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現代文明学研究:第4号(2001):217-238
参照枠としての倫理学を求めて
―ネットワーキング論の試み―
萩原優騎         



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序  本稿の意図するもの

  地球規模の諸問題が続発している現在、進歩史観の失効により、近代の出発点において約束されていたはずの輝かしい未来は、幻想に過ぎないことが誰の目にも明らかになった。環境破壊、資源の枯渇、人口爆発、大量破壊兵器の出現などに直面し、これらの問題は従来の政治・経済を規定してきた、国家という枠組みを越えた性質であるとの認識から、国際的な協力関係が求められている。地球規模の共通課題への取り組みにおいては、これまで西欧近代的な価値観を共有してこなかった人々とのパートナーシップが模索されなければならないのであり、その点に関する更なる検討と実践が不可欠であろう。しかし、そのような観点からの考察の多くが、非歴史的に固定化された観点から、普遍的な基準として環境倫理を提示しているか、あるいは逆に、多元主義を不当に拡張することで、価値観の共有の可能性を見失ってしまっているかのどちらかであるように思える。普遍主義と多元主義の双方、もしくはこれらを対立させた図式を描く人々に欠けているのは、自らにとっての自明性を相対化するという自己吟味であり、そうした作業なしには、普遍主義か多元主義かという二項対立に陥る危険性が高い。特に西欧近代的な価値観に関しては、その普遍性に対する懐疑が強まる一方で、近代化を目指す発展途上国からは希求されているという現実に直面し、普遍性への信奉と極度の多元主義という、二つの方向性へと引き裂かれてしまっている。このような状況では、自己吟味という作業を通じて、知のダイナミズムを硬直化させないことが、一層重要となる。
  そうした認識から、哲学・倫理学の諸領域における、具体的な議論と抽象的な議論を横断しながら、今日の社会が抱える諸問題と、その背景にある構造を検討することが、本稿の課題である。はじめに、近代的な進歩史観について概観し、そうした自明性が崩壊する場面として、環境倫理学の問題を取り上げる。そこで主に扱うのは、画一的な基準の提示という普遍主義に伴う、エコ・ファシズムについてである。次に、普遍主義と多元主義が衝突する具体例として、国際政治の中で、西欧的な人権概念がどのように扱われてきたかということを検討する。続いて、それらを踏まえた上で、画一的な基準が暴力性を発揮する状況や、普遍と多元の衝突といった事態に陥らないために、「参照枠としての倫理学」が掲げられる(1)。これは、私が[萩原2001b]で提唱し、本稿にて更に議論を詰めることになる、「ネットワーキング論」の中核に位置するものである。その営みにおける知のダイナミズムを、抽象的な議論として扱ったものが、[萩原2001a]で論じている「トランスモダン」にほかならない。そして、普遍性に関する問いを中心に、参照枠としての倫理学の観点から、討議倫理学、そして臨床哲学との比較・検討を行い、具体的な場面での実践に哲学・倫理学をつなげようとする営みの、更なる可能性を引き出すことを試みる。

