大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2010年度)

岡崎京子『pink』の作品研究

:私はなぜ『pink』に魅力を感じるのか

梁 知美

 

はじめに

 

私が岡崎京子という漫画家を初めて知ったのは、一昨年のことだったと思う。大学1回生の時に受けていた授業の中で、岡崎京子の『ヘルタースケルター』という漫画が取り上げられたことが始まりだった。全身整形をして美しくなった主人公が、自分の美貌が崩れていくことによって破滅に追い込まれていくというストーリーだと紹介された。今となっては、なぜこの漫画がその授業で取り上げられていたのか思い出せないのだけれど、私はこのときに紹介されたストーリーが気になって、本屋に行った時はその漫画がないかいつも気にするようになった。しかし、岡崎京子の漫画はどこの本屋にでもあるわけではなく、私自身、作家の名前もあやふやにしか覚えていなかったので、なかなかこの漫画に出会うことができなかった。結局『ヘルタースケルター』を読めたときには、その授業を受けてからだいぶ月日が経っていた。友人がこの漫画を持っていたので、それを貸してもらって読んだのだが、当時の感想は、「スリリングで刺激があるけれど、読んだ後に気持ちが暗くなるので、自分で買いたいとは思わない」というものだった。

 しかし、現在の私は岡崎京子の漫画を集めることが大きな楽しみになっていて、今では彼女の作品を20冊以上所有しており、そのなかに『ヘルタースケルター』も含まれている。岡崎京子の漫画を集めるようになったきっかけは、『ヘルタースケルター』はあまり好きではなかったけれど、同じ時期に読んだ『pink』を好きになったからだ。それから私は、本屋に行くたびにまだ持っていない岡崎京子の漫画がないか探すようになった。

なぜ、私は岡崎京子の作品に魅力を感じているのだろうか。私が彼女の作品の中でおそらく一番好きな『pink』を通して考えてみたいと思う。

 

 

1.     岡崎京子と『pink

 

 まず、岡崎京子という漫画家について紹介したいと思う。岡崎京子は、1980年代から1990年代にかけて活躍した漫画家である。代表作品に、『pink』、『リバーズ・エッジ』、『ヘルタースケルター』などがある。彼女は1996年に交通事故に遭い、以後、現在まで療養中である。そのため、彼女の作品は90年代半ばで止まっており、作品の数も限られている。しかし、2002年頃より、旧作の復刊、未刊行作品の出版等が相次ぎ、2004年には、『ヘルタースケルター』が「第8回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」を受賞した。私が今回取り上げる『pink』も、今年の7月に新しく新装版が発売された。このことから、岡崎京子の作品は長い月日が経った今も多くの人々に支持され、強い影響力を持っていることがわかる。

 上に挙げた3つの代表作品は、決して明るい内容ではない。『ヘルタースケルター』は全身整形をして成功をつかんだかのように見えた主人公が堕ちていく話だし、『リバーズ・エッジ』は河原の死体に引き寄せられる高校生の姿を描いた話である。『pink』はこの3作品の中では明るいほうだけれど、主人公の恋人が最後に死んでしまい、ハッピーエンドとはならない。

 これらの3つの代表作品は1989年以降に出版されたもので、1989年以降の彼女の作品の特徴としては、よく人の死が描かれていることが挙げられる。そのため、それらの作品を読んだ後は、私は少なからず暗くて重い気持ちになる。しかし、それは岡崎京子の作品すべてにおいて言えることではない。女の子がたわいもない会話をしているだけの内容の作品もあれば、ポジティブで明るい内容の作品もある。ただ、彼女の代表作品といわれるものには、なにか深刻で危機迫ったような空気を感じることが多いということがいえるだろう。

 

次に、私が今回取り上げる『pink』の作品の内容を紹介したいと思う。この作品は、1989年に出版されたもので、岡崎京子の最初の転機ともいわれている作品である。

 

主人公のユミは、OLである。そして彼女は、夜はホテトル嬢の仕事をしている。バラが好きで、ピンク色のものが好きな女の子だが、実は部屋で大好きなワニを飼っており、ワニのえさ代を稼ぐために彼女はホテトル嬢の仕事をしているのだ。

