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天翔け地這う 第3巻  オセロ作戦パート1・サンプル

 

第一章

 1

「おい、変わったことはないか」

 少々太めのがっちりした体格の男がモニターをチェックしている若い男に背後から近付く。湖畔の一軒家作戦に従事した黒装束チームのチーフ山城だ。

「はい。いまのところ変化ありません。誰も来ません」

 モニターには男女の姿があった。食事しているのか、テーブルにはご飯茶碗とみそ汁のお椀のほかに、料理を盛った皿や小鉢がいくつも並び、ふたりはせっせと口を動かしている。

「発信機も異常ないな」

「はい。異常ありません」

「それにしてもよく食うな、ふたりとも……」

「はあ……」

「体内にチップ(発信用チップ)を埋め込まれていると、腹が空くのかな」

「…………」

 山城は若い男の背後に立ったまま、モニターを覗く。この男も日本地区代表に劣らず、野心を秘めた鋭い目付きをしている。

「黒の集団」が湖畔に陣を構え、対岸の一軒家にいる木実子と森野を監視するようになっても、彼はふたりに対して任務遂行を超える関心を示さなかった。かといって無視しているわけでもなかった。木実子に関する情報をたびたび要求されても、上から命じられたいつもの仕事と認識していたにすぎない。

 最初は、地区代表の個人的な関心事ぐらいにしか思わなかった。

 だがあるときから、彼は急にふたりに関心を持ちだす。なぜか、地区代表が異常なまでに、ふたりの詳しい動向を知りたがるのだ。そして女に関する情報を執拗なまでに要求してきた。

 それは傍から見ても異常だった。なにが地区代表にそのような行動を取らせているのか。彼は知らずのうちに、女に興味を持つようになっていった。

 一軒家のふたりが「天の組織」と関係があるらしいことは知らされていたが、地区代表の関心は度を超えて異常だった。女の行動について毎日、ときには日に二度、三度と詳細な情報を要求してくるのだ。

 彼は次第に地区代表の行動に興味をそそられ、女へのめり込んでいく。

 野心家の地区代表の執拗なまでの要求には、きっとなにかが隠されているはずだ。それも極めて重要な秘密にちがいない。それは一体なにか。彼はあれこれ考えるが、どんな秘密が隠されているのか、これはというものはなかなか思い付かなかった。

 突然、一軒家にふたりを残したまま、作戦が中止になった。だが燃え上がった彼の好奇心の炎は収まらなかった。

 一軒家のふたりに秘密を解く鍵があると睨んだ彼は、ひとつの計画を思い付く。

 彼は上司に気付かれないように、一軒家にふたりとそっくりの人形を残し、ふたりを密かに拉致することにしたのだ。そしてふたりを常時遠隔監視するために、体内に超小型の発信用チップを埋め込んだのだった。

 彼にとって幸いなことに、その直後、湖近辺に発生した竜巻が湖畔の一軒家を襲ったのだ。

 一軒家は空中に舞い上げられ、跡形も無くなった。地元消防署のレスキュー隊員による捜索にのもかかわらず、住んでいたふたりの遺体は見つからなかった。その後なんの消息もなく、ふたりは竜巻の犠牲になったことになってしまった。

 一軒家作戦から戻ると、彼は何食わぬ顔をして、上司に、一軒家が竜巻の直撃を受け、住人もろとも吹飛ばされてしまったと報告した。

 それ以来、彼は自室の片隅で密かにふたりの監視をつづけていた。何日経ってもふたりの周りにはなんの変化も現れなかった。それでも彼は監視をつづけた。

 彼は湖畔の一軒家で目にした不思議な出来事を忘れることができなかったのだ。

 暗闇の迫る晩秋の夕暮れ時のことだった。

 突然、天空から淡い光の糸のような光線がするする伸びて一軒家のなかへ入って消えたのだ。彼は一隊を引き連れ、すぐさま一軒家へ向かった。

 家中をくまなく一斉に調査したがなにも発見することができなかった。あとでそのときのビデオを再生すると、糸のような細い光の帯を辿って下りてくるひとりの若い女の輪郭が淡く浮かんだ。

