大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート
ブランド論
橋本直仁
序論 興味をもったわけ
『ブランド』という言葉が、今日の日本で頻繁に使われていて、その言葉のさす意味が非常に幅広く、あいまいになってきた。そこで、今回は『ブランド』という言葉の意味を考え直し、さらに、ブランドであるという意識は、私たちにとってどのように刷り込まれていくのだろうか、ということを考えて行きたい。ラグジュアリーブランドやプレミアムブランドといった言葉が飛び交っている。ただ、丈夫で長持ちするという理由だけでは考えられないような金額を1つのものやサービスに対して支払っているのは、それ以外に、物自身が持っている価値以上のものをわれわれ消費者がそのものを通して得られるという事を、どこかで感じている様な気がする。これ以降多くはファッションブランドについて論を展開していくが、基本的にブランドと呼ばれるものの原点の部分は皆、一緒ではなかろうか。もちろんそれは単に高級感が溢れるというだけではないだろう。希少性も当然求められるはずである。確かに希少性に富んだものは価値以上に人の心を躍らせる何かを秘めている。では、希少性を完全に失ってしまったものは、価値を見出せないのであろうか。私はそうでないと思う。Louis Vuittonが最たる例で、これについては以下に言及するので、あまり述べないでおくが、それ以外にも、高級車と呼ばれる車を例に出して考えてみよう。
高級車と聞いて、まずどんな車を思い浮かべるだろうか。ベンツ、BMW、ジャガー、アウディ、ブガッティ、アストンマーティン、レクサス…といった風に、数え上げればきりは無いが、街中で一番よく見かけるのはベンツではないでしょうか。日本で一番売れている車はカローラだが、東京のある高級住宅街で、統計をとってみるとベンツが多いらしい。ベンツは日本人の誰もが知っている車で、紛れもない高級車である。しかし、希少性に富んでいるか、といわれればそうではない。中にはそういったモデルはあるのだろう。しかし、街中で見かけるベンツは金を出せば手に入るものなのである。つまり、希少性ばかりがブランドの価値というものを考える上において、あまり重要になってこないのではなかろうか。
ここでひとつ、高級ブランドの中におまけのようにレクサスが連なっている。レクサスとは、トヨタがBMWやベンツを相手どって、これまでは輸入車の独壇場だった高級車産業に乗り込んだ、日本の企業が乗り込んだのである。レクサスが、ベンツやBMXと真剣に張り合えて、目の肥えた日本のユーザーに受け入れられたのなら、ここに、日本発のプレミアムブランドの誕生を目にすることができるのではないだろうか。
ラグジュアリーブランドやプレミアムブランドは欧州から持ち込まれた舶来品ばかりが名を連ねていて、今日、頻繁に使われている『ブランド』という言葉の中に日本の商品は含まれてないように思う。一言に『ブランド』といっても色んな意味をはらんでいるので、以下では考えていく『ブランド』というものを比較的頻繁に使われている意味にある程度限定していこうと思う。比較的頻繁に使われている意味での『ブランド』とは、ファッションブランドについてではないだろうか。『ブランド』という言葉を聞いてまずイメージするのはコシヒカリのようなブランド米や、大田原牛、松阪牛といった類のブランド牛でもない。ヴィトンやエルメスといった、高級なファッションブランドを指して使われていることがほとんどのケースであるとおもわれる。
そして高級ブランドの代表といえるヴィトンやエルメスがどのようにして普及し、消費者にとってどのように捉えられているのかを考えブランドがどういった風に受け止められているのか考えて行きたい。
1章 伝統ブランド→知価ブランド
