大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2007年度)

 

青年期の友人関係について

:親友とはなにか

平岡尚子 


 

0.はじめに

 

「親友」とは一体何なのだろう。そう疑問に思うようになったのは、かれこれ11年の付き合いになる友達が私のことを「親友」と表現してくれたときからだ。もちろん私も彼女とは長い付き合いだし、一緒にいて楽しいし、気が許せるし、すごく尊敬する部分も共感する部分もたくさんあるし、いろんな話をしてきたし、これからも付き合っていきたいと思っているし・・・つまり大好きな友達なのである。しかし、「親友」という言葉を使われたときには少し驚いた。それはたぶん、自分の中では「親友」という関係はなんだかものすごく大それた、ハードルの高い関係性であるような気がしていたからだと思う。そしてそんな大それたものに自分がなってもいいものか、という戸惑いと、彼女の考える「親友」と自分のなんとなくのイメージの「親友」とは同じなのかが分からなかったからだろう。果たして「親友」とは一体何なのか。はっきりと定義できるものではないことは分かっているが、人がそれをどんな風にとらえているのか、一般的にはどんな関係だと認識する傾向があるのか、それを知りたくてこのテーマを設定した。

 

1.学問的には「友情」や「親友」とはどのようなものなのか

 

この章では、学問的には「友情」や「親友」とはどのようなものととらえられているのか、また、それはどのように築かれていくものなのかを調べたい。まず、C.S.ルイス(Lewis,C.S.,1960)は、「純粋な」、「本当の」、もしくは「真の」友情というものの特徴を述べている。それによれば、お互いに相手の必要とするものをコストや見返りを気にかけることなく、ただひたすらその友情という事実だけによって与えようとするのがこの種の友情であり、それはせいぜい一つか二つだという。また、他の友情に比べて活発さに劣るものであり、頻繁に連絡をとったり会ったり、一緒に何かをしたりするわけではないという特徴を持つ。これは逆に言えば、頻繁に連絡を取り合ったりしなくても繋がっていられる、揺るがない関係であることを裏付けるものであるといえそうだ。また、社会学的視点から見て、友情の大きな特徴のひとつとして、本質的に平等な関係であることが挙げられる。では、このような友情はどのように芽生えていくのだろうか。きっと成長とともに友情の形も変化していくはずである。

 ビゲロー(Bigelow,1977)によると、子どもの友情理解の発達には三つの段階があると主張した。まず、段階1は、「互いに好きで、地理的・物理的に近くにいる仲間と共通の活動をすることを友情と考える」もの。段階2は、「友人は互いに尊重するとともに、そうした相互の肯定的な態度をずっと持ち続けなくてはならないという考え方」が加わる。段階3の友情は、「相互の需要、忠誠と関与、誠意、共通の関心、親密さの可能性といった考え」が含まれ、これは児童期の終わりに現れる。セルマンもビゲローの段階の考え方を引き継いでおり、発達段階を公式化しているが、バーント(Berndt,1981)は彼らの考え方とは異なる。バーントは、子どもの友情概念の発達を段階として記述しようとはしなかった。これは、初期の友情のとらえ方が、後の新たな考え方の出現によって受け入れられなくなるというよりもむしろ、後の考え方と並存していることが彼の資料から明らかになったからだ。ただ、現在のところ、友情の発達や社会的認知の発達に関する研究には、実生活における行動の発達的変化についての資料が非常に少なく、子どもの友情関係についてはまだまだ明らかにされていない部分が多い。しかし、子どもの実生活での友人関係の数少ない観察から、幼児であっても友達と同意するような雰囲気や連帯感を育て、うまくコミュニケーションを行うことがわかってきている。そして年長になると、友情関係の中で、自分の意志と相手のそれとが食い違うことがあってもうまく耐えられるようになるのである。

年齢を重ねるにしたがって、その場限りの一時的なやりとりを越えた意義をもった持続的で安定した友情の概念を発達させていく。友情についての子どもの考え方は、最初は物質的な物や活動の交換に注意を向けているが、しだいに親密さや忠実な支持、信頼そして共通の関心といった考え方を強調するように発展していく。それまでの考え方がなくなってしまうわけではないが、児童期の終わりまでには、単に遊ぶことだけというよりも、親密さを求め、また、長い間にわたってその関係を持続していく相互の関与を含んだ心理的な関係としての友情を認めるようになる。このように、発達に伴って友情においてより大きな相互性の感覚を示すようになる。

