大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2007年度)

 

人間の同族死観

:自殺・殺人に踏み切らせる因子

浅賀洋子


はじめに

 人間は自らを殺したり、また自分と同じ人間を意味もなく殺したりする。それを防ぐ法や対策もいろいろと講じられているが、一向になくならない。そのような事件を、多くの人は悲しみ嘆くのに、毎日のように新聞やニュースで報道され、世界中で絶えることはない。

自らを殺すことも、他者を殺すことも、考えるだけなら誰でも一度はあろう。苦しみから死んで逃れたいと思ったり、誰かを殺したいほど憎んだりという経験は、多くの人にあると思う。しかし実行するとなるとなかなかできない。一時の感情に我を忘れる場合もあろうが、計画的な犯行である場合、正気で行った犯人の神経が理解できない。

何が人間を自殺や殺人に踏み切らせるのか。この漠然とした疑問がずっと私の中にあり、凄惨な事件を耳にするたびにふと考えていた。今回、その長年の疑問をテーマに採り上げ、自分なりに考察してみたいと思う。

本レポートでは、テーマを考察する上での切り口に「宗教」をおいた三部構成で進める。この切り口を選んだ理由は、そこに人間の考え方が濃く反映されていると考えるためである。本テーマは、とても簡単には答えの出せない大きくて複雑な問題である。しかし自殺・殺人は生物として不自然であり、人間の本質的な行動ではない。本質にはない行動を実行に踏み切らせる因子の検証には、古くより人々の考えや道徳を導いていた宗教の教義のような、なるべく純粋な人間の本質の現れるものとの比較が適当と思われる。

三部構成の第一部は、埋葬法の調査から始める。世界各国で埋葬の方法は様々あるが、そこには必ず土着の宗教が絡む。そのあらゆる埋葬の方法から、人間が同じ人間の死に対して共通して持っている考え方を見出し、元来人間が、同じ人間の死をどう受け止めてきたかを考察する。

第二部は、第一部の軸となる“死を悼む気持ち”を否定して実行された例である、大量虐殺を調査する。大量虐殺は、特に日本の南京大虐殺とナチス党のユダヤ人虐殺を取り上げる。大量の人が短期間で、無差別に、人の手で直に行われた殺人であるためである。ここから、至って正気で人を殺した心理を読み取り、二つの大量虐殺を比較する。

第三部では、これまでの調査から一部から二部への境界線を見出し、それに踏み切る因子を考察して結論とする。

 

 

第一部     埋葬法

1 埋葬のはじまり

埋葬は、先史時代より行われてきたといわれている。埋葬跡として現在最も古いのは、前六万年のもので、1960年代にイラクで発見された。前六万年は、人類がネアンデルタール人ら旧人からクロマニョン人など新人に移行する二万年前にあたる。その墓に埋葬されていたのはネアンデルタール人で、周囲にまとまった量の花粉が発見されたことから、このときの人類に死を悼む気持ちと花の美の認識があったと推測される。日本においては縄文時代の、貝塚などに葬ったものが最古の埋葬跡と考えられている。しかし記録によると、『続日本記』に「700年、道昭という僧侶が火葬されたのが最初である」との記述が残っている。

『世界の葬式』(松濤弘道 新潮選書 1991 p.5,6)によると、埋葬について「人類の歴史始まって以来、いかなる民族もなんらかの形で関係者の死を悼み、その遺体を丁重に葬ってきた。これは他の動物には見られない人類特有の行為であり、生活習慣である」とある。また同書に、死は「誰にとっても避けることのできない厳然たる事実」で、「ある日突然襲ってくる死の現実に直面すれば、個人的にも社会的にも死者への愛着心と恐怖心が交錯するアンビバレントな状況変化を迫られる。フランスの人類学者アーノルド・フォン・ヘネップがいうように、「通過儀礼」を経過することによって始めて死者と決別」することができるという。この「通過儀礼」がすなわち埋葬であり、人間が人間の死を受け止め乗り越えるために不可欠な要素であると著者は述べている。

 

2 埋葬の種類

埋葬法は、その土地の風土や文化・宗教などによって様々に異なるが、大きくは土葬、火葬、風葬、水葬、鳥葬の五種類に分類できる。

 

