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襲い来る殺人氷塊・サンプル

第1章

 1

「なんだ、このメールは……」
  地之木好夫は思わず大声を発した。自分の声に驚いて、彼は立ち上がり簡易間仕切り越しに三人の仲間たちの机を見回した。幸い昼休みの時間で、小さなオフィスには彼のほか誰もいなかった。たとえ仲間たちが仕事をしていても時折奇声を発する彼の癖には慣れきっていたので、彼の大声に驚くものはいないはずだ。だがメールの内容を知ったら彼らはどう思うだろうか。
  彼は仲間たちがいないときを見計らい、日に何度も、警告とも予告ともつかないメールを開く。ディスプレーに映し出された文面を見るたびに身体の芯からじわじわとしみ出るような言うに言えない奇妙な衝撃が全身を襲う。その都度彼は息を潜め、じっと衝撃が収まるのを待つだけで、ふたたびメールを閉じてしまう。
「人類絶滅序章ーー人類は滅亡への道を歩みはじめた」というタイトルがはじめて目に飛び込んだとき、一瞬彼はまた誰かの悪戯メールかと思った。だが暮れの押し詰まったとき、密かに忍び込むように送り込まれたメールにどこか引っ掛かるところがあった。
  日を置かず、メールが予告するような大地震がスマトラ沖で起きた。大津波がインド洋沿岸諸国を広範囲にわたり襲い、三十万を超える犠牲者・行方不明者が出た。
  その年は日本にとってもおかしな一年だっだ。
  世界各地で異常気象が頻発し、年々その数を増していたので、異常気象は決して目新しいものではなかったが、その年に限って、日本列島に例年の三倍もの台風が上陸した。それに台風そのものが巨大化し強暴化していた。
  赤道付近で発生した熱帯性低気圧がゆっくり西に向かい、発達しながら台風となって中国大陸に近づいて行くが、その年の台風は決まったように途中からUターンして日本列島に南端から襲いかかるのだ。次から次と九州に上陸した台風が列島を西から北へと縦断し各地に災害をもたらした。何度目かの台風のあと、突然、浅間山が噴火した。九月から十月にかけ何度か噴火を繰り返しているうちに、浅間山からそう離れていない中越地方をマグニチュード七の大地震が襲い、数千ヵ所で山崩れが起きた。数ヵ月にわたり余震がつづいた。大雨と大雪が追い撃ちをかけた。
「ホントかな……」
  地之木は半信半疑だった。だが本文を読み出すと、はじめて見たときと同じように、彼はディスプレーに釘付けになった。得体のしれない戸惑いと心臓を剣で一突きされたような衝撃を感じた。
  彼は最初から最後まで続けざまに二度繰り返して丹念に目を通した。
  一度目は息も吐かず最後まで一気に目を通すと、二度目は途中で何度も立ち止まり、吟味しながら読んだ。彼の胸は大きな波を打ち続けた。読み終えると、彼は画面から目を離して考え込んだ。
「……地球温暖化が加速……、動植物の有毒化、バクテリアやウイルスの反乱……」
  彼はふたたびディスプレーに目を戻した。仲間に送った環境対策に関する意見メールに対する返信だろうか。だがそれにしては詳しすぎる。誰がどんな意図でこんなメールを書き、誰が送り付けてきたのだろうか。
  メールは単なる返信か、それとも別のものか。もし彼宛の返信であれば、彼個人に対するものにすぎないが、それにしては全体的に内容が一般的で、多くの人を対象にしたもののようにもみえる。彼はあれこれ考えあぐねながら画面に目を戻したとき、添付ファイルがあることに気付いた。彼は即座にポインターをファイルに移動する。開封しようとして一瞬思い止まった。ファイルにどんなウイルスや仕掛けを仕込んでいるか分かるもんか。彼は添付ファイルを開封せずにそのままごみ箱のアイコンに移動した。
  メールの添付ファイルにデータを食い荒らすコンピュータウイルスが潜んでいることが多かった。安全を考え、彼は添付ファイルを開かずに廃棄する道を選んだものの、なんとなく添付ファイルのことが気掛りだった。添付ファイルに別の重要なメッセージが入っているかもしれない。しばらく考えてから、彼はごみ箱から添付ファイルを取りだし、空のフロッピーにコピーした。それから彼はふたたびファイルをごみ箱に戻し、ごみ箱を空にした。彼はもう一度ごみ箱をクイックして添付ファイルが完全に削除されているか確かめた。
「昼飯はもう済んだの……、あ、メール?」
  突然声がした。反射的に振り向くと、背後に左山が立っていてディスプレーを覗き込んでいる。いつの間にか、戻ってきたらしい。
「うん……」
  まじまじと彼の顔を見つめる左山の不審そうな眼差しに気付き、彼は急いでつづけた。
「キミんとこにも送ってきていないかな、変なメールだ……、つい最近送られてきたんだが……」
  とっさに彼は言ったものの、左山はこんなメールが送られてきたら黙っているような男ではなかった。
「うーん? 変なメール? どこから?」
  左山が身を屈め、彼に覆いかぶさるようにして、ふたたびディスプレーを覗き込む。
「とにかくチェックしてみてくれよ、いま直ぐ。もしかしたら届いているかもしれないから」
  前屈みに折り曲げていた背を伸ばし、頭の上から覗き込む左山を押し返しながら、彼はもう一度強く言う。このメールが自分だけに送られてきたのかどうか知っておきたかった。もしそうなら、内容が内容だけにこの扱いについて仲間たちと真剣に相談しておくべきではないかと思った。知らせずにおいても、遅かれ早かれ仲間たちを巻き込むことになることは分かり切っていた。
「おれのとこにはそんなメールは届いてないなようだけど……、これも違うな……、で、誰から」
  左山は自分の席でディスプレーに映し出したメールをチェックしながら、大声をあげる。
「分からない……」
「なんだって……」
  左山が駆け寄ると、椅子を奪い、彼のディスプレーのまえに座った。
「これはなんだ」
  メールに目を通し了えた左山が驚きの声を上げ、彼を振り返り、大きな目を向けた。だが黒目は焦点が定まらず、激しく動いている。
「おい、どうした、大丈夫か」
「これ、地之木さんの悪戯じゃないよな」
  左山はディスプレーに目を据えたまま、左手で無造作に額の髪をかき上げながら言う。頬に垂れた長い髪に半ば隠れているせいか、面長の顔がいつもよりさらに細長く尖って見える。返事をする代わりに、彼は左山の横顔に目を走らせた。なぜこのメールが自分だけに送られてきたのだろうか。だがなにも思い当るものはなかった。
  単なる悪戯ではないとすると、四人の仲間のうちで自分だけに送られてきたメールはなにを意味するのだろうか。
「なかなかいいことを書いているじゃないか。これは利用価値があるぞ。みんなに読んでもらおうじゃないか」
  左山はひとりで騒いでいる。
「よーし、全世界にばらまこう。いいよな。決まりだ」
  左山は振り返って叫ぶ。
「誰が発信したか分からないやつをかね……」
  地之木は左山のはしゃぎようにいささか嫌悪感を覚え、水を差す。
「え?」
「このメールは誰が書いたか分からないのだ」
「そんなことはないだろう。この内容じゃ、誰が書いたか見当付きそうだが……、そうだ、あの男かも」
「……誰のことだ」

(続く)

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