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作成:森岡正博 
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子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案(素案)
森岡正博
2001年1月19日、 24日改訂

以下の素案を改訂した公開版が2001年2月14日に発表されました。次のURLをご覧ください。
http://www.lifestudies.org/jp/moriokasugimoto-an.htm

なお、以下の素案は、資料としてここに保存しておきます。

 

1 改正案の概要

 臓器移植法改正に当たって、以下の改正案を提案する。

 ・「本人の意思」原則および「15歳未満の子どもからの臓器摘出」に関して

  (i)15歳以上の者に関しては、現行法と同様とする。

  (ii)15歳未満の子どもに関しては、以下のA案あるいはB案のいずれかを候補案として提案する。

A案:15歳未満12歳以上の場合は、「本人の意思表示」および「親権者による事前の承諾」がドナーカード等によって確認されている場合であって、親権者が拒まないときに限り、「法的脳死判定」および「脳死状態からの臓器摘出」を可能とする。12歳未満6歳以上の場合は、上記の条件に加えて、子どもが虐待によって脳死になった形跡がないこと、「本人の意思表示」が強制によってではなく自由意思によってなされたものだと考えられること等を、病院内倫理委員会(あるいは裁判所)が審理するという条件を追加する。6歳未満の場合は、「法的脳死判定」および「臓器摘出」を行なわない。

B案:15歳未満12歳以上の場合は、「本人の意思表示」および「親権者による事前の承諾」がドナーカード等によって確認されている場合であって、親権者が拒まないときに限り、「法的脳死判定」および「脳死状態からの臓器摘出」を可能とする。12歳未満の場合は、「法的脳死判定」および「臓器摘出」を行なわない。

 ・心臓死*状態からの臓器摘出について
 脳死状態からの臓器摘出のための条件から、「法的脳死判定」に関する条件を削除したものを適用する。現行法附則第4条(経過措置)は廃止する。
 ・生体からの臓器摘出について
 成人が自由意思によって願い出た場合であって、本人の健康を害さないと判断される場合に、腎臓の片方、肝臓の一部、小腸の一部、および肺の一部について認める(具体的な提供可能臓器については、ガイドラインで定める)。提供者の人権および健康が守られるような条件を整備する。
 ・ヒト組織の採取について
 脳死状態、心臓死状態、生体からのヒト組織の採取については、それぞれ、脳死状態、心臓死状態、生体からの臓器摘出と同じ条件を課する。
  (*心臓死=呼吸及び循環の不可逆的停止)  

2 解説

(1)「脳死」について

 現行法は、脳死が「人の死」であるのか「人の死」でないのかを、われわれ一人一人があらかじめ選択できる法となっている。すなわち、みずからの死を「脳死」によって判定してもよいという個人は、あらかじめドナーカードによってその旨を表示しておけば、家族が拒まない限り、法的脳死判定を受けることができ、脳死をもって「人の死」とすることができる。みずからの死を「脳死」によって判定してほしくない個人は、ドナーカードを持たなければ(あるいは拒否を書き込んでおけば)、「法的脳死判定」をされることはなく、心臓が止まるまで生きた人間として扱われる。
 現行法は、「死の多元主義」に立った法律である。「死の多元主義」を採用した法律としては、日本の現行法とアメリカ合衆国ニュージャージー州の脳死法の二つがある。臓器移植の先頭を走っていたアメリカ合衆国では、ニュージャージー州型の「死の多元主義」の法を再評価する動きが、ここ数年、専門家によって活発に提案され始めている。その関連で、日本の現行法も注目を集め始めている。ある一定範囲の「多様な死生観」を許容する法律こそが、真に多元的で民主的な国家の法律としてふさわしいというのである。
 その背景として、(a)海外の一般市民のあいだで「脳死」への疑問の声が大きくなってきたこと、(b)特に1997年以降、専門家からの「脳死」への疑問が大きくなってきたことがある。1999年以降、海外では「脳死の見直し」が生命倫理の大きなトピックスになっている。脳死状態で心臓が14年間動き続ける例、脳死状態で自発的に両手を持ち上げて祈るような動作をする「ラザロ徴候」の多数の報告などが背景にある。脳死状態になれば「身体の統合作用が消失する」「心臓も10日ほどで止まる」という前提が、90年代に入り医学的に否定された。その前提をとった日本医師会および脳死臨調多数意見は崩壊したことになる。森岡論文(3)で詳述した。
  また、日本においては、コンスタントに30%前後の国民が、脳死を人の死とすることに反対をしている。海外でもこの比率はほぼ同様である。
 以上を総合して考えるに、「脳死」を「人の死」とする立場も、「人の死」としない立場も、それぞれ尊重して認めるべきであると思われる。何を「死」とし何を「生」とするかという「死生観」は、人間にとって非常に大切なものである。30%の国民の「死生観」を法律によって全否定することは避けなければならない。さいわい、現行法成立の際に衆知を集めて討議した結果、「脳死」を「人の死」とするかしないかをあらかじめ選択できるという「死の多元主義」の法律が制定された。日本の現行法の多元主義は、本人が意思表示をして家族が拒まないときに限って「法的脳死判定」をして「人の死」とする、それ以外の場合は心臓が止まるまで「生きている」とするものである。先に述べたように、「脳死になったら人の死である」とする考え方を疑問視する考え方が多数の専門家からもあがってきているのに対し、「心臓死になったら人の死である」とする考え方を疑問視する専門家はほぼ存在しない。従って、「心臓死」をデフォルト(基本線)として、それに「脳死」を希望により付加するという現行法の枠組みが、もっとも妥当なものであり、この点において世界に誇れる立法である。この現行法の枠組みは維持されなければならないと私は考える。

