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作成:森岡正博 
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意識通信

 

森岡正博
意識通信−ドリームナヴィゲイターの誕生
筑摩書房 1993年4月 全220頁 本体1893円 絶版
→ ちくま学芸文庫 (全494頁) 2002年7月 全263頁 本体1100円 絶版


初版(1993年)


文庫版(2002年)

ネットの心理とコミュニケーションを、インターネット誕生以前に予言した。SFかと思われる濃い世界が展開される電子メディア論の古典。

この本を書いたのは、1993年のこと。インターネット時代を、ある意味で予言した本として注目を集めました。しかし、1993年の時点では、われわれ一般人がインターネットを使うことはできませんでした。Yahoo!の登場が1994年、ネットスケイプ・ナビゲーター登場が1994年だったから。つまり、私は、この本を、インターネット以前に書き上げて出版したことになります。いまからもう10年も前のことなんだな。当時、早すぎると言われたりした。当時のパソコン通信マニアのあいだでは、話題になった。ここにきて、ようやく時代が追いついたのか?(ちょっとおおげさ) いずれにしても、初版が売り切れてからずっと絶版状態だったので、これは幻の書物と化していたのでした。とうとう、お手ごろ価格で、みなさんの前に再登場します。インターネット以前に、いったいどんな妄想と予言が書き記されていたのか。ドリームナヴィゲイターとは、いったい何なのか? その謎が、ついに明らかになります。前半は、「意識通信」というあたらしいコミュニケーション・モデルを提唱しています。触手のうごめきと意識の変容という図式。この部分は、その後のメディア論の教科書などにも引用されるようになってきています。後半は、いま読み返してみても、やっぱり問題作。時代はまだ「意識通信」に追いついていない??(笑)。初版 4000部くらい刷った。第9回テレコム社会科学賞というのをもらってしまいました。単行本が絶版になったあと、しばらく手に入らない状態が続いていたが、2002年7月に、ちくま学芸文庫より再刊、5000部。トータルで、9000部ということに。 2006年に絶版となりました。そこで、本HPにて全文公開(下参照↓)し、のちにkinokopress.comから無料PDFで再刊します。

筑摩書房 Tel.048-651-0053 Fax.048-666-4648
HP:
http://www.chikumashobo.co.jp/
メール:
WebInfo@chikumashobo.co.jp


全文を無料で閲覧できます

 悪夢の序章

第1章 意識通信

「情報通信」とはまったく異なる「意識通信」の概念を提唱。話すことそれ自体を目的とするコミュニケーションはどのような形で開花するのか?

第2章 匿名性のコミュニティ

電子メディアで活性化する第3のコミュニティとして、「匿名性のコミュニティ」を提唱した。後に2ちゃんねるなどの登場によってネガティブな形で裏付けられることとなった。

第3章 意識交流場

情報を伝達するというのではなく、意識を交流するという視点から、新しいコミュニケーションモデルを提唱した。これはけっこうオリジナリティあるはず。学会では黙殺されておりますが・・・。

第4章 社会の夢

電子メディアが、もし社会全体が見ている夢だとしたら・・・・。社会の深層意識はわれわれにどのような夢を見せるのか。そしてドリームナヴィゲイターとは?

第5章 意識交流の深層へ

(前半)  意識をデザインする 電子メディアという深層意識に介入して、それをデザインすることは可能なのか?後半へとつながる、果敢な思考実験。

(後半)  ドリームナヴィゲイターの旅  本書の最大の問題箇所。出版当時は賛否両論。森岡は狂ったのかとまで言われた。森岡ファンなら『無痛文明論』第3章「無痛奔流」を想起することだろう。もっとも危ない箇所を全文公開!

 

書評など

・『読売新聞』2002年7月21日朝刊 書評欄

電子メディアは社会と人間の心理にどのような変容をもたらすか論考する。深層心理学や社会心理学、コミュニケーション論の視点からとらえている。原本は十年前に書かれたが、今日のインターネット社会の状況を鋭く予測した。

bk1 2002年12月17日 オリオンさん 「森岡正博の最高傑作
bk1 2003年9月30日 pipi姫さん 「「惑星ソラリス」のようなSF世界。マトリックス世界を漂う驚くべきコミュニケーション論
ネット 書痴記録  2002年8月3日
ネット おざわ日記  2002年8月23日
ネット 白梅亭 2004年2月28日

・さっそく授業で使ってくださっている方が。。。感謝。
・なんと、立花隆せんせいの書棚に、初版『意識通信』が・・・!!!

