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ストーカーによる被害について
森岡正博
2000年12月2日


ストーカー防止法が先日施行された。被害者としては女性が想定されているようだが、私はいまストーカー被害にあっている。ストーキングしてくる相手は女性である。相手は、自分の行為をストーキングだとは認識していない。しかし被害者である私にとってはストーカー以外の何物でもない。自分がストーカーの被害にあってみて、ストーキングされた人間が受ける「心の傷」「恐怖感」等々が実感としてわかった。この精神面での経験において、男女の質的差はないと思う。(もちろん、差異そのものはある。私は少なくとも肉体的レイプの恐怖は感じていない)。以下、このことについて概略を紹介し、みなさんの思考の材料にしていただきたい。そして、自分が意識しないところで他人を深く傷つけている可能性があるということについて、思いをめぐらせてみてほしい(これは自戒でもある)。冷静さを欠く表現については、お許し願いたい。

前史

その女性は、おそらく2年ほど前からメールでやりとりがあった。そのときは、倫理問題などについての情報交換や意見交換が主であった。私があるところで講演会をしたときに、その女性は聴きに来ていた。そのときはじめて、私はその女性と対面した。雑談をして、そのまま私は会場を後にした。その後も、メールでのやりとりはあった(しかし会ったことはない)。私が、このような意見交換のための不定期のメールのやりとりをしている人々は、数十人はいる。その女性もそのうちの一人であったのである。

事件

いまから一ヶ月ほど前あたりから、その女性のメールに不審なにおいが感じられるようになった。そして、どうしても会いたいとと言う。大学の研究室を訪ねてくると「一方的に」予告する。私は、会う必然性がないのでお断わりした。その後、私は、あるところで公開の講演会をした。講演会は盛況で、100名以上の人々が来ていた。私の知り合いの学生たちもきていた。講演が終わって、帰ろうとすると、会場から私に近づいてきた女性がいる。あの女性であった。私は、ほとんど話さず、会場を去った。いやな気分であった。講演会は公開だったから、聴きに来るのは自由である。でも、HPでも情報を流していないのに、どうやってその女性が知ったのだろうと思うと、いやな感じがした。その夜は、繁華街のホテルに泊まった。そのホテルに泊まることは、誰にも言ってなかった。主催者にも言ってなかった。夜寝ようとしたら、メッセージランプがついていた。フロントに確認すると、封書が届いているという。心当たりはなかったので、明朝受け取ることにして、寝た。明け方、早く目が覚めた。封書のことが気になっていた。私がこのホテルにいることは、誰もしらないはずだ。誰だろう・・・・。郵便で来たのでなければ、誰かがホテルを訪ねて、置いていったということだ。いやな予感がした。そのとき、部屋の電話がルルルルと鳴った。びっくりして、電話に出た。すると、「××(名前)です」という女性の声。あの女性だった。そしてその女性は言った。「下でお待ちしています」。あまりのことに私は意味が分からず「はい?」と聞き返し、「困りますから、おかえりください」と言った。女性は、「でも、・・・待っています」と言う。私は繰り返し帰るように言い、電話を切った。全身から冷や汗が出た。混乱する頭で考えた。どうして、私がこのホテルに泊まっていることを、知っているのだろう。いきなり「下でお待ちしています」とは、どういうことだろう。たぶん彼女は、私が泊まりそうなホテルにあたってみて(かたっぱしから?)、私がここに泊まることを突き止め、講演会の帰りにホテルに寄って封書をフロントにあずけたのだろう。そして、次の日の朝、ホテルのロビーに来て、私の部屋に電話をかけたということだ。私は、ぞーっとした。恐怖感が襲ってきた。もしいま部屋のドアをあけたら、廊下にその女性が立っているかもしれない。帰ったという保証はない。どこかわからないところから、つねにつけねらわれているかもしれないという恐怖感。これが、ストーキングされた者にしかわからない、恐怖感である。しているほうは、自分の行為がこういう暴力になって現われているということに、気がつかないであろう。私は、仕度をして、わざわざホテルのチェックアウトぎりぎりまで部屋でねばって、外に出た。まわりを見回しながら、フロントで精算し、封書を受け取った。ロビーにはその女性はいなかった。私は、わざわざホテルの裏口から外にでた。封書を読むと、「一緒に散歩をしたい」とか「専用の携帯を買った」とか、いろいろ書いてある。この封書も、かなりの恐怖であった。なぜなら、そこには、その女性の自分自身の気持ちのことしか、書かれてないからである。受け取ったこの私がどう思うのか、私はどういう気持ちなのか、ということをまったく想像していない。ようするに、この女性は、自分自身の気持ちのことしか、考えていない。いきなり電話してきて「下でお待ちしています」と言えるのは、そのようなメンタリティのおかげなのであろう。その日は、別の仕事があったのだが、ずっと「その女性にまた先回りして待ち伏せされているのではないか」という思いが抜けなくて、びくびくしていた。その後、自宅に帰ってメールボックスをひらくと、その女性が出したメールが来ていた。私は、その女性に、あなたがしたことはストーカー行為だから、もう二度と私にメールを送付しないこと、二度と私の目の前に現われないことを要求するメールをだした。しばらくのあいだ、その女性からのメールはなかった。しかしながら、今日、ふたたびメールが送られてきた。私は、ふたたび、二度とメールを送付しないように書いて送った。そしたら、またメールが来た。私は、今後は一切無視し、それでもしつこく接近するようなら、ストーカーの被害届を出そうと考えている。