 あのとき、一軒家を徹底的に調べ上げたのに、若い女の姿はどこにもなかった。それどころか、髪の毛一本、ゴミのひとかけらさえ見つからなかった。

 ところが、その数日後、天空へ伸びる光の帯をひとりの女が昇っていったのだ。

 ほんの一瞬の出来事だった。目を凝らしていても決して気付くことがない一瞬の出来事だった。超高速撮影のビデオを再生してはじめて捉えることができたのだ。

 女はどこに隠れていたのだろうか。

 彼は誰にも話さず、もう一度一軒家を徹底的に調べた。だがなにも見つからない。まるで、狐に騙されたようだった。

 彼はこの不思議な出来事を上司にも報告せず、ひとり胸に仕舞い込んでしまった。自分でも半信半疑だったし、またこんな話をしても、誰も本気にしないだろうと思ったからだった。

 彼は何度もビデオをチェックする。そしてこのふたりがなにかを知っているにちがいないと思った。

 自白強要剤を用い、ふたりを徹底的に調べたが、なにも出てこなかった。ふたりの無意識レベルの記憶のなかにも若い女の記憶がなかった。それで彼はふたりに自由に振る舞わせる作戦に出たのだった。

 2

「『黒の集団』は着々と作戦を進めているようだ」

 アムンがぽつりと言い、目の前に立っているハクリに目を移す。

「…………」

 ハクリは口を噤んだまま、じっとアムンを見つめる。深いしわが刻まれた顔は憂慮に満ちていた。

「最近成年男子の精子の数が極端に減ってきている。卵子の劣化も急速に進んでいるのではないか」

「それでは今後、不妊率が増加して出生率が低下することになるのですか。そして、世界人口が減少していくことになるのですか」

「数の減少に加え、質の劣化もあるだろう。このまま、人口の減少と質の低下がつづけば、地球人類の将来にとって大問題だ」

 人間の男子は一〇歳を超すと、一日約五〇〇〇万個から数億個の精子をつくりつづける。それが最近急速にその数を減らしてきているという。WHOが不妊の目安にしている二〇〇〇万個を切るものも出てきているのだ。

 一方、卵子の数は、胎児の時には卵巣に卵母細胞が六〇〇万個から七〇〇万個があるが、出生時になると、卵子は一〇〇万個から二〇〇万個で、初潮の時には七〇万個前後となる。二〇歳ごろには一〇万個、四〇歳ごろには一万個となってしまう。一生のうち、受精できる卵子は四〇〇個ぐらいだが、卵子の劣化がかなり目に付くらしい。

「『黒の集団』の世界人口減少作戦がはじまっているのでしょうか……」

「そうとしか考えられない。ある種の合成化学物質が生殖に悪影響があると疑われても、彼らは生産を止めず、かえって、それらの合成化学物質を大量に売り捌いている。それらの影響で地球人の精子数が減少しているらしい。ことに日本がひどい。それに、この種の合成化学物質に対する行政の規制の動きにも、彼らはあの手この手を使って執拗に抵抗してきている。それはなぜか。その意図はなにか……」

 彼は「黒の集団」の戦略戦術をあれこれ考える。彼らの意図を正確に掴まなけらば、どんな対応策も的外れになってしまうのだ。

 物質を構成する化学物質には、もともと自然に存在するもののほかに、人為的に合成されたものがある。これが合成化学物質である。厳密にいえば、これとは異なるが、これに類するものに、非意図的に生成される化学物質がある。たとえば、ダイオキシン類やトリハロメタンだ。非意図的に生成されるとはいえ、生成過程でなんらかの人工的要素が加わっていれば、この種の化学物質も合成化学物質に準じて考えてよい。

 とにかく、日本など先進諸国ではさまざまな合成化学物質が生活環境に入り込み、合成化学物質なしに生活できないほどになっている。たとえば、家の中には、毎日使う各種の合成洗剤から化粧品、香水、シャンプー、リンス、ヘアスプレー、歯磨き粉、口腔洗浄剤、各種医薬品、各種健康食品、芳香剤、消臭剤、防虫剤、防かび剤、床用ワックス、漂白剤、殺虫剤、ゴキブリ駆除剤など、これらはさまざまな合成化学物質を寄せ集めてつくられているのだ。それに食べものに加えられる各種添加物は合成化学物質そのものだ。