第1章 進歩史観という「大きな物語」―近代的歴史観の挫折

 近代を問い直すという作業に着手するに当たり、まずは近代の構造を支えてきた、進歩史観について考察しなければならないだろう。近代思想に見られる様々な歴史観の背景には、常に進歩への確信という、「大きな物語」が存在した。ところが、その自明性が崩壊しつつあるという状況を迎えているのが現代社会であり、そのきっかけとなったのは、環境問題に代表される地球規模の諸問題である。それでも、進歩に対する人々の信仰が依然として強固なものであるということは確かであろう。本章での課題は、これまで近代社会を覆ってきた種々の進歩史観を再検討し、その構造を明らかにすることである。この作業を経ずに、現在我々が直面している諸問題を適切に捉え、それらに対して責任のある取り組みを行うことは、困難であるように思える。なぜなら、そこでは自明性の解体が十分になされていないために、進歩史観の図式に依拠したまま、進歩史観を批判するという過ちがなされ得るからであり、事実、これまでもそのようなことが繰り返されてきた。
 進歩史観の基本的図式は、古いものを新しいものが克服することで新しい時代が始まり、歴史は直線的、累積的に進歩するというものである。その下敷きとなったのは、西欧のキリスト教的世界観に基づく終末論にほかならない。終末論においては、出発点に神による創造が、到達点に世界の終末と神の国の到来が据えられている。18世紀の啓蒙主義を一つのきっかけとして、それまでのキリスト教的世界観が解体されて世俗化が進行し、ここに近代が誕生するが、村上陽一郎は、この過程を「聖俗革命」と名づけている。それは特定の時期を指すものではなく、近代のいかなる時期、いかなる分野をとっても、その切り口に聖から俗への移行が見られるということである[村上1976:11]。つまり、一度に全ての転換が生じるわけではない。後程検討する内容とも関連するが、人間の言語や生活様式などは、急激に変化することは少ないのであり、あるいは、その緩やかな変化ゆえに、変化そのものが認識されにくいのである。このことは、科学のパラダイムを転換すれば、全ての構造が転換してしまうというような、今日の通俗的なパラダイム転換論への批判にもなるだろう。
 世俗化された社会の支配者は、もはや神ではなかった。神に代わって人間が歴史の主体となったのであり、真理は神によって与えられるものではなく、人間の理性の力によって到達すべきものとなる。こうした点に、終末論と世俗化以降の進歩史観との断絶が見られることは明らかであろう。つまり、終末論においては、終末の到来は人類の到達目標というよりは、むしろ歴史の切断なのであり、歴史的時間から永遠的時間への飛躍なのである[野家1992:569]。それに対し、進歩史観の掲げる到達目標には、そうした切断の契機が存在しない。丸山眞男は、啓蒙主義の進歩史観の特徴とは、知性の進歩と増大が、知性の蓄積と等しいものと見なされていることであると指摘しており、そうでなければ単なる「変化」であって、「進歩」にはならないと説明する[丸山1986上:96]。そして、啓蒙主義の進歩史観は特定の完成状態を想定して、そこから逆算的に現在の状況を描くという段階論であるということから、「進歩」というよりは「完成」の思想であると述べている[同上:97]。
  啓蒙主義の進歩史観には、古いものを新しいものが克服するという図式も顕著である。近代の出発点において、キリスト教的世界観に覆われていたそれ以前の時代は「暗黒の中世」として捉えられ、宗教的な無知蒙昧を理性の光が破ることで、輝かしい近代が到来したのだと考えられた。確かに、古いものと新しいものを比較するという行為は、近代以前にもなされてきた。しかし、そこでは古いものにこそ価値が認められていたのである。新しいものが、その新しさゆえによいものであると言うためには、それが古いものの内に含まれていた対立を克服していなければならないのであり、そうして歴史が元の低さに戻らないという保証を与えられた時、ルネサンスの「再生」の思想は、近代の「進歩」の思想へと転化する[加藤1992:247-248]。新しさを重視する傾向は、今日まで続いている。哲学・倫理学でも、「新しい」とされる言説に大勢が飛びつき、自ら考えることを放棄して、その思想についての「パズル解き」がなされる。社会では、流行の最先端を行くスタイルが次々に産出され、人々はそれを不断に追い求める(1)。
  近代社会は、科学技術のめざましい発達、経済の著しい成長、新大陸の発見など、人々に進歩のオプティミズムを信じ込ませる要因に満ちあふれていた。そうなると、もはや特定の完成状態という想定は失われ、到達目標は無限の彼方へと先送りされることになる。その結果として、無限の進歩が確約されるのである。無限の進歩という発想に関しては、ダーウィニズムの「進化」の思想の影響も無視できない。「進化」の思想は、生物の適者生存という無限の過程であり、完成状態は存在しないという点で、「完成」の思想とは異なる[丸山1986上:97]。それによって、無限の進歩という理念がより強固なものとなったのである。古いものを新しいものが克服するという過程は、永続的なものと考えられるようになった。克服による進歩という確信は、様々な領域に現れる。現代社会にも言えることかもしれないが、学問の世界、特に科学の世界においては、研究者の到達目標としての真理が掲げられることはあるとしても、それは絶対的な到達目標ではないのであり、現実的な到達は半ば断念されている。また、国際関係という場面を考えてみれば、帝国主義は、啓蒙主義に始まる近代的な理念が、一種の暴力装置へと転化した一例として捉えることができるであろう。進歩史観がイデオロギーとして機能する時、野蛮な非西欧諸国の未開人は、西欧の文明国によって植民地化されることで、世界は文明化するという発想が生まれる。
  進歩史観の図式は、啓蒙主義以降も人々が引きずっており、それは啓蒙主義的価値観を批判する人々にも共有されてきた。その一つが、啓蒙主義への反動としてのロマン主義であった。ガダマーが指摘するように、神話をロゴスによって克服するという図式は、ロマン主義の啓蒙主義への反発を通じて強化されたのであり、この図式は前者が後者を批判する時に、自明のものとして批判の対象と共有しているものである[ガダマー1978:174]。このような前提を疑わないこと、更には、ロマン主義が啓蒙主義を克服するという図式自体が進歩史観に依拠しているという点で、啓蒙近代的であるということに、その問題点が見られる。ただし、我々にとって一層重要な問題は、おそらくその先にあるだろう。ロマン主義の主張が否定的な文脈において語られることが多いが、その場合になされる、ロマン主義を克服するという発想そのものが、やはり進歩史観に基づいているのである。従来の図式を新しい図式が克服するということではなく、自明性を解体する作業によって、その相対化を試みることこそが、進歩史観に依拠した思考様式に抗する作法となる。
  近代への批判としてもう一つ挙げておきたいのは、マルクス主義である。もちろん、その内容が多様であり、様々な主張が存在することは承知しているが、どの立場に立つとしても、進歩史観の呪縛からは逃れていない。丸山眞男の言及を再び引用すれば、マルクスの言う「無階級社会」というのは一つの完成された状態であり、そこから逆に現在の状態が捉えられ、過去の階級社会の諸段階が設定されているという意味で、マルクスも「啓蒙の申し子」であるという[丸山1986上:97]。ただし、丸山は、マルクスが啓蒙主義の図式を共有していることを認めた上で、その思想を「完成」の思想と区別する。マルクス主義の発展史観においては、封建社会の中に資本主義を育む因子があり、それが封建制を内側から崩して資本主義社会となり、その中に社会主義社会を生む因子が成熟していくと考えられているという点で、それは一定の歴史的段階の中に内在している、ある契機が発展して次の段階が生まれるという、内在的歴史観であると彼は説明する[同上:99]。しかし、啓蒙の理念が暴力性へと転化することを問題視したマルクス主義も、進歩に対する確信という点では、啓蒙主義と一致しているのである(2)。
  マルクス主義は今や、進歩史観の限界に直面している。それは、資本主義社会からの転換によって勝ち取られるべき、社会主義社会という歴史の到達点に存在するはずの絶対的真理が、現実には理想とは程遠いものだったということである。社会主義者は、国家の管理下にある社会主義圏では理想的な経済状況が実現されるのであり、環境破壊なども起こるはずがないと長年主張してきた。しかし、そうした国々の実態が明らかになってみれば、人々の多くが必要最低限の生活も保障されず、国中で劣悪な環境破壊が進行しているという状況であった。事実、このような状況に耐えられなくなった人々が団結し、現状に対する抗議活動を展開したことが、ソビエトの崩壊や東欧革命の一つのきっかけとなったのである。暴力革命によって成立した政権は、旧社会の権力層を抹殺することはできても、自らの暴力性を放棄し、非暴力的な計画経済を実現するための勢力を整えることはできない[加藤1997:166]。一方で、そうした国々が民主化を図ることで、資本主義へと歩みを進めたからといって、資本主義そのものが進歩史観の失効によって挫折しているというのが現状なのであり、事態は一層深刻なものとなっている。
  上述の図式は、現代思想にも当てはまる。その最たる例が、ポストモダニズムの「近代の超克」論であろう。近代という古い時代を克服することでポストモダンが始まるというのは、近代の当初に見られた「暗黒の中世」論の焼き直しに過ぎない。「ポストモダン」という表現に顕著に表れているように、後に来る何かを先取りし、そこに向かって歴史は収斂するという「ポスト」の意識自体が、極めて近代的なのである。一口に「近代の超克」と言っても、思想的な超克、反科学運動、政治・経済的な言説など多種多様であるが、そのいずれもが、この図式を共有しているように思える。しかし、「近代の超克」論だけでポストモダンを片付けることもできない。そこで、この言葉を広めたリオタールのポストモダン論を見ておく必要があるだろう。リオタールによれば、自らの正当化のために「啓蒙」という「大きな物語」に依拠するのがモダンであり、それに対する不信感がポストモダンであるという[リオタール1986:8-9]。これに関して小林康夫は、ポストモダンはモダンの「変質」であり、モダンが全く新しい別の時代に移行したわけではなく、そうした不連続で全体的な変化というモダンの歴史観自体が実効性を失い、失墜した状況を指すのだと付け加えている[小林康夫1986:222]。そして、「大きな物語」の失墜の例として、自由、革命、人間の解放といったものを挙げている[同上]。
  モダンへのある種の不信感が広まっていること、そしてモダンの「変質」が起きているということへの認識は正しいだろう。しかし、それは啓蒙の理念の「失墜」に等しいわけではない。現実に我々の社会は、啓蒙主義的な近代の枠組みに依拠しているのであり、その有効性は失われたわけではなく、安易に捨てられるべきものでもない。また、モダンに対する不信感が存在する反面、今日においても世界中の発展途上国は、近代化を希求しているという状況がある。小林が挙げた上述の例を見るならば、特に自由や人間の解放といったものこそ、このような国々の人々が求めているものなのであり、それらが「失墜」したとは言えない。我々の日常生活が、啓蒙の理念によって実現した種々の成果に依拠しているという点は、十分に自覚される必要がある。一方で、それらを享受できない人々を無視してその「失墜」を語ることは、先進国の人間の傲慢にほかならない。そして、先進国の内部においてさえ、そういった成果を未だ享受できていない人々が存在するのであり、しかも、その事実が隠蔽されている。この点を忘却したままで、単に「異質性」を強調するならば、そのような言説は、既存の権力構造を擁護し、それを肯定するイデオロギーとしてのみ機能することになるだろう。このことが、「ポストモダン」を語る人々の間で、どれだけ自覚されているのだろうか。こうした問題については、後の章にて、人権をめぐる普遍主義と多元主義の対立を扱う場面で再び論じる(3)。
  ポストモダンの立場の主張に対しては、科学論の観点からの批判もある。リオタールによれば、ポストモダン時代の科学は、決定不可能なものや制御の正確さの限界などに目を向け、自らを不連続的で修正不能なものとして理論化するのであり、それは未知なるものを生み出すという[リオタール1986:146]。しかし、リオタールが掲げる現代科学の諸成果は、科学的方法そのものの変質や転換を意味するのではなく、得られた成果がこれまでの科学の通念からは逸脱しているというだけである[野家1993:149]。そうであるならば、これらの事例によって、モダンからポストモダンへの移行を安易に言い立てるのは適切ではない。むしろ、科学が形而上学などから自己を区別し、知のヒエラルキーを上昇しようとしてきた運動の中にこそ、「大きな物語」の基盤が存在するのであり、その意味で、ポストモダンという文脈において問われるべきなのは、科学ではなく、科学の自己理解としての、科学哲学の変質に関してである[同上]。
  リオタールの議論を総括して小林は、ポストモダンとは、モダンへの飽くことなきノスタルジーを断ち切る脱正当化にほかならず、システムによる全体化もコンセンサスによる同一化も退けるのであり、むしろ限りない多様化、差異、そして異質性が受け入れられなければならないと述べる[小林康夫1986:227]。しかし、モダンの脱正当化は必要であるとしても、先に見たように、モダン自体が失墜したのではない。また、コンセンサスを積み重ねていくことは、必ずしも同一化を意味するのではなく、互いの異質性や多様性を承認する一方で、何らかの意思決定の場面で、価値観の共有が実現することはあり得るだろう。更には、互いの差異というのは、常に固定化されているわけではなく、異質な他者との接触を通じて従来の自明性が崩壊し、思考の枠組みが変容する可能性も、決してないわけではない(4)。ポストモダン論は、モダンの「失墜」を強調するあまりに、コンセンサスの不可能性と異質性の固定化という、一種の新たな幻想を作り上げてしまった。すなわち、「大きな物語」批判を試みたはずのリオタールは、「啓蒙の理念の失墜」という「大きな物語」を描いてしまったのである。