 ユミの実の母親はすでに亡くなっており、代わりに、父親の金を目当てに結婚した継母がいる。ユミは、継母のことは嫌っているが、継母と父親の間に生まれた義理の妹のケイコとは相性が良く、ケイコはたびたびユミの部屋へ遊びにやってくる。

 ある日、ユミは継母が若い男を愛人として買っていることを知る。そのことに興味を抱いたユミは、その若い男のもとを訪ねた。そのハルヲという名前の大学生とユミは仲良くなり、それからユミの世界のなかにハルヲが存在するようになる。

 過去に小説家になりたいという夢をもっていたハルヲは、ケイコとユミになかば強制的に小説を書くように言い渡され、ハルヲは2人の読者をもつ小説家になった。ハルヲは少しずつ小説を書くようになった。

そのころ、ユミは夜の仕事の客から、ある不思議な種をもらう。花の開く瞬間に願い事を唱えると、それがすべて叶うという不思議な種だ。それを部屋に持って帰り、ユミとケイコとハルヲの三人はその花が開く瞬間をみた。ハルヲの願い事は立派で偉大な小説家になることだったが、ユミとケイコの願い事は最後まで内緒のままであった。

また、ハルヲには、大学に彩子というガールフレンドがいた。二人は特に真剣に付き合っているというわけでもなくゆるい関係にあるのだが、ある日彩子がハルヲを尾行してユミの部屋までやってくる。ハルヲは、ユミが仕事をしているときにワニの世話をするために彼女の部屋にやってくるのだが、このときユミがいないのをいいことに、ハルヲは彩子に誘われるままユミの部屋でセックスをしてしまう。その後、彩子は風呂場でワニを目撃して、気絶する。このときにユミは帰宅してきて、その状況を知る。ユミは激しく怒り、彩子の頭の中から自分の部屋のことを消せとハルヲに言い渡し、さもなければ彩子をワニのえさにしてやると言った。ハルヲは、気絶した彩子を自分の部屋に連れて帰り、ユミの部屋のことは夢だったと彩子に思わせるという手段をとった。

そんな出来事があったあと、ユミは突然自分の部屋をジャングルのようにしようという計画を立てるのだが、それは部屋の浸水という失敗に終わり、そのことで管理人にワニを飼っていることがばれ、最終的にユミは部屋を出ていかされる。そして、行くところのなくなったユミとワニはハルヲの下宿先で暮らすようになった。ユミはハルヲの部屋で家事をし、ハルヲと寝食を共にし、二人は恋人関係のようになる。

しかし、もともとハルヲはユミの継母の愛人である。ハルヲと継母の愛人関係が続いているなかでユミとハルヲは恋人同士のような関係になり、結局それは継母にばれてしまう。この二人の関係を継母が知ったことから、この物語のクライマックスが始まる。

継母は、ユミを懲らしめるために、ユミがずっと大切にしてきたワニを殺すことにした。そのころハルヲは、ユミの継母がどんな行動に出るのか心配しつつも小説を書く活動は続けており、いろんな人の本を切り貼りして小説を書くという変わった方法で自信作を完成させた。そして、小説の完成を祝ってユミとハルヲが食事に出かけている間に、継母の差し向けた遣いによってワニは連れ去られた。

ワニがいなくなってからのユミは元気がなくなり、昼間の仕事にも集中できず、ハルヲといてもため息ばかりつくようになった。ある日、ユミは人ごみのなかである発作を起こし、しゃがみこんでしまう。「どうしてあたしはここにいるの?」、「どうしてここに立っているの?」など、頭の中はクエスチョンマークだらけになってユミはパニックになる。ユミがこれを「あの発作」と呼んでいることから、この状況はユミの身にたびたび起きているのだということがわかる。

この状況になったあと、ユミはハルヲに南の島に行きたいと言い出す。幸いにも、ハルヲが書いた小説が大きな賞をとり賞金が入ることがわかったので、二人は本当に南の島に行くことになった。

そして、ユミが南の島に行くための準備をしているときに、ある荷物が届く。開けてみると、そこにはワニ革でできたトランクが入っていた。同封されていた手紙を読んで、このトランクは自分が飼っていたワニでつくられたものであり、それは継母の仕業によるものだとユミは気付く。