 また、居住用住宅やさまざまな建造物には、合成化学物質を存分に使用された合板や壁紙など各種建材が使用されているし、シロアリ駆除剤、ガーデニング用殺虫剤や除草剤なども欠かせない。

 今日、世界中の人びとには合成化学物質が欠かせず、日常生活は無数の合成化学物質に塗れて、包囲されてしまっているのだ。

「地球人はもはや合成化学物質なしでは生活できない……」

「そうだ。そこが彼らの付け目だ。今日、便利で豊かな生活を維持するために使用されている合成化学物質は、一説によると、五万種から一〇万種ともいわれている。だが、現在、地球上では、多分それ以上の化学物質が工業的に大量に生産され、大量に消費され、大量に廃棄されているだろう」

「地球環境はこれらによってすっかり汚染され尽くしてしまっている。そしてそのなかには精子を減少させるようなおかしなものが含まれている……」

「いや、『黒』は故意におかしなものを加えていたのだろう。さもなければ……」

 彼の脳裏に作戦を着々と遂行している「黒の集団」が浮かんだ。と同時に、「黒」を統率する議長の高笑いが響く。

 確かに、これまでの「黒の集団」の行動からみれば、目的を実現するために手段を選ぶことはないのだ。あえて毒性のある合成化学物質でも大量に生産し、大量に販売して大量消費を仕向けることも厭わないだろう。彼らには行政の規制など、屁の河童なのだ。

 だが彼には分からないことがあった。ある種の合成化学物質が体内でホルモンに似た働きをして内分泌を撹乱し、生殖機能や性決定などに悪影響をおよぼす懸念が指摘されていたときのことだ。

 彼らには行政の規制など眼中にないはずなのに、行政が合成化学物質の有害性を確認評価するための試験をしようとしたとき、なぜか、彼らが猛烈に抵抗し、執拗に妨害したのだ。行政の単なる有害性確認評価試験の段階で、何故にそれまでしたのか。それまでして、なぜ前もって、規制の動きを封じようとしたのか。

 そのとき、彼ら「黒の集団」は動きの鈍い業界団体をせっつき、あらゆる手を弄して、行政の動きを封じてしまったのだ。なぜ日本の行政に対して「黒の集団」がそこまでするのか、彼にはなかなか理解することができなかった。

 もしかしたら、彼らが密かに実行する世界人口減少作戦が暴露されることをおそれたのかもしれない。だが彼らの傘下にあるグローバル企業を動員すれば、目くらましに、矢継ぎ早に、多種多様の合成化学物質を世に出すことなど、朝飯前なのだ。疑わしいとされた合成化学物質に代わる新たな合成化学物質をつぎつぎに開発し、大量生産、大量販売することはいとも優しいことだった。

「もしかしたら、彼らはすでに、日本乗っ取り作戦を開始しているのかもしれない」

 彼は自分の呟きを聞いて、はっとする。それは無意識のうちに、ふいに口から漏れでた呟きだった。

「そうか。そうだったのか……」

 彼はようやく、彼らが自らの世界戦略を遂行するために、日本の官僚と親しく接触する機会をつくるために打った芝居だったことに気付いたのだ。

 たとえ生殖毒性がある合成化学物質とはいえ、新らたに規制の対象とするにはその根拠となる法律が必要だ。法律がなければ、規制することはできない。政令や省令で追加的に行なうことができる場合でも、それなりの根拠が要請される。

 日本では、今日、法律案(法案)の大半は官僚によってつくられている。これが大臣、内閣、そして国会が承認(議決)すれば、法律となるが、これらの政治家(大臣、内閣、国会議員たち)の承認をうるためには、実行したい政策の必要性を納得させるにたるそれなりの情報や証明資料が必要なのだ。

 そこで、官僚がこれらの資料を作成するために利用するのが、審議会、研究班、検討会といった専門家で構成する委員会組織(会議体)だ。専門家で構成するといっても、明らかな反対意見の持ち主は敬遠し、批判的な専門家もできるだけ排除する。そして自分に都合のいい委員を選ぶのだ。もし人選後に委員の言動に不都合が見つかれば、即座に入れ替える。委員会の席上、事務局の意に反して、反対意見や修正意見を言おうものなら、次回以降は「お呼び」でないことも多い。