  ここで注意すべきなのは、「ポストモダン」という概念の多様性であろう。リオタールの上述の見解は、モダンの自己批判としての「ポストモダン」論や、近代の進展に伴う構造変化としての「ポストモダニティ」といった概念とは、区別されなければならない。なぜなら、モダンの自己批判や、近代の構造変化についての認識は、啓蒙の理念の失墜を意味しているわけではないからである。むしろ、啓蒙の理念が暴力性に転じることを批判し、その改善を試みるという意図において、この種の議論はなされてきたと言えよう。また、これまで述べてきたような、時代状況としてのポストモダン論には問題があるとしても、ポストモダンに関するリオタール自身の定義が一様ではないという点も、考慮に入れられるべきである。例えば、ポストモダンの「ポスト」は「カム・バック」や「フラッシュ・バック」、「フィード・バック」といった反復の動きではなく、「始まりに置かれた忘却」をよく考えつめていくプロセスを意味するものであると定義している[リオタール1998:133]。
  一方、モダンに立脚した議論としては、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論が挙げられる。冷戦の終結は、資本主義と社会主義とのイデオロギー的対立の終焉を意味するものとして、人々に捉えられた。事実上、社会主義が効力を失い、それを受け入れてきた国々が資本主義への道を歩み始めたことで、社会主義は終焉したと認識されたからである。そういった認識は、自由民主主義や資本主義の勝利というオプティミズムが世界中に広がるという状況を生んだのであり、そこに「歴史の終わり」論が登場する。フクヤマによれば、自由民主主義の理念は改善の余地がないほど申し分のないものであり、唯一の、そして一貫した進歩のプロセスと見なされていた「歴史」が終わったのだという[フクヤマ1992上:14]。ところが、自由民主主義が歴史の到達点であるという保証はなく、事実、フクヤマ自身も十分な結論を出せていない。それゆえ彼は、次のように述べるにとどまっている。「近年の世界各地での自由主義革命にもかかわらず、幌馬車隊の行き先についてわれわれはいまのところまだ曖昧な証拠しか握っていない・・・・・・。しかも、幌馬車隊の大半が結局のところ同じ町にたどりついたにせよ、もしかすると乗客たちはあたりをちょっと見まわしただけでその新天地に不満を感じ、新たな、そしてさらに遠い旅路へと目を向けるかもしれない」[フクヤマ1992下:263]。
  上記のようなフクヤマの見解の背景には、ヘーゲルの歴史観への着目がある。ヘーゲルやマルクスは、人間社会の進化は果てしなく続くわけではなく、人類がその最も深く根本的な憧れを満たすような社会形態を実現した時に終わりを迎えると信じていたのであって、それは前者にとっては自由主義国家であり、後者にとっては共産主義社会であったと、フクヤマは述べている[同上:15]。ただし、それはヘーゲル自身というよりは、その注釈を行ったコジェーブの議論に依拠したものである。フクヤマは、コジェーブを「20世紀におけるヘーゲルの偉大な注解者」と掲げ、コジェーブが「歴史の終わり」を宣言する背景にあった「普遍的で均質な国家」こそが、自分が論じている自由民主主義なのだと強調している[フクヤマ1992上:29]。コジェーブは、日本の現状を「歴史の終わり」に重ね、純粋に形式的なスノビズムが優越願望の表現形態となるという意味で、日本が西洋化する代わりに西洋が日本化するであろうと論じている、とフクヤマは説明した上で、コジェーブの言おうとした意味ではないにせよ、今では西洋の日本化が進行していると述べる[同上:235-236]。しかし、日本の茶道や華道に対するコジェーブの評価はあまりにも一面的であり、それが「歴史の終わり」に関する議論に直結するものであるとも思えない。この点について野家啓一は、コジェーブは日本から受けたカルチャー・ショックを、彼自身のヘーゲル解釈に強引に重ね合わせているに過ぎないのであり、彼にとって歴史的進歩は、西洋のものでしかなかったと批判している[野家1996b:6-7]。
  コジェーブのこうした見解を、「西洋に発展あり、東洋に反復あり」というヘーゲルの歴史観に重ね合わせれば、「歴史の終わり」は「西洋の没落」という観念の変奏曲となるのであり、西洋社会は発展を原理とするからこそ没落の可能性を持ち、やがて世界全体が東洋化することになる[加藤1990:219](5)。つまり、それを下敷きに描かれたフクヤマの「歴史の終わり」論は、西洋の発展という進歩史観を抜きには成立しない。進歩史観が自明であるからこそ、テロスとして自由民主主義を設定できるのである。ところが、現状においては、進歩史観自体が疑わしいものとなっている。そのような状況で、「歴史の終わり」という言葉が何か有意味なものであるとすれば、それは「起源」と「テロス」を両端に据えた歴史哲学の終焉、すなわち、「歴史の終わり」を語るヘーゲル=コジェーブ=フクヤマ的言説の終焉なのである[野家1996b:7]。
  最後に、進歩史観に関する種々の言説の中でも、最も強固なものと思われる、科学の進歩について触れておかなければならない。科学が単線的に進歩するという発想は、現在でも多くの科学者が暗黙のうちに共有しているものであろう。クーンのパラダイム論は、こういった科学の「常識」とでも呼ぶべきものへの挑戦であった。これに対しては様々な批判が寄せられてきたのであり、そのことと並行して、パラダイムという言葉が一人歩きしたために、新たに生じた問題もある。パラダイム論に関する論争はあまりにも多く、クーン自身による定義も非常に多様であるため、ここではそれらの問題に対して個別的に言及することはできないが、進歩史観との関連で考えた場合、何が問題となるかという点だけは押さえておきたい。まず、科学研究がパラダイムに依拠しているという指摘は、ある理論から別の理論への移行を、単純に「進歩」とは呼べないということを意味する。そして、パラダイムという概念は、科学の客観性、すなわち、主観性を完全に免れた研究活動という科学観を否定することになる。科学的「事実」と呼ばれているものは、理論によって支えられて初めて成立するということである。例えば、我々は、肉眼では知覚できない素粒子の存在を疑わないが、素粒子の存在という科学的「事実」は、理論によって構成されたものなのである。
  科学の進歩については、それが何を意味しているのかということを考えてみる必要がある。ここで否定されるべきなのは、科学の単線的な進歩という図式であろう。先程も述べたように、科学者は真理の探究を目標に掲げているとしても、実際には絶対的な真理への到達は断念されており、むしろ、知識の無限の進歩に対する信仰を持っている。ところが、パラダイム論はそれを拒絶するのである。素粒子の例で示したように、知覚対象とならないが、その存在が認められているものについては、パラダイムの内部で共有されている理論に依拠することで、その確かさが保証されている。このような場合、単純に意義と指示対象を分離することはできないのであり、対象の同定が理論的文脈に全面的に依拠している理論的存在については、意義の変化は直ちに指示対象の変化を帰結する[野家1998:170]。そのため、古いパラダイムから新しいパラダイムへの移行が生じても、それを単純に累積的な「進歩」と呼ぶことはできないのである。
  ただし、科学の単線的な進歩という図式の否定は、知識量の増大の否定を意味するわけではない。我々の知識体系において、科学のパラダイムが占めている領域はその一部に過ぎないのである。上述のように、意義の変化が指示対象の変化に対応している場合、二つのパラダイムの間に連続性は成り立たない。しかし、我々は二つの異なるパラダイムを比較することができる。パラダイムが転換したからといって、新しいパラダイムへと移行した人々が、古いパラダイムを理解できなくなるのではない。パラダイム転換においては、知のネットワーキング全体としては連続的なのであり、その内部の布置の転換という観点から見た場合に、非連続性が成り立つのである[野家1993:166]。また、後述のように、パラダイムの転換自体、それほど容易に起きるものではない。それゆえ、科学の単線的進歩という確信が妥当ではないとしても、同様に、パラダイム転換なるものを安易に唱え、それを気分的な問題に解消する主張に対しても、批判がなされなければならない。
  素粒子の例を示した時に、科学的「事実」は理論負荷的であると述べた。しかし、それは、日常的な知覚までも理論負荷的であるということを意味しているのではない。つまり、指示対象の変化が生じるのは、あくまでも研究者共同体というパラダイムの内部においてなのであり、日常的な知覚にまでその影響が及ぶというわけではない。上に記したように、科学的知識が我々の知識体系の一部を占めているに過ぎないならば、それは当然のことであろう。例えば、もし知覚が理論負荷的であるならば、地動説のパラダイムに依拠する我々が、天動説を理解することはできないはずである。科学的観察においては、日常的な知覚が理論と結びつくことで、知覚対象が科学的に有意味なデータとして機能する。東の空から上る太陽を観察しつつ、我々は太陽と地球との位置関係や相対運動について、幾通りかの再把握をすることができるが、いかに強固な地動説信奉者であっても、静止する太陽に対する地球の自転と公転とを知覚することはできないのであり、それらは知覚経験に基づいて、「観察」されるのである[同上:57]。
  現在では、パラダイムという言葉が様々な領域で用いられるようになった。ところが、それがあたかも流行語のように使われるようになると、科学論において本来何を意味していたのかという点が、全く見失われてしまった。その結果が、今日の通俗的なパラダイム転換論である。特に環境保護運動などに携わる人々の多くが、現在でも、「科学のパラダイムを転換して、地球に優しい社会を実現しなければならない」と信じている。しかし、パラダイムは意図的に転換できるものでもなければ、転換が起きたからといって、それによって環境問題の解決が可能になるわけでもない。パラダイムは単一の理論のみならず、様々な補助仮説などによって保護されているのであり、頻出する変則事象が、微調整による体系の均衡維持の域を越えた時に、その転換が生じるのである[野家1993:165]。つまり、新たなパラダイムが合理的に選択されるための基準が存在するのではなく、従来のパラダイムの自明性が揺らぎ、新たなパラダイムを形成し得る複数の理論間の競合を通じて、有力であると判断されたものが選択されることになる。
  通俗的なパラダイム転換論を唱える人々の主張に沿って、全ての判断体系を切り替え、その方向に科学技術を強引に振り向けることを試みるならば、研究開発そのものが挫折するという状況になるだろう[加藤1997:23]。それどころか、科学のパラダイムを転換すれば諸問題が解決するという楽観視は、科学技術の影響力が社会との関連で捉えられなければならない今日の状況において、市民の果たすべき役割を見逃す危険性があるように思える。一方で、パラダイム転換論に懐疑的な科学者からは、科学技術の進歩こそが環境問題の解決には不可欠である、と主張される。科学技術が不可欠であることは正しいが、ここで「進歩」という言葉を持ち出すから議論が混乱するのであり、先程とは逆に、パラダイム転換が生じた結果として、その新しいパラダイムで共有される知識が、環境問題の解決にとってマイナスになるという必然性はない。しかも、パラダイム転換が生じたからといって、科学技術と社会との関わりが、完全に変化してしまうわけでもない。例えば、天動説と地動説という二つのパラダイムの間で、データの観測に用いる技術や機器は共有され得る。また、従来とは異なる理論に依拠しながら、同じ機能を果たす機械を製造することもできる。つまり、理論の転換は、社会で用いられる技術そのものの完全な変化をもたらすわけではないのである。したがって、科学の単線的な進歩を断念するということは、科学技術の恩恵を放棄することには等しくない。
  更には、パラダイムという概念自体が、近代科学の制度化された状況に特有なものなのであり、通常は「科学者」と見なされているコペルニクスやニュートンが生きた時代には、そういったものは存在していなかった。ここでは詳述できないが、「科学革命」と言われているものは、当時のキリスト教的自然観に基づいた営みなのであり、啓蒙主義による世俗化を経て、ようやく姿を現した近代科学とは全く異なる(6)。科学革命をパラダイム転換として記述するならば、これは近代科学の性質をそれ以前に当てはめるという誤りを犯すことになる。このような態度こそ、近代科学の源泉を過去に探るという単線的な進歩史観に特有なものである。そうした図式を否定するはずのパラダイム論も、それが不当に用いられた場合には、自らの批判対象に加担することになる。パラダイム論に対する無理解によって、安易な相対主義に傾きやすいという指摘は誤りではないが、一方でこのような側面もあるということを、念頭に置いて議論を進める必要があるだろう。
  以上において、近代的な進歩史観が抱える諸問題を確認した。しかし、これは近代を問い直すという取り組みの下準備に過ぎない。より重要なのは、進歩史観の不在という状況で、どのような問題が生じていて、それに対していかに対処していくかということである。そのことを次章以降で検討することになるが、本章の冒頭でも述べたように、従来はこの下準備に当たる部分が十分になされないままに、今日の諸問題に関する分析がなされてきた。ここで記述したことは、近代的な進歩史観のごく一部に過ぎないが、それでもこれらを踏まえて現状を認識するならば、我々にとって何が問題なのかということが、多少は見えやすくなるはずである。進歩史観という幻想を追い続けることも、進歩史観と同様のロジックを用いて反近代を唱えることも、どちらも現実からの逃避に過ぎない。我々がどのような状況に直面しているかということを直視し、そうした自覚に基づく責任のある行動をとることこそが不可欠なのである。

