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脳死の人への麻酔についての資料 森岡正博
 

■東京大学医学部麻酔学教室諏訪邦夫は、次のように書いている。
  「日本で脳死患者を対象に麻酔を行った経験は筆者にはないが,米国で脳死患者からの腎採取の麻酔を担当したことがある.その際,生体からとる普通の腎移植の場合とは,全く異なる「いやな気持」がしたことを記憶している.その時の気持を後になって分析してみると,「これは本来私のやるべき仕事ではない」,「普通の手術や診断のための麻酔とはいちじるしく異なる仕事だ」という気持であったように思う.当時の私は患者が脳死であったか否かを明確に考察したという記憶がないが,とにかく麻酔終了後は明かに患者が死んでいる,という事実,しかもそれをはっきりと予測して麻酔を開始する,というあたりが「いやな気持」の理由であったろう.」「脳死そのものの問題は後で考察するとして,ここでまず脳死を一応認めてその脳死患者に麻酔を施行して腎などの臓器採取をする場合の麻酔医の立場を明確にしておこう.「脳死」を認めるとすると,我々の業務は「死体を対象に麻酔を施行する」ことになる.この点は,本来の日常の業務とは全く異なる行為である.死体を対象として医療行為を行うことは,移植外科医には抵抗がないのかもしれないが,麻酔医の立場からみれば倫理的にも感情的・感覚的に抵抗感がつよい.我々の日常経験にはないことであるから,当然である.業務の内容は「死体」を処理するのであるから,一方で病理学者の倫理感・倫理基準を持ち,能力としては呼吸循環の管理能力を盛った医師にこそふさわしい仕事であるといえよう.」(諏訪邦夫(1985):脳死に関して麻酔の立場から 麻酔 34:551-552 )HP

■東京医科歯科大学古川哲雄は、次のように書いている。
 「最近は脳死あるいはそれに近い状態の患者から臓器を摘出するときにはモルヒネを注射するようになったと、あるアメリカの移植医は話している(CBSテレビ)。カナダの指導的医療人類学者Margaret Lockは、「ひとにはそれとはいえぬ不快感を感じて臓器移植から手を引いた」何人もの外科医を知っていると語っている。」(『科学医学資料研究』野間科学医学研究資料館288号 1998年 2頁) 

■CBSテレビ 調査中

■知る権利ネットワーク関西岡本隆吉は、次のように書いている。
 「記者会見で高知赤十字病院の主治医は、「臓器摘出開始時に急に血圧が上昇した。そのため麻酔を実施した」と述べました。「血圧上昇」の事実からも、その時点で脳幹が生きていた可能性は非常に高い。そのうえ「血圧上昇」だけで麻酔を実施するとは思えません。これは笑気ガス麻酔という、すぐに効く強力なもの。なぜそんな麻酔をしなければいけなかったかというと、そうしないと摘出できなかったからと考えられます。手足を動かすなどの動きがなければ麻酔なんかしなくてもいいわけです。」(『「脳死」ドナーカード持つべきか持たざるべきか』さいろ社 1999年 77頁)

■『法的脳死判定マニュアル』厚生省厚生科学研究費特別研究事業・脳死判定手順に関する研究班(1999年9月)
 第2章V 3 3)脊髄反射、脊髄自動反射は脳死でも認められるので、自発運動との区別が重要である。
          c)自発運動との区別
            ・反射が認められた場合は、誘発したと思われるのと同じ刺激を与え、同じ反射が誘発されれば
             脊髄自動反射と判断する。
            ・ただし、自発運動との区別に迷う場合は脳死判定を中止する。
          d)ラザロ徴候
             無呼吸テスト中等に上肢、体幹の複雑な運動を示すことがある(ラザロ徴候)が、真の自発運動と
             誤ってはならない。
        4)下記の姿勢・運動は脊髄自動反射とは異なり脳死では認められないため、認められた場合は脳死判定
          を行わない。
          (1)自発運動
            ・患者の体に触れる等の刺激を受けていない状態での体動
            ・顔面への疼痛刺激時の除脳硬直、除皮質硬直以外の体動
          以下略

 (森岡:ラザロ徴候のおきる原因は解明されているのか? なんで無呼吸テストのとき等におきるのか?
     ラザロ徴候と真の自発運動を見分ける方法はあるのか?)