 (2)臓器移植について

 「脳死」だけではなく、「臓器摘出」に関しても、「本人の意思表示」を前提としなければならない。本人の意に反して、臓器を摘出されることがあってはならない。では、本人の意思が不明の場合はどうか。臓器摘出は、本人の身体に侵襲を加える行為であるから、本人の意思が不明の場合にそれを行なうことは、本人に対する重大な人権侵害となるおそれがある。なぜなら、臓器摘出について迷っていたり、答えを出していなかったという理由で、ドナーカードに記入しないケースがあるはずだからである。したがって、本人が何も意思表示していないときには、臓器摘出をしてはならない。さらに言えば、「臓器摘出」について、まだ答えを出していなかったり、迷っていたり、見解を発表したくなかったりする「自由」を、すべての個人は有しているはずである。本人が何も表明していなかった場合は、これらの可能性が存在するということを謙虚に認めなくてはならない。われわれはみずからの死生観および臓器摘出に関して意見表明を「強制」されない権利、すなわち「沈黙」を守る権利を有しているのである。

 (3)15歳未満の子どもについて

 子どもに関しても、みずからの「死生観」および「臓器摘出」について、意思表示するチャンスを与え(けっして強制してはならない)、「脳死」および「臓器摘出」に関する「意思表示」があったときにのみ、家族の承諾を得て、法的脳死判定と臓器移植へと進むべきである。日本が批准している「児童の権利条約」は、子どもの人生に大きな影響を与えることがらについて子ども自身が「意見表明」する権利を認めており、大人はそれを聞く義務があるとしている。臓器移植法を改正して子どもに適用するのならば、この国際条約を無視することはできないはずである。子どもの意見を聞かずに、親権者の判断のみで「法的脳死判定」と「臓器摘出」を行なうことは、子どもの意に反して「脳死」を「人の死」とし、「臓器摘出」をする危険性をはらんでいる。これは、子どもに対する人権侵害である。以上については、森岡論文(1)にて詳述した。
 また、日本の法律は、親権者が子どもを保護することを、親権者の第一の義務としている。もし子どもが「意思表示」を行なっていなかったのであれば、親権者は、「臓器摘出」という外部からの侵襲から、まだ「生きている」子どもの身体を「保護」する義務がある。なぜなら、現行法では「意思表示」がない場合は、心臓死まで生きているとされるからである。
 なお、子どもの年齢が下がっていくにつれて、子どもの「意思表示」の妥当性が相対的に低下していくことが考えられる。それを考慮して、A案・B案の2案をもって素案とした。今後の議論によって、いずれがより妥当であるかを詰める必要がある。また、親の虐待による子どもの脳死例が報告されており、ドナーカードを親が捏造する危険性も指摘されている。12歳未満の場合は、これらについて第三者が審理する必要があるだろう。6歳未満の子どもについては、意味のある「意思表示」が不可能であると思われるので、法的脳死判定および臓器摘出は禁止する。これらについては森岡論文(2)で詳述したが、見解を一部修正した。
 子どもは親の影響で意見を左右されるから、子どもの意思表示は法的に信頼できないという意見もある。もしその立場を取るのならば、意思表示の不可能な子どもについては「法的脳死判定」を行なうことは不可能となり、したがって、臓器摘出も断念すべきである。

 (4)その他

 心臓死状態からの臓器摘出、生体からの臓器摘出、ヒト組織の摘出についても、脳死状態からの臓器摘出と同じ法理をもって対処するべきである。このほか、ぬで島次郎が指摘するような、「人体の研究利用」「治療停止」についての問題が残されている。また、本人の「意思表示」を家族がくつがえすことを許してもよいのかどうかという問題も残されている。これらについては、末期医療など多方面からの検討が要請される。よって、長期にわたる学問的討議が必要とされるであろう。 