最初にブランドを考える上でブランドのいくつかの種類を紹介し、検討していく。まず第一に、伝統ブランドとよばれるものである。技術や材料に長い伝統があり、代々受け継がれていくことによって技術が伝承される。西陣織や柿右衛門の陶磁器、一澤帆布の鞄といったもので、世界大戦頃まではブランドといえば、この伝統ブランドのことを指していた。第二に、大量生産ブランドとよばれているもので、覚えやすくかつ個性的な商標が与えられ、大量かつ継続的な広告宣伝や、多店舗販売などによって知名度を高めていったものである。この形態のブランドのメリットは、消費者に価格と品質が知られているため、安心して買えるといったことや、なじみがあり、リピート客の累積効果も期待できる。意思決定コストの低減を引き下げる効果もある。ソニー、トヨタ、ホンダ、花王といったものがそうである。第三にあげられるのが、知価ブランドと呼ばれるものである。知価ブランドとは知恵の価値を創造し販売するブランド。特殊なデザインや品質、イメージを醸し出すことで、社会的に高級定評を確立し、特別に高額で一般的かつ継続的に販売されている商品の名称や商標。1980年以降この種のブランドが大いに発展し、今では世界の大都市の目抜き通りを圧倒するほどになっている。生産販売量は必ずしも多くはないが、その特殊性と高価格ゆえに社会的存在感は急速に拡大している。伝統ブランドと違って、古くからあるとは限らないし、大量生産ブランドのように、大量に供給することによって消費者に安心を与えるものでもなくて、しかしながら、ピカソやモネの描いた絵のように再現不可能な品物、というわけでもない。知価ブランドは品質や販売ルートや価格を変動させないことによって、他の商品と異なるイメージを社会的に確立し、組織によって継続的に製造されて社会的に一定の安定した知価がみとめられているということを商品自体に含有している。
エルメスやヴィトンといったブランドは知価ブランドと呼ばれるものの中で最も有名なものではないだろうか。しかし、これら2つに代表されるような知価ブランドというものは、はじめから知価ブランドであったわけではない。エルメスは、創業者のティエリ・エルメスが、鉄道や、自動車が登場する前のヨーロッパにおいて、皇帝御用達の馬具職人として活躍していたが、時代の変化とともに人びとの移動手段が、馬車から自動車に取って代わっていくにつれて、馬具のニーズが急激に減少していき、3代目エミールが、馬具製造の伝統的な技術をいかした皮革製品を製造していったことが始まりである。ヴィトンは、世界初の旅行鞄専門店で、革新的なトランクを発表して鉄道や船の旅、普及し始めた車に適した耐久性と防水性を兼ね備えたトランクで、名声を確立するが、時代のニーズに合った、今の代名詞とも言える、ソフトな鞄の製造に着手していったのである。伝統ブランドが知価ブランドに取って代わる瞬間は、時代の最先端で、職人が生き残りをかけて試行錯誤の末に生まれた、副産物が生み出すといっても過言ではないのではないだろうか。
今日ではブランドを指すときはこのような知価ブランドを指し、伝統ブランドや大量生産ブランドをあげる人は、少ないのではないだろうか。まず、知価ブランドが先にイメージされてそのあとに、じゃああれもブランドじゃないのか、といった風に後から想起されてくる場合がほとんどではないだろうか。その知価ブランドについて、もう少し深く考えていきたい。知価ブランドの特色は3つある。
@デザイン主導によってイメージを高める
A消費市場の関連によって商品商域を設定
B広告、販売戦略の限定によりブランドイメージの維持
というものがある。知価ブランドの商品というものはひとつひとつにブランドイメージが反映されている。商品全体に、ロゴがプリントされているものはもちろん、そうでないものも、そのブランド独特の雰囲気というものを醸し出しているものである。さらに別の商品で得た顧客に対して、商品の幅を広げていくといった商法も知価ブランドの特徴である。エルメスは馬具から皮革製品に拡大し、富裕層に顧客をもち、これを対象にスカーフやネクタイの絹製品に商品を拡大し、電車男で一躍有名になった陶磁器にまで手を出しているのである。知価ブランドは広告戦略によって顧客を選んでいる。まず広告には、テレビを一切使わない。読者の読む層が限定された、一部の雑誌にしか広告を出していない。さらに、知価ブランドが他のブランドの種類と大きく違うのは、百貨店内における販売方法である。エルメスやヴィトン、プラダといったブランドが百貨店の中に入っているのを見たことがあるだろうか。それらの売り場の雰囲気は百貨店の雰囲気とは一線を画し、それぞれが、それぞれの持ったブランドのイメージを持っているのである。それは、百貨店の店舗に入る瞬間にも感じ取れるし、従業員の制服や接客サービスからも伺える。
