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地球の箱船を求めて 第4話 きみらこそ日本を、世界を、そして地球を―「戦争のない平和で幸福な世界」への旅・サンプル

 

プロローグ(耕一郎の独り言)

 老残の身、いまさらお節介するつもりはないのですが、なぜか、近頃、人類の未来が気になって仕方ありません。われわれ人類に多大な恩恵(「プラス」という)をもたらすはずの現代科学技術文明が、これに反して、人間のコントロールを離れ、超スピードで暴走しているではありませんか。こんなにスピードを出して現代科学技術文明はどこへ向うのでしょうか。そしてわれわれはどうなるのでしょうか……。
 こんなとき、わたしの弟進二郎(信二郎)は核戦争が避けられないと核シェルターまで造っていたのですが、なぜか急に「戦争のない平和なそして幸福な世界」を実現して欲しいという遺言を残して(『地球の箱船を求めて 第三話 暴走する現代科学技術文明』)、突然行方不明になったのです。
 このことも重なって、わたしは弟の希求する「戦争のない平和なそして幸福な世界」の実現方法を探していろいろ思いを巡らせてきたところですが、最近とみにスピードを上げて暴走しつづける現代科学技術文明が、なぜか「戦争のない平和で幸福な世界」の実現を妨げるような「マイナス」を無闇矢鱈と増殖増大させているように思えてなりません。
 最近、ふと、人間が人間であること止めようとしているのではないかと思うことがあるのです。それも今世紀中にそうなるような気がするのです。いや、もしかしたら、すでにわれわれはそれに向って歩み始めているのではありませんか。
 いや、すでに人間の一部が人間でないものと置き換わっているのではないかと思うことがあります。最近そんな気がしてなりません。なぜそう感じるのか分かりませんが、いつのまにかわれわれはすでに現代科学技術文明が生み出したVR(仮想現実)の住民となってしまっているせいでしょうか。VRだけでなく、AR(拡張現実)も日常茶飯事ですから、いまさら驚くこともないかもしれませんが……。
 それはそれとして、まだ人間であると思っているうちに、というより、人間でなくなるまえに、これまで考えてきたことを少しお話させていただきたいのです。「戦争のない平和で幸福な世界」なんて全然興味ないといわずに、しばし、お耳をかしてくれませんか。そして一緒に考えてみませんか。
 それにしても、この地球が、世界(国際社会)が、そして日本が、これからどうなっていくのでしょうか。