青年期になっても、この相互性の感覚は持続して発達する。青年期では幼児期以上に、友情の忠誠と親密性という2つの特性が重要となってくる。これらの特性がある友情関係を選択したり維持しようとしたりする傾向があるのだ。また、ユーニス(Youniss,1980)によれば、青年期で発達する友情の概念には、相互理解と親密性という2つの中心的な観念がある。ここでいう相互理解とは、それぞれ違った人間どうしが、お互いのためになるようにするにはどのように関わっていけばいいのか、ということについての理解であり、これは幼児期からすでに始まってはいるが不十分である。それは、青年期以前ではお互いを「人」として十分に理解できないからである。というのはつまり、人はそれぞれ違っているのだという前提の上で、自分と相手の似ている点だけでなく、異なる点も受け入れ、違う人格を持っている人なのだということを十分に認識することができないということである。また、もう一方の親密性は、自己開示、信頼、排他性の3つの側面から構成されていると考えられている。つまり、友人とは自分の内面をさらけ出すことができ、それを受け止めてもらえるという信頼関係が成り立っており、それはある程度限られた人との間であるということである。排他性は特に十代の友人関係にみられる特性である。さらに青年期の友情の特徴として、相手をひとりの人間として理解したい、そして自分も同じように理解してほしい、という願望が強くなることが挙げられる。これらは忠誠心の源となるものであり、そしてこれによって付き合いが長く続いていくようになるのである。また、青年期の友情の中で、親友と呼ばれるような関係も増加していくという発達的な変化があることもわかっている。

また、男女間で友情関係における考え方やその形に何か違いはあるのだろうか。英米両国の研究によれば、男性は女性よりも友情ネットワークが大きいが、一方で女性は少ない数の友達と情緒的により親密で深い友情を結ぶ傾向が強いという結果が出ている。この傾向をポール・ライト(Paul Wright,1982)は、女性の友情は「対面的」(face to face)な関係、男性の友情は「横並び」(side by side)の関係になる傾向が強いと表現した。また、男性は友情において、一緒に何らかの活動をすることに重点をおいており、それに対して女性は内面的なつながりを求める傾向があることも分かっている。男性は親密さへのどのような欲求であれ、それを友人よりも家族の中で充たすことが多い。それは、「男らしさ」というジェンダーも影響していると考えられる。つまり、友情においてあまりに自己をさらけ出すことは男性としてマイナスであるという考えがあり、その結果一見仲のいい友人同士であっても、必ずしも信頼しあったり相談しあったりしているわけではない。それに対して女性は、友人同士で意思疎通を図り、自分のことを打ち明けたり相手の話を聞いたりする情緒的なつながりを重視するため、広く浅く、というよりは狭く深くの友情関係になる傾向があるようだ。

 以上のことから、友情というのは年齢を重ねるにしたがってその形も意味合いも変化していくものであり、特に青年期でその認識は大きく発達することが分かる。青年期になると人を自分とは違う人格を持ったひとりの人間であることを理解しており、それを前提に相手を深く理解したいという欲求をもつため、それまでの友情関係よりも深い、そして長く続いていくような関係が築けるようになる。そして親友という特別な存在も生まれるようになるのかもしれない。また、男女の友情における考え方や形の違いについては、はっきりとした確固たるものではないにせよ、男性は広く浅く、女性は狭く深く付き合う傾向があるようだ。ということは、女性の方が親友という関係をつくりやすかったりより意識したりするのだろうか。共感する力は男性よりも女性の方が優れているとよく聞くが、それは女性が友情関係において、男性よりも情緒的な部分での深いつながりを求める傾向があることとも関係があるのかもしれない。

 

2.漫画から考える「親友」像

 

