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現代文明学研究:第8号(2007):421-446
正統性をめぐる〈場〉としての流域
:現場から環境倫理を再考するために
福永真弓


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1.はじめに: なぜ今,環境問題において正統性(legitimacy)(1)を問うのか

 まず,端的に本稿の目的を述べたい.本稿は,現場から環境倫理学をたちあげるにあたって,正統性を(再)構築する過程と,その過程が展開される場として多声的な言説空間が必要であること,そしてその可能性について具体的な事例を用いながら述べようとするものである.

 では,なぜこのような議論をおこなうことが必要とされるのか,まずは問題の所在について以下に述べよう.

1.1.自然にまつわるある一つの価値とその相対化

 「自然は守るべき存在である」という言説自体が一つの価値を体現するようになって久しい.自然保護運動,自然の権利訴訟(2)をはじめ,さまざまな議論をつうじて,この価値は社会に定着したかのように思える.しかしながら,実際には,「価値(value)」が「主体の欲求を満たす,客体の性能」(3)(見田 1994)である以上,たとえ普遍妥当性をその価値に見出そうとしても,価値を認識し判断する価値主体は複数であり,それゆえに,この価値は複数性をもちうる.

 また価値客体である「自然」もまた,その認識や理解において複数性をもちうる.「自然」と一口に言っても,長い時間の間で,文字通りイキモノ(一つの生物種は言うに及ばず,生態系としてまとまったものも,撹乱と遷移を繰り返す動的な存在であるからして)を相手に人が四苦八苦しながら捉えてきた「自然なるもの」のありかたは,集団が異なればそれ自体も異なるものであるだろう(4).確かに客体として存在する自然は,しかしその一方で,人間の活動との相互作用の中で認識され,概念化されてきた文化的・社会的な存在なのである.

 すなわち,「自然は守るべき存在である」という言説が体現する価値は,実のところ,これらの複数性がそれぞれ相関し絡み合ったある一側面が,ある角度から照らし出されたようなものである.ゆえに,この言説が持ち出される場においては,常に複数の意味を持つ「自然は守るべき存在である」という価値が重層的に存在することになる.

 主に米国で展開してきた環境倫理学は,この価値の普遍妥当性を追及してきた.その議論において,自然の価値の普遍妥当性の有力な根拠とされるのが,自然の内在的価値(intrinsic value)という概念である.

 自然が内在的価値を持つ,とは,たとえ人間の利益に関わらなくとも,自然はその本質上,尊厳ある存在であり,それ自体が価値を持つ存在である,ということである.この概念に基づいて,「自然を守らねばならない」という価値は普遍妥当性を与えられる.そして欧米の自然保護運動や,世界全域に広がった国立公園や自然保護区の設定など,稀少な生物や生態系,自然景観を守ろうとする際の根拠として用いられてきた.

 自然に内在的価値を与える,とは,いわば,人間の活動の目的と内容,文脈をカッコに入れて(それが大規模な産業化した農業生産であれ,巨大ダム建設であれ,里山であれ),人間の活動をいったん自然から切り離して具体的な自然像から自然一般へと抽象化し,長らく西欧のキリスト教的な価値観の下で神の被造物として人間の下に位置付けられてきた自然の存在の階位を,人間と同等にひきあげる,存在に尊厳を与えるということである.

 この議論は開発から自然を守ろうとする根拠として,有効に働いてきた.なぜならば,存在の尊厳という,人間の活動の社会的・文化的文脈よりも高次にある概念を持ち出すことで,国家や社会に妥当であると承認されている人間の活動にも異議申し立てができるからである.たとえば大規模なダムの開発が,農業用水と大都市用の飲料用水の確保という目的で予定されているとする.その目的と事業内容は,当該する国家の法的・行政的手続きをへることによって,社会的に承認されたとみなされる状態にある.しかし,自然の内在的価値を理由にすれば,この事業は自然の尊厳を犯すので不当である,と異議申し立てをすることが出来る.つまり,ある社会において,なぜ大規模なダムの開発が妥当であると認められたのかを問い直すことができ,また,自然の尊厳を根拠にダム開発を止めるよう訴えることもできる(5).また,ある生態系を自然保護区や国立公園,世界遺産(特に自然遺産)という形で囲い込み,保護する根拠ともなる.

 ゆえに,自然の内在的価値という思想は,19世紀末から欧米で展開された自然保護運動の理念形成を支えながら,有力な環境保護言説として,国際的な自然保護の枠組みや制度に影響を与え,さらに1970年代に環境倫理学において哲学倫理の骨組みを与えられつつ,精緻化されてきたのである.

 しかしながら,1980年代に入ると,この欧米発信の有力な環境保護言説にはさまざまな方面から異議申し立てがなされてきた.

 その異議申し立ては端的に言えば,欧米発信の環境保護言説が掲げる普遍性は,実際には普遍性ではなく,政治力や経済力を背景にした欧米の(すなわち,先進国の)中心性を表しているだけではないのか,という現場からの(それは往々にして発展途上国である場合が多いが)指摘であり,このような中心性を乗り越え,各地域の現状に合った自然資源管理と保全の枠組みを求めるものであった.

 1972年の国連人間環境会議の前後から,アジアやアフリカの各国政府は環境問題の国際問題化によって経済発展や開発を制限されることを警戒すると共に,貧困や,飢餓,住居や公衆衛生などの生存に関わる基本的な生活条件を整えることを環境問題への対策よりも優先すべきだと訴えてきた(McCormick 1995=1998).また1980年代には,米国においても,従来の自然保護運動や環境運動を批判しながら,まず社会経済状況により環境リスクが偏在することを是正すべきだ,という環境正義(Environmental Justice)運動が急速に広がった(Shrader-Freshette 2002; Agyeman 2005).

 これらの異議申し立ては,前述した有力な環境保護言説においてはカッコにくくられ,一枚岩のように扱われていた「人間」,すなわち諸主体が,実際には多様な社会・文化・経済状況の中にあり,基本的人権の擁護や諸権利を行使する機会の保障の状況もさまざまであることを明らかにした(6).そのうえで,これらの異議申し立ては,これまでの環境保護言説の話者,つまり「自然を,環境を守りたい」と述べて,そのための方法を決定してきたのは,生活に不自由しない欧米のある一部分の人間ではなかったのか,そもそも問題の重要性や,ひょっとしたら何を問題とみなすのか,さえも共有されていないのではないか,という疑問をつきつけたのである.

 さらに,佐藤仁が指摘するように,実際に環境問題の現場にいる,ばらつきのある状況におかれた諸主体が,自然資源のアクセス権や,環境リスクの配分をめぐる政策決定過程や意思決定過程に参加できることが保障されているとは限らない(佐藤 2002).むしろ,国際機関や国家による政策として,上からやってくる有力な環境保護言説は,当該地域の住民たちが昔から利用してきた自然資源へのアクセスを一方的に制限することもある.たとえば岩井雪乃は,アフリカのセレンゲティを事例に,前述した環境保護言説を基にした自然保護政策が,自然資源を住民が歴史的に利用してきた地域において,住民の資源アクセス権を一方的に制限していることの問題性を指摘している(岩井 2002).上から降ってくる環境保護言説は,対象となる地域でくらしている人々の生活や生存を,いっそう困難にすることがあるのだ.

 しかし私たちがこのような異議申し立てを受け止めれば,当然次のような問いがただちに立ち現れる.すなわちそれは,いったい誰が中心になってどのように問題を考えていけばよいのだろうかという問いである.

1.2.地域住民や生活者によりそう視点と,知や表象を「切り開くこと」

 上述した疑問にたいしては,1980年代から既に一つの答えが提示されてきた.それは,歴史的に行われてきた先住民や地域住民による資源管理システム研究の蓄積をもとに,住民による自然管理を行う住民参加型保全政策が提唱されるようになったことにあらわれている(Western and Wright 1994;井上,宮内編 2001).日本においても,住民による重層的な自然資源利用や,自然の持続性を可能にする地域の資源管理システムに関する研究が,コモンズ論などによって明らかにされてきた(秋道他編 1999;宮内 1998;嘉田 1995).また,米国の環境倫理学においては,主に自然の内在的価値をめぐる議論が主流となっていたが,道徳的多元主義を前提に,実践的な問題から倫理を立ち上げていこうとする環境プラグマティズム(Environmental Pragmatism)(7)が現われ(Light and Katz 1996),前述した傾向を批判しつつ新たな議論を展開し始めた.

 これらの研究は,地域の住民や先住民など,問題の「現場」にかかわりのある複数の主体や集団を,上述した問いの中心にすえて,彼ら彼女らのまなざしに寄りそって問題を考えようとするものである.特に,コモンズ論や日本の里山などを対象にした研究は,それぞれの地域の歴史的な自然と人間のかかわりを描き,その多元的な在りようを示してきた.すなわち,私たちの前に客体として存在する「自然」は,同時に人間社会においては可塑性のある文化的・社会的存在なのだということを示してきたのである.これらの研究は同時に,欧米の有力な環境言説においては,「人間」のみならず「自然」もまた,単純化された一元的なイメージで捉えられてきたことも批判的に指摘してきた.そしてこれらの研究は,守られるべき,維持されるべきとされる「自然」のイメージもまた,主体や集団によって異なるものであると示唆してきたのである.

 いいかえれば,このような研究は専制的な知や言説に対して、ローカルナレッジ(Geertz 1983)や人々の生活実践を対置して、前者を相対化してきたのである.ここで相対化される知や言説は,近代主義や市場,国家,科学技術主義などであり,現在の環境危機の根本的な原因であるとみなされるものである.

 そのうえで,これらの研究は,地域の住民や生活者たちを中心にして,ローカルナレッジや,歴史的に維持されてきた自然資源管理システム,それを支えてきた組織(たとえばムラやイエ)の仕組みを再生,保全することを提案してきた.そして,これまでの「伝統的な」地域社会のあり方や,具体的な自然資源管理システム,コモンズの仕組みなどを,これからの一つの理想的な持続可能な社会をうつす鏡,あるいはモデルとして提示してきた.

 自然資源を歴史的に利用してきた生活者や住民,実際にその資源の近くで暮らしている人々の頭上をとびこえてなされる自然保護政策や開発の問題性,彼ら彼女らが自然資源のアクセスに関する意思・政策決定過程に参加できないことの問題性は,前述したように,佐藤をはじめとするポリティカルエコロジーの論者が指摘してきたとおりである.そして当事者を問題の解決の主体にするならば,ローカルナレッジなど,人々の生活実践の中で蓄積された知について,実証的に研究を積み重ねていくことは必要である.

 しかし当然のことながら,生活者や地域住民を自明の主体として捉えようとするならば,彼ら彼女ら自身や,その知や表象も,それらを歴史的・社会的に切り開くまなざしにさらされることを念頭に置くべきであるだろう.

 生活者や地域住民であることは,彼ら彼女らが,権力関係や表象,特に集合的表象の恣意性から自由であることを意味しない.むしろ,集団内外の権力関係のなかで,集合的表象は戦略的に構築され,他主体や集団への抵抗や,アイデンティティの源泉とされる.過去から現在まで,かわらずに引き継がれてきたようにみえる「伝統」も,内外の権力関係を背景に,そのときその場の主体によって,解釈し直され,ときには強化され,またときには放棄され,新しく構築されてきたものの集積体なのである.

