。夜が明け始めたにもかかわらず、空は、相変わらず、真っ黒な雨雲に覆われている。さすがに、我々も気力を失い始めた。どうするべきか。さらに皆既日食ゾーンの中心地に近づくべく、50キロメートル程南へ進むべきか・・・。ラジオは、既にサン・ピエール・ミクロンで日食が始まったことを知らせている。今回の日食では、なんといってもフランス人が主人公だ。(訳者注・サン・ピエール・ミクロンは、フランスの海外県で、カナダの東側にある島)フランス本国で、ブルターニュからスタートする黒い太陽は、14のゴチック建築のカテドラルの上空を通り(そのうちのひとつが、ランスのカテドラル。ランスのシャンパン生産者にとって、今年は、皆既日食と2000年への大晦日という当たり年 !!)、インドのもとフランス領ポンディシェリの北にある、カルカッタで終わる。ラジオ放送を聞きながら、今さら目的地へ向かうことを断念するのは、あまりにも愚かに思った。南へ進もう。

結局、午前8時には、皆既日食の中心地点にたどり着いた。どこの畑でも、キャンピング・カーやテントを備えた人々が、それぞれ朝食をとったり、望遠鏡を用意したりしている。全部ベルギー人かオランダ人。我々の連れの一家の子供が母親に、

「ねえママ、フランス人たちは、今日自分とこで皆既日食を見ることができるって知らないの?」

と聞くものだから、我々は大笑い。

その時、道路の左側に広がる台地が、目に入った。まるで私を呼んでいるかのように、大農場のまわりに、理想的な土地が広がっている。そこに近づくべく横道に入るが、ジープかトラクターでないと無理。そこでいったん後戻りして、他の横道にトライ。こんどはOK。思ったとおりの理想的な場所だ。草に覆われているので歩きやすい。誰もいない。石灰の山がひとつ。そこに登ったり降りたり、子供たちは大はしゃぎ。(もちろん、3分後には、頭からつま先まで真っ白!)

その後、我々以外に、車が3台来たけれど、ランスの広場のお祭り騒ぎ(しかも、黒い太陽を観察するはずなのに、トラブル防止のための照明だらけだという)を考えると、信じ難いほどの静けさである。私たちが落ち着いた頃には、肌寒いとはいえ、雨も止んだ。草上で朝食をとる。

この場にいる者で、既に皆既日食を体験しているのは私だけ。突然、少し後にやってくるもの、強烈で、美しく、しかも、ほんの一瞬にすぎないものを、私は意識し始めた。呼吸を整え、気持ちを落ち着け、腹をすえなければ。ひとりになって、自分のエスプリを取り戻したい。とはいえ、私はグループの責任者でもある。

その時、フランス・ナンバーの車が一台やってきた。どうもこの農場の持ち主らしい。おもしろいことに、この車を見かけると、私以外の者たちは、まるで今すぐ出発するかのように、皆自分の車に乗り込んだ。地主が場所代を取りにきたとでも思ったのだろうか。私は、フランス・ナンバーの車に近づいた。話してみると、やはり農場の主だという。好奇心からやってきたという彼は、

「一度にこんなにたくさんのベルギー人を見たのは、生まれて初めて。」

と笑う。

「場所代を徴収したらどうですか。」

と私。彼は笑う。1365日、自然とともにこの土地で過ごす彼に、その日の天候をたずねると、答えはOK。日食の現象を少し説明した上で、一緒に観ないかと誘ってみる。彼は、また笑う。

許しを得たわけでもないのにそこに居座っている私たちに、不平を言うわけでもなく、彼は去って行った。我々のことを、頭のおかしい連中とでも思ったことだろう。地主が去ると、車に乗り込んでいた者たちが、また車から出てきた。今思い返すと、日食の間中、農家の人たちは働き続けていたように思う。

空を覆っている雲に、切れ目ができては、また雲を覆う。太陽が顔を出しては、また隠れる。こういう時は、神に祈るしかない・・・。用意しておいたタイマーが、日食開始5分前をしらせるビープ。秒読みを始める。116分、月と太陽の最初のコンタクト、雲の切れ間から見る。日食用めがねをかけた私のグループの皆が、おーっと声をあげる。月が、右下側から、太陽を食べ始めた。それから1時間、日食は少しずつ進む。風景も少しずつ変わっていく。明るさが減り、気温も少しずつ下がる。真昼だというのに、あたりのものは影をつくらない。