この章では、昨年映画化もされ、特に若い女性から共感され、高く支持されている矢沢あいさんの漫画「NANA」から、現代の若者の人間関係における考え方を探っていきたいと考える。この作品の中では、大崎ナナと小松奈々という2人の「ナナ」が上京する電車で偶然隣の席になり意気投合し、それをきっかけに仲良くなり、東京でそれぞれ夢や目標に向かって進んでいくその過程を描いている。彼女たちは、ルームシェアをしたり、辛いことがあれば支えあって一緒に乗り越えたりと、私たちの思い描く典型的な親友像であるように見える。例えば、読者の人気も高い、奈々が失恋するシーンでは、浮気が発覚した奈々の恋人に対してナナが腹を立て、話をつけようとする。しかし結局当事者の奈々は何も言えず、泣きながら歩く彼女の手をナナがひいて、2人は家へ帰ってゆく。そしていつもは「プライバシーは守れ」と言うナナが、その日は奈々の部屋で一緒に眠ってあげるのである。友達の怒りや悲しみを、自分のものであるかのように気持ちを重ねるその姿に、大きな共感をよんでいる。また、ナナが自分のプライドや夢を守るために離れ離れになった昔の恋人と再会するシーンでは、奈々が泣きながらしっかりとナナの手を握っている。このシーンも印象深く、名場面のひとつとして雑誌などでも取り上げられている。相手が辛いとき、不安定なときには、何かものすごい力になれるわけではないかもしれないけれど、そばにいて支えてあげようという気持ちが伝わってくる。このように、2人は理想的な「親友」であるように思える。しかし2人の友情に関して、他の少女漫画と違うところは、いつまでたってもお互いに距離を感じているということではないだろうか。そしてそこにリアルがあるように感じる。どんなに仲良くなっても、どんなに理解しあっていても、自分と相手はそれぞれ別々の人間であるし、一から十まで全て見せられるわけでも話せるわけでもない。だから相手の気持ちが分からなかったり、うまく接することができなくなったり、変な気をつかってしまったりすることもある。しかし、漫画やドラマの世界ではその辺のリアルさが失われているような気がする。そこを「NANA」では忠実に描かれていて、その葛藤に読者は共感するのではないだろうか。例えば、お互いにお互いのことをすごく思いやってはいるのだが、あまり自分の悩みを打ち明けたり、生い立ちを話したりというシーンはない。ナナは幼い頃に母親と離れ離れになり、厳格な祖母に育てられ、その祖母も他界してしまっているので家族がいない。それもあってか、精神的に不安定になっていくが、それを奈々に相談することはもちろん、そんな気配すら見せない。一方奈々も、自分が悩みを抱えたときに素直に話をするのはナナではなく違う友達だ。しかし彼女たちはお互いをすごく必要としていて、憧れのような感情も抱いている。近づきたい気持ちは大きいのに、いつまでたってもうまく距離が縮められないようなもどかしさや不安があるように思う。

一方、この作品の中の男の人どうしの友情を考えてみると、やはり女性の友情よりも距離の遠い感じがする。自分のことを真剣に相談したり話し合ったりするシーンは少ないし、仲はいいのだが、肝心なことは話していない感じがする。そして彼らはむしろ、恋人や異性に対してはそれを素直に表現している。これは先ほど文献から述べたことと合致するが、しかしこれは、主役・脇役という違いのせいかもしれないし、また、描いている人が女性であることが影響しているのかもしれない。「NANA」が男性よりも女性に多く支持されていることから考えても、この作品の中で描かれている男どうしの友情が現代のリアルであるとはいえない。ただ、やはり私が思い描く「男の友情」というイメージとこの作品の中のそれとに大きな違いはないので、それはジェンダーや固定観念が表れているということもできるのかもしれない。

また、この作品は話が進んでいくにつれてどんどん人間関係が複雑化していっているように思う。ナナとナナのよき理解者である男友達との関係が安らげるものになりすぎて甘えが出てきてしまい、ナナが逆に精神的に不安定になってしまったり、ナナの恋人とそのバンド仲間の女性が精神的な苦しみを共感し合って深く支えあっていたりと、友情なのか、恋愛なのか、よくわからないあやふやな関係が多く出てくる。しかしそもそも実際は人間関係とはそういう曖昧さを持つものであり、これもまたリアルのひとつであるといえるだろう。他人との関係は、「親」「兄弟」などとは違って、はっきりと区別することはできないのだ。その関係が実際どういうものなのかというのは、その2人がその関係をどう認識しているかということであるし、そしてそれも明確にすることは難しいのである。だからこそ複雑になりかねないし、だからこそ深くつながることもできるのかもしれない。

