本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです


 

8月3日

暑い日々が続いています。ほんとうに暑い。私のいる堺市郊外は、一面のコンクリートなんで、照り返しとかで気温がぐんぐん上昇してしまうのですよね。だから、サウナに入っているみたいになる。山とかが近くにあったら、ずいぶんちがうのだろうけどね。先日、PL花火大会に行って来ました。うわさに聞く世界一の花火25万発とかで、どんなんだろうって思いながら夕方に南海線に乗って狭山のほうへ。浴衣を着た若者たちなどが、電車にぎゅうぎゅうづめに乗っていた。ほんとうは、花火の真下の富田林まで近鉄に乗り継いで行くのが正しいのだろうけど、30万人とかの人出が恐くって、ずいぶん前の狭山市で降りて遠くから眺めることにしたのでした。狭山市で降りちゃう人もけっこういて、その人たちのあとを着いて歩いてたら、田んぼがあって、そのあぜ道でみんな涼みながら座り込んで待っていたのでした。私もそこに座って日暮れを待ってました。そしたら、涼しい田舎の風がすうっと吹いてきて、稲を揺らして遠ざかっていく。あ、いいなって、思って、そしたらまた風が吹きすぎていく。涼しい風に包まれて、何ともいえない解放感に包まれてしまったのでした。山から吹いてくる風、稲のあいだを伝ってくる風って、いいな。子ども時代を思い出すな。それから、暗くなって、花火本番。遠くからでも、大規模な花火が見られました。いろいろ構成も考えられていて、花の見立てとか、いそぎんちゃくみたいなのとか、たのしかった。最後の大爆発みたいなのは、ずごすぎて、ちょっとやりすぎっていう感じ。でも、なかなかよい。花火って、タダなんだよね。このご時世、なにを楽しんでも、お金とられるじゃん。タダで、こんなもの楽しめちゃうってのは、いい文化かもしれないな。でも、いずれ、有料になるかもな、みるだけで。囲い込んで、花火をしちゃうとか。あり得るから、こわい。

ところで、ライブラリに、ずいぶん昔に書いた大顰蹙エッセイ「ジュリアナ東京観戦記」をアップしました(入力ボランティアありがとう)。バブル最後を飾る無駄花ジュリアナであったが、その最高潮のときに潜入して書いたルポであります。いまや、もうディスコ、お立ち台って絶滅してるよね。ミニスカの歴史って、お立ち台ギャル→援助交際ギャルって流れたような気もする。1993年にジュリアナでパンツ見せて陶酔して踊っていたきみたち、それを覗きながら酒飲んでたきみたち。あれから6年。いまどこで、何してるんでしょう。(ディスコ・クラブって、大箱と小箱の2系列あって、大箱はユーロ→テクノって感じだが音的にすきになれない。小箱(っていうんか?)のハウスがいちばんいいなあ。しかし大箱も根強い人気なんよねえ。近頃は、大規模クラブのなかに、小箱も付随しているところがあって、メインは素通りしてサブのほうで聞いてるってのがいいかも。でも、ハウスの場合とか、DJが手抜きしてたら、目も当てられないしなあ、ぶつぶつ。)