2章 ブランド物を持つきっかけ
さて、人々はいつ、いかなる理由でブランド物を持つようになるのだろうか。このことを考えることはブランド志向を考えていく上で、とても重要なことだとおもわれる。色んな商品があふれる中で、なぜ人々は偏った嗜好をもち、同じような商品に惹かれるのか。
まず、ブランド物じゃない商品から、消費行動を考えていく。私たちがコンビニなどで、ジュースを買うのに要する時間は、およそ2秒といわれている。あれほどの商品がある中で、私たちは2秒で商品を決めて購入している、という統計がでているのである。むろんすきだからずっとその商品を迷わず買い続けるといった場合もあるだろうが、2秒で商品を決めているのである。それではブランド、例えばヴィトンの鞄を買うとき、2秒で商品を決めるだろうか。数十万する商品を2秒とまではいかいまでも数秒で決めるとは考えがたい。値段の違いも大いに関係あるだろうが、コンビニでジュースを買うときの心理状態と随分違う作用が働いていると思われる。
次に、お金を商品として扱う銀行の選び方である。われわれ学生が銀行を選ぶとき、どのような事を優先して口座を開設するだろうか。実は、自分で決めている場合はほとんど無いのである。カードを作らなければならなくなった状態に陥ったとき、自分の意思とは相反して、カードを作るのである。ではカードを作らなければならなくなった状態とはどういうときか。それは、バイトをはじめる瞬間である。バイト先の指定の銀行の口座をとりあえず、何も考えず開設しずっと使っていくといったケースがほとんどではないでしょうか。そこには、金利だとか、営業時間とかATMの設置など、考える余地も無い。
ヴィトンの鞄を持つ理由もカードの開設における状態と非常に似ているとおもう。というのは、ヴィトンの鞄をもつ理由のほとんどが、プレゼントとして、親等からもらうのである。その鞄がほしかった場合は喜んでもつだろう。もし、その鞄があまり好きな鞄でなかったとしても、かなり高価なものをもらったのだから、使わないのは申し訳ない、と思うのが普通である。欲しいから買ってもらう場合もあるだろうが、ほとんどの場合、親がその商品のよさを知っていて、子どもにプレゼントするといった形である。このようにして、ラグジュアリーブランドの価値というものは親から子へと伝えられていくものなのではないだろうか。
3章 ブランド市場
不況と呼ばれる情勢の中、消費者の中に育てられてきた鑑識眼がある。それの最も顕著に現れた形が、現代人のブランド志向となって現れているのではないだろうか。こういった『本物志向』の世の中で、生き抜いてきたプレミアムブランドと呼ばれるものには、それなりの歴史と伝統があってしかるべきなのである。こういったブランドは、価格競争とは別の魅力で、価格競争を超越した競争を繰り広げている。こういった、価格以外の面で競争しようとすると、やはりそれなりに何かがないと、踏み切れない。ブランドの場合そのようなものは、ブランドが持っている歴史、つまりそのブランドが発足してから今までに渡って作り上げてきた様々なストーリー自身が裏づけとなっているに違いない。さらに、革新を繰り返し常に時代の最先端を駆け抜けているのだが、その中にはアイデンティティの明確さや伝統を守りながら繰り返しているのである。アイデンティティを守るためには様々な方法が考えられる。ヴィトンであれば、モノグラムやダミエといったデザインそのものがヴィトンを表しているし、エルメスはスカーフやかばんのデザインに統一性を出しているといったふうにである。
こういったプレミアムブランドに共通していることは、徹底して伝統と革新なのである。伝統の技術を駆使し、厳選された材料を使って、卓越した職人が手作りで丹念にひとつの製品を作り上げるのである。こうしてできてくる、一つ一つの商品に、職人一つ一つの思い、ひいては、材料一つ一つの魂というものが宿っているのである。しかしこういったものは、一部の階級の人々によって保持され、そのためにそのものが持つブランド力というものが発揮できたのである。