 

 

3.アンケートから読み取る「親友」像

 

 では、実際わたしたちは親友というものをどう考えているのだろうか。どんな風に付き合い、どんなことを求めているのだろう。それを探るために、大阪府立大学の学生64人(男性11人・女性53人)に協力してもらい、アンケート調査を行った。64人分のアンケートを集計した結果から、「親友」とはどのようにとらえられているのか、どのような関係性だと言えそうかを考えたい。アンケートの質問項目は以下のとおりである。

 

@    あなたは「親友」とはどのような関係性のことだと考えますか。

自分なりの定義や考えを自由に書いてください。

A    あなたは、親友とその他の友達との違いは何だと考えますか。

B    あなたには親友だと思える人がいますか。( いる ・ いない )

 

→「いる」と答えた方

・何人くらいいますか。 (  人)

・その人の性別は? ( 男:  人 )( 女:  人 )

・いつ知り合いましたか?

・いつから親友だと思うようになりましたか。

また、そう思うようになった具体的なきっかけやエピソードはありますか。

・その人の性格で、一番好きだと思うところと、一番受け入れにくいと思うところを教えてください。

・親友がいてよかったと思うこと、もしくはよくないと思うことはありますか。

 

→「いない」と答えた方

・今まで一度は親友だと思える人がいましたか。もしいた場合、なぜ今は親友だと思わなくなったのか、もしよければ理由を教えてください。

・親友が必要、もしくは、いた方がいいと思うことはありますか。

 もしあれば、どういうときですか。また、どういう考えからですか。

・周りの友達を親友だとは思わない理由、もしくは、親友と呼べるかどうか迷う理由があれば教えてください。

さらに、「いる」と答えた人、「いない」と答えた人の両方に、アンケートに答えるにあたって悩んだり迷ったりした点があればそれも最後に記入してもらっている。

 

まず、「親友」とはどのような関係性だと考えるか、自分なりの定義を書いてもらったところ、様々な答えが出てきたが、そのいくつかに共通して出てくるキーワードのような言葉があるように感じた。そこで、それを調べてみたところ、結果は以下のようになった。(数字は、アンケートに答えてくれた64人のうち、そのキーワードを使った人の数である。)

「話せる」「言える」23、「お互い」「相互」22、「何でも」「隠さず」19、「理解」11、「相談」、「信用」「信頼」、「気をつかわない」、「離れても」「久しぶりでも」「連絡をとらなくても」、「落ち着く」「安心する」、「尊重」、「困ったとき」

 ここから「親友」の要素が少し見えてくる。まず、困ったときにはいつでも何でも気軽に話したり相談したりできるのが親友の大事な条件であるようだ。そしてそのためにはある程度の相互理解と信頼関係が必要であり、そのため安心できる存在であるといえる。また、離れていて連絡をとりあったり会ったりする機会が少なくても、その関係が変わることのない、安定性のある関係であることも重要であるようだ。これは先ほど文献で調べたことと一致しているといえるだろう。

 また、親友とその他の友達との違いはなんだと考えるかという項目では、楽しいときに一緒にいたいのが友達で、楽しいときだけでなく、辛いときも一緒にいたいのが親友である、という答えが非常に多かった。やはり精神的に弱っているときにそばにいてほしい人、話を聞いてほしい人というのが重要なポイントであるようだ。ここでも、「話せる」「言える」「お互い」というキーワードが多く見られたことからもそれは考えられる。また、他の人には気を使ってしまったり強がってしまったりするような状況においても、親友であれば素直に弱音を吐けたり泣けたりするようである。中には「どちらかが怒っても関係が変わらない」という回答もあり、それはやはり他の人の前では出せないような感情をお互い信頼感や安心感があるからこそ素直に表現できるということだろう。印象深かったのは、親友は友情だけでなく人間としての愛情である、という意見だ。親友というのは友達の中の一番なわけではなく、「家族」「兄弟」「姉妹」「親友」という枠のひとつである、という意見や、「家族と同じくらい大切な友達」という意見も見られた。ここからは親友には、もはや他人というよりも身内のような深い愛情が芽生えているということが分かる。それはお互い辛いときに支えあってきたからこその感情なのかもしれない。また、アンケートに協力してもらった友達との会話の中で出てきた興味深い意見が、将来自分の結婚式に誰を呼ぶかを考えるときに頭に浮かぶ人はやはり親友なのではないか、というものだ。自分の人生のひとつの区切りである大事な席に呼ぶのはやはり、自分にとってかけがえのない人に違いない。そして呼べる人数が限られているからこそ選択されるその人というのは、「親友」と呼ぶに相応しい関係なのかもしれない。