第2章 自由主義に課される制限―環境倫理とエコ・ファシズム

 社会のあらゆる領域で進歩史観が失効したことで、近代的な制度が危機に直面している。無限の空間と資源という想定が暗黙のうちに人々を支配してきた近代社会においては、個人の自由と平等を無制限に追求することが、自明のものとされてきた。それゆえに、進歩史観に基づくオプティミズムが正当性を発揮し続けてきたのである。このことは倫理学においても言えることであり、その最たる例が、自由主義の他者危害の原則に基づく自己決定権である。判断能力のある成人の場合、他者に危害を及ぼさない限りは、個人の行為がどこまでも正当化されるという問題設定は、空間と資源が無限であるという条件下でしか機能しない。このような認識が幻想に過ぎないならば、従来の近代的価値観だけでは社会を維持できなくなるのであり、地球と資源の有限性を論じる環境倫理学は、自由と平等に一定の制限を加えようとする。
  そういった状況の認識とそこでの対応を、加藤尚武は「地球全体主義」と呼んだ。加藤によれば、地球全体主義は、国家が個人に優先するという国家全体主義とは異なるのであり、国家ではなく地球こそが、全ての価値判断に優先して尊重される絶対的なものであるという点で、国家のエゴイズムはかえって抑制されるという[加藤1991:46-47]。これに対して鬼頭秀一は、次のように批判する。人間の自由を拡張すべきか制限すべきかという議論が、西欧近代の人間観を前提としており、それを西欧以外の地域にそのまま当てはめるのは妥当かどうかということである[鬼頭1996:81]。人間の欲望や自由は、一定の社会的な枠組みの中で初めて意味を持つのであり、また、発展途上国の人口爆発には社会経済的な要因が絡んでいて、それを単に人間の欲望に還元することはできないと指摘する[同上:82]。すると、このような指摘を踏まえつつ、価値観を異にする人々の間での対話と、それに基づくパートナーシップの形成がここでの課題となるが、それがどのような作法によって実現し得るかということについては、後の章で論じる。
 鬼頭の第二の批判は、人間対自然という対立図式に基づいて、人間から離れた地球が存在し、それに人間が向き合うという観点から、地球全体主義が構想されているということである[同上]。これは、鬼頭が掲げるリンク論からの批判であり、欲望を含む人間の営みの形態が、それぞれの地域において自然との関わり合いの中でどのように進展してきて、今後どのような形で構築されていくべきかといった議論の重要性が説かれている[同上]。しかし、リンク論自体は意義深いとしても、これは加藤に対する批判としては必ずしも適切ではない(1)。確かに加藤は、人間と自然が主観と客観の関係になるという近代的な二元論を維持することなしに、地球の生態系を守ることは不可能であると主張する[加藤1991:218]。ただし、ここで加藤は人間の脱自然化を想定しているのではない。主体としての人間が自然を観察の対象として位置づけることは、人間の脱自然化を意味するのではないにもかかわらず、自然主義においては、観察対象と観察主体とが、自然と自然外の存在に無理やり対応づけられていると、加藤は述べている[同上:216]。
 地球全体主義へのもう一つの批判は、自由主義をめぐってのものである。前述のように、これは国家全体主義ではないので、個人の自由は保障されなければならない。そこで、全体規制と個人の自由とを両立させる基本公式とは、内側=個人に自由を、外側=国家に制限を、ということであると、加藤は主張する[同上:48]。これに対して須藤自由児は、国内的には実際に存在する不平等を放置したままで、効率と自由競争主義を強化することを意味するのではないかと批判する[須藤1998:164]。この批判の根拠となっているのは、加藤のリベラリズムに対する見解にほかならない。成長と進歩が環境と資源の制約を受けるという状況では、「成長なき社会での福祉」という重荷をリベラリズムは支えきれないと、加藤は指摘する[加藤1991:76]。ここで問題なのは、不平等の是正という福祉国家的な政策と、自由競争主義の関係を須藤は単純化し、それらを対立的に捉えていることであろう。すなわち、通常考えられているように、自由競争を至上のものとするリバタリアニズムと正反対のものとして、リベラリズムを位置づけるのは妥当であるかということである。
 第一に、「自生的秩序」を掲げるリバタリアニズムの「小さな政府」は、社会主義的な理念などは否定する一方で、労働組合や国営企業の解体などを目的とする改革や介入には熱心であり、それらが「自生的」に行われているとは言いがたい[森1998:28]。実際に「小さな政府」が擁護されるのは、市場の自由や再分配の縮小化に関してなのであり、それ以外の領域で改革や介入に熱心であるという点では、福祉国家と共通である。第二に、リバタリアニズムは国家による介入を批判する一方で、中間集団のレベルでは、個人主義と矛盾しない自発的行為である限り、それが営利的であれ非営利的であれ、肯定的なものとして捉える傾向にある[同上:30]。つまり、従来のように、保守派の「自由」と進歩派の「コミュニティ」が必ずしも正反対のものとして位置づけられるわけではない。新保守主義としてのリバタリアニズムにおいては、リベラリズムの市民社会論と同様に、個人の自発性に基づく行為が賞賛される(2)。
 第二に、「小さな政府」と「大きな政府」は、常に相反するものとして構想されるわけではない。これらの混合形態も存在し得るのであり、それを立岩真也は、「分配しかしない最小国家」、「冷たい福祉国家」と呼んでいる。すなわち、サービスは基本的に有償とした上で、その費用は国家が徴収する税金の再分配によって賄うこと、こうした国家による資源の供給とサービス内容についての決定を分離し、後者を当事者=利用者に委ねることを行うのである[立岩2000:256]。ここでは、福祉国家の画一的な政策が批判される一方で、労働能力に乏しい人々を犠牲としつつ市場を運営する、自由至上主義的な経済の在り方への批判もなされている。つまり、福祉と自由が両立する地点から、リベラリズムとリバタリアニズム双方に対して批判が向けられているということである。また、このような立場を選択しないとしても、「小さな政府」と「大きな政府」は現状において、共通の基盤を前提としていることを論じるのは可能であろう。例えば、景気対策が問題になる時、市場の自由に委ねることによって経済が活性化するという主張と、公共投資こそが有効であるという言説とが現れるが、両者共に、「生産」という場を共有した上で対峙しているのであり、どちらが景気をよくするかという点で政策が争われ、政権が交代する[同上:323]。そして、こうした無限の成長という進歩の神話そのものが成り立たないということを、環境倫理学は示しているのである。
 以上を確認した上で加藤の見解を検討してみると、彼は、国内の不平等を無視しているわけではないことが分かる。それどころか、須藤がリバタリアニズムによって生じる不平等を加藤への批判の根拠としたのとは逆に、現状における福祉国家の不平等こそを、加藤は批判している。自己責任によらない偶然の不幸に見舞われ、自力で抜け出す力を発揮するにも助力を要する人々には厚い保護の手を差しのべ、生活に規律を失ってその尻拭いに福祉費を用いる者には門戸を閉ざすべきだと、加藤は提唱するのである[加藤1990:184]。更に彼は、国民の医療費の総額が大きくなりすぎるからといって、高額医療への保険適用を切り捨てるのではなく、逆に低額医療を保険から除外する方が合理的であると主張した上で、単に保険の適用を打ち切るのではなく、国民の健康水準が向上することで、低額の治療費が少なくて済むような状況を作ることが望ましいと述べている[加藤1993:41]。しかし、健康水準を向上させることがどのようになされるべきなのか、そして、上記の政策を実現するためには、どのような具体的制度が必要であるかといった点に関しては、全く言及されていない。
  人々の平等を説くリベラリズムの議論では、その社会で保障されるべき福祉の適用が一律である場合、かえって不平等が発生するという点が、無視されがちである。医療の現場では、患者の側に甘えがあり、医療機関側もそれに便乗するという状況が見られる。本来ならば、濃厚な治療を必要としない場合でも、保険の適用によって安く済むという現状に患者が甘え、それがあたかも当然の権利であるかのように錯覚されている。また、医療機関側としては、濃厚な治療をするほど経済的利得が大きく、製薬企業側にとっても、医療機関がそうした治療を行うことで利益が上がるため、どこにも限界を定める契機が存在しない[村上1996:202]。その一方で、本当に福祉が必要な人が、その恩恵を受けられずに苦しんでいる。有限な福祉費が、それを本当に必要とする人々へ適切に分配されるようにするには、まずは制度上の改革が不可欠となるはずであり、このような点に目を向けないで自由競争の害悪だけを批判しても、問題の解決にはならない。
  先程の批判に続けて須藤は、自由競争が抱える困難を、次の点に見出している。国内の不平等を伴う自由競争によって経済成長を達成しようとする政策が、現在の不公正な国際関係を生み出した主原因であり、それを進めつつ他方で公正な国際関係を作り出せるのかということ、各先進国の自由主義的、資本主義的経済成長は多くの公害や環境破壊を生み出し、まだ十分にそれらを解決できていないということである[須藤1998:164]。そして結論として、国内的にも国際的にも、公正で非競争的な関係が必要になると、須藤は述べている[同上]。しかし、公正であることは重要であっても、そこから競争原理を全て排除してしまうことは、本当に有効なのだろうか。競争を原理として組み込まなかった社会主義諸国の非能率性は、結局その体制を消滅に追い込んだのであり、競争社会の敗者を安易に福祉で救済するよりは、失敗しても何度でも立ち上がって再挑戦できる仕組みを作ることが重要であると、村上陽一郎は指摘している[村上1999:280]。