しかし、近年の日本で周りを見渡してみるとどうだろうか、どこを見ても、ヴィトンの鞄やエルメスの鞄、腕にはロレックス、といった風に、どのような風貌の人にも支持されていてそれを持つことを許されているのである。平たく言えばどのような階級の人にもそれらの高級ブランドを持つ資格があるというのである。お金があれば、物は買えるのだから、当然である、というのは少し安易な考えで、そういった高級嗜好品にまで手を出せるほど余裕があるということである。
こういったことから巷に溢れてはいけないというより溢れることによって価値がさがってしまう危険性をはらんだブランド品をいたるところで見ることができるのである。当然こういったことが起こると今まで守られてきたブランド力というものが崩壊してしまう。そうなってしまうとブランドを提供している側は、当然困るわけである。しかし、そういった心配をよそにいくらいろんな人がもっていようが、ヴィトンやエルメスは誰にも負けない輝きを持っている。希少性を売りにしているはずがどうしてこういったことが起こるのだろうか。私たちは、ブランドを知っているようであまり知らないのである。
ルイヴィトンジャパンの秦社長によると
ブランドになるために
といったものが挙げられる。しかし、現在の消費者はそれらのものに対し、どれだけの歴史を感じ伝統をしって、ブランドの美意識などをしっているのだろうか。ひとつの物を買うとき、それらのバックグラウンドに意識を払うだろうか。当然、数多くいる消費者の中にはそういった人もいるであろう。しかしブランド物を持つ層が若年化してきていることで、何も知らずに買う消費者が増えてきているのではないだろうか。では、どうして、何も知らないような、若年層の人々が高価なブランド物に手を出すようになったのだろう。
そもそも、日本でブランドが広まった要因として考えられるのは、私は女性の社会進出だと思う。多くのファッションブランドは女性向けのものである。女性が社会に出るようになり、自分で稼いだ金で物を買うような余裕が社会が成熟することによって、可能になってきた。かつては伝統ブランドだったものが知価ブランドへと変わる瞬間には、必ず時代の変化がある。馬車が自動車に取って代わられたりという具合に。このときの時代のトレンドには女性の権利の獲得というものがあり、かつてより女性の社会的地位は格段にあがった。こういった今までになかった女性向けの高級ブランドという新しいマーケットをターゲットにして展開されてきたのでわなかろうか。時代が進むにつれて比較的どの階級の人もある程度金銭的余裕を得て、結果今日では様々な人々がブランド物の鞄を持ちえているのではないだろうか。
このように、一生懸命働いた自分へのご褒美のような形でブランドが普及したように思うのだが、最近の傾向としては、自分の所得が無い中高生が所持しているのを数多く見かける。どのようにして若年層まで、ブランド熱が伝わったのか。大きく二つ、要因があると思う。
第一にあげられるのは、日本人としての性格である。そもそも日本人は肩書きにものすごく弱い一面を持っている。どこかの会社の社長とか、役員とか、色んな肩書きに対して脅威を覚え萎縮してしまう面をもっているのである。そこには人間性などは全く介入しておらず、かなり外面的な要因で人間を判断してしまうことが多くある。こういったことが、現在の若年層がブランドを所持している理由につながる。つまり、いとも簡単に外面的に変化を効果的に与えることができるものが、世間にある程度の質を認知されているブランド物を持つことによって、ある程度の安心感を得るのである。さらに、そういった人々が増えてきたことから、自分がブランドを持っていないと、何かワンランク下にいるような気さえしてくる。本来は、多との区別をはかり、ワンランク上のステータスをということで手にしていたブランドの価値が、今日、また変わった別の価値として存在しているのである。
4章 なぜヴィトンを買うのか