 もしもこの動的な側面を見誤り,解釈と再構築の過程から静的なモデルを描き出して固定化してしまえば,これまでの有力な環境保護言説とかわらないところに着地しかねないことを指摘しておきたい.

 地域の住民や生活者たち,コモンズや組織のあり方を抽出するのはいったい誰なのだろうか.彼ら彼女らは,どのような資格があってそのような表象をするのだろうか.「伝統的」とみている,主張しているのは誰なのだろうか,そしてそれはどのタイミングで「みた」ものを「みえたもの」として他者に提示しているのだろうか.

 社会や文化を,どんな形であれ,知的営為の対象にしようとすれば,誰かの手によって,誰かのまなざしによって表象されることが必要であり,それを認識し,体系化する知の持ち主,特定の主体によりかかざるをえない.それはつまり,あらゆるものを見通す絶対神でもない限り,表象という作業にはいつでも,意図的であってもそうではなくとも,とりこぼしや捨象,強調や無視という行為が伴うということだ.そしてその結果,自然の内在的価値の議論がそうであったように,外部から社会へ向かう圧力として,また時には,その社会内部での抑圧・権力関係をいっそう強化してしまうものとして,働いてしまうことが当然考えられる.

 たとえばこのような表象が,マイノリティに対して,多数派主流社会の側から行われた場合,細川弘明が指摘するように,先住民を「美しき」「弱き」「異なる」ものと捉えながら,結局のところ支配と服従の構図に再びマイノリティの存在を回収していくこともある(細川 2005).

 もちろん,彼ら彼女らのおかれた状況やその知の体系や社会について描こうとする研究者も,住民や生活者からのまなざしを常に意識する以上,意図的に書かないことを選択したり,一部分を捨象したりすることは当然のことながらありうる.これらは,文化人類学や社会学が長らく議論してきた,研究者と被調査者をめぐる表象と権力の問題である.

 では,表象が他ならぬ当事者たち本人によってなされればそれでよいのかといえば、そうではない.このような表象が住民や生活者自身(あるいはマイノリティ自身)によって行われたとする.しかし,彼ら彼女らの表象は,そのときにその社会の多数者に妥当であると認められたものを映していても,そうでないものは映されていない可能性がある.また,積極的に表象されるものの背後に存在する権力関係が,その表象によって強化され,社会における少数者,あるいは弱者の立場をより生きにくいものにする可能性もあるだろう.

 もしも,地域住民や生活者を,問いの答えとして中心的主体にすえるのならば,権力や知を,歴史的・社会的にいったん切り開くその作業は,返したナイフの刃先が,それを持って対象を切り開いた主体にいつも戻ってくることを考えねばならない.つまり地域住民や生活者たち自身もまた,このナイフを向けられる対象になる.そのことを忘れてしまえば,自然の内在的価値という環境保護言説のふるまいとおなじ道をたどってしまうことになる.

1.3.なぜ,環境問題において正統性(Legitimacy)が問題になるのか

 そんなことはわかっている,と問題の現場にいる当事者たちはいうかもしれない.出来事,概念,事象,主体,その文脈を歴史的・社会的に分析して提示する必要性,そんなことはとうにわかっている,と(8).

 自然をめぐる諸問題において,現場という〈場〉で交わされる問いは,「誰が」「どのような」自然を,「何を根拠に/なぜ」,「どうやって」守ろうとしているのか,という問いである.

 本稿ではこの問いを,自然にかかわる主体の当事者性の「正統性」を問うものと捉えたい.そのうえで本稿は,「正統性」が問われ,あるいは(再)構築される〈場〉を,他者の声に耳を傾け,自省的に主体がふるまえるべき〈場〉,すなわち多声性の保障された言説空間とみなす.そして,次章で具体的な事例を用いながら,その必要性と可能性を述べるものである.

 〈場〉が多声的であるべき理由についてはこれまでに議論してきた.では,もう一つの前提――自然をめぐる諸問題において発せられる「誰が」「どのような」自然を,「何を根拠に/なぜ」,「どうやって」守ろうとしているのか,という問いを,自然にかかわる主体の当事者性の「正統性」を問うものとみなすこと――は,なぜ成り立ちうるのだろうか.

 答えを導きやすくするために,問い自体にもう少し具体性をもたせてみよう.

 たとえば,自然資源管理の中心的主体は誰がふさわしいのか.それはどうしてふさわしい,あるいは妥当であると認められるのか.ある生態系がなくしてはならない貴重なものだという,その根拠は何か.そもそもそれはどうして根拠になるのか.環境保全の中で,かつての美しい自然を取り戻そう,というときの,かつての美しい自然,とはいったい誰のどのような記憶なのか.その記憶は誰に,どうやってふさわしいと決定されたのか.

 これらの問いは,自然保護や開発の根拠づけ,自然資源の利用の妥当性とその所有権など,自然をめぐる諸問題において露わになるものだ.実は,このような問いは,環境社会学など諸分野の先行研究において,すでに主に自然にかかわる主体の当事者性の「正統性」を問うものとして位置づけられている.以下,その先行研究を並べてみよう.

 「正統性」概念そのものについては,2004年の日本環境社会学会のセミナーシンポジウム(9),2005年の学会誌での特集のテーマになり,また近年では,フィールドワークの現場でコモンズの変容に直面しながら,環境問題に取り組もうとしているコモンズ論者らがあいついでとりあげはじめた.その論点は主に,地域の自然資源管理のガバナンスをめぐるものであり,どの論者も,ある自然資源と歴史的に,あるいは地理的に,日常的に接している人々を自然資源管理の重要な主体として位置づけること,あるいはそのための理論的裏づけを見出すことを意図している.

 正統性の定義について,シンポジウムのパネリストの一人であった池田寛二は,後に,「正統化とは,正当化をめぐる対立が権力関係によって統御され,一定の正しいとされる言説が社会の中で支配的な言説として承認される過程」(池田 2005: 4)と定義している(10).ここで注目したいのは,池田が正統性ではなく「正統化」としていること,すなわち変動する過程とそのダイナミズムの重層的な相互連関を示唆している意味である.

 この池田の用語法に呼応するかのように,民俗学者の菅豊は,新潟県のサケガワというコモンズの事例から,コモンズが,現実的な資源利用を目的として,他集団や権力とのせめぎあいの中で形成され,明確な掟と掟破りへの制裁,参加者の限定を行いながら維持されてきたものであることを説明している.菅は,コモンズの外側からやってくるさまざまな権威や権力,または内部の人間による過剰利用や掟破りを防ぐために,これら内外のコモンズを争うとする力,言説の相克の中で,むしろそれらを逆に利用しながら――つまり,コモンズのソトにはコモンズをその集落が管理する根拠を,内部にむけてはその構成員が掟に従う根拠(または,自発的服従の契機)を主張できるように,翻訳し直して利用しながら――コモンズを管理する正統性が確保され,コモンズが維持されてきた様子を描いている(11)(菅 2005).

 また,長くインドネシアの森林でフィールドワークを行っている井上真は,地域住民や生活者,当該地域外の主体のなかで,誰が地域の自然資源管理にかんする意志決定や政治決定を行っていくべきかという実践的な問題を扱っている.その中で井上は,この問題の正統性の根拠を,対象となる自然資源と,どのように多様で濃いかかわりをもつかに求めて,中心的な主体を決めることを提案している(井上 2004).

 しかしながら,もっとも明確に正統性概念を,地域資源管理のガバナンス主体としての正統性を問うものとして定義しているのは,環境社会学者の宮内泰介である.宮内は,「環境に対するかかわりや権利が,最初から所与のものとしてあるのではなく」,むしろ時代や地域によってダイナミックに変遷していくものであることをふまえ,そのダイナミズム自身に着目している.そのうえで,正統性概念を以下のように定義している.

……レジティマシー(legitimacy,正統性/正当性)とは,ある環境について,誰がどんな価値のもとに,あるいはどんなしくみのもとに,かかわり,管理していくか,ということについて社会的認知・承認がなされた状態(あるいは認知・承認の様態)を指している(宮内 2006).

 この宮内の定義をみれば,本稿において,自然をめぐる諸問題において発せられる「誰が」「どのような」自然を,「何を根拠に/なぜ」,「どうやって」守ろうとしているのか,という問いを,自然にかかわる主体の当事者性の「正統性」を問うものと捉えることはしごく妥当であるといえるだろう.

 さて,ここで本稿での正統性概念をあらためて定義するために,一つ指摘をしておこう.宮内の正統性概念は社会的認知・承認という側面を前面に押し出している.しかしこの側面だけに着目するのは十分ではない.正統性は,それを是とした人々にとって自発的服従の契機となるものであることを忘れてはならないだろう.社会学においても政治学においても,正統性概念の議論に決定的な影響を与えてきたのはウェーバーであることはいうまでもない.ウェーバーの正統性概念は,人々に命令と服従を求める権力を支える被支配者・服従者の側に焦点をおいた概念である(ウェーバー 1921-22=1960; 1921-22=1970).

 これに対して,宮内の正統性概念の議論は,自然資源管理のガバナンスのダイナミズムに着目しているその文脈から読み取る限り,ウェーバーの正統性概念とは異なる側面を持つ.明示されてはいないが,宮内の概念は,支配者と被支配者,服従者の間にあるコミュニケイション的な性格をより明確にうちだしたものである.それは,自然資源管理のガバナンスをめぐるダイナミズムに着目するがゆえの正統性概念であるだろう.

 本稿においても,宮内と同様に正統性概念をコミュニケイション的な性格をもつものとして捉える.すでに述べたように,本稿では,他者の声に耳を傾け,主体が自省的に行為を行いうるような多声的な言説空間の必要を述べてきた.そのような言説空間でなされる,「誰が」「どのような」自然を,「何を根拠に/なぜ」,「どうやって」守ろうとしているのか,という問いの応答を論点とするならば,本稿においても正統性概念はコミュニケイション的な性格を強く持つものとして捉えられるのは当然であるだろう.

 この点を踏まえたうえで,本稿ではさらにもう一歩踏み込みたい.

 ある自然環境を誰がどのように管理していくか,ある要件を根拠として,社会的に管理主体やその方法などが認知・承認される,という側面は非常に重要である.しかし,正統性の定義をせばめ,単なる当事者間の合意形成とそれを可能にした要件の取り出しに回収してしまうことは,その概念がもつ重要な含みを逃してしまうことになる.

 どんな形であれ,資源を管理するならば,規則や慣習,あるいは社会的通念や規範を通じて,集団の行為や言説,あるいは認識と理解の枠組みにも影響を与え,それらをしばるものが必要であり,実際にそれらは既に存在する.すなわち,権力がそこにはある(12).

 地域自然資源管理の現場では,地域集団をまとめる権力,国民国家の権力など,多様な権力が重層的に存在するだろう.地域自然資源管理の正統化のダイナミズムを捉える,とは,つまるところ,ある集団において地域自然管理にかかわる権力が生成(あるいは承認)され,ある機能をはたしながらも時に異議申し立てをうけて,また生成(あるいは承認)されなおすという,ある集団の権力のダイナミズムを捉えることでもある.

