大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2007年度)

 

なぜ人は「やりたいこと」を断言できるのか

−アイデンティティ論的視座からの「やりたいこと」考察−

小畑勇二郎


 

 

はじめに

 大学生という時間を過ごす人達にとって、将来の自分の姿を思い描くことは、ある種の義務感の産物でありながらも、学生の特権としての楽しみでもあるだろう。大学生に限らず、「まだ見ぬ自分」を想う全ての年代の人にとって、自分が今後どういう姿勢で人生を歩み、どういう手段で生活を営んでいくのかといった方針を決めることは非常に重要なことである。

達成感と充実感に満ちた生活を送るために、忙しく一生懸命に仕事をして高い社会的評価を獲得することを目指すのか。それとも「自分の時間」を大切にしてゆったりのんびりと生きるために、仕事に死力を尽くして生きる目的を見いだすのではなく家族と過ごしたり自分の趣味に没頭したりする「余暇の時間」を人生の中心において生きるのか。こうした葛藤はほぼ全ての若者が経験しうるものであろうと思う。

 こうした葛藤に向きあう時、優柔不断な性格が持ち味の私は、必ず次のような事態に直面してきた。それは、自分の「やりたいこと」はなんなのかを考え、家族等に宣言しようとする際、「やりたいこと」を明言するための根拠となるはずの自分の気持ちに矛盾や不明確な点が余りに多く、根拠を信じ切ることが出来ないため、結局自分の「やりたいこと」を宣言することなく、日々の生活に戻ってしまう、というものだ。こうして私は一般によく言われる、「モラトリアム」の時期を過ごしてきた。

 だが世界には「やりたいこと」を自ら選択したと主張し、その主体的選択によって受けた恩恵や損失に関する語りがたくさんある。私には、なぜそうした「語り」は「迷いなき選択」として語られることが出来るのか、そもそも「やりたいことはこれである」となぜ断言しきれるのか、その理由が全くと言っていいほど理解できない。この疑問が「モラトリアム」期間である今まで、常に私の心にあったことが、本レポート作成の動機である。

 と言ってみたものの、これが本当の「動機」なのかという疑問も私にはわいてしまうのだが、本レポートではこうした「動機論」よりも、「アイデンティティ」論的視点を通して「やりたいことの決定プロセス」を眺めてみることで、「やりたいこと」を断言出来る理由を探ってみたいと思う。

 本レポートでは「やりたいこと」という語を、「現在の社会の中にある職業、または新しく開業可能な新職業の中で、一番就きたいと思う職業のこと」と定義し、以下の章で考察に使用する。第1章では、「アイデンティティ」概念の創始者といえるエリクソンの「アイデンティティ」論を中心にしながら、その概念の現在の問点を探りたい。第2章では大阪府立大学の学生に協力頂いた「やりたいこと」についてのアンケート結果を三点に絞って考えてみる。第3章では、「統合仮説」と「アイデンティティ強迫」という概念を用いて、「やりたいこと」が決定されるプロセスを二分類する。そして終章においてその分類が現実社会にどのように当てはまるかを考察していくことにする。

 

 

第1章  「アイデンティティ」という概念

 現在の日本社会では、自分という人間はどんな性格で、何が特技で、どういう趣味があるのかを明確に述べられることが、必須不可欠なコミュニケーションの手段として確立されている。つまり自分の性格、特技、趣味などは知っていて当たり前であり、それらを聞かれた時に「分かりません」と答えようものなら、「自分のことなのになぜ分からないのか」と不思議がられ、変人扱いすらされかねないものだ。また血液型や星座、性別などによって、自分の特徴のカテゴリー分けをされることもよくあることだ。それほど、各自のアイデンティティ、つまり「自分がどういう人間であるのか」に関する話題が、世間一般の人の注目を集めるようになっているのだ。 

かく言う私も、「自分は何をしたいのか」という「自分のアイデンティティ探し」に大いに躓いた経験を、本レポートを書くきっかけの一つとしている。

そこで本章では、私達がとりつかれている「アイデンティティ」という概念の発生初期における論理展開を把握することで、現在の「アイデンティティ」概念が抱える問題の根元を探ってみたいと思う。

 

1 エリクソンの「アイデンティティ」概念

ではそもそもアイデンティティという概念とはなんなのか。この概念を初めて使ったのは、フロイト派の社会心理学者であるE・エリクソン(1)である。エリクソンはその著作『アイデンティティとライフサイクル』(Erikson[1959=1973])で「自我同一性」という概念を確立した。