2-1土葬

もっともポピュラーなのは土葬で、世界各地に例がある原始的な葬法のひとつである。棺を使う場合と、直に土中に埋める場合とがある。棺の素材は、多くは木が用いられる。稀に陶器など別の素材が用いられることもある。その場合、遺体の生前の地位が高い場合が多く、陶器の瓶状の棺を作る例もある。棺の形状は、樽状のものから方状のものまで、地域によって様々な形がある。方状のものは平棺、寝棺ともいわれ、特に富裕層の棺に選ばれることが多い。遺体を仰向けの楽な姿勢で送れるという発想が元になっていると考えられている。ちなみにこのような葬法は伸展葬といい、対して遺体の膝を折り曲げたり、膝を抱えるような姿勢をとらせる葬法は屈葬と呼ばれる。これは樽状の棺(座棺)に入れるためであるが、他に死者が生きて出てこないようにという思いや、胎児の姿勢をとらせるためという意味も込められているといわれている。「死者が生き返る」という危惧は、土葬する地域に根強く見られ、葬るときに頭を下にしたり、骨を折って埋める地域もある。墓石を立てるのにも同様の意味合いがあるという。日本では第二次世界大戦直後まで座棺が一般的であった。皇女和宮のときに初めて寝棺が採用され、その後富裕層中心に増えることになる。

 

2-2火葬

次にポピュラーなのが火葬である。遺体を焼却する方法で、衛生的でかつ墓の場所をとらないという利点から、これまで火葬しなかった国でも推奨され、世界的に増えている葬法である。日本は火葬率98%の火葬大国で、このような国は世界でも類を見ない。遺体を焼く窯の温度を調節して骨だけを残す方法も日本独自で、大抵の国の火葬では完全焼却する。残った遺灰は、墓に納めるほか、「自然葬」といって特定の場所に撒いたり、最近ではカプセルなどに納めてロケットに載せ、宇宙空間へ飛ばす「宇宙葬」という方法もある。

 

2-3風葬

また、現在では一部地域でしか見られなくなったが、土葬よりも原始的葬法であるのが風葬である。遺体を風化するに任せて遺棄し、白骨化させる。遺棄する場所は様々で、遺体を担架や木の板に乗せて木の枝に差し渡す場合は「樹木葬」または「台上葬」といわれる。これは遺体の位置を高くすることに意味があり、霊肉への崇敬の念を表現している。また洞窟などの中に遺棄する「洞窟葬」は、かつて沖縄でも見られた葬法である。

 

2-4水葬

水葬は遺体をそのまま河や海に沈める葬法で、インドのガンジス川流域では、ヒンドゥー教徒の大切な儀式のひとつである。海に流すことで死者の霊魂が、水平線の彼方にあるとされる「常世の国」にたどり着くという「海上他界観」の発想に基づく。日本書紀には「奥津棄戸(おきつすたへ)」という小船に遺体を乗せて海に流し、沖まで運び去らせたという葬法の記述が残っている。

 

2-5鳥葬

例は少ないが、以上四つの葬法のどれにも当てはまらない葬法として、鳥葬がある。風葬と違い、意図的に鳥に遺体を食べさせる。チベット密教やゾロアスター教で行われる葬法で、葬儀後遺体を郊外の特定の場所に置いて裁断し、ハゲタカ等肉食鳥獣に食べさせる。この方法に、魂を天へ送り届けることと、今まで奪ってきた命への布施の意味を込めているという。速やかに白骨になることが望ましいとされ、残った骨は日光で漂白されて最終的には土に返る。ゾロアスター教の場合、火を汚すことを禁じるため、鳥葬が好まれる。日本でも一部地域で報告があり、ヤマトタケルノミコトの神話に基づいていると考えられている(1)。

 

3 宗教文化圏別にみる葬送習慣

上記のように大きく五つに分けられる埋葬法だが、国によって細部は異なる。ここでは『世界の宗教』の内容を参考に、宗教別に大きく七つに分けて、各葬送習慣を比較する。

@    プロテスタント教文化圏

A    カトリック教文化圏

B    東方教会文化圏

C    イスラム教文化圏

D    ヒンズー教・仏教文化圏

E    儒教文化圏

F    土着宗教文化圏

 

 

@    プロテスタント教文化圏 :個人主導型

西/北ヨーロッパ諸国、北米諸国、南太平洋諸国、南アフリカ共和国 など

    キリストの復活の逸話(2)から、遺体は原型をとどめる土葬が主流であったが、現在は火葬も増加中。

    信心深いクリスチャンは、近親が死亡すると、個人の生涯において示された神の栄光を讃え、彼の魂を神の手にゆだねる感謝と賛美の祈りをささげる。

    遺体は単なる抜け殻であり、畏敬の念はもたない。したがって豪華な葬儀で費用・労力を費やすのはむしろ無駄、お悔やみの言葉なども少々ありがた迷惑であると考える。

 