次に、親友がいるかいないかについては、以下のとおりである。

 

 

親友が「いる」

親友が「いない」

9

2

11

48

5

53

合計

57

7

64

 

親友が「いる」と答えた人が57人、「いない」と答えた人が7人で、圧倒的に「いる」と答えた人が多かった。ここからは「いる」と答えた人と「いない」と答えた人とに分けて考察していく。

まず、「いる」と答えた人に親友の数を聞いてみたところ、1人から10人まで、答えは幅広かった。平均を出したところ、親友の数は約3人であった。しかし中には「?」と回答している人も2人いたので、はっきりとした数ではないが、この「?」という回答も、親友というものの曖昧さを表しているように思う。また、異性の親友がいる、と答えた人は57人中13人もいた。この異性の親友については、「恋愛関係の相談に乗ってもらう」という意見や、中には「元カレ」という意見まであった。

次に、親友だと感じたのはいつか、きっかけは何か、を聞いたところ、辛いときに支えてくれた、お互いの経験や考えを真剣に話し合う機会があった、離れ離れになっても連絡を取り続けた、などの答えが多かった。また、印象的だったのが、「こんなことがあった」という事実を述べる会話から、「そのとき自分はこう思った、こう感じた」という自分の内面についての会話に変わったとき、という答えだった。何を話すか、どこまで話せるか、がやはり大きなポイントであるようだ。「親友」という言葉を相手が自分に対して使ってくれたとき、という答えもいくつかあり、やはり親友というのは一方的な認識ではなく、相互的なものであるといえよう。

親友の好きだと思うところ、受け入れにくいと思うところ、という項目では様々な回答が得られたが、特に、受け入れにくいと思うところに注目したい。あまり挙がってこないかと思っていたが、「ずうずうしい」「自己中心的なところがある」「勝手」などの意見が多く見られた。やはり親友といえども、受け入れにくい部分、理解できない部分はあるということだろうか。しかしこれは考えてみれば、お互い気を使わずに接しているからこそ見える一面ではないだろうか。他の友達の前では気をつかったり隠したりするようなマイナスの部分を、親友の前では見せることができるのだろう。そして、相手のマイナスな部分を知っていながらも、親友だと言い切れるのはやはり深い関係であるといえるのかもしれない。また、好きなところは様々あったが、意外だったのは自分と似ているところよりも似てないところを挙げる人が多かったことである。しかしそれは時として逆に理解に苦しむことがあったり受け入れにくいと思ったりもするようである。

親友がいてよかったと思うことを聞いたところ、これまでの項目の回答と同様、「辛いときに話ができる」「支えになる」という意見が多かった。注目すべきは、「ひとりじゃないと感じる」というもの。最近、いじめによる自殺が問題となっていたが、いじめの問題がメディアで取り上げられる時期には「ひとりじゃない」というフレーズの歌が多く流行るらしい、とテレビか何かで言っていた。人間は結局ひとり、というのもよく言われることではあるが、「ひとりじゃない」と感じることのできる親友の存在というのはやはり大きいだろう。それが精神的な支えとなることは間違いない。そして、親友がいてよくないと思うことを聞いたところ、57人中56人が「ない」だった。残る1人の回答も、「離れていたりすると寂しい」という肯定的な意見であり、みんなが親友の存在を大切に思っていることが窺えた。