  競争原理が機能することで、生物種や社会システムの劣化が防がれているという説があるが、それは必ずしも、無制限の競争が正しいということを意味しているわけではない。自由競争が無秩序な状態で行われるために、須藤が指摘するような状況が起きるのであり、それを防ぐものこそが、公正という概念なのである。自由競争によって得られる有効な面は尊重しつつ、勝者と敗者が一回の競争によって決定的なものとはならないという意味での、公正を確立することが必要であろう。換言すれば、競争に敗れて敗者となった人が、その結果として二度と立ち上がれないまでの、絶望的な状況には置かれないようにするということである。これは、上記の村上の見解に重なるものであるが、再び競争に参入し、勝者となる可能性が常に与えられているという意味での公正を確立することが重要であろう。ただし、問題はその先にあるのであり、このような公正をどのように確立していくか、ということについて、今後具体的な検討がなされなければならない。
  むしろ加藤に対して向けられるべき批判は、「個人に自由を、国家に制限を」という区別が、実際に成り立つかどうかということではないだろうか。環境破壊を防ぐための個人の行動は、国家から押しつけられるべきものではなく、個人の自発性に基づくべきであるという点で、この見解は正しい。しかし、国家が国際的に取り決められた政策に従って、自国の達成すべき基準値以下に環境破壊を抑えるためには、国内で何らかの規制を行わなければならない。それが環境税のように、環境破壊行為に対する代価のようなものであったとしても、そこでは納税者に対する、一種の強制力が働いていることになる。また、企業による環境破壊、特に発展途上国への公害輸出など、環境への影響が深刻である場合に関しては、それを放置したままでの自由至上主義は許されない。これまでも述べてきたように、自由競争をある程度認めるためには、それが及ぼし得る影響も考慮に入れた上での秩序が機能する必要があるのであり、自由競争それ自体が手放しに賞賛されるべきではないのである。
  次に、加藤の自由主義に対する見解を検討してみたい。リベラリズムについての批判は先に見た通りであり、ここではリベラリズムとリバタリアニズムの対立に関する見解を検討する。彼によれば、福祉の拡大が社会の進歩をもたらすという前提そのものが崩壊している状況においては、この対立を「進歩主義対保守主義」という旧来の概念枠で処理することは正しくないのであり、保守主義者の方が新しい社会現象に敏感に反応し、進歩主義者が古い枠にしがみついているという[加藤1990:28]。要するに、保守主義者の方がむしろ進歩的だと言いたいのであろう。ところが、現実にはそうではない。上述のように、リバタリアニズムの自由放任的性格は、企業による公害対策などが不十分である場合には、環境保護にマイナスに作用することもある。「生産」という価値を共通基盤として、リベラリズムとリバタリアニズムの対立が生じていること、そしてその共通基盤自体が崩壊しつつあることについて触れたが、こうしたことからも明らかなように、両者共に行き詰まっているという認識が正しいのではないだろうか。
  もちろん加藤は、リバタリアニズムの限界に気づいていないわけではない。上述の見解は、リベラリズムと比べて、リバタリアニズムの方がましだという認識によるのだろう。だから彼は、自由競争のメカニズムに対しても無批判であるわけではない。自由主義社会は、各自が自分で無理のない形で自発的に節度を保つ限りにおいて機能するのであり、大半の人が法律に触れない限りでぎりぎりいっぱい悪事を働くようになると、自由の制限が必要になるということから、自由市場という調整方式は、愚行がなされてもそれがほどほどの程度で、そうした行為を行う者が少数であるといった限度内でしか有効でないと、加藤は述べている[加藤1996:124]。つまり、自由主義が自らに制限を加えられるかどうかが、その存続を決定するということである。このことから明らかになるのは、先程引用した、「各先進国の自由主義的、資本主義的経済成長は多くの公害や環境破壊を生み出し、まだ十分にそれらを解決できていない」という須藤の見解は、それ自体としてはリバタリアニズムへの適切な批判にはなっていないということである。自由至上主義の立場に立つからといって、それに依拠する企業などの公害対策が、常に不十分なものになるとは限らない。
  上述のような認識に基づいて、エコ・ファシズムの問題が提示される。全体の制限が必要であるとしても、個人の自由の拡張をとどめることはできないから、カタストローフに委ねる以外には手がないというのが、多くの現実主義者の諦念であると、加藤は分析する[加藤1993:134]。それに対して、こうしたカタストローフに委ねるくらいなら、自由主義を断念した方がよいというのが、彼の判断であろう。自由主義でうまくいかないのならば、完璧な官僚主義と全体主義で乗り切るしかないのであり、それは選択の自由を最小限にするエコ・ファシズムであるという[加藤1996:184](3)。しかし、加藤は、そのような状況の到来を望ましいと考えているのではない。配分の公正、平和、自由、効率という条件を満たして、しかもその配分方法を選択することに、参加者の全員一致による支持が得られる方法を模索することが課題であると、エコ・ファシズムに関する先程の記述に続けて論じている[同上:185]。
  ところが、須藤には、エコ・ファシズムと自由主義を対立的に捉えることへの懐疑がある。第一に、ファシズムと自由主義の共通性を、自己中心主義に見出す。ファシズム体制は、自己の内部に異端を認めないと共に外部の敵を攻撃するが、それは自己の特権を追求する自己中心主義に基づくのであり、今日の危機的状況において、自国や自民族に関する自由主義国家の自己中心主義が、他国を犠牲にして自らの犠牲を減らそうとすることはあり得るという[須藤2000:134-135]。第二に、自由主義を絶対視して環境問題への取り組みを先送りするという状況が続くならば、あらゆる政府が環境保護を理由にファシズム的な政策を行うしかなくなると、見田宗介の見解を引用しつつ警告している[同上:135]。第二の点は、先述の加藤の危惧とも重なるものである。須藤のこれらの指摘は、リバタリアニズムが自由の至上性を掲げる一方で、その限界を見極めようとしない場合への批判として受け取るべきであろう。しかし、それはリバタリアニズムからリベラリズムへの安易な移行に等しいのではない。両者共に行き詰まっている現状では、二者択一は不毛である。
  自由主義を近代社会の成果として尊重することは大切であるが、それを無制限に拡張することは、もはや不可能である。その場合に、先進国は既に一定の成長を遂げたのに対して、これから自由主義を採用して成長するであろう発展途上国が、その制限によって犠牲にされるという批判が出てくる。進歩史観が機能しなくなることにより、これまでは後の世代に先送りされていたこのような問題が、国家、更には地球レベルでの政策決定に影響力を持ち始めている。そういった場面では、先進国における無制限な環境破壊の抑止と、発展途上国の成長を一定の範囲内で容認することを両立させつつ、エコ・ファシズムを実行せざるを得ない状況の到来を回避することが課題となる。自由主義を放棄することが望ましくないと考えるならば、その意義と限界を十分に認識した上で、それを使いこなしていくしかない。そこで、その欠陥構造を補うために不可欠なのが世代間倫理であるが、それに関しては別の機会に論じたので、ここでは繰り返さない(4)。
  ただし、加藤の世代間倫理に関する議論には矛盾があるので、その点に関してだけ、最後に言及しておきたい。進歩史観に依拠した近代の自由民主主義における共時的秩序が、世代間の関係を扱う通時的倫理を失ったという、加藤の指摘は正しい(5)。しかし、そこから「民主主義よりも世代間責任」[加藤2001:87]という結論に至るのは、果たして適切であろうか。現在世代が後の世代の生存に責任を負うとしても、その行為自体は現在世代の同意によってしか実行できないから、通時的倫理は、共時的倫理の枠組みの中でしか実現できないという論点を、加藤は紹介している[加藤1993:137]。そして、親子間の関係に見られるように、通時的倫理は、現代では家族の中にあり、共時的倫理は市民社会にあるが、後者は前者と相互補完的な構造を保つことにおいて有効に機能するのだから、この相互補完性を回復することが、正しい路線であると論じる[同上:138]。それに続けて、このことは、近代の市民社会の克服という「近代の超克」や、家族倫理の国家主義化の達成という路線ではないと強調する[同上]。
  エコ・ファシズムを回避しつつ、通時的倫理を機能させるには、市民社会にそれを根づかせるしかないだろう。しかし、そのことは、市民社会の現状維持を意味するのではない。なぜなら、市民社会の現状は、自由主義的側面が強いのであり、それを手放しで賞賛することは、上述のように、かえってエコ・ファシズムをもたらし得るからである。自由主義の意義を認め、その可能性を更に引き出すことと並行して、市民社会の根幹にあるもう一つの要素である、民主主義にこそ目を向けなければならない。市民社会における意思決定能力の向上は、共時的倫理の深化による、民主主義の成熟によってこそ可能となる。したがって、市民社会の意思決定が通時的倫理によって補完されるという加藤の提案は、民主主義が十分に機能しなければ成り立たない。そうであるならば、「民主主義よりも世代間責任」とは言えないはずである。共時的倫理の限界を見定めつつ、その中身を一層改善していくという不断の営みにおいて、通時的倫理は初めて効力を発揮すると言えよう。