     →ラザロ徴候についていま調査中(論文多数あり)

     注目 そのうちのひとつ、ラザロ徴候は頻発しているとの海外専門誌の報告 (乱夢さん提供情報)

■笑気ガス麻酔は必要なのか
  Handbook of Clinical Anesthesia 3rd ed. P.G.Barash,B.F.Cullen and R.K.Stoelting(eds.) Lippincott-Raven, 1997
    (花岡一雄監訳『臨床麻酔実践ハンドブック』南江堂 1999)
  52章 臓器移植の麻酔
   I ドナーの麻酔管理
    E ドナーの手術
       1 多臓器の摘出のためにドナーの麻酔管理では、十分な臓器の血流と酸素化を維持すべきである。
       2 手術の刺激により内臓性と体性の反射が生じるために、血管拡張薬が必要となることがある
         (しかし、吸入麻酔薬は必要ではない)。
       3 脊髄体性反射によって起こる筋運動は筋弛緩薬で抑制される。(660頁)

  (森岡:吸入麻酔薬(=笑気ガス?)は必要ないと書かれてある。脊髄反射は筋弛緩薬で抑制されると書いてある。
      つまり、筋弛緩のために麻酔薬を入れる必要はないと読める。)

■乱夢さんからの情報(掲示板におけるご発言と、私からの質問に対するお答え)

発言
     森岡先生:初めまして。以前、福井国際生命倫理セミナーで坂本先生の発表内容に
     対して、先生が鋭い質問をされていたのを思い出されます。僕はそのセミナーの事務局
     を担当していた者で、神経内科医です。

      ところで、脳死・臓器移植に関して、ユニークな考え方を提示されていることに
     敬意を表します。

      ラザロ徴候はマスコミは取り上げたことはないのではないかと思います。非常に
     興味深い現象ですが、以下の文章は僕の掲示板に以前、書いたものを一部改訂した
     ものですが、ご参考まで。また、臓器摘出時に患者に麻酔をかけないと、血圧・脈拍
     の上昇が見られるという報告や、その機序に関する論文もすでに数編発表されています。
     僕は現在、そのようなことを含め、神経内科に関わることを面白おかしく、やさしく
     わかるように鋭意、執筆中です。脳死状態で見られる不可思議な現象(実際はかなり
     の部分が脊髄反射、自律神経反射(交感神経)で説明可能です)を、専門家は一般人
     に情報を公開していないのではないかと思います。

      以前、インドのデリーで国際学会があった時、脳死患者で見られる不随意運動の
     ビデオを見る機会があった。今回の脳死判定で思い出して文献を調べてみた。

     脳死例でみられる臨床所見:広瀬源二郎、臨床神経33: 1321-1324, 1993

     Lazarus' sign(ラザロ徴候):

     「1984年RopperはMassachusetts General HospitalのNeuro-ICUの経験から、
     イエスが甦らせた男ラザロにちなんで”Lazarus' sign”なる上肢自発運動を記載
     した(Neurology 34:1089, 1984)。レスピレーターをはずして4〜8分経過すると、
     上肢、体幹に鳥肌が出現し、上肢がこきざみに震えはじめ、30秒以内に両上肢
     が肘関節で屈曲し、両手は胸骨部に動き、ついで手が頚、顎にまで動き、両手を
     胸の前であわせて、最後に両手が体幹両わきにもどる。これらの一連の上肢の運動
     はstereo-typedに5症例で見られたものであるが、極めて稀な上肢自発運動である。」

     コメント:僕が国際学会で脳死患者のこのような自動運動のビデオを見た時は
     本当に驚いてしまった。まるで、お祈りをしているような姿だったのだ(祈りの
     徴候とも呼ばれる)。日本神経学会(1993年)で、再び、同じようなビデオ
     を見て、素人には見せては誤解するだろうなと思った。生きているのは脊髄であって、
     脳ではないのだ(広瀬先生は自発運動と記載しているが、自動運動が正しい)。
     脊髄は脳とともに中枢神経系であるが、現在の脳死判定では脊髄反射や脊髄由来
     の自動運動は存在してもいいことになっている。

      新潟大学の生田教授は、84例の脳死剖検例のほぼすべての脊髄を検索し、脳死
     期間中に心機能が持続した例ではそのすべての例の脊髄は内臓器とともに正常な
     組織として心停止まで生存し続けていたと述べている。但し、その境界は脳死に
     陥る下部延髄から正常な脊髄への移行を示す下部頚髄まで症例毎に多少とも異なる
     レベルを示した。彼の論文の図表をよく見てみると、上部頚髄〜下部延髄には一部
     生存している神経細胞もある症例もある。このような症例では、ラザロ徴候が観察
     される可能性がある。