ついに太陽は左側の弧を残すのみとなった。この時が要注意だ。めがねを外したくなるからだ。タイマーが1220分を知らせる。あと5分で完全日食。まだまだ・・・。あと2分。その時、大きな雲が太陽を覆った。なんてことだ。あと1分。そして、皆既日食。あたりは夜の暗さになった。タイマーは皆既日食を知らせるが、雲で何も見えない。10秒経過。ダイヤモンド・リングは見えなかった。(訳者注・皆既日食が始まるとき、ダイヤモンド・リングや赤い光が観察されるが、これは、月の表面の凹部から、太陽の光が洩れるため。)

その時、雲が切れ、太陽が見え始めた。黒い太陽だ。そのまわりにコロナ。素晴らしい。感嘆の声を出す者もいれば、声も出せない者もいる。子供たちはすっかり魅せられ、茫然としている。タイマーが、皆既日食が2分経過したことを知らせる。めがねをかけなければ・・・。太陽の右側に光の弧が現れる。‘夜’は去った。

私が、何故このイヴェントに執着していたかを、十分に理解したグループの皆が、感謝の意を表してくれた。私の子供たちも、パパ、ありがとうとキス。1235分。97%の日食。100%の現象との違いを、今さらのように納得。ここまで足を運んだ甲斐があったというものだ。用意してきたカクテルと赤ワインで乾杯。至福のときだ。2000年の正月を、いかに祝うか話し出す者もいる。気がつくと、他の車は既に皆去っていた。我々は、また少しずつ光を現し始めた太陽をを観る。1347分。日食は終わった。

私たちも帰路につく。当然ながら、主要道路は完全に渋滞。再び田舎道に入る。誰もいない。このあたりの人たちは、はたして、日食とともに生きたのだろうか。

ベルギーに戻り、他の人々がそれぞれいかに日食を過ごしたかをテレビで見た。そして、子供たちは私に、次回の日食を観に行こうとねだる。

もちろん、また皆既日食ツアーにでかけよう。このあたりでは、208193日。待つにはちょっと長い。2001621日、アンゴラ、ザンビア、ジンバブエ、マダガスカルを、約5分の皆既日食が通過する。2006529日、トルコのあたりを約4分のもの、そして、2009722日には、629秒というかなり長いものが、中国から日本にかけて観察される。(訳者注・インドから始まり、上海、薩南諸島 ―――午前11時頃、中心地点は屋久島の南約100キロメートル――― を通り、太平洋へと続く。ゾーンの幅は258.4キロメートルに及び、21世紀の最も重要な皆既日食のひとつ。)

大昔、人々は黒い太陽に恐れを抱いていた。今日、人々は彗星の方を怖がっているようだ。もし地球にぶつかったら・・・という理由で。しかし、私たち地球の生物は全て、宇宙の塵から生まれたのだという。地球(という卵子)に、彗星(という精子)がぶつかり、それによって生じた塵から生まれたのだそうだ。私たちは、地球を母とし、宇宙を父とする子供というわけだ。そういえば、地球上のあらゆる異文化の人々の間で、その普遍的無意識を象徴する神話をみると、日本のイザナミ・イザナギのように、すべての神々は、空から我々を創ったように思われる。

私たちにとって、私たちの起源である、星を、宇宙を見つめることは、とても意味のあることなのだと思う。

 

(1) 理論的には、月が、太陽と地球の間に位置する新月毎に日食が起こるはずなのだが、この我らが衛星も、地球自身も、常に位置を変えている。それで、実際日食が起こるのは、1年に34回。とはいえ、その際の影は、地球の真上あるいは真下を通り過ぎたり、1秒以下というあまりにも短い時間であったり、あまりにも小さなものであったり、さもなければ、人の近づけない大洋の真ん中で起こったり・・・。

太陽と月と地球が、まったく同じ位置に会合するのは、6585日毎(これをサロスとよぶ。1サロスは18年以上。)であるが、やはり、すべてが絶えず位置を変えているので、結局会合は3サロス毎、これもおおよそであって、完全な会合には20サロス、実に約370年のサイクルを要する。

日食の多くは、部分日食か金環食、あるいはそれらが混ざりあったものである。

太陽は、月の400倍の大きさを持つ。その太陽を、月の影で完全に覆い隠すには、月は太陽より、地球に400倍近くなければならない。地球と月との距離は、36万キロメートルから40万キロメートルの間を変化している。そして、太陽と地球の距離は、15千万キロメートル。従って、その400分の1の距離より遠くに月がある場合は、金環食となり、たとえ距離がそれより近くとも、みっつの星が一線上に正しく並ばなければ、部分日食にしかならない。

(2)もちろん研究者は、コロナグラフを用いることによって、コロナの観測を行うことはできるが、昼間の明るさ(たとえ99%の部分日食でも)では、太陽半径以上のコロナを観測することは不可能。一方、人工衛星からテレスコープを用いる場合は、太陽半径10倍のコロナを観測できる。