第3章 普遍性の構築作業―意思決定における知のダイナミズムとは

 前章で検討した環境倫理学の地球全体主義は、画一的な基準を普遍的な命題として掲げるという意味で、一種の普遍主義である。それに対して、価値観の相対性を説き、その共有を拒絶するという、極度な多元主義も存在する。これらが対立する状況は、決して望ましいものであるとは言えないだろう。この問題を考えるために、まずは具体的な場面でそういった対立が生じていることを認識することから出発する必要がある。ただし、環境倫理学の議論では、地球全体主義への批判が、必ずしも極度な多元主義の主張にはなっていないので、普遍と多元の対立に関しては、別の角度から考察した方が、より理解しやすいと思われる。そこで、国際政治における、西欧的な人権概念に関する問題を、ここでは扱いたい(1)。
  従来の国際関係を振り返ってみると、西欧圏の普遍主義と言われているものは、常に自明であったわけではないことに気づく。西欧諸国による植民地支配が展開されていた時期には、人権が普遍的であるならば、有色人種や植民地支配下の人間も享受できるはずだという議論がなされたのに対して、西欧諸国はそれを拒絶してきたにもかかわらず、現在では西欧諸国が人権外交の名のもとに人権の普遍性を主張し、非西欧圏が人権という概念の相対性を論じるという、これまでの歴史と正反対のねじれが生じている[大沼1998:145]。そうした中で、自由民主主義に基づく人権を主張する西欧圏の見解には、二重基準という問題が見られる。二重基準には、ある国の人権侵害は非難するが、別の国における同様の状況に対しては黙認するという、他国との間での判断基準を国ごとに異にする場合と、自らは人権諸条約の批准を拒みながら、他国に対してはそれらの条約違反を非難するという、自国の行動と他国の行動との判断基準を異にする場合とがある[同上:311]。
 もちろん、非西欧圏の側にも問題があることは言うまでもない。第一に、人権概念を受け入れている非西欧諸国にも、二重基準の問題が存在するということである。第二に、人権という概念が西欧的であるという主張が、建前上は文化の相対性を説くものでありながら、現実には独裁政権下での、経済最優先型の政策を肯定するために用いられているということが指摘できる。たとえ西欧的な人権概念を受け入れないとしても、西欧圏と非西欧圏の人々との間で、最低限の生存を保障するために必要な条件は異ならないはずである。それは、特定の文化に依拠した価値観というよりは、生物学的な種の普遍性に基づくものなのであり、そうした条件を無視して、人々の犠牲の下に経済発展の追及がなされることは許されない。ただし、生物学的な種の普遍性へと安易に還元し、それを共通基盤として据えることで、価値の多元性を否定するといった暴力性が生じる危険性があることは、常に警戒する必要があるだろう。第三に、彼らが「自分たちの人権概念は西欧的なものとは異なる」と主張する時、批判の基準として、人権という西欧的な概念を用いているという矛盾がある。これは、単に論理的な問題だけでは済まない。自文化の特殊性や独自性を根拠に西欧の人権外交を批判するという行為を通じて、彼らは結果として、「西欧=普遍」、「非西欧=特殊」という図式を再確認し、再生産してしまっているからである[同上:183]。
  上に挙げた、「自分たちの人権概念は西欧的なものとは異なる」という主張において明らかなのは、こうした発言自体が、「価値観が異なる限り、互いの理解は不可能である」という、極度な多元主義を否定しているということにほかならない。なぜなら、互いの差異を言い立てるという行為は、そこに差異が存在するということについての、理解を前提として成立するものだからである。すなわち、価値の多元性の主張においては、多元性を掲げる時点で、既に自らとは異なるものに対する理解を含んでいるということになる。そうであるならば、極度な多元主義は、自らの主張において、その立場を掘り崩していると言わざるを得ないだろう。異文化間での「完全な」理解は成り立たないが、互いの共約不可能性を主張するには、理解可能性が前提されていなければならないのである(2)。
  野家啓一は、科学哲学におけるパラダイム論との関連で、次のように述べている。知覚は科学的観察の必要条件であり、それが制約を受けるのは我々の生理学的機構と言語を含む生活形式によってのみであるため、我々は知覚的事実を基盤とすることで、異なるパラダイムの差異について語り得るのであるという[野家1993:57]。しかし、生理学的機構や人類共通の生活形式への還元としても受け取れる点で、この主張は適切であるとは言えない。もしこれがそのような還元を意味するならば、野家が掲げる「無根拠からの出発」には相容れないことになるからである。知覚が本当に全人類に共通であるかは確かめようがないのであり、そうした状況を自明のものとして想定する限りにおいて、あたかも共通であるかのように見なされているというのが現実だろう。
  そして、異文化解釈に関しても、野家は次のように論じる。各民族や共同体の歴史に応じて、習慣の違いは多々あるとしても、食べる、眠る、住む、死ぬといった基本的な生活実践の様式においては、そこにコミュニケーションの断絶をきたすほどの決定的な差異は存在しないのであり、こういった生活形式の一致こそが、異文化解釈の基底を形作っているという[同上:103-104]。ただし、上述のように、生活形式の一致ということは、単なる想定に過ぎない。生活形式が本当に全人類に共通であるかどうかということは、日常生活の場面では通常、我々の関心事にはならない。なぜなら、まさに野家が指摘するように、我々の日常生活においては、コミュニケーションの断絶に至るほどの、決定的差異が存在するとは考えられていないからである。
  だからこそ、あたかも生活形式が全ての人間に共通であるかのように想定しても、特に差し支えないという判断が可能となるのであり、我々はそれを暗黙の了解として受け入れている。ところが、特定のパラダイムが共有された科学者共同体においては、事態は異なる。これは、コミュニケーションを支える言語の問題として考えることができるだろう。日常言語では、それを成立させるための条件は比較的自明であるか曖昧であるのに比べて、理論言語では、そうした条件はかなりはっきりと明文化され得るものであると共に、自明であるという違いが存在する[村上1979:149]。そして、日常言語のこうした性質ゆえに、その変化や移行は自覚されることが少なく、また、実際にそれらが起きても、柔軟で曖昧な構造の中に吸収されてしまい、全体の構成の変化や移行に至ることは少ないのである[同上:162]。
  以上の議論に基づいて述べるならば、西欧圏と非西欧圏の相互理解は可能であり、価値観の差異は、対話を拒絶する正当な理由にはならない。異なる枠組みを理解するためには、我々はその枠組みにコミットする必要もなければ、あらゆる枠組みの外部に立つ、中立的な傍観者となる必要もないのであり、自らが帰属する枠組みの内部に身を置いて、そのパースペクティヴから異なる枠組みを解釈する道しか、我々には残されていないのである[野家1993:128]。そうした認識に基づく対話において求められるのは、普遍主義か多元主義か、といった不毛な二者択一ではない。それは、普遍主義と多元主義との対立の場面での相対主義、すなわち、メタ・レベルでの相対主義である[村上1994:236]。普遍主義による画一化を拒絶しつつ、極度な多元主義にも陥らないようにするには、普遍性の意味が再定義される必要があるだろう。異なる枠組みに依拠する人々との間で共有されるべきものは、最初からある内容を持って存在する何物かではないのであり、それは相互批判と受容の過程を通じて追求し確定され、更にその暫定的結論への批判を踏まえて再定義していくという、絶えざる過程において見えてくるものにほかならない[大沼1998:294]。
  こういった態度は、複数の価値観の間で何らかの意思決定がなされる場面において、重要なものとなる。もちろん、各々の価値観が尊重されることは大切であるが、その価値観が唯一絶対なのではない。そして、異なる価値観が接触する時、自身にとっての自明性が崩壊し、異なる価値観を選択する可能性も、常にあることは確かであろう。したがって、個人の価値観を尊重するということは、合意形成の可能性や、常に再定義され変容していくという意味での、暫定的な普遍性を構築することとは矛盾しない。人々が個別的な場面での議論を行うための、解を一義的に指し示さない「参照枠」という形で、普遍性は構築されるべきなのである[鬼頭2000:69]。ただし、特にグローバルな場面では、合意形成を行うためのコミュニケーションの作法そのものが、極めて多様であるということに、常に目を向けなければならない。そこでは、西欧近代的な共同体の作法が、あらゆる場面において適用されなければならないという理由は存在しない。それどころか、その自明性を問い直し、超歴史的な視点から捉えられた、アプリオリな共通基盤や合意の基準といったものを想定することを、拒絶しなければならないのである。
