生命学ホームページ 
ホーム > エッセイ・論文 > このページ
作成:森岡正博 
掲示板プロフィール著書エッセイ・論文
English Pages | kinokopress.com

エッセイ

『朝日新聞』2005年6月7日(夕刊)文化欄
東京の中心で「起きなさい」と言われて
森岡正博

 

 今年の三月二二日に、建築家の丹下健三が亡くなった。丹下と言えば、広島平和記念公園、代々木体育館などが有名だが、いまやいちばん知名度の高いのはなんと言っても新宿にある新都庁ビルだろう。西新宿にそびえ立つ、あの銀色の高層ビルは、完成当初から賛否両論だった。
  しかし私は、あの新都庁ビル、大好きなのである。真下まで行って見上げる爽快感。細かいところにまで神経の行き届いたシャープなデザイン。ビルとしての使い勝手はきわめて悪そうだが、鑑賞するにはとても気分の良くなる建築なのだ。
  先日、ひさびさに都庁ビルを見に行った。晴れた日の午後で、直射日光がさんさんと照りつけていた。まず、正面から見上げてみた。一面の青空を背景に、宇宙船のように直立している。威圧感もあるが、風通しのいい建築とも言えそうだ。
  今度は反対側に回って、ビルを後ろ側から眺めてみた。ビルの側面はきらきら光っている。真下まで近付いて、見上げてみた。すうっと青空に吸い込まれていく直線が美しい。こうやって下から見上げていると、自分が、ちっぽけな存在になったように思えてくる。
  そんなことを考えていたら、首が痛くなってきた。ふと見るとベンチがあったので、ベンチに座ることにした。そしてまたビルを眺める。都庁ビルの近くにいると、それを見上げるしか、することがなくなるのである。自分を見上げることを徹底して他人に要求する空間を、丹下は作ってしまったのかと思う。
  それでもやっぱり首が痛くなったので、ベンチに寝転がることにした。仰向けに寝て、都庁ビルを眺める。映画を観ているように美しい。ああ、今日ここに来てよかったなと思った。晴れた日の、おだやかな午後、空は美しく・・・。
  そのときである。どこからともなく近付いてきた警備員が、私の顔を上からのぞき込んで、「起きてください」と言ったのだった。
  私はいったい何が起きたのか一瞬わからず、「あ、はい、すみません、すみません!」と言って、ベンチからあわてて跳び起きた。警備員は私が起きあがるのを確認すると、無表情なまま、コツコツと去っていった。警備員の耳のイヤホンを見つめながら、私は、事態を理解しようと必死になっていた。
  ひょっとして、ホームレスの人と間違われたのだろうか。昼寝してると思われたのだろうか。でも、なぜベンチで昼寝をしてはいけないのだろうか。爆弾をもったテロリスト? テロリストはベンチで寝てるか?
  どきどきしながら、周りを見渡した。ずっと遠くのほうを別の警備員が歩いていた。「監視社会」という言葉が脳裏を横切った。ベンチに寝たとたんにやってくるというタイミングも絶妙すぎる。
  東京の中心で「起きなさい」と言われる。寝転がって都庁を見上げてはいけないと言われる。「寝てください」という権力よりも、「起きてください」という権力のほうが、私には怖い。私は都庁ビルを嘆美していただけなのに、その私の挙動は、都庁最上階からつぶさに監視されていたのだろうか。自由と進歩をうたいあげた丹下のモニュメントの内部で、緻密な監視の行政が進められているのだとしたら、それはとても悲しいことだと私は思ったのである。