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『かがくさろん』 vol.11 N0.6 (1987) pp.12-13

生命学へのいざない−バイオエシックスの次にくるもの
森岡正博
 

*【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。
入力ボランティア:奥 修さん

  近く東海大学出版会から刊行される『バイオエシックスの基礎』は、わが国の生命倫理研究に、決定的な転換をもたらすだろう。ここに収められた論文を読むことで、我々はバイオエシックスの議論のための基礎知識をスピーディーに把握でき、わが国のバイオエシックスの議論の水準も、飛躍的に上昇するはずである。バイオエシックスの特色は、主に医療現場で生じる難問に正面から立ち向かい、とぎすまされた論理で一歩一歩解決を模索する点にある。英米圏のバイオエシックスは、その議論の精密さにおいて、わが国の(特に厚生省の懇談会などにおける)バイオエシックス<談義>とは一線を画している。
 しかし私個人の問題意識から言うと、もうひとつ強調しておきたいことがある。それは、今回の出版によって、英米圏のバイオエシックスの長所と同時に、その短所までも、一般読者の目前に明らかにされるのではないかという点である。
 まず、バイオエシックスの議論に使用される倫理学の枠組みは伝統的な英米圏の倫理学に限定されているので、どうも極東にすむ我々にとって、その論旨がしっくりこない。これは、バイオエシックスが今後克服してゆかねばならない大問題である。というのも、先端医療技術と倫理の問題は、洋の東西を問わず、これからすべての先進諸国で現実に生じる問題であり、それを扱うバイオエシックスが、アメリカあるいはヨーロッパだけでしか通用しないのでは、何の意味もない。これからのバイオエシックスは、日本でも、韓国でも、NICSでも、ラテンアメリカでも、あるいはまた社会主義国でも十分に通用するものへと成長してゆく必要がある。
 これはまた、第三世界におけるバイオエシックスとはいったい何か、イスラム世界におけるバイオエシックスとはなにか、社会主義圏ではバイオエシックスはとのような機能を果たしうるかという、まだ未知の部分に我々をいざなうことになるであろう。たとえば、世界で始めてパーキンソン病の治療のための「人間の脳からの脳細胞移植」を行ったのは、中国である。そしてその脳細胞の提供元は、流産した胎児であった。果たしてあの国で、移植に際してどのような倫理的な手続きが取られたのだろうか。
 第二に、英米圏のバイオエシックスは、やはり「医療倫理学」の枠を出ていないことが多い。たとえば、脳死についてのバイオエシックス文献は、結局、脳死をどのように判定し、どのように立法化し、そこから生じる様々な問題にどのように対処してゆくか、というテーマに終始している。もちろんこれは、議論を常に現実の医療現場に根付かせようとする努力の現われでもあるのだが、どうももうひとつ議論を現代社会批判、あるいは文明論にまで飛翔させようという意気に乏しい。
 たとえば、わが国の医療関係者の中には、「脳死の治療は無意味【12】で無駄な治療だ」と述べる人も多い。この発言は、脳死状態の患者は治療の対象ではないにしても、依然としてケアの対象であり得る、という基本的な事実を見逃している。しかしここでもっと気になることは、「無意味」「無駄」ということばである。このことばは、人間の死を扱う現代医療の中に、<効率性>という価値基準が入り込んでいることを見事に示している。翻って考えてみれば、現代文明とは、<効率性>追求の文明であった。その文明の影響を正面から受けて、現代医療は、ある面で<効率性>追求の医療となっている。
 問題は、その<効率性>追求の質である。このように話を進めれば、バイオエシックスは、一気に、文明論にまで広がる。つまり、現代において真に求められるべき<効率性>とはいったい何か? 豊かな生のために、本当に<効率的>なものはいったい何か? そしてこれらの問いに答えることこそ、現代文明の姿を正面から捉えることであり、そして同時に、脳死問題の本質に肉薄することになるのである。(脳死問題から現代文明を照射するこの試みは他の機会に発表したいと考えている。)
 バイオエシックスは、ここまで広がる学的可能性を秘めている。しかし、現在の英米圏のバイオエシックスには、まだその力量はない。ただ、逆に考えれば、バイオエシックスはいまだ未熟であるが故に、無限の可能性を秘めているのである。言い換えれば、バイオエシックスは、バイオエシックスを超えるものを生み出すという点においてこそ貴重なのだ。バイオエシックスの次にもの、私はそれを「生命学」という名で呼びたい。(詳しくは近刊の拙著『生命学への招待−バイオエシックスを超えて』勁草書房を参照していただきたい。)
 「生命学」は、人間の生命、そして人間以外の様々な生命を対象とし、それらに現代科学がどのように関わってゆけばよいかを考察することを通して、現代科学と現代文明の姿を明らかにしようとする試みである。そしてバイオエシックスは、いずれ「生命学」のサブシステムとして組み込まれてゆくものと(私個人はひそかに)予想している。

(日本学術振興会特別研究員・生命学)

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