 

A    カトリック教文化圏 :家族主導型

ヨーロッパ諸国、中南米諸国、アジア、フィリピンなど

    キリストの復活の逸話から土葬が主流。火葬は背教的であると捉えられることがあるため、禁止されている場合もある。(「火葬せよとの遺言はこれを執行してはならない」教会法一二三〇条 ←これは1963年、パウロ六世の勅令で解かれるが、現在も一般的に火葬率は低い)

    遺体処理は霊魂が昇天するまでの間禁じられ、昇天後は単なる抜け殻に過ぎないと考える。

    葬送慣習は盛大。協会中心の伝統行事で、家族ぐるみで盛大に行われる。

 

 

B    東方教会文化圏 :国家主導型

ギリシャ、ロシア(旧ソビエト)、バルカン半島諸国など。

    かつてはキリストの再臨に備えて土葬が多かったが、最近都市部などでは火葬が増えている。

    かつての教会の封建制への反動として、葬送慣習も宗教色抜きの追悼形式。

    葬儀は功績によってランク分けされ、国威の発揚に貢献した人(軍人、芸術家、スポーツ選手など)は立派な墓に、一般庶民は至って質素に弔われる。

    冠婚葬祭は地域や職場ぐるみで行うことが多い。

 

 

C    イスラム教文化圏 :救済者主導型

中近東、ペルシャ湾岸諸国、東南アジア諸国、イスラエル(ユダヤ教徒)

 

    イスラム教

    預言者ムハンマドのスンナ(慣行)に基づいて善行を重ね、死ぬ前に犯した罪を悔い、神の許しを得たものは、アラーの審判の日に復活できるとして、肉体は火葬せず必ず土葬。復活の日に立ち上がれるように、木の枝を遺体の両脇に挟むこともある。埋める際、遺体の頭は必ずメッカの方向を向ける。「まことに私たちはアラーのもの、彼に私たちは帰るのだ」(コーラン第二章雌牛章一五六)

    庶民の墓は質素だが、聖人の墓は豪華で参拝者も絶えない。

    土葬された遺体は、単なる亡骸であり、崇敬はしない。

    人間の運命はすべて神の意思であるため、別離の悲しみは強烈だが、「インシァラー(神の思し召しをもって)」「マラーシュ(仕方がない)」などと諦めも早い。

 

■ユダヤ教

    イスラム教徒とは、同じ圏内にありながら犬猿の仲とされているが、宗教の派生元は同じセム系であるため葬送慣習は似ている。

    ほぼ土葬。埋葬後、会葬者一同が墓所に土をかけ、立ち去るときには草を摘んで「神はわれわれが塵であることを知り給う」と唱えながら互いの方に振り掛ける。

    花は喜びを表すため、供花の習慣はない。

    「遺体は死亡当日に埋葬すべき」(ユダヤ教経典『モーゼの五戒』第二一章および二三章)。

 

 

D    ヒンズー教・仏教文化圏 :自然主導型

ヒンズー教文化圏(インド、ネパール)、南方仏教文化圏(スリランカ、ミャンマー、インドシナ半島諸国)など

・一般に火葬。それぞれ葬送慣習には異質なものが混ざり合っているが、故人の霊に線香や供物をささげ、合唱礼拝するという共通点が見られる。

 

■ヒンズー教

    死は輪廻転生の一過程。肉体が滅びても、霊魂は再生し、それが絶対者であるブラフマン(梵)と一体となって解脱しないかぎり、生は永遠に繰り返されると信じている。死後の運命は各人のカルマ(行為)が決定する。

    魂は他に転生し続けるため、遺体や遺灰は河に流して痕跡を残さず、よって墓を立てる習慣もない。

    薪の積み上げられた台の上に安置され、バター油かガソリンをふりかけ、僧侶が清めの儀式を行う。ついで近親者(死亡者が親の場合はその長男、子の場合はその父親)が遺体の周囲を五周して(故人が地・水・火・風・空気の五元素に帰し、魂が安らかに昇天するようにとの意味が込められている)、祭壇の灯明から取った火で点火する。