話をヴィトンに限定すると、現在の女性のほとんどがヴィトンのバッグを持っている。最近では女性だけではなく、男性も使用者がかなり増えている。なぜこれほどまでに日本人に支持されるようになったのだろうか。私自身は、ヴィトンは好きではなかった。みんなもっているのはありきたりなモノグラムかダミエで、皆持っているものを持つために大枚をはたいたところで、結局はみんなもっているので、どうせ大枚を叩くなら誰も持っていないようなブランド物を持ちたいという意識があったからだろう。しかし、もう一方で、どうせ大枚を叩いて買うなら、誰もが知っているようなものがいいと思っていた場面もあった。
今、誰でもブランド物を持つことが、金銭的にも社会的にも許されるようになってきた。社会生活には物が溢れ、昔ほど物や資源に困らなくなって余裕が出てきてから、少し高いものでも、満足感のようなものを得られるブランド物が売れるようになったのではないだろうか。それらのものを購入するとき、少なからず、ただ品物を買うという風な行動だけでなく、それを取り巻く環境自体も手に入れることができる。ヴィトンの物を持つ喜びや、お店の店員にこの上ない極上のサービスを提供してもらえるなど付加価値は多い。それら、商品自体にはない付加価値を手に入れるときの喜びを、経験を通して知っているのである。
つまり、買う側が求めているのはただ目の前にある商品だけではないということである。
しかしそういったことがすべてのケースに当てはまるとはいいがたい。最近よく見かけるのは女子中高生がヴィトンの財布を持っている場合である。集団の中で生活している彼女らにとってのヴィトンとはどういう存在なのだろうか。財布はヴィトンの中では安い商品だといっても一般的にみるとまったく安くは無い。しかし今、多くに支持されていて、自分で買ったものは少ないにしろ、入学祝、お年玉など様々な形で手にいれているのである。それらは一様にモノグラムの長財布だったりするのである。もとろんこれは彼女らが個々にその商品をいいと思って買ったものではないだろう。そこに働く意識は集団意識で、みんなもってるから私も持つ、といった状態があるからである。それはもはや、その集団に入るためのパスポートのようなものであり、もし自分がみんなと同じものを持っていないと並外れた疎外感を味わうことになるのである。だから、皆買うのである。結果大勢の人が持つことになるのである。
ブランドの価値のひとつに希少性というものがるが、女子高生までもが持ってしまうと、あらゆる階層の人々がもてることになり、巷に多く溢れ、結果として希少性は損なわれしまうように思われる。しかし今でもヴィトンの価値観は揺るがず、権威を維持し続けているのである。これはいったいどうしてなのだろうか。ひとつ簡単な答えをあげるとすると、女子高生は財布しか持っていないということである。鞄になるとほとんどの女子高生はもっていない。こういったところでも、ひとつ差別化が計られているのではないだろうか。高校生はヴィトンの財布を持っていて、大学生以上になるとかばんをもっている、といったことで差別化を図っているのではないでしょうか。
不思議なことにヴィトンの価値は女子高生にもたれても、中学生にもたれても崩壊していない。普通、これほど出回ってしまうと価値は下がってしまっても仕方がないものだと思う。しかしヴィトンの価値は下がっていないように思われる。ヴィトンのイメージが大衆の中にすでに刷り込まれているからではないだろうか。ヴィトンは二流なんていう言葉も聞かれるが、まだまだそんなことはない。いくら世間に溢れていてもユニクロの服を買うような代物ではないからだ。さらにヴィトンをはじめとする高級ブランドは決してセールを行わない。ラインセンスを取得させ、様々な場所で商品を売っているわけではない。自信の直営店に直接品物を卸し販売しているのでセールを決して行わないのである。そういったことから商品の価値は下がらずに価値を維持し続けるのである。
そして多くの人々がヴィトンを買うのは、多くの人に認知されているからである。誰もがそのものを高いことを知っている。知っているからこそ持っていて気持ちがいいのである。LVのマークがついていることの意味がそこにある。それはただのかばんにLVというマークがついているのではなく、それだけで特別な存在になっているのである。
5章 ヴィトンとエルメス違い
