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作成:森岡正博 
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論文

1997年頃(未発表)
書かれなかったジェンダー論のための前書き
森岡正博
 

 私がフェミニズムに出会ったのは、一九八〇年代のはじめのころだ。
 しかし、私がフェミニズムというものの真意を知ることになるのは、もっとあとのことである。親しい人々と傷つけ合いを繰り返すなかで、「女であるというだけで生きにくさをかかえている人たちがいる」ことを思い知らされた。そのとき、はじめて、私はフェミニズムというものが、なにを言おうとしているのかを理解したのだった。
 そして私は、同時に、「私が男であるとはどういうことか」という重苦しい問いを突きつけられたのだ。私が男として生まれ、男として成長し、男としていまここに生存していることそれ自体が、女として生まれ、女として成長し、女としていまそこに存在しているあなたを苦しめているのではないか。私は加害者の意識にめざめた。男であることをやめたくなった。
 しかしながら、それと同時に、私の脳裏にはさまざまなことが次々と浮かんでくるのであった。
 まだ小学生だったときのこと。私は、女の子にもてなかった。背が低く、運動がまるっきりだめで、それに加えて強度の近視で分厚いメガネをかけていた。私は同級生の女の子たちから異性としてのまなざしを注がれることはなかった。女の子たちは、体格がよくて運動もできる男の子たちに、あこがれのまなざしを送っていた。私は、女の子が、どのように男の子を評価しているのかに異様に敏感になり、彼女たちの理想の男の子像をつかもうとしては失敗し、そうやって絶望の淵に沈んでいった。
 あるフェミニストが、「女は美しく着飾る自由を得ているが、何が美しいかという美の基準を決めているのはほかならぬ男なのだ」という意味の発言をしたとき、何とも言えない不快感に襲われたことがある。私は自分が小学生だったときのことを、ありありと思い出した。私はどんな格好をするのも自由だったが、でも「誰がいい男か」の基準を決めているのは女の子だったからだ。そして女の子たちは、「男の子の値踏み」を、仲間内だけで秘密めかして語り合い、聞き耳を立てようとする男の子のことをちらちらと横目で見ながら、声をひそめて笑うのであった。自分のまったく手の届かないところにいる女の子の集団によって、自分の価値が一方的に決められている。そう思うと、とてもつらかった。自分についての評価の基準を、女の子に握られているというどうしようもない敗北感。女の子が男社会からの視線の圧力にさらされているのは事実だが、男の子がそのような圧力から無縁なわけではない。
  京都に移ったばかりのころ、私はある研究会の幹事をやっていた。日程調整するために、私はメンバーのひとりであるフェミニストを、ある集会まで追いかけていった。彼女のまわりには二・三人の女性がいて、なにかしゃべっていた。私はそのなかにおずおずと割り込んで、スケジュールを確認した。彼女は手帳を見て、答えてくれた。
 そのあと、彼女は私に向かって、「いまからちょっとお茶を飲むんだけど、君も来ない?」と声をかけてくれた。私はちょっとうれしくなって、行こうかなと思った。そのとき、彼女の隣にいた女性がくるりと振り返り、私を見おろしながら、得意そうにふっと微笑んで、言った。
 「あなた男でしょ。来ちゃダメよ」。
 ウーマン・リブの世代に属するであろうその女性の言いたいことは、頭では分かる。七〇年代初頭のリブ合宿のときに、どうして彼女たちは男性の参加を認めなかったのか。その理由は、いまさら言うまでもなく明快だ。だから、そのことばは、「女から女たちへ」のノリで発した、たわいもないひとことであったのかもしれない。
 でも。
 この重苦しい感情はなんだろう。
 「男であるということは、そんなにいけないことなのだろうか」。