    死後十日目、故人の魂が完全に昇天する。

    病死者、変死者、貧困者、子供などは、火葬にせずにそのまま川に流すか土葬することもある。

    ガンジス川に遺灰を流せば、魂は天界で安んぜられるといわれる。

 

※パーシー教(パールスィー教)

インドにはヒンズー教徒以外にも複数の宗教徒が共存しており、そのひとつ、ゾロアスター教(拝火教)としても知られるパーシー教は、ボンベイ付近に多く居住する。

彼らは火を神聖なものとしてあがめ、大地と水が汚染されないように遺体はネサスサラー(遺体処理人)によってダフマ(沈黙の塔)に運ばれ鳥葬にされる。

 

■仏教

仏教文化圏は、ヒンズー教文化圏とは、形而上学的(超自然的)な存在である「自我」を認めない点で異なっているが、肉体以外の何かがその世界に移行するという点では一致している。

 

 

E    儒教文化圏 :祖先主導型

台湾、香港、その他華僑の移住する地域

    都市部では火葬が普及しているが、地方では土葬も多い。

    伝統的に先祖を尊び、葬儀は盛大。その丁重さは故人の地位によって決まる。

    イスラム教徒(回民)はすべて土葬。モンゴル族やチベット族も、ラマ教の慣習にのっとって、圧倒的に土葬が多い。

    根強い儒教国家である韓国は、従来は土葬であったが、都市部では火葬が進行。土饅頭型の墓も今では少なくなった。

    北朝鮮では、国家社会に貢献した人の葬礼は盛大に、その他の一般市民は至って簡素に行う。火葬ないし土葬される。

 

 

F    土着宗教文化圏 :生活共同体主導型

科学文明に染まりきっていない国

    死霊の神秘的な力に対する信仰が深く、人の死に際しては、その魔力への取り成しとして部族内で定めた儀礼や喪や供犠に呪術や邪術を用いることがある。

    死霊は人々に幸せと同時に災厄ももたらし、どちらがもたらされるかは呪術師の采配による。

    他の文化圏との一番の違いは、死の必然性や合理的解釈を認めるのではなく、死を畏敬と恐怖の対象として感じ、ひたすら鎮魂に勤めるところである。

    個霊は部族にとって守り神である祖霊に包摂されるため、族長以外個人墓を作るところはほとんどない。

 

例1.<スーダン南部>ヌアー族

死は邪悪なものであり、死について語ることを好まない。

死に際して近親者を傍に呼び寄せるが、死亡後は、墓堀人以外は死者の家を離れる。墓を掘るのは親族の男女ニ〜三人、儀式もなしに早々に埋葬される。死者と同年齢の人は墓を掘ってはならず、子供や若者は遠ざけられる。

 

例2.<ナイジェリア>ヨルバ族

死者は近親者によって清められ、三日間安置の後埋葬される。その間人々は太鼓や銃を打ち鳴らし、断食する。死者の家長および親族長がパパラオ(呪術師)に、その人の死が自然か否かを伺い、もし不自然(悪魔がいる)なら家畜の犠牲をささげる。

普通埋葬は死者の寝室の下にされ、遺品はブッシュに棄てられる。数日後、精進落としの宴会が催され、死者の家にエグングン(死者をあらわす仮面を被った人)が訪れ、踊ったり、死者の声を真似て慰めの言葉を吐いたりする。

 

 

4 考察

どの国の埋葬法にもそれぞれの宗教が多大に影響し、国教が違えば埋葬法や死者への考え方も大きく異なる。

その中で共通するのは、肉体は魂の容れ物に過ぎず、魂が抜け出た肉体は単なる抜け殻として捉えられることである。世界各国の埋葬法を比較調査したが、最終的な肉体への考え方としてほとんどの国でこの点は共通した。

また、魂については、抜け出た後神の元へ帰ったり、新しく生まれる者の命として再生したりと、様々なパターンが見られた。しかし魂という概念は宗教を超えてすべての国の人々に共通してあり、人間は肉体と魂からなるものという以外の見方は、調査では見出せなかった。

さらに、人間は基本的に、死を、必ず訪れ何人も逃れられない絶対的なものとして受け止め、一様に故人の安楽を願う。それが葬儀という儀式の形で現れ、六万年前から人間に共通して存在する死の捉え方であるといえる。



第二部 大量虐殺

1 南京大虐殺

 

