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作成:森岡正博 
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ジェンダーなどについて

U(匿名希望)

 初めまして、森岡先生のHPを見つけてお便りします。
 私は一応生命科学者の端くれ(ほんの末端)をやってます。
 TVや新聞やラジオでたまに先生のご意見を伺っていましたが、著書を本格的に読む
ということはまだしておりません。ですから本当なら先生にお手紙を出せるような準
備はできてないのですが、HPを読みましたらメールを出してもいいのかなと思いまし
たので。私自身、森岡先生のおっしゃることには大変興味がありますし、ゆくゆくは
真剣に研究してみたいと思っています。ただ現在は研究もしたいし子育ても大変だし
で本格的勉強をする余裕がありません。定年後にでもどこかの大学の哲学科にでも入
れてもらって、文学博士を取ろうというのが現在考えられる精いっぱいの希望です。
ただ、生きていくということは今現在の問題ですし、先送りできるものではありませ
ん。子どももどんどん成長していきますので今しかできないこともたくさんあるわけ
です。そんななかできっちりとした理論に昇華できないまでもいろいろな想いを抱え
ております。

 ジェンダーについて、少し書かせて下さい。男性のフェミニストはまず間違いなく
「オトコにオンナの気持ちがわかるか」という類の批判(?)を受けると思います。
でもオンナだからオンナのことわかるというわけではありません。私は出産の時の陣
痛の感触をよく覚えているのですが、あらゆる育児雑誌の女性による経験談はほとん
ど事実を伝えていないと思いました。比較的有名で真実に近いとされる石坂啓さんの
「赤ちゃんが来た」による記述も私に言わせれば群盲象をなでるといった感じです。
一番正確な記述があったのは多分男性の医師が書いたかなり学術的なものですが、こ
れは一般の人には何を意味しているかわからないような類の図でした。平滑筋の収縮
と弛緩のリズムは多分薬理学で平滑筋の張力を測定したことのある人なら非常に理解
しやすいものです。ついでに私は筋細胞内カルシウム濃度変化の画像解析もやってい
ました。そういうことを「理解」して「経験」してこそ「わかった」といえるのでは
ないかと思うのです。「子宮平滑筋がある特定部位からじわじわと収縮を始め、緊張
がピークに達したときすーっと波が引くように弛緩する、それが痛みと連動する」と
いう記述と「腰から下に何かがかみついたような感じで引きちぎられるように痛い」
というような記述と、どちらが中身があるかははっきりしているのではないでしょうか。
 何が言いたいのかといいますと、経験はただそれだけでは何の意味もない、知性が
伴っていなければ議論に値するような材料にはなり得ないってことです。ですから女
性の、「知性のない経験談」より男性の、「知性による観察」の方がジェンダーの理
解にとっては意味があるということはあり得ると思います。だから「僕はオトコだか
ら」というような諦めのコトバは使わないで下さい。「当事者である女性の言い分」
を無条件に認めてしまってはいけないと思うのです。それでは部落解放運動の失敗の
部分と同じになってしまう。女性であることだけで優位だと思っているような攻撃に
ひるむことなく徹底的に「理性」でジェンダーの中身を吟味していって下さい。

 脳死臓器移植については私は今のところ森岡先生とほぼ同意見です。
私が愛しているのは夫や娘の「脳」ではありません、爪の先から髪の毛までの全てで
す。私が突然死んでしまっても、母の最後の温もりを求める子どもを無理矢理引き離
すようなことはさせたくないからドナーカードは持ちません。
 私がちょっと考えたSFネタなのですが、脳を移植した場合、これまでのSFだと人格
は脳の持ち主のものになるんですが、逆にカラダの持ち主の方になる(これだとただ
の免疫学的自己の話ですが)。脳の人格が脳以外の体内にある大量の神経伝達物質に
よって人格を乗っ取られていく恐怖を描く、っていうの、どうでしょう?
 心と体が一体であるということはどちらかというとストレスから病気になるという
方向で解釈されがちですが、本当はカラダの調子が悪いと気分も優れない、の方がメ
インじゃないかと思うのですが。世間一般のほうが研究者よりずっと生命のことをわ
かったつもりでいる様な気がします。生命の不思議さは研究すればするほど畏敬の念
で満たされてくる類のものです(研究者の悦楽です)。

 感想なのか意見なのかわからないメールですみません。今後も時間を見つけて先生
のHPを読ませて頂きますのでよろしくお願いします。それでは失礼いたしました。