      脳死患者に見られる脊髄由来の自動運動は無呼吸テストや人工呼吸器離脱後に
     生じることが多く、持続時間は人工呼吸停止後数分間にわたるものが多いが、
     無呼吸テスト後、1時間に及ぶ例もある(福武ら)。恐らく、低酸素に対しての
     残存する神経細胞が最後のあがきのようなものかもしれない。でも、このような
     現象がおこりうることを前もって知っていないと驚愕してしまうだろうと想像する。

     PS:このような現象がおこりうることを前もって、患者の家族に説明がなされて
     いるのだろうか?

     http://www.tcup1.com/146/ranmu.html

お答えその1:

     >乱夢さん 投稿者:森岡正博  投稿日:11月16日(火)22時32分36秒

     >情報などありがとうございました。その論文、ほか、いま手元にもっています。
     ただ、ぜんぜん時間がないため、まとめることができません。ラザロ徴候について
     も、おおまかにはわかりましたが、これは、もっと突っ込んで考えたいと思って
     います。たとえば、たいがいのものは脊髄反射で説明できるということですが、
     「下部延髄」の関与も否定できない、という報告もあります。下部延髄というと、
      脳幹の一部で、呼吸中枢に関与している可能性がありますね。無呼吸テスト中に
     ラザロ徴候がおきるということとの関連性が、まずは疑われます。

     乱夢:鋭いご指摘ですね。下部延髄が一部生存している脳死患者が少数はいると思います。

     >あと、単純に 考えて、脊髄反射だけで、祈るような腕の動きができるのか、という
     疑問もあり ます。これらの点は、もっときちんと調べたいです。

     乱夢:延髄と頚髄の間の神経連絡路が遮断された場合(脳脊髄ショック)初期は弛緩
     性麻痺がおこりますが、しばらくしてから、脊髄自動反射が亢進してきます。上肢を
     支配する頚髄が正常の場合、何らかの刺激で、ラザロ徴候のような複雑な運動もおこり
     えます。なぜ、祈りの姿勢になるかは、僕の仮説ですが、次のように考えています。
     脊椎動物では脊髄のみでも歩行様運動が誘発される。人が人たる所以は
     死者を弔うことであり、人類共通の習慣としての祈りの姿勢が頚髄レベルの複雑な
     固有反射としてプログラムされているのではないか?

     >でも、なぜいままで専門家 は知っていながら、一般市民にこういう重大情報を公開
     しなかったんでしょうか? 脳死の人への人体実験のときもそうでしたが、知っている
     のに、情報公開しないということが、続いています。

     乱夢:ラザロ徴候はまるで脳が生きているのではないかという反応であるため、脳死・
     臓器移植推進論者は、一般市民にこのような情報を与えることは不適切だと考えたの
     かもしれません。1993年に日本神経学会総会で脳死に関する討議があった時に
     マスコミは取材にきていなかったのでしょう。しかしながら、この現象の存在を
     ドナーカードにイエスと署名する方々に是非知ってもらいたいと思いますし、また、
     専門家は説明義務があると思います。

     >  あと、脳死状態で、麻酔をかけると、血圧・脈拍の上昇が抑えられるのはなぜ
     なのかご存じでしたら教えていただけませんか? その麻酔というのは、笑気ガス
     系でしょうか? モルヒネのようなものでしょうか?

     乱夢:その前に何故、手術時に皮膚を切開したりするような操作時に、血圧・脈拍
     の上昇が見られるかを説明します。下記の文献があり、血漿ノルアドレナリンと
     アドレナリンを測定していますが、両報告とも、両者のカテコールアミンの上昇が
     観察されています。過度の疼痛刺激に対する交感神経反射によるノルアドレナリン
     の分泌、およぶ副腎随質からのアドレナリンの分泌が、そのメカニズムでありと
     解釈されます。したがって、疼痛刺激を抑制するための麻酔薬が使用されるものと、
     僕は解釈しました。麻酔薬として、合成麻薬を使用する場合もあるようですが、
     この作用部位は脳だけでなく、脊髄後角細胞に対する直接抑制があります。皮膚
     切開などの末梢からの感覚神経が経由する後角細胞がブロックされるため、疼痛
     刺激が抑制され、反射性の運動や血圧、脈拍の増加が予防することができると解釈
     されます。

     Gram HJ  et al: Hemodynamic responses to noxious stimuli in brain-dead organ
     donors.
     Intensive Care Med 18:493-495, 1992
     Pennefather SH et al: Haemodynamic responses to surgery in brain-dead organ
     donors.
     Anaesthesia 48: 1034-1038, 1993

その2:

     参考まで、教科書から引用します。わかりにくいと思いますが。

     分節性脊髄反射(最新麻酔学改訂第2版、克誠堂出版)