1-1経緯

1937年7月の盧溝橋事件の翌月、上海で日中両軍の戦闘が開始、12月1日に本陣から南京攻略の命が下された。日本軍は4日に南京外側陣地に攻撃を仕掛けてたちまち突破、10日には光華門を占領した。12日夜に名城門が陥れられ、翌朝入城を開始。中国軍はあらかたが敗走し、市内には負傷し戦闘力を失った敗残兵と、無力な市民や難民ばかりであった。南京大虐殺は、この時期におこったのである。

当時現地の国際安全地帯にいた外国人記者は、日本兵の残虐な行為を「ナンキン・アトロシティ」と呼んで非難した。しかしそのとき日本の国民は、そのような事実さえ知らされていなかった。

 

1-2南京の日本兵
 日本軍は、非戦闘員である南京の人々に対して残虐の限りを尽くしたという。特に強姦と虐殺の例はおびただしい。10歳に満たない女児から70歳を超える老女までが犯され、多くの例が報告されている。虐殺の方法は様々で、機関銃や銃剣で殺したり、生き埋め、火あぶり、硝酸や硫酸で殺した例もある。また当時の東京日日新聞の一月三〇日の記事に、「二人の少尉の百人斬り」の報道がある。当時の記事は現存しており、戦後裁判も行われたことから、デマの多い戦中の出来事とはいえ信憑性の高い情報であると私は考えている。

 

1-3虐殺をする心理

『南京・広島・アウシュビッツ』(黒田秀俊 太平出版社 1974)で引用されている『生きてゐる兵隊』(石川達三 河出書房 1945)に、現地の女性に暴行をはたらいたときの、ある日本兵の心情がある。

「彼は暫く上から見下してゐたが、さうしてゐる中に再び凶暴な感情がわき上がつて来た。それは憤激とも慾情とも区別のつかない、ただ腹の底が熱くなつて来るやうな衝動であつた」

 

 このような心情が何故日本兵にあったか、これについて『太平洋戦争史 第三巻「日中戦争U」』(今井清一 著者代表 歴史学研究会編 青木書店 1974)で、日本人に根強くある中国蔑視が原因であると述べられている。もともと中国は日本に多くをもたらしてくれた国であり、日本は中国に敵対心などもっていなかった。しかし欧米列強の後に従うようになると、同じ様に中国を植民地にしようという野心が働き、それが中国への侮蔑感情へと発展したのであると書かれてある。

事実日本は、1927年の第一次山東出兵から、1937年の日中戦争までの10年間に、7回に渡って中国に出兵している(張作霖爆殺事件を除く)。太平洋戦争に突入するまで、武力はすべて中国へ向けられ、毎度日本兵は中国の人々に暴虐をふるった。太平洋戦争に至る直前、徐々に日本人の中に高まり始めた中国侮蔑の感情が、かなり成長した結果の事件が南京大虐殺といえる。

『南京・広島・アウシュビッツ』に引用されている、龍谷大学助教授・浜口恵俊氏の解釈によると、南京大虐殺は日本兵の異常心理や人間性喪失が問題ではないという。日本人は個人単位で見れば愚かでも残酷でもないのだが、集団で行動すると残虐な振る舞いも平気でしてしまう。しかも個人に残虐であるという意識はなく、客観的に見た場合に極めて残虐な行為であることが分かると述べている。

 

2 ナチス党のユダヤ人虐殺

 

2-1ヒトラーの政策

当時ドイツは第一次世界大戦で大敗し、どんぞこの状況にあった。ベルサイユ条約で化せられた莫大な戦争賠償金の支払いのためである。さらに、かつてドイツ帝国、ハンガリー帝国として東ヨーロッパ一帯を占めた広大な土地に、大戦後独立国家が次々とたち、広く散らばっていたドイツ人たちがそのために分断してしまう。

そこにヒトラーが台頭した。彼は、わが国ドイツの利益はわが国のために使われねばならない、そして異国で苦しむ同胞に手をこまねいているわけにはいかないと、1938年、オーストリアとチェコを併合する直前のドイツ会議で述べたという。この演説で、ドイツ国民は熱狂的に彼を支持した。

そして1933年、政権を握る。彼は当時絶望的状況にあったドイツに光をいれ、民族心を呼び覚まして国民をひとつにまとめ、失業者をなくして国民を救った。これは事実であり、彼の業績である。当然国民からも大きな支持を得た。

 