彼は同一性つまりアイデンティティを、自我同一性(ego identity)と自己同一性(self identity)とに区別する。さらに自己同一性を個人的同一性(personal identity)と社会的アイデンティティ(social identity)に分割し、その二つの間にある相互に依存的な関係によって自己同一性が成り立っているとしている。

 ここで言う自我と自己との違いについては、G・H・ミードが行った「自我の社会性」についての考察の中にある「I(主我)」と「me(客我)」(2)の差異にほぼ対応すると言える。

ミードは人間の自我を、他者との関連において形成され、展開されるものだと捉え、自我の形成が「役割取得」の過程において成されると説いた。自我は主我と客我に分けられ、主我も客我も他者との関連において形成・発展するとした。この主張においてミードは、客我を対象化された自己、つまり他者からの期待・まなざし、他者の目に映る自分を受け入れた自我の側面として考えていた。これに対し主我を、客我に働きかけて変容させ、新たなものを創出する自我の側面と考え、絶対的な能動性を持つとしていた。そしてこの主我と客我という二側面の相互作用によって、自我の具体的なあり方が決定される。これがミードの言う主我と客我の関係である。

 話をエリクソンに戻そう。ミードが主我に見いだしたように、エリクソンもまた絶対的な能動性を自我に見いだした。だが、そうした絶対性を伴うと想定されるものについて語ることは、誰にとっても難しい。エリクソンもまたそれを避けたのか、彼は自我同一性ではなく、自己同一性に論の焦点を当てたのである。彼のいう個人的同一性とは、「わたしとはどういう人間なのかについての自分自身の観念」である。そして社会的同一性は「わたしとはどういう人間かについて、社会や他者が考えているとわたしが想定する自分自身についての観念」ということである。

 この自己同一性と社会的同一性の間にズレがあることは想像に難くないだろう。自分で思っている自分像が、他者が自分に対して抱くイメージと異なるということは、日常生活でよくあることだ。エリクソンは、他者の視線を意識した人が、自分の持つ自分像と、他者が持っているだろう自分が思っている自分像との間にズレのある状態を不安定であると見なし、この二つが一致した状態こそが安定しているものだと考えた。そして職業分化の進み「生き方の選択肢」が増えた近代社会では、青少年期にこうしたズレが生じやすく、その結果、心理的な危機が訪れやすい。これをアイデンティティの危機と捉えたエリクソンは、個人的同一性と社会的同一性のズレが一致することで、アイデンティティが再び統合され、精神的な安定に至ると考えた。

 そして彼は、このズレを統合するための試行錯誤の期間、つまり様々な役割を体験し、自分の「居場所」を社会の中に発見するために試行錯誤を繰り返す期間(現在では俗に「自分探し」と呼ばれる期間)として、社会が青年に与えた期間を「モラトリアム」と呼んだ。

 

2 フロイトの「自我」論

 人類学者の渡辺公三によると、精神分析学という学問領域を創始したことで有名な心理学者、S・フロイト(Sigmund Freud)が、彼の生涯の中で「同一性」という概念を使用したのは、70歳を超えた彼が同胞のユダヤ人団体への手紙の中で「内的同一性」という概念を使った、その一度だけである。(上野,2005;5)つまり、フロイトはその例外的な場面以外で「同一性」という概念を用いることはなかったのである。(3)

 だがそれは、フロイトが自分というもの、人間というものの心への関心を持っていなかったということを示すものでは当然ない。心というものの構造を考えていたフロイトは、心は「自我(ego)」と「イド(id)」と「超自我(superego)」からなるとする説を唱えた。これは、「イド」という無意識の中に、あたかも貯水池の水の様に溜まった、原始的で本能的かつ快楽原則に従う欲求(生の欲動=リビドー)と、あらゆる道徳性や良心でもって、欲求の根元としてのイドを抑制する働きを持つ「超自我」との戦いが、その結果としての「自我」を生じさせるとする考えである。つまり「自我」は「イド」と「超自我」の闘争のあいだに生じる心理現象の一部にすぎないというのである。こうした彼の主張は、パーソナリティの発達理論をもとにしており、その説は多様な概念を含んでいるため、その発展・展開の可能性もまた幅広い。そこで本レポートでは、エリクソンのアイデンティティ概念との関連において、フロイトの自我心理学がどのような意味を持っていたかに限定して述べるに留めておきたい。