それにしても私が興味深く思うのは、17世紀までは、太陽が、父なるものあるいは母なるものとして、人間を観察してきた、つまり、ファラオンの一例のように、その恵みを受ける資格があるかどうか、太陽が人間を裁いていたのが、その後、立場が逆転し、我々人間が太陽を観察し始めたということである。

そういえば、日本の神話のエピソードを思い出す。天の磐戸に隠れた天照大神を呼び出そうと、岩屋の前で歌い踊るが、これは皆既日食と関係しているのかもしれない。原始時代の人々、あるいは現在でも、未開民族の人々は、皆既日食の際、騒音をたてるという。

皆既日食の際は、昼間だというのに、動物たちがいっせいに休み始める。そして、太陽が再び顔を出すと、むっくりと起き上がる。再び現れた天照大神を見て雄鶏が鳴いたそうだが、この動物たちの行動と、関係しているのかもしれない。

(3)皆既日食ゾーンの幅は、80270キロメートル。皆既日食の時間として示されるのは、ゾーンの中心地点のもので、そこから50キロメートル離れると、皆既日食の時間は1分間減少する。月が地球に近ければ近いほど、太陽に対する月の円が大きくなるので、日食時間が長くなり、ゾーンの幅も広くなる。

(4)私たちのいる北半球では、月が太陽をかじり始めるのは、右側からで、一方、南半球では、左側からである。どちらの場合も、皆既日食に至る23秒間、秒速800メートル、すなわち、時速2900キロメートルというスピードで、月の影が迫ってくるのを地上で観察するには、西側に視界を遮るものがあってはならない。

(5)現在、月は地球から、1年に約4センチメートルずつ遠のいている。ということは、これから千年ほどすると、金環食しか観測できないことになる。さらに、25千年ほどすると、月はあまりにも遠くなり、その引力による海流の動きもなくなり、したがって、海流により調整されている地球の寒暖の差が、極端なものになるらしい。おまけに、地球の傾きも、25度から60度となり、極が今の赤道上に位置することになる。とすれば、私たちは、今のこの穏やかな気候を、大いにエンジョイするべきだろう・・・。

(6)最近では、プロの天文学者もアマチュア天文家も、すっかり諸国漫遊者風。皆既日食狩をする人たちは、自分の目で観た皆既日食の時間をトータルして、自分の名刺に記すほどである。一方で、この識者たちは、真の詩人ともいえる。西暦2000年の初頭に、地球観測衛星が、地球からUA(=15千万キロメートル=太陽と地球の距離)のちょうど150分の1150万キロメートルの距離、地球と太陽の引力のつりあう軌道上にのるが、この衛星は、トリアナと名づけられている。この名前は、コロンブスの新大陸発見の際、見張り役としてマストに立ち、最初に大陸を目にして、「テラ!テラ!(大地)」と叫んだ、ロドリゴ・トリアナにちなんでいる。

(7)先人たちは、天体を観測するために、多くの危険を冒している。たとえば、動画の前身であるフェナキトスコープの発明家で、リエージュ出身の、ジョゼフ・プラトー。彼は、網膜上に映ったイメージが、0.1秒間残ることを利用し、前述の装置を発明したが、網膜の耐性を実験するべく、太陽光を25秒間も観察したため、失明してしまった。また、ヘリウムの発見者であるフランスのジュール・ヤンセンは、1870年、皆既日食を観たい一心に、当時ドイツ軍に包囲されていたパリを、122日、オーストリッツ駅より気球で脱出、ロアールの谷を越え、地中海側に向かった。そこから船でアルジェリアへ、さらに、ロバの背にまたがり、皆既日食地点に、当日1222日到着。ところが上空は雲に覆われ(サハラ砂漠だというのに!)、ついに念願の日食を目にすることはできなかったという。

(注8)私たちの時代、科学の発達に伴い、皆既日食という現象のメカニズムが、1000分の1秒に至る細かい計算によって明らかにされているにもかかわらず、私たち普通の人々にとっては、それはまだよくわからないものであり、私たちが抱く疑問は、ルイ15世時代のベルサイユで、皆既日食が観察された頃と、ほとんど変わらない。

一方、天文学者の間では、秘密裡に土星探索機が打ち上げられた。偶然にも、打ち上げ666日目にあたる今年811日、その探索機は、再び地球に1700キロメートルの距離に迫っていた。燃料として、35キログラムのプルトニウムを抱えたこの探索機に、その日万が一の事故でもあれば、地球上で何百万人もが死亡する、大惨事になるところであった。

 

〈この記事は、1999年に書かれたものです。〉

 

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