 最近、「シンギュラリティ(技術的特異点)」ということばを耳にしますが、名付け親のレイ・カーツワイルによると「コンピューターが人類の知性を超える」時点のことだそうです。そして彼によると、それは二〇四五年にやってくるというのです。とうとう現代科学技術文明も行き着くところまで行ってしまうということでしょうか。
 近年、現代科学技術文明は人間のコントロールを離れ、まさに暴走状態といっていい状況にありますが、このような現代科学技術文明のもとで「コンピューターが人類の知性を超える」と、人間社会にどういうことは起こるのでしょうか。コンピューターが人間を支配することになるのでしょうか。コンピューターの支配する社会とはどんなものでしょうか。そしてそれは人間にとって幸福なことでしょうか。
 もし、そんな事態になればわれわれ人間はどうなるのでしょうか。これまでの人間社会はどのように変化することなるのでしょうか。
 すでに、人間のコントロールを離れ、暴走し出している現代科学技術文明のことですから、レイ・カーツワイルの予測するとおりに、今世紀の中頃までに、彼のいう「シンギュラリティ(技術的特異点)」が到来することでしょう。いや、もしかしたらそれよりずっと早いかもしれません。
 というより、ここで問題にしたいことは、現代科学技術文明がこれまで何度も「シンギュラリティ(技術的特異点)」ともいうべき事態を繰り返し、そのたびに質的な変化を遂げてきているということです。そして「文明の恩恵」と引き換えに人間の領域が倍加して浸食されていったのです。それにもかかわらず、人間はそのことには一切無頓着だったようです。これは一体どういうことでしょうか。
 科学技術の進歩は人間にとって良いことだと信じて、このような「シンギュラリティ(技術的特異点)」は単に科学技術の進歩の一段階であると思ったり、あるいは現代科学技術文明のひとつの高次の新段階であると認識していただけだからでしょうか。
 ところがどうでしょうか。
 このような現代科学技術文明の新展開によって「プラスおよびプラス面」の増大とともに、なぜかその「マイナスおよびマイナス面」も著しく増大しているではありませんか。現代科学技術文明の新展開は人間社会を進歩させるだけでなく、逆に、退歩させるものだというのでしょうか。いや、文明の進展によって種としての人間の生物学的能力や機能がかなり退化しているというではありませんか。
 そればかりではありません。現代科学技術文明の超スピードの展開のなかで、地球環境問題や経済的格差は拡大しつづけ、また、地上から戦争や紛争が消えることもなく、飢餓や貧困に悩まされる人びとは増えることがあっても減ることがありません。
 文明が進歩すれば、人間生活は豊かになり、みんなが幸福になるはずであったのではなかったのですか。一体どうしたことでしょうか。「戦争のない平和なそして幸福な世界」はどこへいったのでしょうか。現代科学技術文明の新展開が「戦争のない平和で幸福な世界」の実現を脅かしているとすれば、われわれはどうすればいいのでしょうか。
 現代科学技術文明の「シンギュラリティ」ともいうべき最近の例としては、一九四五年のことですが、原子爆弾(核兵器)の開発があります。つづいて、一九六〇年代に入ると、地球規模の環境汚染や環境破壊が出現し、地球環境問題として認識されるようになりました。
 現代科学技術文明の発展によって、「核兵器」という究極の大量殺戮兵器がつくり出される一方、つづいて地球全体を覆い尽くす規模の環境汚染や環境破壊が発生し、いまなお悪化しつづけているのです。このほかにもさまざまな「マイナスおよびマイナス面」が増殖増大中ではありませんか。
 現代科学技術文明の「シンギュラリティ」に該当すると考えられるものはいくつもあるでしょうが、ここでとくにこれら二つを取り上げたのは、前者の核爆弾は人類全体を抹殺する究極の大量殺戮兵器であり(現在も、米ロとも人類を何度も皆殺しにするだけの量の核兵器を保有している)、後者は人間活動がまさに地球の限界(有限の壁)を乗り越えつつあることを如実に示しているものだからです。
 これらはいうまでもなく、現代科学技術文明の「マイナスおよびマイナス面」に該当するものです。これはまた、現代科学技術文明が人間のコントロールを離れて、自らの意思で暴走をはじめたような出来事であり、現代科学技術文明の「シンギュラリティ」だったともいうべきものではありませんか。
 それにもかかわらず、半世紀を超えても、人類は、そして人間社会(国際社会)は、これらに対していまだに有効な手を打てずにいるのです。このような「前科」をもつ現代科学技術文明が、あろうことか、なんらの歯止めもなく、人間のコントロールを拒否したまま暴走しつづけているのです。暴走の果てに、なにが起きるのでしょうか。スピードがあまりに早く、もはや、だれにもなにが起こるか予測できません。
 そしてさらに不思議なことに、現代科学技術文明のもとで、文明の恩恵すなわち「プラスおよびプラス面」よりも不利益すなわち「マイナスおよびマイナス面」、さらにはっきり言えば、利便性や豊かさといったものよりもさまざまな危険や格差などが際立ち、人間社会はますます不公平で不安全なものとなり、不満や不安が充満しているのに、だれも本気でこれをコントロールしようとしないのはなぜなのですか。多少でも「プラスおよびプラス面」があれば「マイナスおよびマイナス面」のことは一切気にはならないということなのでしょうか。それとも「プラスおよびプラス面」を独占する一部の人びと(「強者」)に牛耳られ、多くの人びと(「弱者」)は口を開くことさえできず、毎日ただ右往左往するほかないからでしょうか。
 いいかえますと、最近、なぜか現代科学技術文明の主作用(利益や恩恵といったもの、これを「プラスまたはプラス面」という)よりも副作用(不利益や危険といったもの、これを「マイナスまたはマイナス面」という)が目立ちます。こればかりではありません。ことさら「マイナスおよびマイナス面」を増大する動きさえ見受けられます。
 とにかく、現代科学技術文明の巨大化高度化大量化とともに、いわゆる主作用も巨大化高度化大量化しているのですが、これに劣らず、その副作用もまた巨大化高度化大量化しているように感じてなりません。そしていつか「マイナスおよびマイナス面」が「プラスおよびプラス面」に取って代わり、人間に敵対し、人類を絶滅の淵に追いやることになるのではないか。
 それにもかかわらず、われわれ人間は現代科学技術文明の恩恵(?)に酔いしれて、増殖増大する「マイナスおよびマイナス面」にはどこ吹く風といった調子で、毎日至極のんきに過ごしているように思えて仕方ありません。それも不思議なことに、現代科学技術文明の「プラスおよびプラス面」をエンジョイすることも少なく、より「マイナスおよびマイナス面」をフルに被っている多くの人びと(「弱者」)が「スマホ」を片手に楽しく時間を消費しているように見えるのはなぜでしょうか。
 もっとも、現代科学技術文明の主作用(「プラス・プラス面」)あるいは副作用(「マイナス・マイナス面」)といっても、核兵器のように、人びとを大量に殺戮するような、いわば「マイナス」を主作用とするものもあるので少々複雑であるが、これらも当然「マイナス」の範疇に属するものと考えるべきものです。これらについては後で詳しく触れることがあるでしょう。
 現代科学技術文明のアウトプットには、ハードな科学技術にかかわるものに限らず、ソフトな現代文明の産物、たとえば現代都市や政治経済社会システムにかかわる各種の制度や仕組みなども含まれ、それぞれにおいても「プラスおよびプラス面」や「マイナスおよびマイナス面」は見られるものです。それにさらに困ったことに、これらのいわば文明のハードソフトな産物が地震や台風などの自然災害の影響や被害を増幅することがあることです。いいかえれば、自然災害の人災化が現代科学技術文明の展開とともに増大しているのです。これらも「マイナスおよびマイナス面」に含めて考えるべきでしょう。
 忘れてならないことは、これらはすべて人間のなせる「業」であることです。そして厄介なことに、現代科学技術文明が巨大化高度化大量化すればするほど、巨大化高度化大量化した「マイナスおよびマイナス面」が見えなくなってしまっていることです。
 なぜそんなことになっているのでしょうか。スマホなどネット社会のもたらすさまざまな目先の「プラスおよびプラス面」に幻惑されてしまっているからでしょうか。
 現代科学技術文明に欠陥があると思えて仕方ありません。われわれはどこでなにを間違ったのでしょうか。
 早くなんとかしなければ、手遅れになってしまうかもしれません。そしてこのような予兆は、ネット社会の出現以来、このほかにも数々見受けられます。
 それなのに、手を拱いている人間どもをよそ目に、いまも現代科学技術文明はさらなる巨大化高度化大量化を目指して勝手に暴走をつづけているのです。現代科学技術文明がこのまま暴走をつづければどうなるのでしょうか。そして「マイナスやマイナス面」がさらに巨大化高度化大量化すればどうなるのでしょうか。