 ワニを殺した継母に復讐するために、ユミは継母のもとへと向かう。ユミはバットで継母を殴るのだが、最終的にはケイコに止められ、継母を殺すことはなく部屋を荒らしてユミはその場を立ち去る。帰ってからもしばらく怒りはおさまらないのだが、ユミは立ち直りが早いようで、時間が経つにつれて、南の島にワニのトランクを連れていけることをユミは楽しみにさえ感じるようになった。

そして南の島に向かう出発日当日、ハルヲは取材を受けてから空港に行くということで、ユミは先に空港に着いてハルヲを待っていた。しかし、ハルヲは仕事を終えて空港に向かう途中に、スクープを狙う週刊誌のカメラマン達に追われ、彼らから逃げようと走っている際に交通事故に遭い、死んでしまう。そして、ハルヲがそんな事態になっているとも知らないユミは、幸せな気持ちに浸りながらケイコと二人でハルヲを待っており、のんきにお菓子を食べているというシーンでこの物語は終わる。

 

以上が、『pink』という漫画のストーリーである。改めてふり返ってみて、『pink』はこんなストーリーだったのかと気付かされた。私はこの漫画の全体のストーリーそのものよりも、ひとつひとつの断片的なシーンが好きなのかもしれない。ストーリーを読み込むというよりも、私は主人公のキャラクターに惹かれているところが大きいと感じた。

 

 

2.     読者の感想

 

 次に、『pink』を読んだ人々の意見や感想をまとめてみたいと思う。今回、インターネット上で多くの人々の『pink』の感想を読むことができた。基本的にこの作品に肯定的な意見を持つ人々が書いているものが多いので、内容に偏りはあるかもしれないが、レビューを読んでいてよく見受けられたものを以下に挙げてみる。

 

・共感する

・あこがれる

・元気がなくなったときに読む

・明るいものと暗いものが共に存在しているところがいい

・衝撃を受けた

などの意見が多くあった。

 

この漫画の中では、主人公のセリフや心の中のつぶやきが多く書かれており、その言葉に共感する人や、言葉に現れる彼女の生き方にあこがれる人が多いようである。

 多くの人々が印象に残っているものとして挙げているセリフには、

「幸せなんて当然じゃない?」

「こんなキレイなものが買えるんなら、あたしは何だってするんだ」

「この世は何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんなひどいことも どんなうつくしいことも」

「そんなにお金欲しければカラダ売ればいいのに」

などがある。

 

 私にも、この作品の中で印象に残っているセリフが多くある。共感するものもあれば、そんな考え方もあるのかとドキッとするものもある。『pink』の魅力は、作品内にちりばめられたセリフによるところも大きいのではないだろうかと、私はレビューを見て思った。

 

 また、主人公のあっけらかんとした生き方にあこがれる人々も多いようだった。彼女はいつも自分の欲望に忠実に生き、あまり我慢をすることがない。いやなことがあれば、ワニのえさにいやなことを重ね合わせ、それをワニが無残にバキバキと食べているのを眺めて憂さを晴らす。彼女に迷いはなく、いつもどこか余裕をもっているようにも感じられる。そんな強さをもった主人公に惹かれる人々は多いようで、私自身もそのうちの一人である。

 

 「明るいものと、暗いものが共に存在している」という言葉は、この作品を端的に表している。作品の中では、幸も不幸もごちゃまぜで、読んでいてわくわくするところもあれば、どうしようもないやりきれなさを感じるところもある。きれいなものと、汚いものが混ざっているという独特の雰囲気が、この作品の魅力の一つであるようだ。

 

 また、主人公の恋人があっけなく死んで終わるという終わり方や、主人公の変わった生き方などに、読んでいて衝撃を受けた人々も多い。

 

以上のことが、『pink』のレビューでよく見受けられた感想である。レビューを読んでいると共感することが多く、私も多くの読者とよく似た感想を持っているのだろうと感じた。

 

 

3.     ストーリーのない漫画

 

 岡崎京子についての研究本があるのだが、その中に収録されている岡崎京子作品論も参考にしていきたいと思う。

 『OKAZAKI−ism』という岡崎京子の研究本の中に、目黒卓郎著の「岡崎京子作品論〜満たされる空虚」という論文がある。この中では『pink』がよく取り上げられている。