 権力の生成と相互作用のダイナミズムを,「正統性」の観点からとらえる最大の利点は,権力の生成やその行使への同意や承認の中身について,あるいはその質について問題にできることである.たとえば,森林の利用について国家による法的規制があったとする.その法的規制は社会的には国家の法的・行政的手続きをへてなされている.これらの法的・行政的手続きをへたことで,手続き的には,森林の利用について国家の成員からの「同意」を得ていることになる.しかしながら,その規制が決められたときのその「同意」はいかにして得られたものなのだろうか.すなわち,それを可能にする法は,なにを正当な理由として正統性があるとみなされたのだろうか.このように,地域の自然資源管理にまつわる権力の生成やその行使への同意や承認の中身,性質を問うことによって,実際に現場において繰り広げられている相互の権力のダイナミズムの中から,それぞれの人々の〈生〉とそのあり方を尊重できるような自然資源管理を生み出していくことが可能になる.

 人々の〈生〉とそのあり方の尊重が可能になるのは,正統性を問題にし,それを支える要件あるいは根拠を問い直すことによって,たとえばこれまで権力のダイナミズムの中で,行政や国家の網の目から零れ落ちてきた人々を「見出し」,議論の土俵に乗せることも可能になると考えられるからである.すなわち,権力の生成や行使への同意や承認の中身や質を問いただすことによって,前項までにのべてきたような,既存の社会の権力構造や支配的言説に関して,社会的・歴史的にそれらを切り開く批判的なまなざしを向けることができる.どの権力が優位で誰が被支配者か,という権力構造を捉えるのみならず,現状で優位な権力が「なぜ」優位であるのか,その優位である理由,人々が同意しているその中身とはいかなるものであるのか,を問題にすることによって,被支配者側からの異議申し立てや,不正義の追求,あるいは彼ら彼女らの権利を擁護するための新たな切り口を設定することができる.たとえば自然資源管理において正統性に着目すれば,自らの中心性を普遍性に置き換えるような,支配的な環境言説を切り崩し,見えなくなっていた被支配的な環境言説――たとえばあるローカル・ノレッジ――をあらわにし,それらを携える人々の存在に光をあてることができる.それは,これまで確認してきたとおり,今現在環境問題の現場において求められていることである.

 正統性を議論の核にする利点はそれだけではない.そのような人々を含めた現場の人々に対して,「誰の,どのような」自然を「どのようなものと」考えるのはまさに自分たちなのだ,という当事者性意識をもたらすことで,その自然資源管理に関する責任と覚悟をもつ主体を育て,いっそう適当な自然資源管理を生み出していく可能性も生まれるだろう.すなわち,自然資源管理において政治的意思決定過程から見えなくなっていた人々をその土台に引き上げ,彼ら彼女らも含めて,新たに自然資源管理を行うための(集団をまとめ,管理し,集団としての共同行為を行うという意味での)権力の生成・あるいは再編成を,新たに生み出す土台になる.正統化の過程は,だからこそコミュニケイション的な過程なのであり,それは単なる権威(13)が生成される過程とは異なる.

 そしてこのような当事者意識を表象し,実際にそれらを生み出す道具立てにもなるのが,正統性の根拠であり要件なのである.それはある法かもしれないし,民族のもつ歴史性や文化の真正性であるかもしれない.またはある集団の抱える記憶や,あるいは宗教性かもしれず,日常的に繰り返される習慣かもしれない.

 いずれにせよ正統性とは,(被支配者・服従者からみて)自発的服従の契機であり,または(支配者あるいは管理者からみて)秩序と統制を可能にする根拠であり,両者が相互を規定しあうコミュニケイション的性格をもつ概念である.それは,現状の認識と分析のための概念ともなりうるし,また不正義に抗し,新たに人々をまとめ,集団としての力を発揮させたり,新たな政策や社会規範を生むためのきっかけとなったりするような実践的な概念にもなりうる.そしてさらには,他者に対して自らの存在とあり方を社会に認めさせる,すなわち社会的承認を獲得し,他者や他の権力に対してその優位性があると主張する論拠となるものである.

 さて,これまで本稿であつかう正統性概念について議論を広げてきた.ここで冒頭の問いに戻ろう.環境問題の現場に関わるあらゆる主体に,「誰が」「どのような」自然を「何を根拠に/なぜ」「どうやって」守ろうとしているのか,と相互に問いかけ,応答しあえる〈場〉をどうやって設けるか,さらに,その問いに答えを見出していくのか.

 これまでの議論を踏まえれば,本稿の冒頭でたてたこの問いは,以下のように言い直すことができるだろう.

 すなわち,環境問題の現場に関わるあらゆる主体が,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,正統性を互いに問い合える〈場〉をどうやって設けるのか,という問いに.あるいは,正統化のダイナミズムがまっとうに動き続けているためには,どのような〈場〉の条件が必要なのか,という問いに.

2.正統性の構築される〈場〉としての流域

 環境問題の現場に関わるあらゆる主体が,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,実践の正統性を互いに問い合える〈場〉の必要性.それは本当に現場で求められているものなのか,単に言葉を捏ねくりまわしているだけなのではないか,といわれるかもしれない.

 では,これまでに述べてきた問題意識を,筆者自身が考えざるをえなくなった二つの事例(14)を紹介しながら,改めて事例を通してこの問題提起について考えてみたい. 

2.1.〈生(Life)〉を取り戻す――正統性の再構築の〈場〉としての流域

 2.1.1 正統性を再びつむぐための舞台

 米国カリフォルニア州とオレゴン州の境をまたぐような形で,クラマス川(Klamath River)という川がある.全長400キロのこの川は,かつては鮭や鱒類の多く遡上する川であった.

 この流域にはかつて,豊富な自然資源を背景に,多くのネイティブ・アメリカンの部族がすんでいた.クラマス川の河口から上流に向かって,およそ40キロほど川岸に沿ってユロック(Yurok)部族居留地,19.2×19.2キロ平方メートルの正方形のフーパ(Hoopa)(15)居留地がある.この居留地に住むユロック部族とフーパ部族は,クラマス川とその支流であるトリニティ川流域の自然資源に歴史的・文化的・そして経済的なかかわりをもってきた.

 この流域の開発は,1882年から,農業灌漑用水確保のためのダム建設がはじまりである.その後1905年から,内務省土地改良局(the Reclamation Services)によるクラマスプロジェクトと呼ばれる一連の灌漑事業ののちに,7つのダム建設が行われた.特に1963年に,セントラルバレープロジェクト(16)の一部だったダムが完成すると,本来ならば下流域へ流れ込むはずの水が大量にセントラルバレーに送られるようになった.それにより,川の水位の減少と水温の上昇は,鮭・鱒類の遡上数に大きな影響を与えてきた.1990年代の中頃から,鮭・鱒類の稚魚や成魚の大量死があいついでいたが,2002年には,およそ33000匹を超える鮭の成魚が死亡している.ユロック,フーパのみならず,少し上流に住むカルーク(Karuk)部族にとっても,鮭・鱒類の減少は重要な問題であった.ゆえに,河口まで到達する水量を取り戻すこと,あるいはダムそのものの撤去を求めて,これらの部族は何度も社会運動をおこし,あるいは連邦政府や州政府,関連する業者を相手に訴訟を繰り返してきた.

 そのような中で,クラマス・トリニティ川流域の環境保護については,セントラルバレープロジェクトによる流域の荒廃をきっかけに,主に鮭・鱒類の保全と資源再生を目的として,1984年にトリニティ川再生プログラム(Trinity River Fish and Wildlife Management Program 通称The Trinity River Restoration Program, TRRP),1986年にはクラマス川の鮭・鱒類の保全と資源再生を主な目的とするPublic Law 99-552,通称クラマス法(the Klamath Act)が制定され,連邦,州,部族政府が相互に連携しながらさまざまなプログラムを行ってきた.

 フーパ,ユロック,カルークの三部族もまた,鮭・鱒類などの漁業資源の保全再生を各部族政府の重要なプロジェクトと位置づけて積極的に行っている.鮭・鱒類の孵化事業,流域に生息する野生動物,野生生物,魚類のモニタリング,水質や水量のモニタリングにとどまらず,たとえば,トリニティダム(17)の水利権を取り戻すための交渉や,全体のダムの水量を増やすための交渉などを積極的に行っている.それぞれのプロジェクトと部族の歴史文化との関連性は,自然資源の保全再生というテーマを考えるときに非常に魅力的なのだが,ここでは少し視点をずらして次の問いを考えたい.

 ネイティブアメリカンのこれら三部族にとって,流域の再生保全はなぜ重要なのだろうか.彼らがこの内容に熱心にたずさわるのはなぜだろうか.

 そこでまず,着目したいのは次のような言葉が表すものの意味である.

 「わたしにとってクラマス川はすべてなのだ.クラマス川はわたしの故郷(home)であり,教会であり,庭であり,道であり,カウンセラーであり,友であり,兄弟であり,生活を支えてくれるもの(provider)なのだ.たとえそれがどんなにひどく汚れていても,この地球上でその美しさと力強さにまさるものはない」(McCovey 2002).

 ユロック部族の若者の言葉には,自然と人間の関係性が文化的・経済的・社会的な側面で,主体や社会にとって強い意味をもっていることを教えてくれる.しかし,このような自然と人間の関係性の距離の近さや濃さ――すなわち,漁や遊びなど,物理的に自然と直接にたずさわる距離とその頻度の高さ,祭事や思い出を豊富に残している,という心理的な距離の近さとその結びつきの強さ,そして部族の人々の関係性という社会的な距離の近さとその濃さ(18)――は,ネイティブアメリカンであるから当たり前のものだと,すなわち,ネイティブアメリカンには所与のものとして備わっている距離の近さであるとみなすべきではない.それはこれまでに述べてきた「美しき」「弱気」「異なる」もの,の議論を繰り返すことになる.

 前にも触れたように,菅豊は,新潟県のサケガワ(コモンズ)の存続が,外側からの圧力があったがゆえに可能であったことを描き出していた(菅 2005).

 同様に,ネイティブアメリカンにとって,この距離の近さを維持すべき対外的な理由がある.

  2.1.2.ネイティブアメリカンにとっての正統性

 フーパ,ユロック,カルークの三部族はそれぞれ,部族政府をもち主権(sovereignty)有する.アメリカ合衆国の先住民法制では,ネイティブアメリカンは準主権国家として認められ,連邦法の枠内で立法,司法,行政法を行使しうる(19).このようなネイティブアメリカンに認められている権利は,集団別権利(group-differentiated rights)と呼ばれているものである(20).

 この権利をめぐって,正統性はネイティブアメリカンにとって非常に重要な概念である. 

 フェミニズムの立場からシティズンシップ論を展開している岡野八代は,以下のように指摘している.1968年のインディアン権利宣言では,

法的,政治的個人主義をかれらの共同体内部へと拡張することが意図されていた.しかし,かれらにとって,共同体の権威よりも個人の権利を優先することは,共同体そのものの存続を危機にさらすことを意味していた.(岡野2004: 164). 