 この感情にとらわれはじめると、私はかぎりない自己否定へと落ちてゆく。そして、男であることをやめたくなる。男の性器をもってセックスすることを一生しないと誓いたくなる。男として生まれたのは、失敗ではなかったのか。私は、まちがって、男に生まれてしまったのではないだろうか。こういう感情を、骨の髄まで染み込ませてしまった男が、自分の性を心底から肯定できるようになるには、どうすればいいのだろうか。そう、私は、この社会で、それでも男として生き続けていいのだということを、自分自身に向かって肯定したい。男として生きていてもいいんだよと、自分に向かって、言ってみたい。開き直りではなく、現状肯定でもなく、いまの自分というものをたえず変容させながら、男のままででいいんだよと自己肯定できる場所へたどりつきたい。
 しかし、その場所にたどり着くためには、私は、男たちと戦わなくてはならない。そして男たちの一員であるところの自分自身と戦わなくてはならない。

 私が以前にいた研究所では、セクハラが横行していた。セクハラをしていたのはオヤジが多かったが、彼らはたぶん自分たちのしていることがセクハラだとはぜんぜん思っていなかっただろう。
 セクハラは、研究部門でも、事務部門でもおきていた。私は、まだ若い下っ端の助手だったから、セクハラを受けた女性たちの相談を受けることもたびたびあった。
 セクハラを受けていたのは、ほとんどが非常勤職員と呼ばれる二〇代の女性たちである。彼女たちは、パートタイムで非常勤の国家公務員として雇われ、だいたい三年くらいで辞めていく。彼女たちの仕事は、事務補佐と、お茶くみだ。職場の華であることも期待される。非常勤職員は、全員が女性であり、かつ、短期間で辞めさせられる契約だから、職場の側から見れば、つねに若い女性が入れ替わって入ってくる仕組みになっている。男性職員の側から見れば、「女房と畳は・・・・」の世界が、システム化されているわけである。こんなことを続けているところにこそ、セクハラ温存の基盤があるのだ。
 事務部門でおきていたセクハラは、入ってきたばかりの若い非常勤の女性を男性がしつこく誘うというお定まりのものから、歓迎会という名の宴会旅行で係単位で温泉宿に行って、浴衣姿の彼女たちを宴席で触りまくるといったものまであった。
 研究部門の、ある教授は、非常勤の女性を食事に誘い、そのあと、カード式の鍵を使う会員制のバニーガールのいる店に得意げに連れていった。彼は、ほかの女性もその店に連れていっているから、よっぽどそういうのが好きなのだろう。女性たちは内心は嫌がっているのに、彼はそのことをまったく知らない。女性たちは「えー、あなたもそうだったの」と情報交換して、私にまでそれを漏らしてうさをはらしている。そのことを知らないのはご本人だけかもしれない。この教授が非常勤の事務職員をそこに連れていった意味は明らかである。きみは「事務職員」という名前だが、実は、この店のバニーガールと同じ、わが研究所のバニーガールなのだよ、ということなのだ。この教授が、ふだんの会議でどういう発言をしているのか私は知っているから、その落差に唖然とする。
 そのほかにも、ここには書けないようなものまで限りなくある。同じ男として、腹立たしくなる。
 でも同時に、私のなかにも、実は、彼らと同じようなセクハラ主体が存在しているのだ。私は、彼らのようなことは一切しなかったか。そんなことはない。程度の差はあれ、私も数々のセクハラをしてきたにちがいない。
 たぶん、私は、彼らとある意味では同類なのだ。この社会のなかで男として成長し、男の生存様式に適応して人格を形成したわけだから、彼らと同じようなものを内面化しているのは当たり前だ。このままずるずると行けば、私だって、彼らと同じ本格的なセクハラオヤジになってしまうのは、火を見るよりも明らかなのだ。
 自分の性的な快楽や刺激の道具として女性を利用しようとしたり、自分の幻想や妄想を貼り付けるための人形として女性を消費しようとしたり、なにか問題がおきたときには自分にではなく相手の側に原因があるのだと断定したり、相手の姿勢ばかりを問うて自分のことは棚上げにしたり、お互いの合意という形をとりながら自分の一方的な欲望を満たそうとする、そういったオヤジ的なものの芽が、私のなかには確実にある。もし私が、そういう自分を問わないのならば、私はもっとも嫌悪すべき存在へと必然的に変貌していってしまうだろう。
