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作成:森岡正博 
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生命学とはいったい何なのか



1 生命学とは?

生命学とは、私たちが生きること、いのちあるものたちと関わり合うこと、生の喜びや苦しみを分かち合うこと、この世での生を閉じることなどについて、自分を棚上げにすることなく考えを深め、いろんな人たちと学び合いながら、生きていくことです。

実は、いま上に書いたようなことは、古来より多くの人々によって実践されてきたことでした。私たちはそれに「生命学」という言葉を与え、新しい学問の方法として提唱しようとしているのです。

生命学は、生命倫理学というものへの違和感の原因を明らかにするプロセスのなかで、できあがってきました。生命倫理学は、生きることと死ぬことの意味や、私たちがいろんな生命を殺しながら生きていることなどを、避けて通ろうとするものでした。

それらの問いは、これまで宗教の中で問われてきましたが、私は宗教の信仰を持っていません。宗教のあるなしにかかわらず、それらの問いを、知性によって、学問的に、かつ人間的に、問うていくことが必要だと思いました。

2005年に、生命学研究会という小さなグループが結成されました。そこで、生命学とは何かについて突っ込んだ議論を行ないました。その結果、以下のことが分かってきました。

 



2 生命学の基本的発想

まず、生命学には、どうしても譲ることのできない基本的発想というものがあります。

これがなければ生命学とは呼べません。

◆生命学の基本的発想
生命学とは、自分をけっして棚上げにすることなく、生命について深く考え表現しながら、生きていくことである。

この文章の中で、いちばん大事なのは「自分をけっして棚上げにすることなく」という部分です。

 



3 各自の生命学

生命学は、自分をけっして棚上げにしないわけですから、それは必然的に、「この私」に密着した学となります。つまり、各自が、それぞれ独自の生命学を深めていく、ということになります。

◆各自の生命学
各自の生命学とは、生命学の基本的発想と出会うことをきっかけとして、自分にとっての生命学とは何かを発見し、掘り下げ、展開していく終わりのないプロセスのことである。

それぞれの人が、自分の生命学を掘り下げていき、そして、お互いの探求の成果を学び合うことによって、生命学はしっかりとしたものになっていきます。

 



4 森岡の生命学

森岡は、森岡の生命学(森岡版・各自の生命学)を深めなければなりません。みなさんは、みなさん独自の生命学を深めなければなりません。

森岡の生命学をひとことで言えば、「悔いなく生き切るための生命学」です。

◆悔いなく生き切るための生命学
生命学とは、何かの生きづらさをかかえた人が、限りある人生を、他者とともに、悔いなく生き切るために何をすればよいのかを、自分をけっして棚上げにすることなく探求しながら生きていく営みのことである。

悔いなく生き切るとはどういうことかを、私は考え続けていこうと思っています。

私はそれを「生命の哲学」として探究しています。私にとって、「生命学」と「生命の哲学」は車の両輪です。

 



5 では、あなたの生命学は?

では、あなたは、どういう生命学を深めることになるのでしょうか?

それは、あなた自身にしか分かりません。

生命学を深めるとは、生命学者になることではありません。論文を書くことでもありません。

自分をけっして棚上げせずに、考え、表現し、生きていくことが、そのままあなたの生命学になるのです。

森岡の場合は、哲学者として「生命の哲学」を深めながら生きていくことが生命学となります。では、あなたの場合はどうでしょうか? 生命学は、仕事や芸術活動や社会活動の形を取ることもあるのではないかと、私は予想しています。

生命学は、古来より多くの人々が積み重ねてきたことであり、これからもいろんな形で受け継がれていことでしょう。

みなさんも、それぞれの生きる現場で、生命学とは何かを考えてみませんか?