 続けて岡野は,Svennsonを引用して,共同体の構成員は共同体志向の強い役割に参加しながら,共同体とその伝統と価値を尊重することが求められている,とも指摘する.なぜなら,ネイティブアメリカンら共同体のメンバーシップは,参加すること以外にはなにものも意味をしていない.ゆえに,参加から引き下がるということは,共同体から退くことになるからだ(Svensson 1979:431)と指摘する.

 さらに続けて,このようなネイティブアメリカンの存在意義が奪われたならば,

そもそもインディアン権利宣言として,彼女たち/かれらのマイノリティとしての権利が主張される意味もなくなってしまう.なぜなら,彼女たち/かれらの多くが主張したのは,1896年最高裁判決(Talton v.Mayes)以来認められていたような,合衆国内で国家から干渉を受けない自律的存在として共同体が承認されること,共同体が個人に優先して―たとえば,土地利用に関して―権利の保有者として認められることであった(岡野 2004: 165).

と述べている.

 すなわち,ネイティブアメリカンにとって,共同体の権威を維持しながら共同体自身を維持すること,それがネイティブアメリカンの集団別権利の正統性を獲得させることになる.すなわち,逆にいえば,ネイティブアメリカンたちは,その集団別権利の正統性を対外的に訴えるために,共同体の権威を維持する必要があるのである.

 このような視点で,再度,クラマス・トリニティ川流域の再生保全が,三部族にとってどのような意味をもっているのかを考えてみよう.

 クラマス川とトリニティ川という流域は,彼ら彼女らにとって何を意味しているのだろうか.その答えは,前述した,「わたしにとってクラマス川はすべてなのだ」というユロック部族の若者の言葉の意味そのものでもある.彼にとってクラマス川は,文化(祭事,食,信仰)の源であり,経済的基盤であり(漁業や林業,観光業),社会的なるもの(人と人との関係性,人と自然との関係性)の源でもある.

 世界の再生を意味するdeer skin danceを川をのぞむ丘で踊り,七月からいれかわりたちかわり川をのぼってくる鮭・鱒類や,うなぎをとり,それらを皆で贈りあって食べ,川で遊ぶ.流域の森林やカヌー下りなどの観光業で生計を立てる.このような日常生活の実践の中で,漁や遊びなど,物理的に自然と直接にたずさわる距離とその頻度の高さ,祭事や思い出という心理的な距離の近さとその結びつきの強さ,そして部族の人々の関係性という社会的な距離の近さとその濃さを積極的に維持しようとする試みが,部族政府を中心に行われている.

 三部族の場合,流域という具体性のある自然,しかも文化や経済,社会の基盤となりうる自然が,このような営みを中心で支えている.それは同時に部族の連帯性とそれを可能にする部族の権威を表象する存在でもある.

 ゆえに,彼ら彼女らにとって,流域の再生保全をおこなう,ということは,そのような存在を再生しようとすることとかわらない.

 流域で具体的な自然とのかかわりをもって行われる日常的な実践は,構成員を政治社会化し,自発的服従の契機を強化する.つまりそれは,共同体の内側にむけた秩序と統制の強化を意味する.共同体の権威を保つことは,共同体の外側である多数派主流社会に向かっては,クラマス・トリニティ川の部族にとっての重要性,共同体への重要性を前面に打ち出しながら,自分たちの共同体の文化的な独自性を主張し,集団別権利を多数派主流社会に認めさせる正統性の根拠になっている.そしてさらに,後者の外側に向けての正統性の必要性が,前者の内側に向けた正統性の確保を促す.入れ子のような構造である. 

 しかしここまで述べれば,一つの疑問がうかぶだろう.本稿の問題意識は,正統性の獲得過程,他者からの問いかけ(異議申し立て)とその応答に着目するのではなかったのか,と.さもなければ,共同体内で個人の自由がいちじるしく退けられてしまうことがあるのではないか,と.これまであえて,岡野の議論にのっとりながら,共同体の,あるいは部族の「権威」という言い方をしてきた.しかしながら本稿の趣旨で言えば,共同体としてのまとまりは,従う成員の自発性を重視する正統性によって裏づけされるべきものであり,たとえば土地所有にかんする,個人に対する共同体の優位性もまた,その同意と承認が部族内で吟味されるべきものである.

 集団の秩序と統制の根拠となる正統性と,その正統化のダイナミズム自体への着目する必要性は,集団別権利の他の論者からも違う形で指摘されている.

 もともと,共同体の集団内部における個人の自由の抑圧の可能性を背景に,集団別権利を否定的にとらえるリベラリストからも,また集団の内部,たとえば性的差別が正当化されてしまうことを恐れる女性からも,個人に対する共同体の優位性を盲目的に認めることには疑問が付されている.

 カナダの政治学者で,集団別権利の擁護者であるキムリッカ(21)は,個人の自由対集団の自由,という対立にもちこむのではなく,まず集団別権利をもつ集団がなしうる次の二つの権利要求を指摘し,その二つを明確に区別すべきだと主張する.つまり,「集団の内部の異論(たとえば伝統的慣習や習慣に従わないという個々の成員の決断)」のもたらす不安定化から集団を守る「対内的制約(internal restrictions)」と,集団を「外部の決定(たとえば主流社会の経済的・政治的決定)」による衝撃から保護することを意図する「対外的防御(external protections)」である.キムリッカは,前者は集団内の関係性で,個人の抑圧を惹起する可能性があると述べる.後者は集団間の関係性で,集団間の不公平を招きかねない側面がある.集団の独自性を維持するために,他の集団を周縁に追いやる可能性がある(Kymlicka 1995=1998:50-68).キムリッカは,これら二つの権利要求のあらわれかたによって,マイノリティの集団別権利の内容が集団ごとに異なるとも指摘している.クラマス・トリニティ川流域の三部族の場合は,両者が絡まりあって相互に依存しながら,彼ら彼女らの主張する集団別権利を構成している.

 さて,キムリッカは前述の指摘をした上で,ゆえに,「集団間の公平の実現を促進するようなある種の対外的防御を是認し得るし是認するべきであるが,集団の伝統的権威や慣習を疑問視したり修正したりする成員の権利を制限する対内的制約は拒否すべきである」(Kymlicka 1995=1998:53)と主張する.

 このようなキムリッカの主張は,正統性のダイナミズムに着目してこそ,そのよってたつ土台を持つことができるだろう.すなわち,共同体をまとめる力が正統化されていく過程が,たとえば部族政府の議長の選挙などを通して,明確にその共同体内部で開かれて見える形になっていることが必要であるだろう.あるいは,女性や若者など,共同体内部の他者の声,問いかけを相互になげかけあえ異議申し立てのできる言説空間が備えられていること.垂直的な「伝統的」家父長制ではなく,部族の下からも声が上がってくるような仕組みを作り出していくこと.そして,単なる抑圧的な権威ではなく,人々が相互に認知し承認できる正統性の構築をつうじて,共同体の連帯性と多数派主流社会や他の集団から社会的に認識されるべく,集団別権利を主張することが必要なのではないだろうか.

 特に,流域が社会,経済,文化の重要な基盤となる三部族にとっては,また,直接的に集団別権利の正統性を支える要件として,あるいは記憶や歴史性など他の要件の源として,流域そのものが正統性のダイナミズムの中心になる.

 つまり,この項の冒頭で述べた,三部族の生活する領域,すなわちクラマス・トリニティ川流域において(それはまさに流域再生保全と開発という環境問題の現場でもある),あらゆる主体が,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,正統性を互いに問い合える〈場〉の必要性がまぎれもなくここにはある.

2.2.新たな〈場〉の舞台――流域の保全と再生を行う主体の構築とその正統性の生成――

 さて,以上,クラマス・トリニティ川流域において,流域を舞台にしながら,あらゆる主体が,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,正統性を互いに問い合える〈場〉が必要とされていることを確認してきた.

 しかし,このような必要性を確認したのはいいが,本当にそんな〈場〉など開くことができるのだろうか,という疑問が次に浮かんでくる.この項では,クラマス・トリニティ川から少し南に下った場所にある,マトール(Mattole)川流域を事例に,このような〈場〉が開きうることを述べたい.

 マトール川流域は,流域面積189,761エーカー(約757?),8割が法人および個人所有,2割弱が連邦および州の所有で,緩やかな傾斜の草原と針葉樹・広葉樹の混交林に恵まれ,レッドウッドやダグラス・ファーの古生林も残っている.

 1856年以降にネイティブアメリカン(マトール部族)を追い出し,白人移住者たちはランチ(22)経営を行ってきた.第二次世界大戦後には古生林を中心に大規模な伐採が行われ,1986年までに流域の古生林のうち約8割が伐採された.砂岩を多く含む地質上,伐採や林道の増加に伴って冬の降雨による浸食は激しくなり,地滑りも多発,流れ込んだ土砂が水辺の地形や植生を大きく変えた.1970年代に入って自然保護法(23)の整備が進むと伐採ブームは終息に向かった.

 マトール川流域では,70年代から都会から流域に移住し,流域の再生保全運動をはじめた「新住民」たちと,19世紀末に住み着いてランチ経営をしていたランチャーたち(24)との間で,「環境」か,「開発」か,というお決まりの摩擦が長く続いていた.

 2.2.1.疑心暗鬼とゆるやかな敵対――開かれない〈場〉――

 

1857

1864

1947

1955

1961

1964

1979

 

1980

1983

1986

1989

1990. 5

1990. 6

 

1991. 1

 

1991. 4

1993. 5

1994

1996.

1996. 6

1996. 10

1998. 1

マトール川流域に白人移住開始

連邦政府によりマトール部族居留地へ移動

古生林の大規模な伐採が盛んになる

大規模な洪水と地すべり

鮭鱒類の数が「目に見えて」激減し始める

大規模な洪水と地すべり

「新住民」マトール川流域へ移住開始

「新住民」鮭鱒類の人口孵化・放流を開始

Mattole Salmon Group(鮭の会)設立

Mattole Restoration Council(流域の会)設立

流域の古生林の約80%が失われる

「流域の会」, Elements of Recovery 出版

レッドウッド・サマー始まる(〜9月)

California Department of Fish and GamesがCalifornia Department of Forestryに

あてた内部文書流出

California Department of Forestry  Zero net sediment 公聴会,流域協議会の

ためのアジェンダコミッティ

流域協議会第一回公式集会

流域協議会解散

The Mattole Valley Historical Society設立

Mattole Sensitive Watershed Group,センシティブ流域認証要求提出

「鮭の会」,「流域の会」,ランチャーへの協力表明

The Landowners for Sensible Mattole Watershed Management 結成

地域住民と専門家の委員会にて承認可否投票,センシティブ流域認証否決.

 

 マトール簡易年表 聞き取り調査・文献をもとに筆者作成

 

 「新住民」は,対抗文化運動(25)の経験者が多く,保守的なランチャーは彼ら彼女らが移住して来た頃から距離をおいていた.特に,「新住民」が流域の保全再生運動として,1980年に鮭・鱒類の再生保全活動を行うMattole Salmon Group(以下鮭の会と略),1983年に鮭・鱒類の生育環境そのもの,つまり流域全体の再生保全を行うMattole Restoration Council(以下流域の会と略)を設立してからは,その傾向が強くなった.「環境」か「開発」か,という対立のもとにある,「新住民」とランチャーの立場を,それぞれが認識し依拠している集合表象としての流域像を手がかりにみてみよう.