 私のなかに必然的に埋め込まれているオヤジ的なものから目をそむけたり、あるいは男はそういうものだからしかたないのさと開き直ったりするのは簡単だが、そこからはなにも生まれない。自分のなかにそういう凡庸な、つまらない、気色の悪いオヤジ的なものが根を張っているという事実から目をそらすことなく、そのような「内なるオヤジ」と一生かけて戦い続けることからしか、私の未来は開けてこない。
 もちろん、煩悩と権力欲をかねそなえたひとりの男として、ああ、このまま金と権力とごまかしで現状維持を決め込んでうやむやのまま開き直れたらどんなにか楽だろうと思ってしまう。細かいことにぐじゃぐじゃこだわらずに、いま楽しめることは正直に楽しんだらいいのにと思ってしまう。向こうがいいといってるんだから、つべこべ言わずにやってしまえばいいじゃないか。いったいそれのどこが悪いというのだ。
 でも、それではだめだ。いくらつらくても、しんどくても、その戦いから退避しそうになっても、私はぎりぎりのところでふんばらないといけないんだ。いくら挫折し、みずからに嘘をつき、後退し、なにか別のものへと逃避したとしても、そこからしぶとく何度も何度も這いあがってこなければならないんだ。なぜなら、そこから繰り返し、繰り返し這いあがってくるプロセスのなかでしか、この泥にまみれた、どうしようもない、偽善に満ちた、救いようのない私は、「生きる意味」をつかみとることができないからだ。一回限りの生を生きるほんとうの自分と向き合うことができないからだ。
 そして、それと戦い続けるプロセスのただなかで、私はオヤジとは異なった男のあり方へと脱皮していけるのではないか。それがいったい何なのか、いまの私には分からないけれども、そこにこそ扉が開いているのではないか。

  角度を変えて考えてみよう。
 私は女性たちとの対話から多くを学んできたし、女性の生きにくさをなんとかしようとする運動を後方からサポートすることもあった。私のことを、女にすりよって来ようとする典型的な男の学者として軽蔑する女性もいたが、私はめげなかった。そのくらい、私はフェミニズムに対する思い入れが強い。
 しかしながら、私はすべての女を肯定する気にはなれない。
 たとえば、いま置かれた楽な環境に安住して、何か問題がおきたとしても表面上のつじつま合わせで乗り切ろうとし、そのような波風の原因をすべて身近な異性のせいにして責任転嫁しようとする女性たち。自分の生の意味を深く問うことなく、子どもの成長と教育に専念して、子どもの成績の上昇と社会的成功に自分を重ねて自己実現を図ろうとする女性たち。
 あるいは、自分の若さとエロスとを餌がわりにして、オヤジをコントロールしようとする女性たち。社会的地位もあり、財力もあるオヤジたちが、自分のためにこんなことまでしてくれる、ということを確認することによって、ナルシスティックな欲望を満たそうとする女性たち。父親に似たオヤジたちが、視線のかたまりとなって自分を欲望してくれ、自分のことを「よしよし」してくれ、わがままをなんでも聞いてくれ、そういう回路を通すことで他者のない自己中心的な快の世界を維持しようとする女性たち。
 これらの女性たちに、私は大きな疑問を投げかける。
 同じことは、フェミニズムに対しても言える。フェミニズムに理解を示して、女性の戦いを後方支援する男のことを「プロ・フェミニスト・マン」と呼ぶが、私は「プロ・フェミニスト・マン」ですらない。なぜならば、私は、すべてのフェミニストを支援する気はないからである。
 たとえば、このようなフェミニストがいる。
 「女たち」という一枚岩のカテゴリーをいまだに信じ、男が女にしてきたのと同じことを、今度はフェミニズムの武器を使って男たちに報復する。自分よりも若い男のことを、「xxくーん」と、子どもを呼ぶように扱う(若いということだけで、年上の女性から子ども扱いされることが、ある種の男性の性的なトラウマを刺激し傷つけることになるかもしれないということに鈍感なのだ)。フェミニズムの教説をただ単純に現実に当てはめて一刀両断する、その「快感」や「癒し」に酔っているだけだったり、それにすがることによって自立の幻想を維持しようとする。会議でオヤジがセクハラ発言をしたときに、その場ではなにも指摘せず、会議が終わったあとで、仲間内でぐちゃぐちゃ愚痴を言う。私に向かって、平気でセクハラしてくる。