2-2虐殺する心理

ナチスやSS(親衛隊)が行ったといわれる残虐非道な行為の根源には、2000年以上前からヨーロッパ内にあったユダヤ人迫害の歴史にさかのぼる。またヒトラーも、強い反ユダヤ派の思想を持っていたといわれている。しかし彼は、その私的感情だけでユダヤ人を追い詰めたのではない。1923年、ドイツ国民を史上最高のインフレが襲う。さらにその後世界恐慌のあおりをうけ、世界中から借金の返済を求められたドイツは、手も足も出なくなる。

一方で国際主義的な生き方のユダヤ人たちは、ドイツにいながら富を増やしてきた。ドイツ経済を支配している三大銀行はいずれもユダヤ資本であり、ユダヤ資本がドイツ政府の内部に大きく影響していた。すなわちドイツにしてみれば、自国がユダヤ人に支配されているようなものであり、反ユダヤ感情に繋がるひとつの因子になる。

また彼は「第三帝国の建設」を目標に掲げていた。その事業をなすにあたって問題となったのが、ドイツ民族主義と相容れぬ、ユダヤ人との対立であった。ここからヒトラーの、政策的なユダヤ人の迫害が始まる。ユダヤ人たちを強制収容所に送り、商業権を奪った。やがて第二次世界大戦が勃発し戦況が厳しくなると、食料が兵士や一般市民にも廻らなくなり、当然強制収容所のユダヤ人にしわ寄せがきた。末期になればなるほど戦況も国内の状況も厳しくなり、強制収容所のユダヤ人を養うことも出来なくなり、ついにはユダヤ人虐殺に及ぶ。

しかしこれも、ある一方からの見方にすぎない。『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子 訳 みすず書房 2002)(3)で、収容所内の監視兵について著者は、「第一には、監視兵にはとりわけ強度のサディストが求められていたということである。この種の人間は、人々から喜びを奪い去り、虐待を加えることにこのうえない享楽を感じるタイプであった。また、監視兵の大部分は収容所内のサディスト的行為を見続けていたために無感覚になり、道徳的に麻痺してしまっていたということである」と分析している。同時にこれとは真逆の監視兵もいたということだが、ここで著者が述べている「道徳的な麻痺」は、収容所内における残虐な行為の根底にあったと考えられる。

 

3 考察

南京大虐殺では、兵士に中国への蔑視があったことが、虐殺の大きな原因と考えられる。蔑視は個人単位では発揮されないが、集団になると強く表面化し、結果世界で非難されるほどの残虐な振る舞いへと発展した。

一方ナチス党のユダヤ人虐殺は、ユダヤ民族が古くからヨーロッパ国内で迫害されてきた民族であり、ユダヤ民族に対する蔑視がドイツ人の中にも根強くあったことが要因のひとつとしてあげられる。ただしこの問題には、社会的・政治的背景も絡んだ複雑なものであることから、単純に答えは出せない。

双方の比較からいえるのは、どちらの場合の虐殺にも侮蔑感情と慣れによる麻痺が見とめられることである。南京大虐殺にもユダヤ人虐殺にも、それぞれ中国民族とユダヤ民族に対する侮蔑感情が、加害者側にあったことが見受けられる。また麻痺のほうは、ユダヤ人虐殺において特に顕著に見られる。南京大虐殺では、日本は長期にわたって中国を侵略した事実がある。その中で中国民族に対して侮蔑感を持つことに慣れ、「道徳的な麻痺」(『夜と霧』より)がここにも発生したと考えられる。

 

 

第三部 結論

 人間を、「埋葬」の心から「殺害」の心へシフトさせる最大の要因は、集団単位で時間をかけて刷り込まれた慣習であると考えられる。また同時に、自殺・殺人へと踏み切らせる要因も、慣習であるといえる。

 人間は新人になる前―ネアンデルタール人のころから、埋葬を行い、死を悼む感情を持っていた。各国に存在するあらゆる宗教をみても、親族や仲間の死はひどく悲しいものであり、埋葬や葬儀はその悲しみを乗り越えるための大切な儀式として必ず存在している。また必ず肉体と魂という概念があり、死者は肉体から魂が抜け出た状態であるとして、一様に魂の安楽を願う。以上の点は、人間の根底にある、いわば本質に限りなく近いものといえる。