 述べる点は三つである。第一に、フロイトは既に「自我」の概念を人間の発達における「過程的で動態的なもの」(上野,2005;11)として考えていることである。これは「自我」、つまりエリクソンの言うアイデンティティとは、固定的なものではなく流動的なものであるということだ。これを踏まえたうえで、第二には、「自我」は発達のうえで変容しその時に失敗するものとして捉えられている。変化する「自我」は様々に失敗することで発達するという視点であると言える。最後に第三は、発達の過程で自分を同一化する対象には両親、つまり異性の親と同性の親という二つの選択肢しかないということである。この点がエリクソンのアイデンティティ概念と根本的に異なるところである。つまりフロイトの理論ではアイデンティファイ(同一化する)の対象が、二人しかおらず、幅の狭いものであるのに対し、エリクソンでは既にそうした「ジェンダー二元秩序」(上野,2005;12)から解放され、ありとあらゆる人物が同一化の対象となると考えられているのである。

 

3 「統合仮説」と「アイデンティティ強迫」

先述してきたエリクソンの考えの中に、「個人的同一性と社会的同一性のあいだのずれが一致することをつうじて、アイデンティティは統合され、安定したものとなるという見方がある」(上野,2005;7)ことを自身の編著書の中で指摘した上野千鶴子は、エリクソンのこうした見方を「統合仮説」と名づけた。

そして上野は、この仮説には、アイデンティティが統合されている状態は安定的で精神が成熟している証拠となるので、されていない状態よりも、望ましい状態であるという規範的な命題が含まれていることも指摘し、そうした規範的命題が「アイデンティティなしでは生きられない」、「確固たるアイデンティティを持つ人は素晴らしいので、みなそれを目指すべきだ」という「アイデンティティ強迫」(上野,2005;3)を生み出すと示唆している。上野はこの「統合仮説」と「アイデンティティ強迫」という概念を「アイデンティティ」にしがみつきすぎた人間が陥る結末と認識している。なぜならアイデンティティはもともと、動態的であり文脈依存的なものであるのにもかかわらず、人は「確固たる自分のアイデンティティを持たなければならない」とアイデンティティの固定に躍起になって、その本来的性質を忘れてしまっていたからである。アイデンティティは常に変容するものであり、流動的なものであり、そして相互行為的でもあるという概念発生当初からの定義を、その「強迫」的な側面から離れて、今、再認識することも必要だとして「脱アイデンティティ」の論をまとめている。

この統合仮説とアイデンティティ強迫の問題は、エリクソンに始まり、T・パーソンズやP・L・バーガー、E・ゴフマン、J・ラカン、J・バトラーそしてS・ホールといった素晴らしい学者たちが行ってきた「アイデンティティ」に関する議論の最初から、あるいは潜在的にはエリクソンの師であるフロイトが「自我」論を提唱した時から、常につきまとってきた問題でありながら、長い時間をかけてやっと辿り着いた問題でもあると見ることもできるだろう。
 私は本レポートの以下の章において、「統合仮説」と「アイデンティティ強迫」という二つの視点から、本題である「やりたいこと」を見ることで、実際に「モラトリアム」期間にいると思われる大学生の声を参考にしながら、「やりたいことを断言できる理由」を探っていきたいと思う。

1)エリクソンのアイデンティティ概念については、上野千鶴子編(2005):p3-p9を参照

2)ミードの「自我の社会性」については、作田啓一・井上俊編(1986):p6-p11を参照

   (3) フロイトと彼の理論については上野千鶴子編(2005):P9-P12 を参照

 

 

第2章  「やりたいこと」についてのアンケート〜大阪府立大の学生の声〜

「やりたいこと」という語は、もともと一般的な社会状況において将来の展望を話し合う時に、何気なく使われる言葉であり、特別な定義があるわけではない。そこで本報告書レポート内で使う「やりたいこと」という語を、「現在の社会の中にある職業、または新しく開業可能な新職業の中で、一番就きたいと思う職業のこと」と定義している。また実際にその職業に就くことが出来るかどうかは問わないが、「やりたいこと」は一つだけとしている。

 こうした意味を含む語としたうえで、現代の日本社会で盛んに求められている、「自分のやりたいことを見つける」という作業がどういう意味を持ち、どういう結果を生み出しかねないものなのかを以下で考えてみたいと思う。

そのための第一段階として、私はまずアンケートをとり、私と同世代の人達が「やりたいこと」をどのようなプロセスで決定しているのかを知ることにした。本章では、そのアンケートの結果として得られたと考えられることを三点挙げておこうと思う。

 

1 アンケート結果@ 〜「きっかけ」の有無〜

 本レポート作成にあたり、私は「やりたいこと」についてのアンケートを実施した。そのフォーマットについては付録を参照していただくことにして、まずは合計で87名の方にご協力を頂いたアンケートの結果を公表したいと思う。