    鮭の会と流域の会,「新住民」らの認識している流域像「マトール」

 鮭の会と流域の会は,米国の環境思想,生命地域主義(Bioregionalism)(26)の影響を受けている.生命地域主義は,米国先住民の生活様式と文化を,自然に最小限の負担しかかけない真に豊かな社会のモデルとして捉える.ゆえに,「新住民」にとって理想的なマトール川流域は,白人定住以前に「ほとんど自然に負担をかけず,生活を営んでいた」マトール部族たちの流域である(27).流域はその頃の状態へ修復すべき対象であって,積極的に活用し開発して生計をたてるための資源ではない.このように認識されている流域像を,「新住民」(28)が呼ぶように,ここでは「マトール」と呼ぼう(29).

 このような流域像を持つ彼ら彼女らから見れば,直接マトール部族を追い出した白人移住者たちを縁戚に持ち,土地を開発しながら流域の荒廃を招いてきたランチャーの自然―人間関係は,否定されるものでこそあれ,認められるものではない.ゆえに彼らは,生態学や河川工学など,正しい専門知識をもってランチャーの誤った土地利用を正し,開発をやめさせ,かつて「マトール部族がいた頃のマトール流域」,すなわちマトール流域に人間が暮らす上で最善の状態に流域を再生することが必要だと主張していた(30).

 この主張をここでは,「マトール」の論理と呼ぼう.

    ランチャーたちの「マトール谷」

 これに対して,ランチャーたちが,白人が移住してから経験的に積み重ねられてきた地理把握に基づいて認識しているマトール川流域を,彼ら彼女らが言うように「マトール谷」とよぼう.ランチャーは流域を生計を得るための「開発」対象とみる.生産性の高いランチ経営が継続できていてこそ,その景観は「美しく」,愛着の対象になる.また,法制度上でも徹底している,土地は売買され,消耗する「モノ」でもあるという感覚はランチャーに刷り込まれている(31).

 また,家族を養うためにself-relianceで土地と付き合う,私有地に関する家族/個人の判断はいかなる他者にも縛られるべきではない,という強固な二つの論理がランチャーにある.この二つの論理は互いに結びつき,ランチャーは「誰にも,どのような外的要因にも自分の土地について干渉されないこと」が土地を「美しく」保つために一番重要であると考えてもいる(32).また先住民なき後,最も長くこの土地に住む自分たちは,土地について一番よく知っているはずだと言う自負をしてもいる.ゆえにランチャーは他者の干渉を嫌い,行政(法規制と増税),市場(市場価格の上下による打撃),環境主義者(法規制をもたらし,ランチ経営そのものを否定する)を嫌悪する. 

 この論理はマトール川流域の「開発」の歴史の中でのランチャーの行為の正当化しさえする.たとえば,伐採ブームの際に,牧羊地の開発と現金収入の一石二鳥を狙って,大規模に森林伐採をしたことも,「フンボルト郡の税制によるランチ経営の圧迫と,実際に木材会社に雇われて木を切りにきた日雇い伐採労働者(gyppo-loggers)が知識もなく皆伐を行ったからだ」(33)という外部要因によるものだと主張する.ランチャーは,常に「この土地で生計を立てること」が全てに優先し,行政や環境主義者など外部からの流域への干渉はその妨げでしかない,という論理を形成しているのである.これを「マトール谷」の論理と呼びたい.

 2.2.2.鮭の記憶から新たな回路が生まれるまで

 このような異なる二つの流域像と論理は,1990年まで,大きな直接的な争いをひきおこすことはなかった.しかし,California Department of Fish & Games(以下CDFGと略)がCalifornia Department of Forestry & Fire Protection(以下CDFと略)に対して,マトール川流域の荒廃により減少した魚類への総合対策を求めた内部文書(1990年6月13日付)が流出すると,事態は一変した.1990年は,マトール川流域も含む,北米太平洋岸北西部において,直接行動を含む大規模な古生林の保護運動が行われた(34).これらを背景に,森林伐採の規制など,新しい法規制の網がかかってランチ経営に支障が出ることを警戒したランチャーと,流域の会や鮭の会,他の環境保護団体,「新住民」ら,との間で一気に争いが激化した.しかし,「撃ち合いも辞さない状態だった」というこの争いこそが,1991年1月のCDFの公聴会(35)をきっかけに設けられたおよそMattole Watershed Alliance(以下流域協議会と略)という新しい言説空間を流域に生み出すことになった.

 2.2.3.流域協議会における流域像の解釈と再構築の過程

   1 公聴会から流域協議会へ

 一触即発の対立の状態は,意外にも非常にささやかな論理によって流域協議会の開催へ続くことになった.1月のCDFの公聴会で,ランチャーらの行政への反発の強さをみてとったCDFの研究者の一人が,行政抜きで流域の保全再生について住民同士で話し合いをもつことを提案した.この行政抜きという提案がランチャーを席につかせる契機になったが,この行動について,住民たちは口をそろえて,次のようにいう.

 「同じ土地に住む隣人(neighbors)だから,同じコミュニティにいるのだからなんとかうまくやっていかないと」(36).主体の属性や立場よりはるかに表層にあるように思われるこの論理は,単純に文字通り,環境か開発かどちらかに分断することがいやだったというものである.しかしこの裏では,ランチャーたちは自分たちの頭上を飛び越えて,行政と環境主義者(「新住民」)が手を結ぶことを恐れ,いっぽう,流域の土地の半分以上を所有するランチャーたちの協力のないまま,流域の再生保全が進まないでいた鮭の会と流域の会は,なんらかの進展を求めていた(37).いわばこの「なんとかうまくやっていかないと」は,表向き自分や相手を納得させ説得する論理として二つの立場を縫合していたのである.

 実はこの論理は,「新住民」の流入と流域保全運動の開始以降,相反する主張を持つ二つの集団をすみわけさせてきた,その場その場で働く論理であった(38).いっけん弱そうにみえるこの論理は,波風が立とうとする内部を,暫定的におなじウチにいる人々なのだから,という住民たちに共通する場所の属性をもって,相互を納得させるものである.「新住民」とランチャーの論理のはざまをぬって,日常生活をとりあえず穏便に保ってきた論理が,相互をつなぐ論理としてここでも働いたのである.

    流域協議会における流域像の解釈と再構築過程「鮭」という集合的記憶

 流域協議会では,1991年4月21日から1993年5月のおよそ2年にわたって,大小さまざまな公式・非公式のミーティングが開かれた.それは,「マトール川流域が健康で豊かな(sound and productive)場所であるためにはどうするべきか」(House 1999)が問われる言説空間の生成も意味していた(39).しかし,「なんとかうまくやっていかないと」という論理は,主体間の対立を一時的におさめるようには働いても,マトール川流域の再生保全のあり方について価値を調整する機能はもたない.では流域協議会はどのように維持されたのだろうか.

 答えは鮭の記憶にあった. 

 「マトール川流域が健康で豊かな(sound and productive)場所であるためにはどうするべきか」という問いは,どんな流域が「健康で豊か」であるのか,という問いを同時につれてくる.ランチャーにとっても鮭の会や流域の会ら「新住民」にとっても,「健康で豊か」な流域は,過去の流域だった.ただし,ランチャーの過去の流域は「在りし日のマトール谷」,「新住民」の過去の流域は白人定住者がくる以前の「マトール」であった(40).このようにすれちがう両者を繋いだのは,どちらにも共通している生物,すなわち鮭の記憶だった.「新住民」の想定する白人定住者がくる以前の「マトール」の姿は,実際にはランチャーの祖先が残した初期定住者の思い出―それはもちろん,現在のランチャーたちの語りや,写真や古道具から推測するものだが―と,生態学的に推測できるデータから探るしかない.また「新住民」たちがきていた頃には既に土砂に埋もれていたかつての流域の姿もまた,ランチャーたちの語りの中から見出せるものだった.

 このような記憶からかつての姿を探り出す作業は,ランチャーと「新住民」にとって大きな意味を持っていたと思われる(41).

 記憶は,今現在生きている個人/集団によって担われるものである.それらは変化しやすく,つねに想起と忘却にみまわれる.つまり記憶は,今現在生きている主体が,現在おかれている状況から,経験を組み立てて再構成していくものであり(Nora 1984=2002),そのような記憶を「物語る」ことは,「本人自身が明確に意識してこなかった心のうねりが形となり広がっていくこと」(香月 2002)である.流域協議会で繰り広げられたのは,主体が聞き手と語り手の立場を同時に経験しながら,鮭にまつわるそれぞれの記憶を再記憶化するという過程だった.それは,ランチャーや「新住民」が抱える集合表象としての流域像を,メタレベルで交わしあう過程でもあった.そして,これまで相互に「わからない」と切り捨てていた,それぞれが抱える自然との関係性において働く論理や行為,言説の文脈――それは「マトール」と「マトール谷」という流域像に依拠するのだが――を問いただす過程でもあった.

 言い方を変えれば,ソトからの圧力(マトール川流域の外側からの環境/開発論争,行政の環境政策)にたいして,ウチをいったんどのような形であれまとめるためのその場限りの論理(「なんとかうまくやっていかないと」という論理)で対応した人々が,鮭の「集合的記憶」(Halbwachs 1989=1999)を生成していく過程をつうじて,「この流域に住んでいる人々」として,ウチ,すなわちマトール川流域にいる,という主体の場所の属性を相互に深化させる過程であった.そしてそれは,流域の再生と保全についてどちらの論理が正統性をもつか,を問いただす過程にもなっていたのである.

 結局流域協議会は,マトール川流域の自然再生にかかわる7つの事項を定めて解散した(42).これらはランチャーたちの流域の会や鮭の会自体への参画を促した.そして,明確な役割を果たす言説空間は解消されたが,鮭の記憶をめぐるマトール川流域の住民たちの認識と解釈の過程は,住民自身たちの手で維持された.流域協議会が生んだこの過程は,1994年に設立したMattole Valley Historical Societyによって,流域全体の歴史,すなわち流域史を編んでいく過程として残ることになった(43).

 2.2.4.回路は一度で閉まらず――正統性を常に問いかける〈場〉の生成――

  1 センシティブvsセンシブル

 流域協議会が開いた回路,すなわち,ランチャーと「新住民」がそれぞれ抱える流域像が交錯し,流域の再生と保全についての論理の正統性をめぐって争う言説空間は,1996年に再びその存在をあらわにした.

 外部の自然地理学者と一部の「新住民」が,The Mattole Sensitive Watershed Group(以下センシティブと略)を結成し,California State Board of Forestryに「センシティブ流域認証」の請求を行った.この請求が認められると,マトール川流域は生態学的に脆い(sensitive)流域として,森林伐採制限などの法的拘束力をもつ規制がかかる.新たな規制を警戒したランチャーはThe Landowners for Sensible Watershed Management(以下センシブル)いう連名で,各方面にこの認証請求をしないよう訴えた.

 これに対し,流域の会と鮭の会,マトール川流域において常に自然保護・再生運動の舵を取ってきた団体は相次いでランチャー側の支持を表明した.結局,地域住民と専門家を交えた公聴会の後,1998年1月22日,13人の代表者の投票により,6対7でこの承認請求は否決された.