次に、親友は「いない」と答えた人(7人)について検討していく。今まで親友と思える人がいたことはあるか、という問いに対しては、「いた」が4人、「いない」が3人という結果になった。「いた」という人になぜ今はそう思わないのかを聞いたところ、「裏切られたから」「環境が変わって連絡をとったり会ったりする機会が減っていったから」「むこうが悩んでいたときに自分には何も相談せず、違う人に相談して解決していたから」「むこうが自分のことを話さないから」という意見があがった。ここから、親友というのは深いつながりではあるが、デリケートで曖昧なものであることがいえそうだ。そしてやはり自分が心を許せたり頼れたりするだけでは親友とは認識されず、頼ったり支えたりという相互関係が親友の重要な条件であるといえそうだ。

親友が必要と思うときはどんなときなのか、という質問に関してもやはり「悩んでいるとき」「自分のいいところも悪いところも認めて、本音で話せる人がいたらいいと思う」という答えが多かった。「いたほうがいいとは思わない」と答える人もいた。

周りの人を友達だと思わないのはなぜか、という質問では、「親友という関係を求めていないから、友達の枠に全員入れてしまっている気がする」という意見があった。確かに親友かどうかということを普段あまり意識することはないだろうし、生きていく中で特に親友と友達を区別する必要もないので、納得の回答である。他には、「自分がまだ心を開けていない気がする」「人は本当に様々な面をその時々で見せるから、それを受け入れてなお好きでいられるのは難しい」「相手が自分のことを親友だと思っていない」との意見が出ている。親友が「いる」と答えた人たちの回答の中では「何でも話せる」という意見が多くあがっていたが、それはやはり難しく、なかなかできることではないはずである。だからこそ、その存在が大きくなっていくのだろうし、憧れがあるのだと思う。

このアンケートに答えるにあたって迷ったり悩んだりしたことがあれば自由に書いてもらったのだが、そこで多くあがった意見はやはり「相手も自分を親友と思っているか分からないから」という意見が多くあがった。そう思っているのは自分だけなのではないか、という不安はやはり大きいようで、両思いであることがやはり重要であるようだ。

第一章で調べた男女の友情における考え方の違いが本当にそうなのか、このアンケートから検証することもしたかったのだが、男性のアンケートの数があまり集められなかったため、今回それは割愛することとする。

 最後に、アンケートに協力してくださった大阪府立大学の学生のみなさん、先生方、本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

 

4.最後に

 

 親友には癒しの効果があるとも言われているが、その一方で、長崎小6女児同級生殺害事件では、親友と言われていた2人の女児の関係が実際は微妙であったことがクローズアップされた。ここからも、親友という存在に対しての憧れの強さや、その危うさ、そして親友というものの曖昧さが分かる。強く信じているからこそ、大事にしているからこそ、何かのバランスが崩れたときにはその反動はきっと大きいのだろう。

人はひとりでは生きていけない、とよく耳にするが、それを実感させられるような研究だった気がする。親友とはどういう存在なのかを探っていくことは、人が最終的に人に何を求めているのかを調べているのと似ているのかもしれない。人は結局、自分の話をきちんと聞いてくれる人を求めているのだと思う。心理カウンセラーの人がよく、一番大事なのはとにかく話を聞いてあげることだと言うことからもそれは考えられる。極端に言えば、辛いとき、悩んだとき、必要としているのは、的確な道を指し示してくれる人ではなく、気持ちを重ねて一緒に悩んでくれる人なのかもしれない。そしてそれは相手にばかり望むものではなくて、自分を支えてくれる人を、自分も支えてあげたいという、相互関係であることも、この調査から分かったことのひとつである。これは、自分がひとりではないのだと実感できる貴重な手段のひとつなのかもしれない。誰かから必要とされることが、逆にその人の支えとなることもあるのだろう。育ってきた環境が違っても、年が違っても、性別が違っても、距離が離れていても、繋がっていられる関係というのは、本当に貴重で、強いものだと思う。親友とはつまり、ひとりではないと心強く感じられたり、自分に自信が持てたりするような、精神的にとても大きな存在であるといえる。

 

参考文献

 

W.デーモン著 山本多喜司編訳 (1990) 『社会性と人格の発達心理学』 北大路書房 

G.アラン著 仲村祥一・細辻恵子翻訳 『友情の社会学』 世界思想社

矢沢あい著 『NANA』 集英社

 

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