私はアンケートの最初に、「やりたいことがある」か、「やりたいことの候補がある」か、「やりたいことは今のところ何もない」のいずれかに解答することを求めた。以下ではこの順にA群、B群、C群と呼ぶことにする。その内訳は、A群の学生が37人(約42.5%)、B群が34人(約39.0%)、C群が16人(約18.3%)であった。そしてAとB群の学生に対して、あなたが「やりたいこと」であるとその職業を見なすようになった「きっかけ」(具体的出来事または心の変化)はありますか、という質問をしている。その結果は「きっかけがある」と答えた学生が47人でAとB群全体で約66%、「きっかけがない」と答えた学生は24人で約33%であった。つまり「やりたいことがある」または、その「候補がある」と答える人の中で、アンケートの実施方法による違いや、そもそもアンケート自体の有効性に疑問があったとしても、何らかの「きっかけがある」と答える人が多数派(今回のアンケートでは七割弱の人)であり、「きっかけはない」と』答える人は少数派であることが一般的に言えると思う。

 

2 アンケート結果A 〜「理由」への疑問〜

 またAとB群の学生に対しては、「やりたいことがそれだと言える理由はなにか」を聞いた。これは当人が何故それをやりたいと考えるのかを問う質問であり、「きっかけ」の有無を問う質問とは異なるが、理由が「きっかけ」と重なるケースももちろんあった。この質問に対する回答は、個人差が大きくそれは読ませて頂くだけで本当に興味深いものであった。この質問をしたうえで、次に自分の最も聞きたかった質問を設けていた。それは、回答者自身が書いた「理由」を回答者自身に対し「本当に信じ切れますか」と問うもので、「やりたいこと」の「理由」に疑問を感じるかどうかを聞いていた。

 これに対し、A、B群合計で23人(A群=12人/B群=11人/約34.4%)が「疑問がある」すなわち「理由を信じきれない」と回答し、44人(A群=23人/B群=21人/約65.7%)が「疑問がない」、つまり「理由を信じきれる」と答えた。このことから、アンケート結果@と同様に、自分自身が描く「やりたいことの理由」を信じ切れないものが少数派で、信じ切れるものが多数派であることは一般的に言えることではないかと考える。

 

3 アンケート結果B 〜他の条件との関連性〜

 結果の三点目は、「結果の一点目と二点目の性別や年齢との関連性はない」ということである。サンプル数が少ないこともあるが、最も関連性を見出せそうなものは、「やりたいことの有無」と性別である。ただここにも男女ともに同じような傾向にあり、性別ごとに見て、C群に属する人が男性で約17.6%、女性で約18.8%と低くなっている。唯一違うのが、A群に属する人が女性は約35.8%に留まるのに対し、男性は約52.9%もいて、B群は男性が約29.4%、女性が約45.2%と逆転していることである。この点についての一つの解釈として、この結果は男性の方が社会で働く「性分業」の仕組みがまだまだ残る日本社会を反映したものだと言えるかもしれない。

しかし、そうした結論はこれから述べる私の結論に、肯定的な意味にも否定的な意味にも関係がない。したがって今回のアンケートで得られた結果は、若者という集合を下位分割した、大阪府立大学の学生という括りでのみ捉えることとし、さらなる下位分割は行わないで考えるものとする。

 また、このアンケートにおいて「やりたいことは今のところ何もない」と回答したC群については、「やりたいこと」の「決定される」側面に注目したい本レポートの趣旨からそれると考えるため、考察の対象としないでおくことにすることもここに明記させて頂く。

 

 

第3章 「やりたいこと」と「アイデンティティ」

 はじめに言っておこう。自分の「やりたいこと」をはっきりと断言する人が「なぜ断言できるか」という問いかけに対し、「本当にそれがやりたいことであり、これが本当のやりたいことの理由だからだ」と言われれば、もう何も言うことはない。というより何も言うことは出来ない。私は「やりたいこと」がなく、それを見つけられないから、明言している人のことを考え、真似しようとしているのではない。たとえ「本当の『やりたいこと』」がありそれを見つけられていたとしても、それがなぜ「本当の『やりたいこと』」であり、なぜその理由が自分に100%しっくりときているかを証明することは誰にも出来ない。そこで私が本レポートで行う作業は、「やりたいこと」が決定されるプロセスについての考察を行い、どのようなプロセスにおいてこそ「やりたいこと」の明言がなされるのかを探ることである。

そこで本章では先に述べた「統合仮説」と「アイデンティティ強迫」という二つの視点から、現在の若者の「やたりたいこと」決定プロセスを考えてみたいと思う。

 

1 「強迫」による「やりたいこと」作り〜「焦り」のプロセス〜

統合仮説はアイデンティティがぶれなく一つのものとして確立していることが、人間の精神にとっては望ましいとするため、「しっかりした自分を持たなくてはいけない」というアイデンティティ強迫を導く。「やりたいこと」決定のプロセスは、ある面においてこの両者をそのまま引用する形で説明することが可能である。