  上述のような考察をおろそかにした場合に、地球全体主義の問題が現れる。従来、環境問題への取り組みにおいては、「グローバルに考え、ローカルに行動する」という原則が重視されてきたが、地球全体主義では、ローカルなものに関しては議論の対象とならない。その変奏曲とも言える、次のような主張もある。すなわち、国際機関による調整など、高い次元のルールを設定することによって、グローバルに行動する実行手段を確保しつつ、ローカルに考えることで、グローバル・ルールを地域に適用する根拠を検討するというものである[小林睦2000:77-78]。確かに地球規模の国際協力を要する問題では、グローバルな行動が必要であり、その目標を達成するための取り組みが、ローカルな場面で求められることがある。したがって、グローバルに考え行動すること、ローカルに考え行動すること、その全てが不可欠となる。しかし、上に引用した見解では、グローバル・ルールの設定が、どのようになされるのかという点に関する言及が見られない。その点を無視して、グローバル・ルールをローカルな場面に画一的基準として適用するならば、それは地球全体主義そのものである。グローバル・ルールを地域に適用する根拠を検討するという主張には、地域の多様性を考慮に入れた環境政策という視点が欠けており、画一的政策の強制をもたらすことになる。
  そうした状況に陥らないために必要なのが、上記の、意思決定の参照枠として機能する普遍性である。では、こうした普遍性は、どのように獲得されるのだろうか。これに関して鬼頭秀一は、ローカリティをそのまま認めながら、メタ・レベルで普遍性を構築することは可能であると述べる[鬼頭2000:68]。しかし、この視点においては、参照枠の普遍性が固定化されているという問題がある。ここでは、確かに地球全体主義のような政策の強制は回避されているが、参照枠の普遍性が無批判なままに導入されることになる。すなわち、普遍性に関する吟味がなされていないという点では、地球全体主義と同様なのである。これらの問題点を踏まえて考えるならば、普遍性は、個別的な場面での議論の積み重ねによって歴史的に生成されるのであり、そうして獲得された共通認識が、個別的な場面において参照枠として機能するという、循環構造として理解すべきであろう(3)。それだけでなく、一旦生成された普遍性も、暫定的なものに過ぎないのであり、個別的な場面から学び取ることで従来の自明性を揺さぶり、参照枠自体を不断に吟味していかなければならない。地球規模の諸問題において求められるグローバル・ルールは、こういった過程を経て設定される必要があるのであり、そのルールに即した個別的な実践においては、地域の多様性が考慮されなければならない。
  このような普遍性を生成する作業においては、異なる価値観を有する他者を、いかに理解するかということが重要である。我々の認識が、自らが生まれ育った伝統の影響を被っているという制約条件を認めた上で、その束縛に対して居直らずに、それをできる限り相対化し、理解対象が背負う文脈に沈潜することを試みなければならない。言うまでもなく、この作業は一回的なものではなく、不断に継続される必要がある。自らが依拠する枠組みも、理解対象が依拠する枠組みも、両者共に固定的なものではなく、常に流動的なのであり、そうした認識に基づいて、自己吟味と他者認識を未完の営みとして捉え、実践することが不可欠である。参照枠としての普遍性は、アポステリオリに獲得されるのであり、自己吟味と他者理解は、どちらも自己の枠組みを相対化することから出発しなければならない(4)。
  ちなみに、ここで述べたことは、討議倫理学の主張と必ずしも重なるわけではない。そこで、討議倫理学が抱える問題を見ておきたい(5)。言うまでもなく、そうした批判を行うのは、討議倫理学を否定的に捉えるからではなく、むしろ、次章で扱う臨床哲学なども含め、社会における具体的な実践に哲学・倫理学を生かそうとする種々の試みとのネットワーキングを構築し、相互批判的な吟味と討議を重ねていきたいと考えるからである。第一に、公共性の意味するものが問われなければならない。齋藤純一がサイードの見解を参照しつつ挙げているのは、例えば、パレスチナの人々が不在の場所でパレスチナの問題を協議するといった、当人を排除した、代理人たちによる「公共性」という要素が、ハーバーマスの主張には見られるということである[齋藤2000:105]。齋藤の問題意識は、鬼頭のローカルな環境倫理や、鷲田清一が「聴く」という営みを重視することとも重なるだろう。意思決定の参照枠は、人々が社会の具体的な場面で、自らの問題を考えるための手がかりとして機能しなければならない。
  第二に、「言説の資源」という問題が挙げられる。討議倫理学の公共的コミュニケーションにおいては、文化の支配的なコードを獲得しているかどうかという、「言説の資源」の優劣が、重要な意味を持つ[同上:10-11]。支配的なコードを駆使して討議に参加できるのは、コードの獲得に必要な教育の機会や、討議に当てる時間に恵まれた人々である。つまり、討議の対象となる諸問題に関して、最も深刻な状況にあり、切実な意見を持つ人々こそが、「言説の資源」に乏しいということが少なくないにもかかわらず、ハーバーマスの公共性論においては、人々が皆、そういった資源を既に手にしていることが、半ば自明の前提となっている[同上:64]。「言説の資源」に乏しい人々が、これをいかに獲得していくかという困難な問題もあるが、それ以前に、情報が限られていたり、専門的な用語で記されていたりするために、情報を十分に得られないということも多い。こうした現状への対応としても、「参照枠としての倫理学」が重要な意味を持つ。意思決定の参照枠とは、より望ましい決定を行うために必要な情報を、できる限り適切な形で提示することによって、人々が討議へと参加する機会を提供するためのものでもある。ただし、このことと並行して、「言説の資源」の差異を生じさせている事態の改善に向けての取り組みも、おろそかにされてはならない。
  第三に、ハーバーマスは、公共的討議による合意形成を掲げるが、批判・反省の過程と合意形成の過程とが並行するという保証はないのであり、既存の合意内容の批判的解体が、新たな合意の形成につながるとは限らない[同上:34]。しかし、このように主張することは、互いの差異が常に絶対的であるわけではないという、リオタールのポストモダン論との関連で扱った問題とつながる。つまり、互いの異質性を承認することは、現状の思考を全面的に肯定することとは等しくないのである。むしろ、異質性を認めた上で、互いに自らの枠組みを相対化し、その変容の可能性に対して開くべきであろう。こうした不断の討議を重ねる中でこそ、暫定的な意味での共通認識としての、参照枠の普遍性が生成され得るのである。そして、参照枠は必ずしも一つである必要はない。それどころか、一つの共通認識へと収斂することは稀なのであり、複数の参照枠が並存し、それらの参照枠の間でも、不断の討議と吟味がなされることが望ましい。
  合意形成をめぐる問題は、更に検討すべき点を残している。まずは、鬼頭による環境倫理の「動的」視点についての見解を見てみたい。それは、静的な意味での参加というよりは、「学び」という視点も含めた合意形成を図るものであり、その中で様々な決定がなされていくという[鬼頭2000:69]。ところが、ここで言う「動的」の意味が問題になる。鬼頭が想定しているのは、環境倫理の普遍性が画一的な基準として与えられるのではなく、人々の参加を通じた討議という「動的」過程における、意思決定の参照枠として機能することであろう。第一に、この想定において、参照枠そのものが固定化されているという問題は、先述の通りである。第二に、合意形成の契機が批判・反省の契機に優位する限り、「よりよい論拠」が何を意味するかということについての、支配的な想定を既に持つ言説が有力になり、それとは異質なものを「正常な」立場に同一化しようとする暴力性が機能するため、現状の規範の妥当性を批判的に吟味するはずの「学習過程」も、特定の見解を絶対化するという意味での「学習過程」へと転化し得る [齋藤2000:35]。つまり、このような場合には、「学び」を通じた「動的」過程が保証されていても、それが「動的」であることによって、かえって同一化の暴力性が機能しやすくなる危険性があるということである。
  したがって、批判・反省の契機は、合意形成よりも重視されなければならない。換言すれば、合意形成の内容そのものも、絶えず吟味されていく必要がある。村上陽一郎は、このことを「複数解の容認」と呼び、「安全学」の中核に位置づけている。「ここで提案する複数解の容認とは、最終的に選択された『解』が『合理的な最適解』であり、『唯一解』である、という意思決定の際の『解釈』を捨てることを意味する。言い換えれば、その最終解を選ばせたのは、特定の価値と特定の視点に立つことだけであることの確認である。・・・・・・ある特定の『解』が今選ばれたのは、取り敢えずある特定の価値と視点に重きを置いたからであって、それ以外の可能性を否定し、捨てたわけではないということを、常に、強く、認識することの提言である」[村上1998:234-235]。参照枠としての倫理学が、参照枠そのものを吟味するというのも、同様の問題意識による。なぜなら、参照枠が固定化されるならば、その普遍性の暫定的性質が見失われ、絶対化されることで、結局は従来の環境倫理と同様に、画一的な暴力を発揮することになるからである。