3 諸説の批判

(1)町野案

 町野案は、(1)「脳死」を一律に「人の死」として定義し、(2)本人の拒否がなければ家族の承諾のみで臓器摘出を可能とする案である。しかしながら、以下の点において、町野案はきわめて妥当性を欠く。

(i)医学的な見地から「脳死」説に疑問が高まっている以上、「脳死」をもって一律に「人の死」とする根拠はいまや薄れている。
(ii)「脳死」を一律に「人の死」とすることは、約30%存在する「脳死を人の死と考えない国民」の死生観を踏みにじることになる。それらの人が有する、心臓が止まるまで生きているものとして扱われる権利を侵害するものである。
(iii)「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである」(最終報告書より)とする町野の学説は、学問的に言って端的に誤っている。


(2)現行法の枠組みは守ったまま、子どもについては親の承諾だけで臓器提供できるとする案

 正式表明されてはいないが、この種の案が存在する。この案は、以下の点において、立法論上不可能である。

(i)現行法は、心臓死をデフォルトとし、とくに意思表示のある場合に限って「法的脳死判定」および「臓器摘出」を認めるものである。
(ii)したがって、子どもの意思表示がない場合は、そもそも子どもの「法的脳死判定」をすることはできない。
(iii)仮に、子どもに関しては、子どもの意見を聞かなくても親の承諾だけで「法的脳死判定」ができるように法律の枠組みを変えるとするなら、「大人については心臓死がデフォルト」であるのに、「子どもについては脳死がデフォルト」であるという、首尾一貫性をはななだしく欠く欠陥法となってしう。


(3)違法性阻却論

 これは、脳死を人の死とせず、人は心臓が止まるまで生きているとしたうえで、その脳死状態の「生きている」人から臓器摘出ができるとする案である。これについては、以下の疑義がある。

(i)違法性阻却論は、生きている人からの臓器摘出、とくに心臓摘出を認めることになる。心臓摘出によって、患者は死んでしまう。臓器摘出が、ある種の殺人、あるいは安楽死に接近してしまうという難点がある。
(ii)生きている人からの臓器摘出を認めるという法構成を取ってしまうと、生きている「植物状態」の患者や、「無脳児」からも臓器摘出を可能にする道を開いてしまう。さらには、「障害者」「痴呆性老人」「死刑囚」へと広がっていきかねない。この「滑りやすい坂」を食い止める手だてがあるのか。
(iii)自分については「脳死」が「人の死」であると考える人の死生観を否定することになるのではないか。


(4)臓器移植法廃止論

 これは、現在の臓器移植法を廃止し、脳死は人の死ではないとし、脳死の人からの臓器移植を「殺人」だとして禁止する案である。これに関しては、(i)自分については「脳死」が「人の死」であると考える人の死生観を否定し、(ii)「臓器摘出」して他人を助けたいと考えている人の臓器提供の自由を侵害することになるのではないか、という疑義があり得る。 

4 結論

 以上の理由によって、私は、「子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案」(森岡案)が、もっとも妥当な臓器移植法改正案であると考える。私も人間であるから、臓器移植を受けなければ生命が危ない子どものことを、非常に重く受け止めている。しかしながら、臨床的な脳死状態の子どもの尊厳と人権が完全に守られたあとではじめて、移植への配慮が始まるべきであるという原則を崩すわけにはいかない。このような原則下で、子どもへの移植を可能とするぎりぎりの接点として、私はこの改正案を提案するのである。この問題は多様な国民を含めた、多方面からの議論を重ねなければならない大問題である。海外での状況や、医学上の事実も、80年代−90年代初頭とは様子が異なってきている。国会に直ちに法案を提出するという拙速を関係者すべてが避け、各レベルで地道な議論を積み重ねる必要がある。 

5 提言

 本改正案および添付資料をベースにして、臓器移植法改正のための具体案を作成されることを、関係各議員、団体、厚生労働省担当者に提言する。
 

2001年1月19日(素案作成日)
大阪府立大学総合科学部教授 森岡正博(提案者代表)  

森岡正博(1)「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」『論座』2000年3・4月号 200−209頁
森岡正博(2)「臓器移植法・「本人の意思表示」原則は堅持せよ」『世界』 2000年10月号 129−137頁
森岡正博(3)「日本の「脳死」法は世界の最先端」『中央公論』2001年2月号 318−327頁
Stuart J. Youngner et al.(eds.), The Definition of Death: Contemporary Controversies. Johns Hopkins University Press, 1999.
Michael Potts et al.(eds), Beyond Brain Death: The Case against Brain Based Criteria for Human Death. Kluwer Academic Press, 2000.

添付資料

1 森岡論文3篇(上記リンク参照)
2 賛同者名簿(ネット上には公開しない)