 なぜ流域の会と鮭の会は,センシティブではなく,ランチャー側のセンシブルについたのか.すべての開発をいったん差し止めることの出来るセンシティブ流域認証は,「マトール」からみればむしろ協力する対象ではなかったのか.

 流域の会と鮭の会が反対を表明したのは,流域協議会で得てきたランチャーの信頼を損ない,再び活動が進まない状況に陥ることが容易に予測できたからだった.同時に彼らは自省をへて,一方的に「外」から論理を押し付けることが,ランチャーの生き方そのものを否定するある種の暴力でしかないことを学んでいた.ランチャーの「マトール谷」――それは彼らが築いてきた自然―人間関係の歴史的集積でもある――が,現在のランチャーの自然環境に対する判断や認識,行為の選択に影響を与えていること,そしてランチャーが生きるために向き合わざるを得ない経済的社会的状況と,ランチャーがもつ選択肢の限られた幅,すなわちランチャーの行為と言説の文脈を把握する.そのうえで,「あるべき流域像」にランチャーの姿と,その「マトール谷」の存在をいれこみ,「土地に住んでいる者たちが,皆,自然環境を豊かに享受しながら,この土地で生きていける」ことを目指し始めていた.

 同時にランチャーたちも,流域協議会での一連の経験から,外側からやってくる行政の環境保護政策や環境保護団体にたいして,自分たちの正統性を戦略的に主張することの重要性を学んでいた.流域全体の荒廃を意識しながら,継続的に土地を利用するために蓄積してきたノウハウの正しさの主張や,大学や研究者から専門知識を取り入れることも行っていた.つまり,ランチャーたちは政治化していったのである.流域協議会をへて鮭の会や流域の会,「新住民」らとの交流の中で,自分たちのランチを生産性のある「美しい」ランチに保つためには,流域の再生保全が必要であること,そして自分たちの権益を守るためにも,このような視点を内面化する必要があることを学んでもいた.

    センシティブ流域認証否決が持つ意味

 実際に,センシティブ流域認証をめぐる騒動は,「地域を再び環境と開発の二極に分化させかねない」ものだったとして,眉をひそめる人々は多い(44).彼ら彼女らは,流域協議会で得られた,「住むもの」同士の穏やかな日常的なやり取りが変わらずできること,すなわち,「うまくやっていかないと」という表層の論理から発展した,ウチにいる,という場所の属性の深化が奪われかねない事態だったというのである.

 このことは,センシティブ流域認証の否決は,ランチャーたちと「新住民」,両者のもつ「マトール」と「マトール谷」が,この時点で既に再構築されつつ交わり,相互の存在を認識・了解しながら,間主観的な「住むもの」の規範基盤をつくりあげていることを示している.

 しかしながら,センシティブ流域認証の否決によって,流域の再生保全は滞ってしまったのではないか,結局のところ,住民の生活を重視したがゆえに,流域の再生保全はなされなかったのではないか,という疑問が出てきそうである.

 だがマトール川流域の住民たちが拒んだのは,行政と一部の住民が地域の了承なしに(地域を通さずに),行政の上からの力をもって規制をかけようとしたことであって,流域の保全再生そのものではない.むしろ,マトール川流域が既に「原生自然」(これも文化的なアイコンとしての概念だが)ではなく,人の利用を前提に考えつつ流域の再生保全がどのようにあるべきか,という問いが,当事者たちの意思・政治決定を重視した状態でなされたがゆえに,センシティブ流域認証は否決されたのである.流域協議会をつうじてマトール川流域に生まれ,維持されていた言説空間は,一度で閉じることなく,その後のセンシティブvsセンシブル騒動の際にも,それぞれの主体の行為や言説,意思・政治決定権の重さ,権力をふるうことの妥当性などを,相互に承認・非承認する〈場〉として働いていたのだ.

 「マトール」と「マトール谷」は,互いの差異を承認しつつ,主体の場所の属性を,互いを縫合する要として,ソト(行政やさまざまな環境保護言説)へ対峙・異議申し立てを行おうとしたのである.

 主体の場所の属性が要となる,ということは,マトール川流域においては,「場所」のありようが問題になるということでもある.間主観的なこの場所の属性は,ランチャーの開発に対しても,自らの「場所」が,経済的基盤,文化的基盤,社会的基盤として成立するかどうかを問うがゆえに,破壊的な開発を回避させる傾向が生まれている(45).

 見方を変えてみれば,このマトール川流域でみられる過程は,まさに,他者の問いと応答を前提としながら,相互に正統性を問いあうコミュニケイション過程において,鮭の記憶という新たな正統性を支える要件を構築していく過程である.

 そしてさらには,これまで述べてきたように,集合的記憶として鮭の記憶を糧にしつつ,それぞれの主体がその場に暮らしている者として,自然のあり方や自然へのかかわり方,あるいは自然資源の管理について当事者性を互いに獲得していく過程に他ならない.ランチャーも新住民たちも,それぞれが強固に抱えていた自然像を,この過程において変化させながら,マトール川流域に住むものとしての,新たな主体性と当事者性を獲得してきたのである.

 ただし,マトールの流域協議会を源にたちあがってきたこの言説空間は,成員自体をきつく法的に拘束したり,地域住民独自の規則や罰則を与えたりするまでにはいたっていない.そこでは,この場に住む者として求められる態度,あるいは規範の遵守がゆるやかに求められている.

 いわばこの流域では,正統性のダイナミズムを通じて,その正統性の要件が場所の属性であるがゆえに,その場に暮らしている人々に力点をおきつつ,流域の再生と保全を可能にするような規範基盤が生み出されているのである.

3.二つの事例から,再び――おわりにかえて――

 以上,本稿では,本稿は,現場から環境倫理学をたちあげるにあたって,正統性を(再)構築する過程と,その過程が展開される場として多声的な言説空間が必要であること,そしてその可能性について具体的な事例を用いながら述べてきた.

 ネイティブアメリカンの事例は,単なる自然資源管理の当事者性を問うものではなく,その部族政府の存在意義や多数派主流社会であるアメリカ合衆国内での位置づけのための正統性の構築が,流域を舞台にしておこるという複雑なものである.しかしながら,自然資源管理において,単にその管理のあり方とそのガバナンスのみが単独で問題になるわけではない.当たり前のことながら,自然はもともと,人間社会と社会的・経済的・文化的に深くつながる存在であり,人間の世界を構成する非常に大きな存在であるからこそ,自然を扱う問題には,社会のあり方や文化のあり方そのものといった大きな問題がかかわる場合が多い.この事例は,その複雑に絡まった糸も,正統性のダイナミズムを軸に分析しながら,さらに新たな政治的枠組みや社会の枠組みを見据えていく,その可能性の一端を指し示しているともいえるだろう.

 しかし同時に,このような試みのためには,環境問題の現場に関わるあらゆる主体が,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,正統性を互いに問い合える〈場〉を,いかに設定できるか,が非常に大きな意味を持つ.

 マトール川流域の事例は,実際に鮭の記憶を新たな正統性の構築の要件として,地域住民が地域資源管理の当事者としての正統性を獲得するとともに,人々が当事者意識と主体としての自覚をも同時に獲得していく様子を示すものである.注目すべきは,流域協議会で生まれた言説空間でのやりとり,正統性獲得の過程が,主体の経験としてストックされ,次のセンシティブvsセンシブル騒動の際に,再び互いの正統性を問う〈場〉が維持されていたことである.この〈場〉の維持は,流域協議会を可能にした鮭や流域の集合的記憶の認識と構築の過程が継続され,この言説空間がすぐに立ち上げられるような基盤が維持され続けていたことに拠っているところが大きい. 

 いわば,このような基盤を維持する社会的実践が伴ってはじめて,互いの自然―人間関係性と自然にかかわるさまざまな行為,発する言説について,正統性を互いに問い合える言説空間も可能になるのである.

 他者の声を聞き,自然と人間関係の正統性を互いに問い合える〈場〉を,いかに設定できるか.残念ながら,現段階においては明確にこの問いへの答えを用意することは出来ない.その点については,事例をさらに詳細に検討しながら答えるべきだが,しかしささやかながら,次のことについては言えそうである.

 まず重要なのは,主体が拠りかかるさまざまな概念や知の体系を歴史的社会的に文脈を明らかにすること.そして,自己と他者を取り巻くこのような文脈を認識しながら,主体が次の政治的過程を行えるようにすること.

 そのうえで,問題となる事象にたずさわる人々が,制度的に認められた言説空間(たとえばパブリックミーティングや協議会など)だけではなく,マトール川流域のような非公式の日常的な空間で発露させる声を丹念にひろいあげる作業を重層的に行うこと.

 上記と並行して,諸主体が間主観性をもちうるような試み(クラマス・トリニティ川の場合はさまざまな部族的な文化的社会的実践,マトール川流域の場合は鮭の集合的記憶の生成・認識・再構築過程)を,自然環境を舞台に行い,さらにそれが維持されるような社会的実践を積み上げること.

 以上の点を指摘して今後の課題としたい.  

 

(1) legitimacyの訳語として,本論では正統性をあてるものとする.これに対し,justificationの訳語として正当化を用いる.これらの訳語については論者によって様々な使い分けがなされてきた.この概念に関して,詳しくは 1.3.で述べるものとする.