 地球システムが大撹乱しはじめています。その一方で、世界(国際社会)は分断分裂の混乱のなかで混迷を極め、閉塞感を深めているのです。そして世界動乱の兆しのなかで、日本はどうなるのでしょうか。
 これらの行き着く先はどこでしょうか。「戦争のない平和で幸福な世界」がますます遠のいて行くように感じますが、日本は、世界は、そして地球は、本当に大丈夫なのでしょうか。そして人類はどこへ行くのでしょうか。
 このままでは、現代科学技術文明から直接間接に生み出された「マイナスやマイナス面」が「戦争のない平和でそしてみんなが幸福な世界」の実現を妨げるばかりでなく、さらに遠い彼方へ追いやってしまうことになるでしょう。そしてこの二一世紀の世紀末に向って、地球システムは大撹乱を極め、世界は大動乱のなかで混迷の深淵へと落ち込んでいくことでしょう。その結果、まかり間違えば、人類は破滅の瀬戸際に立たされ、絶滅の危機を迎えるかもしれません。
 二一世紀は、われわれ人類にとってまさに「シンギュラリティ」の世紀ともいうべき一〇〇年ではないでしょうか。というより、人類史の転換期なのではないか、そんな気がしてならないのです。
 二一世紀もすでに一七年過ぎようとしているのです。一体、われわれはどこへ向っているのでしょうか。それに対して、われわれはどんな準備をしているのでしょうか。
 それにしても、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。そして人類はどうなっていくのでしょうか。
 とにかく、一刻も早く現代科学技術文明の暴走を止めなければ、人間社会は破滅への道を転がり落ちていくにちがいありません。そして人類は絶滅の危機を迎えることになるのです。
 いいですか。危機の二一世紀はもうすぐ五分の一近くが過ぎ、残された年月は八〇余年しかありません。いまを生きるきみたちがいま立ち上がらなければ、もう間に合わないかもしれません。
 でも「プラス」や「マイナス」を限りなく巨大化高度化大量化して暴走しつづける現代科学技術文明をどうすれば制御することができるでしょうか。「プラス」を巨大化高度化大量化していけば、「マイナス」を克服することが可能なのでしょうか。
 たとえ「プラス」といえども、それを限りなく巨大化高度化大量化しつづければ、やがて地球の有限の壁(限界)によって一瞬のうちに「マイナス」へ転化してしまうのです。それは有限な地球では避けることができないことなのです。これは地球環境問題の出現によってすでに実証されていることです。
 とにかく、一刻も早く、巨大化高度化大量化する現代科学技術文明の暴走を制御するとともに、これまでのそしてこれからの「マイナスおよびマイナス面」の対策を通して、これに代わる新しい文明へと転換できなければ、人類の未来はありません。
 かといって、巨大化高度化大量化した現代科学技術文明を制御することさえ至難なことなのに、そのうえ、どうすれば現代科学技術文明に代わる新しい文明への転換をはかることができるでしょうか。
 それにしても、現代科学技術文明に代わる新しい文明とは一体どんな文明なのでしょうか。巨大化高度化大量化した現代科学技術文明をどうやって新しい文明へ転換させるのでしょうか。 
 これらは極めて至難のことでしょうが、かといって、「手」を拱いているわけにはいかないのです。これができなければ「戦争のない平和でそして幸福な世界」は決してやってくることはないでしょうし、われわれの未来もないのです。
 もはや、一瞬も「手」を拱いているわけにはいかないのです。このまま、「手」を拱いているだけでは、刻一刻と深みへはまっていくだけです。そして「戦争のない平和でそしてみなが幸福な世界」どころか、人類は破滅へ向って突進しつづけ、破局を迎えることになるのです。
 現代科学技術文明の暴走を止め、人類の破滅を回避する手はないのか。もしこれを回避できる「手」があるとすれば、それはどんな「手」か、そしてどうすればその「手」を手に入れることができるのでしょうか。
 さあ、みんなで考えてみませんか。そして、一緒に「戦争のない平和でそして幸福な世界」への旅に出ようではありませんか。
 いまこそ、きみらひとり一人が未来をしっかり見つめ、日本を、世界を、地球を変え、そして人類を救う行動を起こすのです。
 さあ、旅立とう。「戦争のない平和で幸福な世界」への旅へ。

