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作成:森岡正博 
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臆病者の戦争における無実の死者たち

 

 米軍の爆弾で少なくとも3,767人の一般人が死亡との見積もり

 Seumas Milne  12月20日木曜日 ザ・ガーディアン
http://www.commondreams.org/views01/1220-10.htm

岸上千早・翻訳

 アメリカのテロに対する戦争で失われた命の代価はようやく明らかになり始めた。
イ ギリスでもアメリカでもなく、ましてや9月11日のニューヨークとワシントンにお
け る攻撃の責任者であるアルカイダでもタリバンの指導者達によってでもない。そ
れは その惨劇に全く無関係で、彼等を支配したタリバンという神権政治家を選挙で
選ぶこ ともなかった、またビン・ラディンをかくまうという決断をした訳でもない、
ごく普 通のアフガニスタン人によって支払われたのだ。

 ペンタゴンはアフガニスタンに降らせた爆弾のシャワーで何人が亡くなったと認識
し ているかについて特徴的に多くを語らない。この戦争に対する世界的な指示への
影響 に極めて敏感な彼等の報道官達は一般市民の犠牲者に関して大抵「これらは独
自に確 認されていない」といったあいまいな表現や時にはそういった死亡者の存在
を単に否 定するという姿勢を取ってきた。アメリカのメディアもこれに加勢した。
空爆キャン ペーンが7週目に入った頃、ロス・アンジェルス・タイムズはようやく
「少なくとも 12名の市民が」殺されたと述べるにとどまった。

 今、はじめて、アフガン一般市民の犠牲に関する組織的で独自の調査がニュー・ハ
ン プシャー大学経済学の教授であるマーク・ヘロルドに依って為されたのだ。世界
中の 援助団体、国連、目撃者、テレビ局、新聞社やニュースソース提供会社からの
信頼出 来る報告に基づいてヘロルドは10月7日から12月10日の間、米軍の爆撃によっ
て少な くとも3,767人の一般市民が殺されたと見積もっている。これは一日平均で無
実の命 が62も奪われたということだ。そして、9月11日に殺されたと思われる3,234
人よりも 多くの命が奪われたことになる。

 勿論ヘロルドの数値は見積もりにしか過ぎない。しかし彼の調査結果が印象的なの
は、極めて念入りなクロス・チェックのみならず、それぞれに報告された数字に対
す る彼の控えめな推量にある。彼の数字には爆撃で負傷し、後に死亡した者や、過
去 (訳者注:この記事がガーディアンに載るまでの)10日間に死んだ者、爆撃によっ
て 支援物資が届けられず、寒さや飢えで死亡した者、また爆撃のせいで難民になら
ざる を得なかった人達の数は含まれていない。また、軍関係の死亡者(ある分析に
依ると 最近行われたカーペット爆弾攻撃に於ける死亡者数を根拠とし、10,000人以
上とみな されている)やマザリシャリフやカライジャンギ、カンダハルの空港など
で虐殺され た囚人たちも含まれてはいない。

 戦争の擁護者達はそれらの犠牲者は不幸ではあるが不可避の、世界的テロリストの
ネットワークを根絶するための正義の闘いの副産物であると主張している。アメリ
カ はアフガンの一般市民を殺そうとしたのではないから、WTCの一般人犠牲者とは全
く 別物である、と主張する。

 しかし実は、どう寛大に表現しても倫理的な線引きは極めてぼんやりしている。ヘ
ロ ルドの主張通り、アフガン一般市民の高い死亡者数はアメリカ(及びイギリス)
の戦 略や攻撃目標設定から直に生じた結果である。高度の上空からの攻撃や市街地
の各施 設、また人口過密町村に対する繰り返し行われた攻撃に過度に依存するとい
う決断 は、アメリカ軍パイロットや兵士の命を、意図的に、彼等の敵であるとされ
たタリバ ンではなく、アフガン一般市民と引き替えにしたことの反映である。タリ
バン政権を 転覆するための付随的な副産物としてではなく、アメリカ軍司令部のア
フガン一般市 民の命に対する軽視によってこの二ヶ月の間に何千という無実の人々
が死んだのだ。

 カジャカイダム発電所、カブールの電話交換局、アル・ジャジィーラテレビ局事務
所、難民を満載したトラックやバス、一般人のための燃料を載せたトラックを目標
に した空爆は間違いなどではない。それによる死亡もまた然りである。同じことが
市街 地における対人クラスター爆弾の使用にも見られる。しかし西側社会の世論は、
その 名の元に為されていることに増々鈍感になってきている。10月、アメリカ
のAC130爆 撃機がチョーカー・カレズの農村を爆撃し、少なくとも93人の一般市民を
殺したと き、ペンタゴンのある職員は「彼等は、我々が死んでほしいと思ったから
死んだの だ」と言い放ち、米国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「その村のこ
とには触れ られない」(訳者注:多分、記者団からの質問に対し、関知していない
ので言及でき ない、という意味と思われる)と述べた。

 昨日ラムズフェルドはロンドンを含む更なるテロのおぞましい攻撃を推測しつつ
(ビ ン・ラディンとアルカイダの指導者を裁判にかけるという最初の目標すら達成
されて いないばかりでなく)、テロリストの脅威に対しこのアフガンに対する空爆
キャン ペーンが些細な影響しか与えていないことを不注意にも認めた。ツインタワー
の犠牲 者達に対し行われたような、公的な2分間の黙祷も、新聞の死亡記事も、首相
が参列 するような追悼式典も、アフガンの死者達にはない。しかし米軍とその同志
達は臆病 者の闘いにおいて何千もの無実の民を犠牲にする用意があるということが
残酷にも証 明されたのだ。

[森岡註]
*Coward's Warというのは、「臆病者」というよりは、「卑怯者」というニュアンスではない
かと、以前に誰かと議論したことがあります。英語に詳しい方、教えてください。

辞書で引くと、こうある。

coward
adj.
Word History: A coward is one who “turns tail.” The word comes from Old French couart, coart, “coward,” and is related to Italian codardo, “coward.” Couart is formed from coe, a northern French dialectal variant of cue, “tail” (from Latin cda), to which the derogatory suffix -ard was added. This suffix appears in bastard, laggard, and sluggard, to name a few. A coward may also be one with his tail between his legs. In heraldry a lion couard, “cowardly lion,” was depicted with his tail between his legs. So a coward may be one with his tail hidden between his legs or one who turns tail and runs like a rabbit, with his tail showing.

なるほど、このニュアンスだと、臆病者と、卑怯者の両方を兼ね備えた悪罵語ですな。勉強になった。