(2)自然に権利の存在を認める,といった場合,単純に木やらウサギやらに人間と同様に権利を与えられるものなのか,という疑問が最初に浮かぶ人も多いだろう.だれ,なに,までが合理性や道義性などが帰属できる対象なのか――たとえば生命倫理においても,胎児や認知症のお年寄り,脳死の人間をめぐって議論があるとおり――,この疑問はこれまで,このような「線引き」の問題として取り上げられてきた.だが実際に「線引き」問題の現場で争われるのは,合理性の有無や苦痛を感じるかどうか,という対象側の性質ではなく,森岡正博が述べるように(森岡 1989; 2001),理由を見出して線を引こうとしているわたしたちが対象とどのような関係を持っているか,である.つまりそれは,線を引こうとしているわたしたちが,どのような性質を対象の属性として捉えたがっているか,というわたしたちの認識上の問題でもある.この問題をとらえるにあたって何よりも重要なのは,対象が何であろうと(たとえそれが胎児であっても,木であっても),既に相手をそのようにあると思えると「みなし」て行われたコミュニケイションの理念的な実在は残る,ということだろう.腹部にふくらみがなくとも,妊娠したことによる自分の体調の小さな変化を,別の生命からの働きかけ,存在の証と「みなし」て,腹の中にいる胎児――たとえそれが法の枠組みでは人と認められていなくとも――に話しかけ,腹をなで,といった行為をするとき,「みなし」コミュニケイションの中で胎児は,実体よりもはるかに明確に理念的な実在,「ひと」としてそこに存在している.そのような中で胎児を喪失したときの痛みは,まぼろしといえるか.それとも,実際に抱くことの出来る赤子を喪失したときよりも「軽い」のか.そうではないだろう.特にそれが二人称で語りえる関係性であった場合,たとえ主観的な情念だといわれようと,「みなし」コミュニケイションという関係性が,二人称の他者の存在そのものに転化することがあることは無視しえない.同様に自然についても,関係性が他なるものとしての存在へと転化していくことはあると考えられる(しかもそれは,客体として現われつつも,「みなし」コミュニケイションそのもの,主体と「みなし」主体の「間」でもありつづけ得る).だからこそ,いくら認識している主体の状況や,対象との関係性を脱構築したり,分節化したりしても「線引き」問題の答えはでない.
  ちなみに,このような「線引き」問題について,北田暁大は,リベラリズムの射程について述べながら,森岡の関係論が,「線引き」で問われる対象の合理性・道理性の帰属可能性という水準ではなく,もう一段メタレベルの「尊厳」という水準,合理性や道理性の帰属の考慮の対象となるかどうか,という水準を問題にしていることと,その不偏的・非認証的な観点からの調整の不可能さを指摘している.その上で,「尊厳」の対象になるかどうか,について,人間とそれ以外の生物を最終的に分けるのは,「生物としての人間が長い進化論的時間の経過の中で獲得した,道徳的感情=欲求の一部をなす」,「不公正」な「人間偏愛」だろう,と述べている(北田 2003;257-67;376).
  前半の指摘については同意できるが,森岡の関係論の射程は北田の議論とは違う方向性と広がりをおそらく持つ.北田が「原理的に不偏的たりえない価値」の前で,躊躇し,佇むリベラリズムのあり方を肯定するというのなら,まさにこの「躊躇と佇み」の中で現実の政治的決定を行わねばならない主体が必要としている「偏らずに配分できるもの/偏らずには配分できないもの」の見極めや,さらにはリベラリズムが設定する主体からこぼれおちる存在(前述した「みなし」主体も含めて)を「確かな存在」として議論の遡上にあげることが,当たり前だが必要である.これらを「確かな存在」として見出し,描き出すことは,森岡の関係論から,もしくは同じく関係性を主題にする鬼頭秀一の社会的リンク論(鬼頭 1995)をベースにしてこそ可能であろうし,内在的な実践の営みへ反映させることも可能になるのではないだろうか.同様に,後者についても,北田が「不公正」な「人間偏愛」という,その「人間」の表す内容によっては,あるいは偏愛の中身いかんによっては,尊厳の重さという天秤が簡単に設定され,なおかつある一定の人間よりもネズミのほうがその尊厳は重いという結論が容易に出てしまうことはありえる.このような場合も有効なのは森岡らの関係論のアプローチだろう.もちろん,森岡らの関係論と北田の議論はどちらがタダシクどちらがアヤマチ,というものではなく,それぞれが視野外になってしまうところを見ているような議論だろう.この問題は本論の主題ではないので,ここでは指摘のみに留めておくが,以上のような理由からも,本論は関係論的立場にたった上での議論であることは明記しておきたい.

(3)価値についての諸議論は経済学,哲学,社会学,人類学など諸分野にわたってさまざまに展開されているが,ここでは本論の性質上,社会学者の見田宗介によって「人間・社会に関する経験科学的な研究の用具として明晰なかたちで精錬」した場合の価値の概念を用いるものとする.詳細については見田(1966;1994),作田(1972)を参照.

(4)欧米においても,「自然」観というものが,ある時代において支配的な宗教観や世界観が移り変わると共に変わっている.まさに米国の「原生自然」(これ自体が既に作られた概念だが)は,野蛮で非合理的な荒れ野から,雄大で米国の建国のアイデンティティを象徴する美しい存在に変化したのである(Nash 1990).

(5)実際に,米国では絶滅の恐れのある生物種について,その生物の生息域の土地開発の制限,生物の保護や回復計画の策定などを定めた絶滅危惧種法(Endangered Species Act)が定められている.この法律は,1978年にテネシー川開発公社(TVA)によるテリコ・ダム建設を止める最高裁の判決をもぎとった法律として,スネール・ダーター(淡水性小型魚,ヤウオの一種.snail darter)という小さな魚と共に世界的に有名になった(畠山 1992).

(6)もちろん,後期資本主義経済,もとい経済的グローバリゼーションの進行した今となっては,白人の男性であっても,自らが選ぶことの出来る社会経済的な選択肢の幅はよりいっそう狭まり,経済的主体としての自由のみが強調されていることは言うまでもない.しかしそれでも,ほぼあらゆる財とサービスと交換可能な貨幣,それも他の貨幣についても支配的な強い貨幣をもつことは,結果として権利の行使機会を手厚く保護されていることになるだろう.また,たとえ同じ白人であっても,使える貨幣の量によって権利と権利の行使する機会は当然のことながら偏在する.

(7)環境プラグマティズムについては,日本では白水士郎がまとめている.ただし,自然の内在的価値の議論の批判から実用的な環境倫理を,と思うのならば,どうして内在的価値の議論が,理論的にも,そして実践の上でも停滞することになったのか,その理由を国内外の事例から丹念に拾い上げていくことがまず必要だろう.

(8)どんなに社会的文脈を知っても,それでも,知らない場合と同じ選択肢を選ぶことも,選ばざるを得ないこともある.たとえば,英語という言語が,アメリカ合衆国の法体系が,ネイティブアメリカンである自らの,尊厳や部族の歴史的な〈生〉をどんなに押しつぶしてきたかは知っていても,それでも合衆国内で生計をたてていくために英語をあやつる.さらには,合衆国の法体系の概念に疑問を感じていても,実際に土地や開発をめぐる紛争ではその概念を媒介に用いて有利な調停をもぎとる.このような,多くの場合苦渋のにじんだ「そんなことはわかっている,それでも」という声を伴う営みや戦略を,忘れてはならないし,むしろこのような営みと苦味を含んだ声をどう拾い上げるか,が問題になる.この点については北田(2003)から示唆を得た.

(9)2004年秋のセミナーシンポジウム(武蔵工業大学)は,「環境をめぐる正当性/正統性の論理――時間・歴史・記憶」だった.また,2005年には学会誌『環境社会学研究』11号において,同じタイトルの特集が組まれている.

(10)正統性に関連して,正当性(justification)については,物事の内容の正しさ(もちろん,この場合の正しさは,そのとき,その場で支配的な言説・権力に依拠する必要はなく,むしろそれとは異なる歴史的・経験的事実や倫理的・道徳的原理に依拠すると主張されることも多いだろう)を意味するものと暫定的に定義したい.もちろん筆者は,歴史的に行われてきた正統性の議論を歴史的に切開する必要性と重要性を認識している.特にN.ルーマンとJ.ハーバーマスによる議論,そしてその概念そのものの受容や解釈についても議論すべきだと考えるが,紙幅の制限上,次の機会に述べるものとしたい.

(11)菅はSuchmanの正統性の定義(Suchman 1995)にならいながら,「正当性(レジティマシー)とは,ある一個の人間や集団が,特定の事物に対して執り行う行為が,他者や社会から合法で妥当,真正で正統,合理的で説得力があるなどとされる状態にあること」ととらえ,なおかつ正当性(レジティマシー)は「あくまで人間の認知によって生じるものであって,不変で普遍に絶対的な規範として存在するものではない」と定義している.

(12)多種多様に展開されている権力論について,ここでは詳しく踏み込むことは,筆者は政治学の門外漢のためその力量もないが,権力論の多様さについては盛山(2000)を参照のこと.また,権力そのものについては杉田(2000)を参照のこと.
  筆者の力量不足により詳細には論じかねるが,誤解を恐れず簡単にまとめると,権力というものは,ウェーバーが「自己の意思を他人の行動に対して押し付ける可能性」(ウェーバー 1921-22=1960p.5)と述べたような,人々の間での対立を前提にし,最終的には暴力を背景にするような権力だけではない.池田寛二が述べた正統化の定義の背景にある権力は,おそらくこのような種の権力であるだろうし,もちろん,実際の現場においてこういった種の権力が存在することはまぎれもない事実である.
  しかしながら同時に権力には,アレントが述べるように,上述した権力観と対置されるものも存在する.

権力は,ただたんに活動するだけでなく,(他者と)協力して活動する人間の能力に対応する.権力はけっして個人の性質ではない.それは集団に属するものであり,集団が集団として維持されているかぎりにおいてのみ存在し続ける.(アレント 1972=2000)

 ここで捉えられているのは,集団が協働する能力,その力のことであろう.それは人が個人ではなしえないことをなすための,自由を与える力ともいえる.しかしながら,これらのいわば他律的な権力である前者と,自発的な権力である後者は,対立する権力観ではなく,むしろ権力が生成され,ある機能を果たしながら行使され,また異議申し立てをうけて生成されなおす,というダイナミズムの中の,異なる側面をそれぞれ切り取ったものと捉えることができるだろう.
  本稿でも,権力が自発性と強制,あるいは自由と支配,という二つの側面をもつことは常に意識したい.

(13)権威もまた,権力や正統性と同様に多様に異なる定義を歴史的にもつ言葉である.権威概念はしばしば,ダールが「指導者の影響力が正統性という衣をまとったとき,それは,通常,権威としてあらわれる」(ダール,1963=1999)と語るように,正統性概念に吸収され,同義に扱われることもある.しかしながらたとえば権威主義,という言葉がはらむ権威は,相手が従う理由や根拠を問わず,人々の立場性のみが従う,従わない,という関係を認識させるのであって,その主従の関係はあらかじめ決まっている.従うものにそれを決める自由はない.本稿では,これまでの議論からもわかるとおり,正統性と権威の概念の大きな差をここに求めている.すなわち,正統性は権威と異なり,従う側の自由を発揮できる自発的服従の契機,という意味をもつ.

(14)現地調査については以下のとおりである.クラマス・トリニティ川流域の調査は,2005年8月2日から9日までの計8日間,聞き取り調査と参与観察を行った.また,マトール川流域の調査は,2002年11月13日〜12月5日,2003年8月6日〜9月24日の2回にわたって,聞き取り調査と参与観察を行った.また,後者の場合,本論で述べる歴史的な記述は,ランチャーのライフヒストリーおよび,後ほど言及するマトール谷歴史協会の冊子,彼らの蓄えたオールドタイマーらからの聞き取り調査,そしてFreeman Houseら生命地域主義者の著作,流域の会,鮭の会ら自然保護団体の公式・非公式文書,諸行政機関の記録,新聞・雑誌記事と,筆者自身がフィールド調査で得た聞き取り調査をもとに筆者が構成したものである.なお,本稿の性質上,インタビューの記録を根拠として記述する.その際,インフォーマントについてはファミリーネームの頭文字を記し,男女の区別無く氏をつけるものとする.頭文字が重なる場合は,MA氏,MB氏,MC氏・・・とする.

(15) HupaとHoopa,二つの表記があるのは,前者がフーパ部族の人々,を意味するとき,後者がフーパ部族のすんでいる土地を意味するという違いがあるからだ.本論の使い分けは,フーパ部族政府の使い分けに即している.

(16) CVP(Central Valley Project)は,1937年から内務省土地改良局が行った大規模灌漑事業で,カリフォルニア州を農業大国へと転換させた利水事業でもある.

(17)このダムは現在スコットランドの投資会社が所有している.

(18)自然と人間の距離を物理的,社会的,心理的距離,という三つの側面から捉えているのは嘉田由紀子である.ここでは,その嘉田の概念を利用している(嘉田 2002).

(19)1968年に成立したインディアン公民権法(Indian Civil Rights Act,俗に言うIndian Bill of Rights)を参照のこと(25 U.S.C.§§1301-03).