 私がこの論文を読んでいて一番気になったのは、「岡崎京子の作品にはストーリーがない」という目黒氏の見解だ。目黒氏は、

 

「『pink』では、昼間はOL、夜はホテトル嬢の女の子の日常が描かれるだけで、それ以外の要素はすべてキャラ設定とシチュエーションによる効果に過ぎない。ただ、その効果がスゴすぎて、人はそれをストーリーテリングによるものと、積極的にカン違いしているのだ(目黒 2002 p.285)」

 

と述べている。岡崎京子は、「ストーリーは描きながら考える」と発言しており、『pink』についてもそれは当てはまっていて、主人公の恋人が死ぬという終わり方もはじめから決めていたわけではないのだと言っている。

目黒氏は、「描きながらストーリーを考える」とは「成りゆきまかせ」ということであり、それは「行きあたりばったり」の別名ともいえるととらえ、

 

「事前に用意されるプロットやロジックを持たないストーリーは、ストーリーではない。たとえ、それがストーリーとして奇跡的に成功したとしても、よほどのことがないかぎり、そのストーリーは弛緩するはずだ(目黒 2002 p.287)」

 

と述べる。確かに、岡崎京子本人の発言からも『pink』のストーリーには事前にプロットやロジックが用意されていないことがわかるので、『pink』にはストーリーらしいストーリーがないということがいえるのかもしれない。

 

目黒氏のいうストーリーとは、表面的に見えるストーリーのことを指しているのだろう。たとえば『pink』のなかで、願い事の叶う花が出てきたり、ハルヲのガールフレンドが出てきて何かしら問題が起こったりするが、それらは物語の後半につながる伏線とはなっていない。ひとつひとつのエピソードにあまり関連性がなく、ただ淡々と何かが起こり、過ぎていく。そして、ハルヲが死んで物語は突然終わる。だから、読者はこの作品を読んでいても、結局何が起こって主人公がどう変わったのかよくわからない。この点において、目黒氏は『pink』のなかにストーリーがないと指摘しているのだろう。

 

しかし、読者は事前にプロットやロジックが用意されていないストーリーのなかにも、自分なりの解釈で何かを見出そうとする。作者が言おうとしていたことであろうがなかろうが、もしくは、作者に言いたいことは特になかったとしても、読者は作品の中から何かを見出し、得ようとするのだ。

 

そして、その読者のうちの一人である私は、ストーリーがないと言われる漫画の中に何を見出したのだろうか。『pink』の中から何を感じ取り、魅力を感じたのだろう。自分なりにどんなふうにこの作品を解釈したのか、これから考えてみたい。

 

 

4.成長しない主人公

 

「ストーリーがない」といわれるこの作品を、私は今一度読み返してみた。すると、この作品では、始まりと終わりを比べて主人公に何か成長するといった変化はみられないといえることがわかった。ユミという、ワニを飼いながらOLとホテトル嬢を両立しているエキセントリックな主人公の生活をただ切り取ってみせただけの作品にみえるのである。この作品の後半では、ユミが大切にしていたワニが殺されたり、継母に対する怒りを爆発させたりといった事件は起こるのだが、そのあとでユミは何かを学んだり変化したりするわけでもなく、ただ時間の経過とともにユミはいつも通りのユミになってまた日常が始まる。そして、ハルヲの死という事件が起きた時にこの物語は突然終わるのだ。

ユミがハルヲの死を知るというシーンはなく、これからユミがどうなっていくのかわからないままこの物語は終わるのだが、私は、ユミはこれまで何があってもすぐに立ち直ってきたように、ハルヲの死についても時間が経てばすぐに立ち直るのではないだろうかと思っている。何かが起きては、過ぎていく。ワニがいなくなったことも、継母と激しく対立したことも、そしてハルヲが死んだことも、ユミにとっては事件だが、ユミはその事件にまっすぐ向き合うことはなく、何事もなかったかのようにまた日常に戻っていくのだ。そんな淡々としたユミの生き方を表したのが、『pink』という作品なのだと私は思う。

 