 また南京大虐殺とユダヤ人虐殺の比較においても、双方に共通してみられたのは侮蔑感情と慣れによる麻痺という、長期にわたって養われるものであった。すなわち大量虐殺の発生には、心理的環境要因が多大に影響しているといえる。

 現代において、日々メディアが報道する自殺・殺人の事件の要因にも、一部、以上のようなことがあてまるのではないか。自殺の場合、彼らは、かつて自分と同じように自殺した人がいることを報道や情報により知っている。彼ら(の魂)の元へ向かうというように考えた場合、自殺そのものがひとつの慣習といえないだろうか。また殺人の場合も同じ様に、犯人は前例を知っている。彼らと同じ様に考え同胞意識を持ったとすれば、殺人がひとつの慣習と捉えられたと考えられないだろうか。そうした場合、彼らは過去に自分と同じことをなした人の行為を繰り返し想起し、一種の慣れと麻痺が生じたといえる。

 

 

おわりに

 このレポートのテーマについては、かなり練ったつもりだったのだが、書いてみるとかなりの苦戦を強いられた。人間の本質にはやはり死を悼む気持ちがあることが証明できたことはいいが、書きながら何度も迷ったし、論点の輪郭もたびたびぼやけた。おそらくテーマが大きすぎたのと、深く掘り下げすぎたのが悪かったのだと思う。しかし今回の反省点は非常に今後の勉強になった。

また、今回は欲張っていろいろやろうとして失敗したが、その過程で調べたことや読んだ文献資料で得た知識は、また新たな興味や疑問を起こさせた。アウシュビッツ強制収容所について調べたものの、文献においても情報が錯綜していたことから、ユダヤ人大量虐殺とは本当はなんだったのか、深く調べてみたいと思ったし、キリスト教はじめあらゆる宗教についても、さらに詳しく調べてみたい。

 今後も自殺や殺人はなくならないだろう。今回の結論から、さらになくすこともできないことが分かった。しかしこれだけの反戦書籍が出版されていて、読めば死の恐怖はぞっとするほど身にしみて分かるのに、何故殺すことや死ぬことを考えるのか、またふと疑問に思った。

 

 

 

 

(1) 古事記。旅の途中の能煩野(伊勢国鈴鹿群)で果てたヤマトタケルノミコトの霊魂が、妻子の前で白い千鳥になって羽ばたき去ったという伝説(白鳥伝説)から、死者の魂が鳥に乗り移るという考えがあったと考えられる。

(2) イエス・キリストは反乱の指導者として捕らえられ、ゴルゴダの丘で十字架に磔にされて処刑されたが、復活をとげたとの信仰が起こったことから、肉体を燃やすことは故人の魂のかえる入れ物を消すこととして、背信行為と考えられた。

古代ギリシャ人:「肉体はニューマ(霊)の閉ざされた牢獄。霊は死後解放されて、エートル(精神)の世界に昇天する」

この考えに影響を受けた信者たちは、キリストの第二の復活で霊魂がよみがえるまでの肉体の保存を願い、地下墓地(カタコンベ)に遺体を安置し、火葬や消滅を強く否定した。

(3) 著者は心理学者。実際にアウシュビッツに送られ、4年間を生き延びた。『夜と霧』は、彼が実際に収容所生活の中で残した数十枚のメモを元に記された。

 

 

参考文献

 

『マニ教とゾロアスター教』 山本由美子 山川出版社 1998

『密教 インドから日本への伝承』 松永有慶 中公出版 1991

『仏教入門』 三枝充悳 岩波新書 1990

『世界の葬式』 松濤弘道 新潮選書 1991

『火葬の文化』 鯖田豊之 新潮選書 1990

『高齢社会の手引き 変わるお葬式、消える墓 ‐最後まで自分らしく‐』 小谷みどり 岩波書店2000

『歴史に学ぶ 日本人は「死後」に何を託してきたか』 百瀬明治 祥伝社 2002

『南京・広島・アウシュビッツ』 黒田秀俊 太平出版社 1974

『太平洋戦争史 第三巻「日中戦争U」』 今井清一 著者代表 歴史学研究会編 青木書店 1974

『戦争論』 多木浩二 岩波新書 1999

『[知の再発見]双書93 聖書入門』 ピエール・ジベール 船本弘毅 監修 遠藤ゆかり 訳 創元社 2000

『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子 訳 みすず書房 2002

「南京事件議論再燃 今年70周年」 朝日新聞 2007/08/23 朝刊 3

 

 

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