 私はこれらの女性たちを信用しない。
 男か女か、女性学か男性学か、という二分法に、私はもう乗らない。男であれ女であれ、女性学であれ男性学であれ、いまの自分を正当化して相手を都合よく動かすことで自分の既得権益だけは守っておこうとするすべての人間に、私は疑問を投げかける。自分が深く傷つかない程度の安定した枠のなかで戦っているふりをしているすべての人間に、私は疑問を投げかける。自分がいまうまく生きられない原因をすべて異性に責任転嫁して報復しようとしたり、オヤジ的なものと共犯関係にはいることによって自分だけが吸っている甘い蜜を手放そうとしないすべての人間に、私は疑問を投げかける。
 これとは逆に、男であっても、女であっても、自分を縛っているジェンダーの束縛からみずからを解放しようと、苦しみ、もがき、しんどさに引き裂かれそうになり、しかしそれでもけっして恨みを異性にぶつけて報復するのではなく、まず自分の生にとって何がいちばん大切なのかをとことん掘り下げることによって、自分自身の脚で凛々しく立とうと戦っているすべての人々、彼らが私の同志だ。
 もし敵と味方を分ける線をどこかに引かなければならないのならば、その線は、男と女のあいだにではなく、自分の既得権益を「守ろうとする者」と、自分の既得権益と「戦おうとする者」のあいだに引き直されなければならない。責任転嫁する者と、責任転嫁しない者とのあいだに引き直されなければならない。そうすることによって、自分の既得権益と戦う男と女が、二つのジェンダーのもっとも尊敬すべき点を、まったく異なった方角から学び合っていくことが可能になるはずだ。
 私が戦わなければならないのは、すべての人間のなかに存在するであろうところの、「いまの自分を正当化して相手を都合よく動かすことで自分の既得権益だけは守っておこうとする」こころと、そして「自分の生きにくさの原因を他人に責任転嫁することでみずからをなぐさめ、自分を守ってくれるものと共犯関係に入ることで楽をしようとし、自分の脚で立とうとしない不燃焼感を他人への報復や愚痴でまぎらわそうとし、子どもに自分を重ねて自己実現しようとする」こころである。私はいままで私の敵について語ってきたが、正確に言えば、具体的な男たちや女たちが敵なのではなく、男たちや女たちがかかえもっているこれらのこころが、敵なのである。すべての人間の内部に、そしてこの私の内部にひそむこれらのこころと、私は戦い続けなければならない。

 そして、男である私は、フェミニズムのもっとも尊敬すべき点をまず謙虚に学んでゆく。なんと言っても、フェミニズムは偉大なる先輩だ。とくに七〇年代ウーマン・リブの戦い。どん底から自己を肯定して立ち上がり、いまここで私が生きることの意味を問いなおした女たち。女が自分の脚で立って生きようとすることをあの手この手ではばんでくる社会システムに反旗をひるがえした女たち。中絶の自由を求めながらも、その自由が子殺しの上に立った自由であることをごまかしなく見すえようとした女たち。私はそこから巨大なものを学ぶ。
 その途中で、「男がフェミニズムを学ぶとはどういうことか」という問いに、私は正面からぶつかることになる。この問いはとてつもなく重い。しかし私はそこから逃げない。それを回避するのではなく、その問いを受け止めながら、いまここで生きている自分自身を実際に変容させる営みへと私は移っていく。私は自分の人生の限りない闇の部分にまで降りてゆくことになるだろう。自分のセクシュアリティを徹底して問いつめることになるだろう。自分をこのような男に形成してしまった歴史と自己責任をあぶりだすことになるだろう。そこを突きつめ、みずからの前にありありと曝し、そしてみずからを解体してゆく道筋のただなかで、私はいまこの本を書きすすめ、そしてこれを書きながら、私はみずからの人生にいまここで決着を付けていくのである。