 このような委員会で作成された報告書の都合のいいところを取り出して、これらを見繕って説明資料をつくり、法案に仕上げる。これができれば、つぎは、政治家の説得工作へ移ることになる。

 これらの過程で、直接、官僚や政治家を対象に、さまざまな利害関係者による干渉、妨害、反対工作等がなされる。これらの各段階で、多くの修正を加えられたり、骨抜きにされたりして、当初の法案とはまるで別物となったり、あるいは没となったりする法案も多い。

 それゆえ、もし、「黒の集団」側が単に規制に反対するなら、この機会を掴まえれば十分なのに、そのときはその前段階の説得資料作成段階に強引に割り込んできたのだ。そして、猛烈な妨害行為を敢行したのだった。

「もし、日本乗っ取り作戦が始まっているとすれば、これにどのように対処すればいいのでしょうか」

 ハクリは返事を待つように、じっとアムンを見ている。

「ハクリ、ヨウとミサを呼んできてくれ。ふたりの出番だ」

 アムンはハクリの後ろ姿を見送りながら、頭の中でひとつの作戦を描いていた。

 3

「最近、日本でふたたび、『内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)』が問題化しているようだが……」

 突然、地区代表の執務室に議長の声が響く。壁一面のスクリーンに黒装束に黒の尖り帽子を被った議長が現れた。

「はあ……」

 日本地区代表の精悍な感じの顔に、一瞬陰りが走る。代表は議長の声にいつもと違った苛々した荒々しい響きがあることを感じた。議長はつづけて「一体どうしたことだ」と言いたかったにちがいない。

 一〇年前にも「内分泌撹乱化学物質」がマスコミに取り上げられて大問題化したことがあった。そのときは事前に手を打ち、合成化学物質に対する行政の動きをなんとか食い止めることができた。それが再燃したことに、議長が不満に感じているのか。

 議長はあのとき、行政の動きが収まった機に乗じ、「内分泌撹乱化学物質」類似の合成化学物質をつぎつぎと乱開発する作戦を思い付き、一挙に「バラマキ作戦」に打って出たのだ。

 日本地区もそれを受け、多種多様の合成化学物質を大量生産し、これらを用いて各種の新製品を開発して売り込んだのだ。そしてあらゆる手段を弄して大量生産大量消費大量廃棄を促してきたのだった。

 日本地区代表にとって、今回の「内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)」問題化の再燃は当然予想されたことにすぎなかった。まさかそのことを議長が予想しないことはあるまい。それだけに、議長の不満が理解できないのだ。

「あのときに徹底的にやっていなかったのかね。いまごろになって蒸し返されては、折角の作戦も台無しになってしまう。そうだろう……」

「…………」

「いいかね。この作戦はまだ半ばだ。ここで規制強化に出られれば、これまでの作戦も水泡に帰すのだ」

「分かりました。今度こそ、行政の動きを粉砕します」

「そうできればいいが、日本乗っ取り作戦はまだ早いぞ。早まるな。指示するまで待つように」

 議長はぴしゃりと言うと、姿を消した。

 冷や汗が背筋を流れ落ちていく。日本地区代表は棒立ちのまま、しばらくスクリーンを見ていた。

 4

「なにかご用でしょうか」

 ミサにつづいて、ヨウが執務机のまえに立つ。大きな机の向こうに、ふたりを見つめるアムンの深い透明な目があった。ハクリが机の横に立ち、若いふたりとアムンの横顔に交互に目を走らせる。

「一軒家の住人……」

「秋野木実子と森野祐輔のことですか」

 問いの意図を推し量ろうと、未佐はじっとアムンの目を覗く。

「そう。秋野木実子さんはヨウの……」

「はい。わたしの母です……。でも、現在……」

 すかさず、耀は応える。

「うん……」

 アムンは軽く頷き、目を細めてじっと耀を見た。

「ほうぼうを当たっているところですが、まだふたりの行方が分かりません……」

 ハクリが横から口を入れる。

「『黒』の連中がふたたび蠢動しているようだ。ふたりを早く探し出して、準備をはじ

めないと後れを取ることになる」

「…………」

 ハクリは口を閉じたまま、大きく頷く。

 

 

・・・・・・・・・・・・

(続く)

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