一例を挙げよう。アンケートの回答者の中に、「やりたいことがある」と回答しA群に属しながら、やりたいことをそれだと言える「理由」に疑問がないのかというと言うに対し、「感じる。まったく知らない世界なので。しっかりした理由をもっているつもりじゃないと不安になるからそんな理由を言っているだけではないかとも感じる」と回答した方がいた(男性・20歳)。彼は、「やりたいこと」とした職業については全く知らず、未知の世界であるという意味での不安もあるようだ。しかしそれだけではなく、自分がブレのない「やりたい」と思うことを意識の中に持っていることは、大学生として望ましいと世間ではされている。そういう状況の中では、「やりたいこと」の表明は、最早「望ましい」状態ではなく、大学生の義務として認識され、「早く何か見つけてそれに向けて頑張りなさい」という「強迫」が生じることも十分にあり得る。そしてこの「強迫」が「やりたいこと」の明言化を後押しし、多くの若者が「やりたいこと」を宣言することにつながると考えられる。こうした形にあてはまると考えられる回答をした方々の中には、「(疑問あり)その仕事に就きたいと周りに明言しづらいから、自分の中で確固とした理由が連ねられないと不安になる」(女性・20歳)や、「(疑問あり)漠然としていて自分自身よく分からない。あまりに小さい頃からの夢でだせい的な感がある。」(男性・19歳)、あるいは「(疑問なし)独立して自分の能力により収入をあげたり、社会にとって有益な仕事をすることは自分の性格にあっているから。」(男性・18歳)といった意見があった。最後の方は彼自身の自己分析が正しいことを前提としているため、それが正しくなかった場合において、彼は統合仮説からくるアイデンティティ強迫に耐えきれず、自分に何らかの型をはめ込んでいた、と考えられることから、ここの例に挙げさせてもらった。

最初の例に挙げた方は、「強迫」には言及していない。しかし「理由をもっているつもりじゃないと不安」なのは、理由がなければ「やりたいこと」の明言ができず、「やりたいこと明言化」の「強迫」から逃れられないことを無意識的に自覚しているからこそ、こうした疑念が出て来るのではないだろうか。

彼はある程度「強迫」に自覚的であり、それ故に「理由」に対して疑問を抱くようになっているが、そうした「強迫」に全く気づかず、自分の宣言をただただ信じ切る人も、間違いなくいると考えられる。気づかないうちに「強迫」され、強制された職業選択を、あたかも自分の意志で行っているかのよう感じ、そのまま職業選択を実施するのである。そしてその結末は、転職や退職の理由に「思っていたのと違う」や「自分には合わない」といった理由が急浮上してくるというものである。これは、今の新入社員の3年以内の離職率約3割という驚くべき数字を説明する一つの方法ともなりうるかもしれない。

 したがってこのような統合仮説的な「強迫」が「やりたいこと」の断言につながるとする説明が成り立ちうるのは事実であろう。私はこうした「やりたいこと」決定のプロセスを「焦りのプロセス」と呼ぶことにする。ただし、もちろん「やりたいこと」決定のプロセスをこの一つの型だけで説明することはできないだろう。

確かに先に例に挙げた方々のようなケースや、「やりたいこと」に関する言説が蔓延り、信憑性が薄いことは当然の前提として上でもなお、自己分析や自分占いなどが流行現象といってもいいほどあちこちで見られる。こうした若者の言動は統合仮説の視点から考えると、「やりたいこと」を見つけなければならないという「強迫」から焦り、あまり頼りに出来ないものにまで、目を向けてしまうという説明が出来るかもしれない。

しかし実際の現状を考えてみると、今の若者たちの全てが「やりたいこと」を見つけることに「強迫」を感じ、「見つけないと」と焦るかと言えば、そうとは限らないだろう。なぜなら、先の流行現象を、焦っていないからこそ楽しい「遊び」としての自己分析などに手を出す余裕があると見ることも出来るからだ。そして焦る必要がないのであれば「強迫」に屈する可能性もおそらく減少し、焦っているなかで慌てて「やりたいこと」宣言をすることも減るかもしれない。

そこで次節では、統合仮説が成立せず、アイデンティティ強迫が起こらない環境における、「やりたいこと」決定プロセスについて考えてみたい。

 

2 「強迫」されない「やりたいこと」決定プロセス〜「じしん」のプロセス〜

 前節では、統合仮説が成り立ち、アイデンティティ強迫がそのまま当てはまる「やりたいこと」決定の形について考察した。そこで本節では、この二つが起こらない環境において起こりやすい「やりたいこと」決定のプロセスについて考えてみる。