ストーカー行為による心理的被害とは

今回の事件で、私はかなりの傷を負っている。このことは、その女性には理解できないだろうし、被害を受けたことのない方々にはひょっとしたら分かりにくいかもしれない。私も、自分が被害にあってみて、はじめて、いままで「知識」としてのみ知っていたトラウマというものを、この身で実体験することとなった。

(1)フラッシュバック
私にとっていちばん打撃だったのは、ホテルでの朝の電話である。あの電話のルルルルという音。それを聴いたときの、全身がきゅっと圧迫されて、冷や汗がほとばしり出る感じ。それ以来、電話の音を聞くと、あのときの感覚がフラッシュバックしてくる。鳥肌と、恐怖感が、入り交じったような感じ。これは、たまらない。大学でも、同じような種類の電話の呼び出し音を聴くと、フラッシュバックがおきることがある。それより困るのは、ホテルに泊まったときに、ベッドサイドにある電話を見ると、どうしても連想してしまうことだ。夜や朝、ひょっとしてこの電話機が、また鳴るんじゃないかと、気になって仕方がない。たぶん、これからホテルに泊まるときは、電話機のコードを引き抜くようになるかもしれない。

(2)行動範囲の制限と縮退
街を歩いていても、その女性がいるかもしれないような場所にいくと、まわりからの視線が気になる。すると、安心して街を歩くということができにくくなる。横から、突然、現われるんじゃないだろうかとか、どうしても考えてしまう。ストーカー被害を受けると、他人からの視線に敏感になる。それも「ひょっとして・・・」という根拠のない不安だから、始末が悪い。そのホテルには、当分のあいだ私は泊まれないだろう。そのホテルの界隈にも行きたくない。こうやって、私の行動範囲は、心理的に制限され、縮退していくわけである。たぶん、その女性が私と同じ街に住んでいたら、私は「引きこもり」状態になっていたか、引っ越していたかもしれない。さいわい、違う街だから、そこまではいかないが。でも、また私の住所を探し当ててくるかもしれないと思うと、いつも、自分の体の回りに、いやな空気を背負って暮らしている気分になる。ストーカー行為は、被害者の行動範囲を心理的に制限する。このことの意味が、はじめて、わかった。引っ越しても解決しないことは分かっているけれど、引っ越したいと思うこの気持ち。その女性から来たメールを見るのもいや、という感じ、それが視界にはいるのもいやという感じ、パソコンのハードディスクにはいっているということ自体、いやという感じ。これが分かるだろうか。トラウマとは、そういうものなのだ。

(3)仕事への影響
それらの結果、私はいま、公開の講演会については、いま引き受けている分のほかは、当分のあいだお断わりしようと思うようになってきた。なぜなら、公開してしまうと、またその女性が来るかもしれない、と思いつつ、その日まで仕事をしないといけなくなるからである。鉛を背負って仕事をするのは精神的につらい。参加者が限られているクローズドのものは、お引き受けするが、それ以外のものは、ちょっとダメだな。

以上が、報告である。プライバシーが特定されないように、わざと記述をあいまいにしてある。また、ここに書いていない情報もある。以上に書いたのは、私に即したリアリティの正直な報告である。ストーキングしたほうは、そんなことは意図してないし、ストーカー行為ではないと主張するかもしれない。みなさんにとって、何かのお役に立てばさいわいである。(その女性からのメールについてはアクセスログを保存しているので、同一発信元からのものであることが分かっている。メールそれ自体のHPでの公開は違法である)。

*と、ここまで読んでくださったみなさん、私の記述がえらい感情的かつ被害者意識に満ちたものと映ったことでしょう。それは認めます。感情的に書いてます。私のことを、自意識過剰のいやな男とか、「たかがこれだけのことで何騒いでるの?」とか、結局自慢してるんじゃんとか、批判する方もきっとあらわれることでしょう(厨房の凡庸な反応パターンだし〜)。しかし、私がみなさんに伝えたかったのは、ストーカー被害を受けた人間の心理面でのリアリティが、どのようなものなのかということです。たぶん、以上の文章全体に、それが滲み出てしまっているのだと思います。感情的な描写が、みなさんをご不快にさせたとすれば、ここに謝罪いたします。ゴメンナサイ


その後の経過(2001年5月)

あれからずいぶん経ちまして、その後は何も我が身にはおこっていません。上に述べた、フラッシュバック等も、減少しています。やれやれ、というところ。もちろん、まだ後遺症はあるのだけど、普通の心理状態の範囲内に収まっています。でも、やっぱり、ご当人からのメールなどは来てほしくないし、基本的には、思い出したくありません。私の場合は、軽めのPTSDだったのでしょうが、こんな体験はあまりしないほうがいいです。ということで、みなさんにはご心配をおかけしましたが、私は大丈夫ですというご報告。

 

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