伏線を張って細かく作りこまれたストーリーではなく、主人公がストーリーの始めと終わりで成長しているということもない『pink』という作品。この作品を読んで、読者は何を得るのだろうか。一見伏線が張られていないようにも見えるが、実は見えにくいところですべての前後関係はつながっているのだろうか。作者がはっきり伝えようとしているメッセージはあるのだろうか。この作品は、読者の読み方に任せる部分が大きいと思う。読んでいて、「ここまで描いたから、あとは好きに読み取ればいい」と作者に言われているような気持ちに私はなる。

 

 

5.     私が『pink』から読み取ったもの

 

では、私はこの作品から何を読み取ったのか。

まず、はじめに言えるのは、「この現実を見ろ」というメッセージを私は感じたということだ。たとえば、ハルヲの死というアンハッピーな終わり方で、私は最後に希望を持つことから突き放されたように感じた。それは「ものごとはいつでもうまくいくわけではない」という、なまやさしいメッセージではない。もっと救いようのない、受け入れがたいものだ。生きていく上で、自分ではどうすることもできない、やりきれないものがあるのだという現実をまざまざと見せつけられたように感じた。

そして、その現実をどのように生きるのか。その一つの例として、ユミというエキセントリックな女の子の生き方を提示されたのだと思う。

つまり、この作品はユミの日常を描いただけのものであるが、私はそこから現実というもののありさまと、そこに生きるユミの姿を見て、何か心に残るものがあったのだ。ユミの日常を描いただけといっても、そこにはさまざまな魅力とリアルさがあり、それに私は引き寄せられた。

 

それでは、『pink』のなかで、現実がどのように描かれ、ユミがそこをどのように生きていたのか考察したいと思う。

 

この作品の中で、現実を表すものの一つとして、ユミの同僚のセリフが挙げられる。ユミたちがランチをしている場面なのだが、そこで一人の同僚があるランチセットを自分たちの日常にたとえるのだ。

「このBランチ(ハンバーグ・魚フライ・スパゲッティ添え・ライス・コーヒー付800円)て私たちみたいじゃない?」

「毎日たいした仕事もないし、毎日そんなに代わりばえもしないし、毎日良くもなければ悪くもないたいくつなメニュー。そんなかんじがそっくり。」

と同僚は言う。

このセリフには、日常の退屈さが表されている。同じようなことがくりかえされる単調な日々を私たちは生きていて、もっと刺激のある何かを求めるが、それがいったい何なのかわからないし、それを手に入れることもない。くりかえされる日々に物足りなさを感じつつも、妥協して、適当なところで折り合いをつけて私たちはそれを受け入れている。そんなことがこのセリフに表されているのだろう。私は、「こんな生き方をしているのが現実なのだ」と作者に見せつけられているような気持ちになった。

 

また、退屈な日常を生きつつも、私たちには、いつ、どんな目にあうかわからないという現実もある。

「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんなひどいことも どんなうつくしいことも」

というユミのセリフがある。

私たちは、当たり前のように日々を過ごしているが、本当はそこにはなんの根拠もない。今日は何事もなく一日を過ごしても、明日は交通事故にあったり、誰かに刺されたりして死ぬかもしれない。ハルヲが南の島に行く直前に車にひかれて死んだように、どんなことも私たちの身には起こりうる。納得できる理由などなしに、私たちはさまざまな出来事に巻き込まれる。そして、受け入れがたい出来事に巻き込まれたとき、私たちはその現実にやりきれなさを感じる。しかしそれは、私たちの手ではどうすることもできないのだ。

 

これは、自分がなぜ存在しているのかという疑問にもつながる。ユミが人ごみのなかで、

「どうしてあたしはここにいるの?とか どうしてここに立ってるの?とか 考えだしたら止まらない 何で?何で?何で? どうして?どうして?どうして?」

といってしゃがみこんでしまう場面があるのだが、私たちがなぜ生きているのかなど、誰にもわからない。答えのでない問題にぶつかり、それでも私たちは何かに追われながら生きていかなければならない。そしてふと、このときのユミのように、虚しさややりきれなさ、不安に押しつぶされそうになる瞬間がやってくる。そんな現実が、常に私たちの身にはりついているのだ。

 