 結論から言おう。「焦りのプロセス」と対照的に、アイデンティティ強迫がおこらない環境においてなされうる「やりたいこと」決定プロセスとは、「じしんのプロセス」である。これは、「やりたいこと」の決定過程において、自分「自身」いう人間が経験し、感じ、考えたことを「自信」を持って信じ切ることが出来る人にだけ許されるプロセスである。

ではそういう人は、「焦りのプロセス」を経る人と、どう違うプロセスをたどるのか。答えは明確である。「焦りのプロセス」はあーだこーだと考え、あーでもない、こーでもないと考えながらも、結局は自分の言葉を信じることで「やりたいこと」を断言しその理由も信じ切る。そのため理由そのものが論理的になり、それを信じ込む意識も論理的になる。なぜならつじつまを合わせてしっかりと論理立てなければ、それらを信じ切ることが出来ないからだ。

それに対し「じしんのプロセス」ではどうか。考えなくていいのである。分かりやすい例がアンケートの中にあるので紹介しよう。その方は「やりたいこと」が「エンジニア」に小学5年生くらいから決まっておられる。その理由は「機械、戦車や飛行機などが好きだから」というものであり、疑問があるかないかの問いに対しては、「ない。好き以外に理由が必要だろうか?」と回答して頂いている。この例から分かるように、「好き」という感情をそのまま信じることで、「やりたいこと」を特定し断言するのが「じしんのプロセス」なのである。

分かりにくくなったと思うので、本章の内容の中心である、「やりたいこと」決定のプロセスについてまとめる。

自分の「やりたいこと」はなんなのか、自分ととことん向き合い、考えに考え抜いて論理的に理由づけることで「やりたいこと」を断言するのが「焦り」型。ここでは「統合仮説」が成立し「アイデンティティ強迫」の作用によって断言が促される側面がある。

他方、自分をとことん信じ、自分の思い、感情を徹底的に信じ切るのが「じしん」型である。ここでは「統合仮説」や「アイデンティティ強迫」は生じず、最も理想的とも思える形で「やりたいこと」が決定される。これが「やりたいこと」決定のプロセスの両極をなすものである。

 

 

終章  方法と本体

 前節で私は「やりたいこと」のプロセスが二通りあることを示した。レポートの最後である本章ではこの二つを用いて、「やりたいこと」を断言している人はどういうプロセスで断言しているのかについてのまとまった主張を展開していこうと思う。

        

1 両極としての「やりたいこと」決定プロセス

私が前節で述べた二つのプロセス。これで全ての「やりたいこと」決定のプロセスが説明でき、「やりたいこと」(またはその候補)を断言する人たち全て意見を網羅できるわけではない。しかし、二つのプロセスを線分の両極に置き、現実の「やりたいこと」決定プロセスはその間で起きると考えることは可能ではなかろうか。

まず理想型のプロセスとして「じしん」型を一方におく。既に説明したように「じしん」型は、本人が「『周りに惑わされずに自分を信じることが可能である』ことを強く信じる」という条件を、意識的・無意識的に関係なく、クリアしなければ出来ない。そういう人が多いか少ないか私には判断できないが、「やりたいこと」を決める上で、「やりたいから」という理由を貫徹しきれるのは最も理想的なことであることは間違いないだろう。

その反対の極に「焦り」型をおく。この型が「じしん」型とセットで両極をなすには二つの理由がある。それは第一に「じしん」型は自分を信じ切るというとても困難な条件をクリアしなければ実践できないプロセスであるのに対し、「焦り」のプロセスは誰でも陥ることができ、断言するための手段として最も容易かつ軽薄であるからである。第二には、「じしん」型が「すきだから」という究極に感情的な理由で「やりたいこと」を決定・断言するのに対し、「焦り」型は自分に言い聞かせるかのようにとことん穴のない理論的な理由で決定・断言しようとするからである。

このように二つの意味において両極端な「プロセス」があり、その間を各個人が自由に取り、自分なりの「やりたいこと」の決定・断言を行うのである。こうした理解に基づくことで、現実社会ではあたかも様々な方法で「やりたいこと」が決定され、全て個人の意志で断言されているかのように見える状況を、能動性と受動性の入り交じった思考活動の結果の産物として捉えることが可能となる。

 

2 「やりたいこと」とはなんなのか

 ここまで「やりたいこと」の決定プロセスにはどのようなものがあり、どういうプロセスを経ることで人は「やりたいこと」を断言できるようになるのかについて述べてきた。そしてレポートをまとめるにあたり最後に、「やりたいこと」の正体について、私見を述べようと思う。