      末梢組織に加えられた侵害刺激の入力は当該分節の上下それぞれ2−3分節にわたる
     Lissauer束より脊髄後角に入り,交感神経節前線維の起始部である中間外側核の反射
     活動を賦活し交感神経活動が増強される。その結果,心拍数,一回拍出量の増加に
     伴い心仕事量は増し,心筋の酸素消費量は増大する。交感神経の過剰な緊張は心以外
     の臓器においても血管収縮を助長する。これらの反応は実験的に脊髄動物で観察される
     現象であり,純脊髄性反射と考えられる。
      一般に,末梢から上行する侵害刺激は広範な領域で交感神経ならびに運動神経の
     活動を増強する。その結果として生じた筋の収縮は疼痛刺激そのものを助長し,
     さらに遊離が促進されるノルエピネフリン,エピネフリンもまた侵害受容体を刺激
     して疼痛に拍車をかけ、この領域全体に正のフィードパック機構,すなわち悪循環
     が形成される。
      脊髄性反射については,さらに以下のような事実が注目される。すなわち,大量
     の侵害刺激は末梢受容体からの求心性インパルスを増幅するのみでなく,侵害刺激
     の連続発射を誘発して,後角ニューロン,介在二ューロン,さらに前角ニューロン
     までも賦活、増感する。これらの現象は筋,関節,骨膜など深部組織由来のC線維
     が刺激された場合に発生すると考えられ,潜時の長い持続性の促通状態が生じ,
     後角I層から深層に至るニューロンが順次賦活され,かくしてそれらすべての層
     にわたる持続的な興奮性の増強をもたらす。その結果,受容野は拡大し.本来侵害
     刺激のみに反応する高域値ニューロンを軽度から強度までのすべての刺激に反応
     するニューロンヘと変質させ,同時にそれは刺激された部位のニューロンの支配
     領域から隔たった受容野を持つニューロンにまで影響を及ぽすといわれる。
 

     Otte JB et al: Organ procurement in children-surgical, anaesthetic and
     logistic aspects.
     Intensive Care Med 15: S67-S70, 1989

      Dynamic haemodynamic responses were reported by Wetzel et al. in brain-dead
     patients undergoing surgery-these responses did not, however, invalidate
     the current criteria for the diagnosis of brain death-it is important to use
     agents such as muscle relaxants(pancronium) and fentanyl prior to start
     surgery in order to avoid any haemodynamic modifications.

     フェンタネストは合成麻薬です(一般名:フェンタニル)。下記より引用。

     「フェンタネストはモルヒネと同等の鎮痛作用を持ち(鎮痛作用に有効限界はない)、
     モルヒネに比較すると便秘、吐き気、めまいなどの副作用が少ないといわれている。
     現在は、副作用が強くモルヒネでうまく除痛が得られない症例にしか使われていない。
     印象としてモルヒネより副作用は少ないが、鎮静が強いように思われる。臨床上は
     フェンタネストはモルヒネの65倍くらいの力価と考えられているので、アンプル数
     にしてモルヒネの1.5倍のフェンタネストを目安にしている。通常、モルヒネの
     持続皮下注は20mgで開始しているが、フェンタネストで開始する場合には300μg/
     日となる。」

     http://www.ps.toyaku.ac.jp/~dobashi/cancer/chapter4_1.html

その3:

     次は、麻酔学の教科書より引用:笑気ガスを使用する場合もあるようです。そして
     筋弛緩剤も投与されます。

     General Care
      The use of analgesic and anaesthetic agents to produce anaesthesia is
     illogical in organ donors. However, anaesthetic agents may be used to
     depress possibly harmful spinal reflexes, such as tachycardia and hypertension,
     related to surgical incision. Most anaesthetists continue to use nitrous oxide
     as a carrier gas to avoid the 100% oxygen from anaesthetic machines without
     supply of compressed air.
       Stimulation, such as occurs on skin incisions, may trigger intact spinal
     reflexes in donors. These  may manifest as muscle twitches through to complex
     limb movements. Unless these changes are anticipated and understood by
     attending staff, anxieties may arise on the validity of brainstem death
     criteria. Reflex increases in muscle tone may also limit  surgical laparotomy.
     A muscle relaxant, such as pancuronium, 0.1mg/kg, may be given before surgical
     incision.

     ( Chapter 57: Burns AM et al: Anaesthesia for transplantation surgery and
     management of the organ donor: p1166, "Anaesthesia" , edited by Nimmo WS et
     al, 1994)
 
 
 
 
 
 

1999年10月20日現在
以下続く

*このページは学術研究資料であり、引用は学術研究の目的でなされている。
*資料・情報を提供してくださった方々に感謝したい。
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