第4章 そしてネットワーキング論へ―臨床哲学への問い

 [萩原2001a]でも触れるように、私は臨床哲学の営みを重視し、それに共感する。しかし、前章で掲げた「参照枠としての倫理学」の観点から捉えた場合には、臨床哲学の現状に満足できないことも確かである。そのことを本章で述べ、参照枠としての倫理学の構想について、更に具体的に論じる。私は以前、参照枠としての倫理学を、環境倫理学のローカルな場面で試みた際に、「ネットワーキング論」という構想を立てた (1)。その中で私は、人々の関係性としての共時的ネットワーキングと、「小さな物語り」の通時的ネットワーキングの相互補完性について述べた。すなわち、市民社会の自明性を絶えず相対化するには、その背景にある前提を取り出して吟味する必要があるのであり、そうした作業を支える知のダイナミズムもまた、自明性によって人々の関係性が硬直化してしまうような状況に陥らないことで実現可能となるという、循環構造である。ネットワーキング論は、哲学・倫理学の各領域の間に、更に哲学・倫理学の外部に位置する諸学問との間に、具体的な実践に組み込めるようなネットワーキングを形成するための作法を実践する。討議を重ねる中で、互いの自明性が破壊され、認識の枠組みが変容する可能性に対して開かれることが、意思決定の参照枠を絶えず吟味するためには不可欠であろう。以上を確認した上で、ネットワーキング論と臨床哲学とのネットワーキングについて検討し、相互の可能性を更に引き出すことを試みる。
  本章では、臨床哲学と普遍性についての問題が主要な議論となるが、それ以外の点に関する臨床哲学への疑問を、先に挙げておきたい。第一に、存在の承認が破れていることを繕うという、局所的で特殊な場を社会の全域に拡張するのは不当であり、そのような場を除いては、単に「聴く」ことや全てを肯定することに徹するのは適切でないのであって、むしろ抗弁したり批判したりする必要がある[立岩2000:313-314]。「聴く」ことを通じて自らの思考が変容する可能性に開かれること、そして自らも「語る」ことによって、他者にもそのような経験を可能にさせること、そうした積極的な意味での批判的討議がなされなければならない。第二に、「聴く」という行為が、どのような姿勢でなされるのか、という問題もある。例えば、「あなたはアイヌの女性としてどう思いますか」といった設問は、相手の声に自らの言葉を聴こうとする聴き手の意思を露呈しているのであり、語り手の声は、実際には聴かれないままに終わる[齋藤1997:171]。もちろん、臨床哲学における「聴く」という営みに関して鷲田清一が想定しているのは、これとは正反対のものである。しかし、「聴く」という行為がこのような暴力性へと転化する可能性についても、目を向ける必要があるだろう。
 鷲田によると、「応用倫理学」は、その一つ一つの生の形を、ある普遍的な規則を適用できる「イグザンプル」と見なしているが、本当は安易に普遍化できない「ケース」であるという[鷲田、浜田1998:267-268]。この認識は、個別性を重視するという点で、本稿の見解と一致する。しかし、ここから先は、臨床哲学と議論を共有しつつ、ネットワーキング論は異なる道を歩むことになる。ただし、異なる道を歩むといっても、現状において賛成できない部分があるということであり、そうした点を積極的に議論し合っていく姿勢こそが、相互のネットワーキングのダイナミズムにとっても望ましいと考える。イグザンプルとケースの違いに関する上記の見解に続けて、鷲田は次のように述べる。「上から降りてくるとか、下から上がっていくというよりも、むしろケースという一番個別的なもの、特異なものにこだわる中で、実は一番ユニバーサルなものに議論がつながっていくというのが、本当の意味での哲学だと思う」[同上:268]。「上から」の議論は画一化の暴力を発揮するのであり、それを批判するという点では、ネットワーキング論における参照枠としての倫理学と同様である。しかし、「下から」の議論の積み重ねをも否定してしまってよいのだろうか。
 「歴史的に局所づけられた場所で、時代が突きつけている問題を考えつめることで、結果として逆に、時代や場所を超えた普遍的な視界が開かれるという点に、哲学的思考の逆説的ともいえるありようがよく示されているとおもう」[鷲田1999:52]。確かに我々の思考は、自らが生まれ育った文化の影響下にあり、「歴史的に局所づけられた場所」から離れることはできない。その点は正しいのだが、そこで「普遍的な視界が開かれる」と述べる時の普遍性とは、上述の「特異なものにこだわる」中で獲得される「一番ユニバーサルなもの」を指しているのだろうか。そうであるならば、その普遍性がどのような意味を持つのかということを、鷲田は述べなければならない。「時代や場所を超えた」普遍性は、複数の人々の間でのネットワーキングにおける、議論の積み重ねという未完の営みの中から、暫定的なものとして生成され、絶えず再定義されていくものであると考える。そういった過程を経ずに、「特異なものにこだわる」だけで、普遍性が得られるとは思えない。そこで獲得されたものは普遍的であると、当人が勝手に思い込んでいるに過ぎないのではないだろうか(2)。
  個別的な場面に、画一的な基準として普遍的な命題を当てはめてしまうことへの批判や、ケアを行う場面での臨床哲学の姿勢には、大いに共感する。ところが、一方で臨床哲学は、上記のように普遍性をも指向している。つまり、臨床哲学は、「主張するのではなく〈聴く〉ということ、普遍化が不可能であること」[同上:108]だけを議論の対象にしているのではない。普遍性の問題を考慮に入れるならば、「聴く」という営みだけでは不十分であろう。「聴く」ことによって自らの枠組みが揺さぶられると共に、「語る」ことによって公共性を獲得していくことが、普遍性の生成には不可欠だからである。従来の伝統的な哲学・倫理学が、「語る」という側面を重視してきたことに対して、臨床哲学は「聴く」ことを重視するが、だからといって、「語る」ことの意義が失われたわけではない。「語る」ことの重要性は、前章で「参照枠としての倫理学」における討議の問題を、様々な観点から言及したことからも明らかであろう。一方、「聴く」ことの意義は、[萩原2001a]で論じた、次の点にあるように思える。すなわち、抑圧された他者の「語り」を「聴く」ことによって、歴史認識のダイナミズムを硬直化させないということであり、そこでは臨床哲学の作法が求められるということである。この点は、従来の哲学・倫理学には、完全に欠如していたと言えよう。
  臨床哲学が普遍性を射程に入れるのであれば、哲学・倫理学を「社会につなげる」というその試みは、現状では中途半端であると言わざるを得ない。そこでは、対話の相手が専門家としての哲学者から非専門家へと移しかえられているだけであり、従来の哲学・倫理学のような、研究者共同体内部のみでの閉鎖的な議論が改善されるにとどまっている。「特異なものにこだわる」からといって、即座にその営みが社会につながるのではない。専門家同士の対話であっても、「特異なものにこだわる」議論を行うことは可能であり、それは研究者共同体の内部で自己完結し、社会にはつながらないだろう。臨床哲学の実践においては、この点は解決されている。問題は、「社会につなげる」ということの意味であり、ここに普遍性をめぐる問題が現れる。上記のように普遍性は、社会における様々なネットワーキングを通じて、そこでなされる議論の積み重ねによって、不断に生成されていくものである。このような契機が欠けているならば、哲学・倫理学の営みを、今日の諸問題に関する市民の具体的な実践に組み込むことはできない。臨床哲学が何らかの普遍性を指向するならば、 少なくともこの点が見失われてはならないはずである。いかに社会における具体的実践につなげていくのかということ、そして、そこでネットワーキングがどのような機能を果たしているのかということ、これらの点についても、臨床哲学は問うべきではないだろうか。
  そういった点に自覚的なのが、鷲田と共に臨床哲学に関心を寄せる、野家啓一である。「異文化理解とは、アプリオリな共通の基盤を捜し求める努力ではなく、共通の基盤を新たに形作ろうとする絶えざる投企であり試行錯誤にほかならない。・・・・・・それゆえ故郷世界と異郷世界とを包括する同一の世界とは、どこかにあらかじめ『存在』するものではなく、自他のパースペクティヴの変容を通じて『生成』し、増殖するものだと言わねばならない」[野家1996a:263]。つまり、新たに生成される共通基盤を、テロスとしてあらかじめ想定することは不可能である(3)。また、ここで生成される普遍性は、個別的な場面を無視するものではない。個別的な場面での意思決定を支える参照枠として機能するものなのであり、その普遍性自体も、議論を経て、絶えず吟味されていくのである。その際に、個別的な場面から得られたことが、従来の自明性に亀裂を生じさせる手がかりとなる。これこそ、鷲田が臨床哲学の課題の一つとして掲げる、「あらかじめ所有された原則の適用ではなくて・・・・・・むしろそういう一般的原則が一個の事例によって揺さぶられる経験として哲学をとらえること」[鷲田1999:108]であろう。
  一方で鷲田には、野家の見解に近いと思われるような主張も見られる。鷲田によると、臨床哲学の営みとは、「臨床の場面にのぞむ者の経験の変容を引き起こすひとつの出来事」[同上]であるという。前章で討議倫理学に関して検討した際に論じたように、合意形成をあらかじめ想定した対話は、臨床哲学やネットワーキング論の試みとは相容れない。むしろ、互いの異質性を承認することによってこそ、自らの自明性が相対化される可能性に対して開かれ得るのであり、対話を未完の営みとして位置づけることに意義がある。この点において、個別性を重視するという臨床哲学の契機と、普遍性の構築作業という行為との接点が見出されるのではないだろうか。そこでは、臨床哲学が「普遍性」の意味を再検討することが必要となるであろうが、この試みにおいて、臨床哲学とネットワーキング論を媒介するのは、野家の下記の見解である。「異文化とはまずもって理解を拒む『不気味なもの』であり、それとの接触を通じてわれわれの経験の自明性は根底から揺さぶられる。・・・・・・その不気味なものを理解可能なものとして構成するとき、その過程はどんなにわずかではあれ自己のパースペクティヴの変容をもたらさずにはおかない。むしろ、この変容の過程をこそ『理解』と呼ぶべきかもしれない」[野家1996a:260-261]。したがって、「パースペクティヴの差異は『唯一の視点』への統合によって克服されるものではない。差異の克服は、異なるパースペクティヴをその異なりのままに『理解可能』なものへともたらすことによって実現されるのである」[同上:260]。
  臨床哲学において、鷲田は下記の二点を重視する。「ひとつは、哲学にかかわる者がここで『だれ』という特定の人物として他者の前に立つということであり、いまひとつは、哲学的思考が、『ダイアローグ』、つまりロゴスを分かちあうという意味での意見の交換のなかでこそより深められるということである」[鷲田1999:58]。ネットワーキング論が暫定的な普遍性を不断に構築していくということは、この二点を臨床哲学と共有することと矛盾しない。むしろ、これらを不可欠な条件としつつ、複数の人々の間でのネットワーキングにおいて議論を重ねるという条件を新たに加えることで、ネットワーキング論の試みを、社会における具体的な実践に組み込むことが可能となる。「それは解釈するものと解釈されるものとの『地平』のぶつかり合いであり、そこに生じる衝撃こそが『解釈学的経験』と呼ばれるものにほかならない。しかし、この解釈学的経験を通じて、自他の間に『共通の尺度』が発見されるわけではない。むしろ、そこにおいては、われわれが自明のものとしてきた自己同一性が根底から揺さぶられるのであり、そのことによって、ガダマーの言葉を借りれば、『地平の融合』という新たな経験が生じるのである」[野家1993:128]。
  ネットワーキング論における参照枠としての倫理学は、普遍性を積極的なものとして定義するが、個別的なものを重視する点では臨床哲学に共感する。普遍性が画一化の暴力として機能してしまうのは、それが非歴史的な観点から、固定的なものとして設定されてきたからである。普遍性とは、複数の人々から成るネットワーキングにおいて、討議を積み重ねる過程で、相互の枠組みが相対化されて変容する中で、新たに生成され、しかも常に再定義されていく、歴史的で暫定的なものにほかならない。また、参照枠自体も、複数が並存することで多様性を獲得するのであり、それらの間での、相互の積極的な吟味や批判がなされるべきであろう。そこでは、ネットワーキングに関わる全ての人々の自己同一性が揺さぶられるだけでなく、ネットワーキングとしての人々の関係性そのものも、常にその外部に対して開かれ、絶えず更新されていくことが望ましい。このような営みを通じて、硬直化しない普遍性を意思決定の参照枠として不断に生成し、それを社会の具体的な場面での実践につなげていくことこそが、ネットワーキング論の当面の最重要課題である。
 

第1章
(1)大量消費社会の構造については、[萩原2000b]を参照。
(2)それどころか、[萩原2001a]で論じたように、進歩史観に関して、このような分析を行う丸山自身も、同様の観点に立って歴史を認識している。
(3)そこで働く権力構造に関しては、[萩原2001a]にて考察した。
(4)こうしたリオタールが見落としていると思われる点こそ、[萩原2001a]で論じた「トランスモダン」の作法の実践として、本稿において提示される、「ネットワーキング論」の「参照枠としての倫理学」が試みるものなのである。
(5)なお、西洋の没落という構図は、丸山眞男の「歴史意識の『古層』」の結論部分にも共通するものであるが、それが抱える問題については、[萩原2001a]にて、丸山の思想について言及する際に触れた。
(6)本章冒頭にも掲げたように、この点について村上陽一郎は、従来の「科学革命」を批判し、「聖俗革命」という視点を提唱している。詳細は、[村上1976]などを参照。

第2章
(1)リンク論については、[鬼頭1996]などを参照。
(2)しかも、進歩派のリバタリアニズムも存在する。自由至上主義は、必ずしも新保守主義の専売特許ではない。また、言うまでもなく、保守派のリベラリズムも存在する。
(3)その意味で、21世紀には、自由主義から管理主義への構造転換が起こる可能性があると、加藤は予測する[加藤2001:87]。これは、地球全体主義の構想から得られる、当然の帰結であろう。
(4)世代間倫理に関する私見は、[萩原2000a]を参照。
(5)詳細は、[加藤1991]などを参照。

第3章
(1)これから用いる「西欧圏と非西欧圏」という区別に関して、「非西欧」という観点自体が西欧中心的なものであることは承知しているが、記述の便宜上、ここではそれを採用することをご了承頂きたい。
(2)この点については、[萩原1999]を参照。
(3)この問題を[萩原2001b]では、環境倫理のローカルな場面に即して論じた。
(4)こうした知のダイナミズムについては、[萩原2001a]にて、ハイデガーやベンヤミンとの関連で論じた。
(5)討議倫理学それ自体が多様であることは言うまでもないが、本稿では紙数の都合上、ハーバーマスとの関連でのみ検討する。

第4章
(1)詳細は、[萩原2001b]を参照。
(2)しかも、そこで「本当の意味での哲学」なるものを、鷲田が想定すること自体に問題がある。詳細は[萩原2001a]で論じたように、既存の近代的な思考への批判として、臨床哲学の方法に基づく思考を「本当の意味での哲学」と見なすならば、たとえ自己の相対化ということが課題として掲げられていたとしても、その方法と、それについて語る当人も、やはり近代という文脈の影響下にあることが覆い隠されてしまう。
(3)何らかのテロスを想定し、そこへの到達が意図的に可能であると錯覚することこそ、[萩原2001a]で扱った、近代哲学における「未来の先取り」や「意識の優位性」である。
 

参考文献

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