 まず本レポートの内容を延長させて考えると、「やりたいことを断言する」ことには様々なレベルがある。本当にその仕事が「好き」で、それをやっていることがたまらなく嬉しいから「やりたい」と断言する人がいれば、「好き」とは言えないが、それをして社会に貢献し満足感を得ることが幸せだから、たとえその活動に偽善性を感じていたり、理由づけに不安を持っていたりしたとしても、感情を優先することで、それを「やりたいこと」と断言する人もいるだろう。

 またそれとは逆にその業務に矛盾や偽善性を感じていたとしても、それを覆す強力な論理で意識的または無意識的に自己に言い聞かせ、断言につなげる人もいるだろう。先に述べた「プロセス」だけではなく、「断言」にも様々な形があるのだ。

 それはつまり、当然のことである「『やりたいこと』は実体ではない」ことを証明する。そしてまた、各個人がいう自分の「やりたいこと」の決定や断言の仕方は違うが、その決定や断言の仕方の違いは、あくまで「やりたいこと」を発見する方法と人に伝えるための方法の違いでしかなく、「やりたいこと」とは無関係だと言える。したがって自分の本当に「やりたいこと」など分かるはずもない。つまりどれが本当の「やりたいこと」かについての絶対的な確証などいつまで経ってもつ事が出来ない、永遠に憧れる続けることしかできない思考の対象でしかないのだ。

 

3 おわりに

自分が将来「やりたいこと」について考えるとき、歴史的に見て、圧倒的多数の人が「やりたいから」という感情にしたがって決定してきたのであり、自分の気持ちであると考えられてきた「やりたいこと」の決定という細かなことに対して、私のようにウジウジと悩む人間が出てきたのは、人類の歴史から見てもごく最近のことだろう。

しかしこのことは、多くの人の自己が、自分による自分の定義づけをほとんど疑うことなく生きてこられていたことを示すものであり、自己とは何なのかを永遠と探し続けることでしか見えてこない世界あるのかもしれないのにもかかわらず、途中で自分の「やりたいことを見つけた」といってそこへ逃げ、暗澹とした「自分探し」の世界から離れていくのが「大人な人間」として讃えられ、そうでない人は「怠け者」とし見なされてきたことを示すものでもある、と考えることも出来る。

今、日本ではフリーターやニートという正規雇用に就いていない若者が増え、大きな社会問題とされている。ただ、そうした人たちの増加は、ある意味では「大人な人間」であることの証しである「自分探し」の放棄を止め、従来の人物評価体制を根本から否定する社会変化のかすかな兆しではないかとみることもできないだろうかと思う。そして、永遠に辿り着くことのできない答えに辿り着こうとチャレンジする、素晴らしく向上心があり忍耐力のある若者が増えた証しだと捉え、彼らを讃えるべきなのではないだろうかとも思う。

 かなりばかげたことを書いたかもしれない。しかし私が今述べたことは、本レポートの内容と同様、絶対的に正しいことではなければ、絶対的に間違ったことでもないだろう。本レポートを書き終える今でもまだ、私は自分が何を「やりたい」かについて断言することはできないが、「やりたいこと」が何なのかを知ることには、かなりの困難がつきまとうことには実感を強烈に伴って気づくことができた。

この困難さに目を向けることができた今、「好き以外に理由が必要だろうか。ロマンを感じる。それだけで十二分である。」(19歳・男性)と書いた彼の言葉に、強烈に違和感を抱くのは、私の嫉妬心のせいだけによるものなのであろうか。

 

 

 最後になりましたが、私のとてつもなく拙い、そして煩雑なアンケートにご協力下さった大阪府立大学の学生の方々には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

参考文献

上野千鶴子編  2005 『脱アイデンティティ』 草書房

作田啓一・井上俊編 1986 『命題コレクション 社会学』 筑摩書房

大村英昭・宮原浩二郎・名部圭一編 2005 『社会文化理論ガイドブック』 ナカニシヤ出版

 

 

附録 アンケートフォーマット

 

注意 @質問はTからXまであります。

Aこのアンケート内では「やりたいこと」という言葉を以下の内容を指す言葉として定義し使用しています。

「やりたいこと」とは…

現在の社会の中にある職業または新しく開業可能な新職業の中で、あなたが最も魅力を感じ一番就きたいと思う職業のこと。

実際にその職業に就けるか就けないかは問いません。ただし「やりたいこと」は一つだけです。

 

年齢(   )  学部学科(         )  学年( )回生  性別  男性 / 女性

 