(20)集団別権利の詳しい議論については,Kymlicka (1995=1998),および岡野(2003: 128-69)参照.この場合の集団は,単なる利益追求集団ではなく,言語,宗教,エスニシティ,人種,人生,歴史的経験などをひっくるめた「共同体」が想定されている.

(21) Kymlickaが提唱している集団別権利は,(1)自治権(self-governance rights)(2)多数エスニック権(polyethnic rights)(3)特別代表権(special representation rights)である.ネイティブアメリカンの部族政府は(1)の集団別権利を有する.

(22)ランチ(ranch)経営とは,私有地で牧畜業や林業,果樹園など,複合生産を行うことをさす.

(23)ここで述べる自然保護法とは,1970年以降,立て続けに立法された次の連邦法である.1970年国家環境政策法(NPEA,連邦の土地利用に際し環境アセスメントの実施を義務付け),1972年海産哺乳類保護法,そして1973年の絶滅危惧種法,1976年の国有地政策管理法(連邦所有地の民間への販売を禁止)である.既に1964年に制定された原生自然保護法とあわせて,北西太平洋岸に残る古生林を含む森林の伐採,および土地利用のあり方に大きく規制がかかった.

(24)ホームステッド(Homestead)法により,土地を手に入れた人々の子孫が多いことから,ホームステッダー(homesteader)と流域内で呼ぶこともある.しかしここでは,より広く自称・他称されているランチャー(rancher)と呼ぶ.

(25)ここで述べる対抗文化(counterculture)とは,米国において,1960年代から70年代にかけて,管理社会や大量生産・消費社会に対する青年による異議申し立て運動(Roszak, 1995)をさす.マトール流域にうつりすんだ「新住民」には,サンフランシスコのハイトアシュベリーにて活動していた,サンフランシスコ・ディガーズと呼ばれる青年たちのコミューンにて,後ほど述べる生命地域主義の提唱者,Peter Bergと共に中心的な役割を果たしていた人々が含まれていた.

(26)生命地域主義とは,北米を中心に展開された環境思想/運動のひとつである.1972年以降,環境活動家Peter Bergは,サンフランシスコで小雑誌を発行しつつ始めていた活動を,1977年にThe Ecologist誌上に掲載された,生態学者Raymond F. Dasmannとの共同執筆エッセイの中で「生命地域主義」と名づけた.「生命地域(bioregion)」は山脈や河川流域,植物相,動物相などの自然地理学・生態学的領域と,人々が人間―自然関係の中で,作り上げてきたその土地固有の生活様式,文化が示す領域を重ね合わせ,設定される.その思想は対抗文化の流れを受け,大量生産・大量消費・大量廃棄の近代産業資本主義社会を強く批判する.人間の身体と精神の営みと自然の間にある/あった,網の目のような関係性の再認識を促し,「場所の感覚(a sense of place)」を身につけ,「生命地域」単位で,その地域固有の永続可能な循環型システムを備えた分権化地域社会の構築をめざす(Berg and Dasmann,1977).同時に,破壊されてしまった生態系の再生(restoration)も行う.地域の独自の文化や社会的な自然を論じるため,欧米の環境思想の中で,自然の内在的価値議論を相対化する思想として着目されることが多い.生命地域主義には,Berg の他にもKirkpatrick Sale やErnest Callenbachら名の知れた論者がいるが,マトールへの移住者は,ここに述べた基本概念を踏襲し,マトール川流域独自の土地に根ざした思想文化の生成を志していた.

(27)もちろんこれは,「新住民」たちによるマトール部族の表象である.

(28)1970年代後半以降に自然環境の豊かさを求めてマトール川流域に移住した「新住民」たちは,環境保護運動で有力な言説であった,自然の内在的価値概念を内面化しており,基本的には生命地域主義に基づいた鮭の会と流域の会の活動やその理念を受容している.もちろん,実際には,異なる見方も含んでいるのだが,この段階では鮭の会と流域の会の言説が,「新住民」たちに,正統的な言説であると受容されていた.

(29)流域の会と鮭の会の設立の中心的人物だった,SA氏とH氏のインタビュー(2002年11月20日,SA氏自宅にて).

(30)これは,初期の鮭の会メンバーおよび,流域の会メンバー,そして当時既に移住していた「新住民」,ランチャーからの聞き取り,鮭の会や流域の会の非公式の会議メモ,から筆者が抽出した「論理」である.また,2003年9月6日の流域の会のannual meeting において,現代表のL氏も流域の会の活動を総括したスピーチの中で,1980年代にこのような志向があったことに触れている.(L氏,2003年9月6日,グレンジ).もちろん,この「正しい」や「誤った」という記述は,科学的知識と大学教育教養という物差しを絶対視した上での,「マトール」像を共有している人々にとっての「正しさ」や「誤り」である.

(31)同じように土地で日常的な生活実践をしながら,ランチャーたちの愛着は,明らかにユロック部族の若者の「たとえ汚れていても」という愛着とは異なる.この愛着の違いをどう考えるかは,実は非常に大きな問題である.本稿では紙幅の制限上,触れることはできないが,特に,自然への愛着が環境保護の動機となることを主張しようとすれば,避けては通れない問題である.

(32)たとえば,ランチャーはour valleyとは呼ばず,my valleyと言う.この言葉の使い方自体が,彼らの土地所有の認識そのものを表しているが,同時にこの言葉は,ランチャー以外の人々が土地に口出しするようなときには,それを牽制するようなかたちでしばしば飛び出す.

(33)2003年9月17日,RA氏,RA氏の自宅にて.RA氏はフンボルト郡の畜産業界の重鎮であり,マトール川流域で一目おかれるランチャーの一人である.

(34)アース・ファースト!ら,古生林の保存を訴える人々が,tree sit(伐採予定の木の上に居座る)や,道路の封鎖などの直接行動をこの地域一帯で繰り広げた.レッドウッド・サマーと呼ばれている.この運動へ対抗するランチャーらのワイズユース運動(土地の開発を求める人々による運動)も各地で数多く起こった(Echeverria and Eby 1995).FA氏,2003年9月5日,FA氏ら森林保護直接活動家のキャンプにて.FA氏はもレッドウッド・サマーに参加していた一人で,特にマトール流域周辺に拠点をもって活動していた.

(35)当時CDFはZero Net Sedimentationという土砂堆積物の河川流入禁止のプロジェクトに着手しようとしていた.1月の公聴会は,このプロジェクトのための公聴会である.

(36)この発言は,ランチャーからも「新住民」からもよく聞いた.2003年9月17日,RA氏,RA氏の自宅にて.SB氏,2003年9月18日,ハニーデュー小学校前にて.E氏,2003年9月11日,E氏自宅にて.SB氏は,夫と共に,現在マトール川流域で最高のランチャーだと流域の住民に言及されるランチャーである.

(37) RB氏,RC氏へのインタビュー,2003年8月19日,RB,RC氏の自宅にて.どちらも鮭の会の創設当時からのメンバーであり,「新住民」の相談役である.

(38)たとえば子供の通う小学校や中学校,各集落に一軒しかないストアやレストランでの顔合わせなど,生活をしていれば出くわさないわけにはいかない.もともと,マトール川流域に分散するコミュニティ,特に河口のペトロリア(Petrolia)は,穏やかな昔ながらの住みやすいコミュニティであることを理由に,移り住んでくる「新住民」も多い.いっぽうでランチャーたちにとっても,昔からランチャーたちがうまくやってきた雰囲気のいいコミュニティであるということは,彼ら彼女らの矜持にもなっている.のちほどのべる「古きよきマトール」の根幹の一つである.このような「すみやすさ」の価値という,相互に共有されている価値にもとづく論理をもちだすことで,他の対立する価値に触れずにその場をおさめるのが,この論理の特徴である.

(39)ランチャーと「新住民」の間にあった個人的な交流は,この流域協議会を機に広がっている.

(40)ランチャーが懐古する「在りし日のマトール谷」は,土地の開発だけで食べていけた頃,すなわち流域の荒廃の要因となった,第二次世界大戦後のハウジング・ブームにのった大規模な木材伐採期以前を意味する.たとえ現金がなくとも誰も飢えるものがいなかった,という「豊かさ」の記述は,ランチャーの自分史にもたびたび登場する(Clark 1983: Roscow1996).そのほか,住民がまとめたマトール川流域の「望ましい未来」にかんする流域の住民へのインタビューにおいても,現在のオールドタイマーが少年少女だったころ,大規模伐採が始まる前の1950年代以前のマトール川流域がランチャー数家族によって「理想」としてあげられている(Walker 1991).

(41)流域の会はこの聞き取りを,1989年までの個人的な交流のあるランチャーから進めてはいた.理由は,「再生(restore)」すべき流域である白人移住者がくる前の流域を調査するためである.その結果は,1989年に出版されたElements of Recoveryに描かれている.

(42)その7つの事項とは,@鮭・鱒類の遡上時期のスポーツフィッシングの禁止(16歳以下は例外)A流し網と沖釣りの制限BBLM,流域の会,鮭の会,材木会社によるoverrearing salmonのための河口の再生Cサーモン・スタンプ・プログラムとCDFGからの鮭の会への資金援助DBLMと協力して悪道路の改善と使わない林業用道路(公道も私道も)の森林化E上流域の土砂堆積の原因であるメンドチーノ郡道路の舗装F郡道路に堆積した土砂をクリークに落さないために専用の集積場の設置,である.
  実はこの他に,森林伐採の計画には流域協議会の同意を得ること,という項目があった.しかし,もっともランチャーと「新住民」らの間で対立していたこの項目は,合意の文書を発行するまでに至っていたものの,最終的にランチャーの反対でひっくり返った.

(43)オールドタイマーへの聞き取りのほか,テーマを決めて流域の歴史について話し合う集会を行い,ニュースレターやカレンダーを発行している.ランチャーたちが私有している写真や古道具などの資料を集めた事務所は,グレンジと呼ばれる,ランチャーたちの集会所がかつてあった場所にあり,中心となっている事務員は「新住民」である.

(44)この言葉は,「新住民」の一人だが,ランチャーのコミュニティにも頻繁に出入りし,「マトール」と「マトール谷」の間にいる,と自分を分析するEA氏の言葉である(EA氏,2004年8月17日,EA氏自宅にて).しかし,同様の意味の言葉は,鮭の会,流域の会,「新住民」,生命地域主義者の立場の別なく,語られる.

(45)特に,古生林が減り,価値ある二次林を管理していくことが求められる状況にあっては,ランチャーにとっても,実際のところ保全と利用は表裏一体なのである.もともと,「美しい」ランチを保っているランチャーたちは,森林資源の手入れを行い,お金になる二次林を育てている人々が多かった.私有地の中の管理はできても,他人の私有地について考えることはなかった人々が,流域協議会後に,流域全体の中の自分の私有地の位置を知ろうとしながら,他のランチャーや「新住民」たちと,流域全体をみながら「開発」をとらえるようになったことはやはり大きい.「美しい」ランチを保つことが,流域の保全再生につながるのだという論理をランチャーが持ったことによって,鮭の会や流域の会にとっても,ランチャーたちのランチ経営に積極的にたずさわれるようにもなっている.

 

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