ヴィトンが売れに売れている理由をもう少し考えてみたい。述べてきたようにヴィトンの商品はあらゆる世代で使用されているので大量消費されている商品といっても過言ではない。しかし、そのなかでそれ自身のアイデンティティを強烈に維持し続け、ブランドイメージは守られているのである。ブランドイメージが崩れれば、高級ブランドは成り立たない。ブランド市場は商品を売るだけではなくイメージをも売っているからだ。つまりブランドを提供する側は単に商品を売るだけでなく、ブランドイメージの保持に努めなければならない。ヴィトンの場合も例外ではない。ブランドイメージを確保するための企業努力は惜しまないのである。ヴィトンのイメージはモノグラムに先行されがちだが、創業当時から変わらずずっと『旅』なのである。それは150年以上経った今もかわることはなく、旅なのである。財布しか持っていない女子高生や、かばんを持っている女子大生などはそんなことは知る由もないかも知れないがそうなのである。イメージを維持し続けるには確固たるテーマがひつようで、そのテーマを維持し続けることによってブランドイメージを守ることができる。
さらにスペシャルオーダーサービスを承ることによって普通の顧客との差別化がなされているのである。これはラケットケースや、ビリヤードのキューのケースなど本人の希望によって本当に様々で顧客のニーズを完璧に満たしてくれるのである。これによってヴィトンの高級感はかなり維持されている。
ヴィトンのうまいところは顧客のターゲットである。ヴィトンとエルメスの大きな違いのひとつは顧客層である。エルメスは完全に富裕層をターゲットにしていて、ちょっとやそっとじゃ手が出せないものになっている。カバンひとつに20万や30万は安いほうなのである。対してヴィトンは前述のサービスで、富裕層にも対応させながら、中の上を狙って販売を展開しているのである。この層は母数的は上流階級の人々よりも絶対的に多く、さらに中の中の人が頑張れば届くような範囲に価格設定がなされているのである。つまり中の上をターゲットにするということは誰もがそのものを持つということになる。しかし何人の人が持とうが価格が損なわれない限り、価値は守られるのである。さらに皆もっているのでもっていないと少し恥ずかしいといった状況まで生み出してしまっている。
6章 ブランドとは
ブランドとは結局はイメージではないだろうか。実体の無い幻想かもしれない。ふとしたとき友人との会話の中に「ヴィトンてなにがいいん?」という言葉が出てきた。結局私は何がいいのかわからない。しかし友人はヴィトンはいいものであるといった前提にたって話をしているのである。私にはこの答えはわからない。中には素材がね、だとかあのデザインはね、だとかいう人もいるかもしれないが私には何がいいのかわからない。しかしいいことはわかる。ブランドとはそういうもので結局イメージがすべてなのである。しかしイメージばかりで中身が無ければ、そんなものはすぐになくなってしまう。実もしっかりつまっていて、イメージも確立されている、というのが本来ブランドのあるべき姿で、そのぎっしりつまった実というものはなかなか前に出てくることはない。しかし、そのブランドが存在しつづけることによって証明されているのである。
ブランドの本質はなかなか見抜けない。今の時代のようにブランドという言葉が濫用されその定義があいまいになってきているのならなおさらである。しかしブランドに求めているのは種類は違えど信頼性である。その商品が信頼できるかどうか、ブランドで決めるのが一番手っ取り早いのである。高級ブランドと呼ばれ現在も存在しているものはイメージだけではなく中身もしっかりあるという信頼性を伴ったものである。
ヴィトンを買うと失敗は無いとよくいう。失敗が無いというのは決して反対意見が出ないわけでなく反対意見に対して反対できる根拠を伴っているのである。結果ヴィトンはどこにもっていっても恥ずかしくないもののなったのである。
すべてはイメージで、イメージをどう誘導していくかがブランドの命運を分けるのである。その点においてヴィトンはブランドイメージの確立に大成功している。
参考文献
エルメス 戸矢理衣奈 新潮新書
どうして売れるルイヴィトン 講談社
私的ブランド論 秦 郷次郎 日本経済新聞社
人は見た目が9割 竹内一郎 新潮新書
|戻る|
*無断転載を禁ず