このように、私たちを取りまくどうすることもできない現実を『pink』は私たちに見せつける。こんなことばかり考えていたら不安でいっぱいになるが、それは見せつけられたら認めざるをえない現実だ。

 

では、そんな現実をユミはどのように生きているのか。

ユミはピンクのバラが好きで、同時にワニも飼っている女の子だが、この二つに彼女の生き方が集約されているように思う。ピンクのバラは、きれいなもの、自分が幸せで、美しくあろうとすることを表す。ワニは、自分の中にある凶暴性を表し、また、自らに死を見据えさせる存在でもある。大ざっぱに言ってしまえば、バラは明るいものを表し、ワニは暗いものを表す。そして、彼女はどちらの感情も満たしながら日々を生きている。

 

バラの花束をもって歩くユミの姿は美しく、彼女はマニキュアの手入れなどもきちんとして常に身の回りをきれいなものでいっぱいにしている。ユミは都会で華やかな生活を送っている存在として描かれている。また、伊勢丹で靴や洋服、化粧品を買うために彼女は夜の仕事でも頑張ってお金を稼ぐ。

「お金でこんなキレイなもんが買えるんなら あたしはいくらでも働くんだ」

といってバラの花束を眺める場面からも、ユミは美しいものを求める気持ちにつき動かされて日々の生活を送っていることがわかる。

しかし、美しいものに囲まれるだけでは彼女は満足しない。彼女には、暴力的な気持ちを満たしてくれるワニという存在が必要なのだ。ユミにとってワニは、日常で感じる倦怠感やいらだちを無残にかみくだいてくれる存在だ。ワニは、強くて冷たくて、何でも食べてしまう小さな恐竜だ。義理の妹のケイコが、自分にかみついてきたプードルをワニに食べさせてしまう場面があるのだが、バキバキと食いつくワニの姿を見てユミとケイコはおもしろいね、おもしろいよと言うのである。ワニが無残にえさを食べている様子を見て、ユミは普段のうっぷんを晴らしている。何か嫌なことがあれば、彼女は「あんなやつ、うちのワニのエサにしてやる」と言って、ワニのエサにいやな奴を重ね合わせてストレスを発散する。

ワニは、ユミに「死」を意識させる存在である。プードルを殺し、気に入らない人間も殺してくれる。しかし、それは自分自身に死を見据えさせもする。つまらない日常を生きているが、自分も他者も、常に死というものから離れることはできず、いつ死ぬかわからない。そんなことを確認させ続けてくれるのが、ワニである。

暴力的な気持ちを満たしてくれ、また、自分に生きることの緊張感を与えてくれる存在のワニは、まさにユミにとってスリルとサスペンスである。このスリルとサスペンスがあることで、ユミはつまらない日常をなんとかやっていくことができる。そして、彼女は「ワニを守るためなら何でもするわ」と言う。

 

以上のことから、ユミは美しいものと、スリルとサスペンスを与えてくれるものに支えられて生きているということがわかる。そして、それらを得るために彼女は働き、日々を生きるのだ。彼女は、欲しいものは我慢できないと言っている。ワニが必要で、バラも欲しいという欲望を満たすためなら、売春することもいとわない。

 

彼女は、いつも淡々と生きている。売春という仕事もなんなくこなし、会社の同僚との中身のない会話もうまくやってのける。ハルヲが自分の部屋に女を連れ込んでいるのを見た時にユミは激怒したが、それでも彼女はすぐに怒っているのを忘れて、気づけば気持ちは切り替わっていた。これは継母に復讐しにいったときにもいえることで、ユミ自身も言っているが彼女は立ち直りが早いのだ。ワニがいなくなったときも、はじめはとても落ち込んでいたが、最終的には立ち直っている。彼女は、何が起こってもそのうち元気になっていつもの日常にもどるという強さを持っている。そんな彼女の生き方は、とても淡々としていて、何が起こっても他人事としか受け止めていないようにも見える。

 

 

6.     私が感じる『pink』の魅力とは

 

私は『pink』を読んで、ここに描かれている現実と、ユミの生き方に引きこまれた。いつでも不幸は起こりうるのだという現実に共感し、欲望のままに生きて何があってもすぐに立ち直るユミをかっこいいと思った。