T あなたは現在「やりたいこと」がありますか。もしくは「やりたいこと」の候補となること(一つでも複数でも構いません)がありますか。次のいずれかに○をして下さい。

やりたいことがある / やりたいことの候補がある / やりたいことは今のところ何もない

 

以降の質問U〜Wには出来る限り詳しく記入して下さい。またU〜Wは選択回答となりますので以下のことに注意して下さい。

Tで「やりたいことがある」を選択された方は質問Uに回答して下さい。(VとWは回答しないで下さい)

Tで「やりたいことの候補がある」を選択された方は質問Vに回答して下さい。(UとWは回答しないで下さい)

Tで「やりたいことは今のところ何もない」を選択された方は質問Wに回答して下さい。(UとVは回答しないで下さい)

 

U−a あなたの「やりたいこと」は何という職業ですか。

 

U−b それが「やりたいこと」だとあなたが思うようになったのはいつ頃からですか。

 

U−c あなたがそれをやりたいと思う「きっかけ」となるような出来事または心や考え方の変化などはありましたか。

次のどちらかに○をして下さい。                  あ  る  /  な  い

U−c−@ 質問U−bで「ある」と答えられた方だけにお尋ねします。その「きっかけ」とはどんなものですか。それはいつ頃のことか、どんなことなのか、あなたの心はどう動いたのかなど出来る限り詳しくお書き下さい。

 

U−d あなたが、あなたの「やりたいこと」はそれであると言う理由は何ですか。あなたの考える「理由」を出来る限り詳しくお書き下さい。

 

U−e 質問U−dであなたが書いた「理由」をもう一度見直して下さい。あなたが書いたその「理由」をあなた自身が素直に受け入れられないあるいは、信じ込めないと感じることはありますか。ある方はなぜ受け入れられないのかを、ない方はその「理由」信じておられるその力強い意志を、詳しくお書き下さい。

 

V−a あなたの「やりたいこと」の候補は何という職業ですか。その候補を全てお書き下さい。

 

V−b その候補はいつ頃から候補としてあるのですか。それぞれの候補についてお答え下さい。

 

V−c あなたにとってその職業が「やりたいこと」の候補となるような「きっかけ」となる出来事または心や考え方の変化などはありましたか。                            

あ  る   /   な  い

V−c−@ 質問V−cで「ある」と答えられた方だけにお尋ねします。その「きっかけ」とはどんなものですか。それはいつ頃のことか、どんなことなのか、あなたの心はどう動いたのかなど出来る限り詳しくお書き下さい。

 

V−d あなたが、あなたの「やりたいこと」の候補はそれであると言う理由は何ですか。それぞれの候補についてあなたの考える「理由」を出来る限り詳しくお書き下さい。

 

V−e 質問V−dに対するご自身の回答をもう一度見直して下さい。あなたが書いたその「理由」をあなた自身が素直に受け入れられないあるいは、信じ込めないと感じることはありますか。ある方はなぜ受け入れられないのかを、ない方はその「理由」信じておられるその力強い意志を、詳しくお書き下さい。

 

V−f あなたはご自身の「やりたいこと」が一つにならないのは何故だと思いますか。出来る限り詳しくお書き下さい。

 

W−a あなたは「やりたいこと」を見つけたいと思いますか。    は   い  /   い い え

W−a−@ 質問W−aで「はい」と答えられた方にお尋ねします。あなたはなぜ「やりたいこと」を見つけたいのですか。その理由を詳しくお書き下さい。

 

W−a−A 質問W−aで「いいえ」と答えられた方にお尋ねします。あなたは「なぜやりたいこと」を見つけたいと思わないのですか。その理由を詳しくお書き下さい。

 

W−b あなたは、あなたが「やりたいこと」はないと言う理由は何だと思いますか。出来る限り詳しくお書き下さい。

W−c 質問W−bに対するご自身の回答をもう一度見直して下さい。あなたが書いたその「理由」をあなた自身が素直に受け入れられないあるいは、信じ込めないと感じることはありますか。ある方はなぜ受け入れられないのかを、ない方はその「理由」信じておられるその力強い意志を、詳しくお書き下さい。

 

X 冒頭の注意で述べた「やりたいこと』とは…現在の社会の中にある職業または新しく開業可能な新職業の中で、あなたが最も魅力を感じ一番就きたいと思う職業のこと。実際にその職業に就けるか就けないかは問いません。ただし「やりたいこと」は一つだけです」という定義を忘れて下さい。そしてあなたご自身が考える「やりたいこと」とは何かお答え下さい。あなたが考えることを出来るだけ詳しくお書き下さい。

 

以上で本アンケートは終了です。ご協力本当にありがとうございました。

 

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