 以下、まず(第一章)、「いまなにが起きているか」です。われわれはいま、一体どのような「マイナスおよびマイナス面」に直面しているか、現実をよく見ることからはじめましょう。これには現状のほかに、可能な限り近未来的予測分をも含めることができればいいのですが……。
 つぎ(第二章)は、「どうしてこうなったのか」です。なにをどこでどう間違い、なぜ、このような状況に陥ったのかについて考えてみましょうか。
 第三(第三章)は、「どうすればよいか」です。そして第四(第四章)が「こうする」です。
 最後(終章)に、可能な範囲で、現代科学技術文明に代わる「新しい文明」について触れることにいたしましょう。
 


第一章 いまなにが起きているか


 1 はじめにーー地球で、世界で、そして日本でなにが起きているか(概観)

 今日、われわれのまわりには現代科学技術文明がもたらすさまざまな「プラスおよびプラス面」が溢れているが、それに劣らず、得体の知れない「マイナスおよびマイナス面」もじわじわとわれわれを包囲し出している。それはなぜか。その対策はどうか。
 そのまえに、恩恵をもたらすはずの文明のなかで、われわれがいまどのような「マイナスおよびマイナス面」に直面しているかを見ておくべきであろう。
 今日の「マイナスおよびマイナス面」についてであるが、以下、地球システムレベル、世界(国際社会)レベル、国(日本)・地域レベル別に、代表的な具体例を二、三取り上げ、若干詳しく触れることにしよう。
 そのまえに、われわれがいま直面している現代科学技術文明の「マイナスおよびマイナス面」について概観しておく。
 現在、人類の生存基盤である地球環境はすっかり汚染され、破壊されているし、エネルギーや資源の浪費をつづける人間社会は、これらの枯渇のまえにゴミの山に埋もれてしまうことだろう。また、急速に広まったネットワークとSNSの普及による新しい人工社会の出現によって社会が細切れに分断され、人びとは混乱のなかで右往左往させられている一方、相もかわれず、人間同士は絶えることなく争いつづけ、飢えや食糧不足に悩む人びとや難民の発生には目もくれず、敵を攻撃する更なる高性能殺戮兵器の開発に血道を上げている……。
 このほかにも増殖しつづける「マイナスおよびマイナス面」はまだまだある。個々的な具体的事象を思いつくままに上げれば、たとえば、地球温暖化、オゾン層破壊、海洋汚染、土壌劣化、熱帯雨林伐採、生物の多様性破壊、新たな感染症、人口爆発、難民、飢餓と食糧危機、家庭ゴミ、産業廃棄物、都市環境悪化、大都市問題、戦争、民族紛争、差別、格差、宗教対立、情報氾濫、情報操作、人間管理、サイバー攻撃、それに核兵器、放射性廃棄物、放射能汚染、原発事故等々……。
 これらはすべて現代科学技術文明と直接間接かかわるその「マイナスおよびマイナス面」そのものなのである。

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(続く)

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