しかし、私はこの作品に共感とあこがれだけを抱いているわけではないのだと思う。私は、この作品を読みながら何か違和感を覚える。たとえば、どんなときも淡々として生きる主人公はかっこいいが、本当にそんなことは可能なのだろうかと思うのだ。彼女はもしかして、人間の感情といったものを持っておらず、だからこんなにひょうひょうと生きることができるのではないだろうか。私は、彼女の強さに惹かれるが、その一方で、こんな人間にはなってはいけないといった気持ちも抱いているように思う。ユミという人間に近づきたい気持ちもあるが、近づいてしまったら人間味を失ってどんどん自分が負の方向に進んでしまうような気がするのだ。

ユミの生き方だけではなく、ここに描かれる日常についても私は違和感を抱く。『pink』に描かれる日常には、倦怠感や虚しさがまとわりついている。つまらない日常や、どんな不幸も身に降りかかりうるという救いようのない現実を、この作品は見せつける。それは、提示されたときに認めざるをえない現実だが、私はそれを認めてはいけないような気持ちになるのだ。認めてしまったら、私は倦怠感や虚しさを抱きながら生きているということが現実になってしまう。そんな現実に、私は希望を感じない。だから、そちら側に行ってはいけないという気持ちになる。

pink』は、私が今まで無意識のうちに気になっていたことや、見て見ぬふりをしてきたマイナスの感情をまっすぐに提示してくる。それを見て、私はぼんやりとしか見えていなかったものを明確に認識するようになり、その点においてはすっきりするのだが、一方で、あまり直視するべきでないものをみてしまった気持ちにもなる。

私は、この認めたくなるような、しかし、認めてしまってはいけないようなものが描かれているという点で、この作品に強く引き寄せられているのではないかと思う。この作品を読んで、私はすっきりした感情は抱かない。いつも何か気になるものが残るのだ。しかし、そんな不安定な感情を抱かせるのが、この作品の大きな魅力ではないだろうかと思う。

pink』は、私たちをとりまく現実と、そこに生きるユミの姿を提示する。私は、そこに共感や憧れを覚えるとともに、認めてはいけないという違和感も覚える。この微妙な感情のバランスによって、私はこの作品に強く引き寄せられているのだろう。

 

 

7.     まとめ

 

私は、ストーリーのない漫画といわれる『pink』に魅力を感じている。この作品のなかで描かれる日常と、主人公の生き方に引き寄せられている。私は、そこにストーリーらしいストーリーは必要ないのではないかと思う。主人公の日常を提示されるだけで、私は十分いろいろなものを感じるのだ。

また、答えはないというのが、この作品の結論でもあると思う。何かが起きては過ぎていくという日常を提示し、そこに解決もなにもないから、この作品の中でもなんの答えも出さずに現実を提示するだけで終わる。そこにリアルさがあるのではないだろうか。そして、そんなリアルさがあるから私はこの作品が気にかかり、無視できないのだと思う。

今回は、『pink』についての魅力を考察してきたが、私が『pink』に感じた魅力は岡崎京子のすべての作品に通じるものではない。他の作品には『pink』とはまた違った魅力を感じている。だから、今回の研究では、岡崎京子の魅力のすべてについてせまることはできなかった。作品の魅力についてせまるのは、難しいことだと思う。なぜ、引き寄せられるのか。なぜ、何度も読み返すのか。今回、その理由に本当にせまれたのか自信はないし、考察を通して私はさらに『pink』がわからなくなったともいえる。しかし、一つの作品についてこんなに時間をかけて考えるということはなかったので、今回の研究は貴重な経験だった。これからまた時間が経てば、『pink』に対する見方も変わってくるかもしれない。今回出た結論を踏まえながら、これからも『pink』と関わっていきたいと思う。

 

 

参考文献

 

岡崎京子 (1989)『pink』マガジンハウス

岡崎京子 (2003)『ヘルタースケルター』祥伝社

岡崎京子 (1994)『リバーズ・エッジ』宝島社

目黒卓郎 (2002)「岡崎京子作品論〜満たされる空虚」OKAZAKI Principle Alliance編 『岡崎京子研究読本 OKAZAKIism』太陽出版、284311

吉田久恭編 (2002)『文芸別冊 岡崎京子』河出書房新社