(情報求む!)

 


文庫版あとがき

 長らく絶版だった『意識通信』が、ちくま学芸文庫の一冊として、ふたたび読者の目に触れるようになった。単行本が出版されてから、はや一〇年が経とうとしている。古書店では、たまに放出される本書に、法外な値段が付けられて、マニアのあいだで取り引きされているようだ。インターネット全盛のいま、この本はどのように読まれるのか。
 ネットの世界では、情報の受け渡しを目的とする「情報通信」だけではなく、誰かと会話することそれ自体を目的とする「意識通信」というものが、きらびやかに開花することになるだろうと私は予言した。「意識通信」で重要になるのは、心の癒やしであり、意識の交流であり、社会全体の夢の活性化であり、ドリーム・ナヴィゲイターの誕生である。これは、電子メディアにおける人間関係と心理学について本格的に書かれた、日本で最初の本だった。翌年に、電気通信普及財団「テレコム社会科学賞」を受賞した。
 出版当時、この本を評価した人々は、もっぱら本書の前半部分に注目したのだった。そこでは、「意識通信」が、匿名性・断片人格・自己演出によって特徴付けられ、活性化していくのだと書かれている。この部分は、新しい電子メディアの性質を言い当てたものとして受け入れられ、いくつかのメディア論の教科書にも引用された。実際、インターネットの巨大掲示板である「2ちゃんねる」の登場と、携帯電話の爆発的な普及によって、匿名性・断片人格・自己演出の重要性は実証されたと言ってよい。しかし、信じがたいかもしれないが、九三年当時、このことを主張するのはたいへんな冒険であった。
 なぜなら、一九九三年には、今日のようなインターネットは存在していなかったからである。本書『意識通信』は、インターネット以前に書かれた本なのだ。この本を書くために、一九九一年の一年間、アメリカ合衆国に滞在していたのだが、当時の大学図書館には、館内の蔵書を検索する端末しかなかった。それを朝から晩まで利用し、図書館内をくまなく歩き回って、英語のメディア論の文献を片っ端から読んでいたのであった。
 インターネットの歴史を振り返っておこう。
 限られた研究機関のあいだをむすぶネットワークで、HTMLの仕組みが開発されたのが、一九九一年のことである。これによって、今で言うネットサーフィンの基本技術が確立した。それを実用化したのがMosaicというブラウザで、その登場が一九九三年のこと。それをさらに改良したネットスケイプ・ナヴィゲーターが売り出されたのが、一九九四年である。検索サイトYahoo!が登場したのも同じ一九九四年。してみると、大学関係者がインターネットを使いこなす環境が出そろったのは、一九九四年だということになる。
 私は、インターネットをまったく知らずに、本書を書いた。その後の、インターネットの爆発と、携帯電話の普及についても、ほとんど予想できなかった。しかし、それであるがゆえに、インターネットや携帯電話の普及後に書かれたメディア論がなしえなかったような特異な内容が、この本では主張されているのである。もっとも、第一章と第二章では、インターネット以前の文献や調査にもとづいて記述が進んでいくため、今日から見ればすでに時代遅れになったものや、すでに人々の常識となったことなどが多く含まれている。文庫化するに当たって、その部分を更新することは行なわなかった。九三年当時は、これらのこともきわめて目新しかったということを味わっていただければと思う。
 第三章では、電子メディアでわれわれが意識交流するときの、「意識通信モデル」というものが提唱されている。本書の学問としてのオリジナリティは、ここにある。コミュニケーションのこのようなモデル化は、いまだ社会学においてもなされていない。会話する者同士の「触手」が触れあって、人格の形態が変容するというこのモデルのあまりのグロテスクさのせいか、この「意識通信モデル」は、残念ながら学問的な検討や批判の対象とされてこなかった。文庫版の新しい読者が、これをどのように受け取ってくれるのか、私は興味がある。
 後半第二部(第四章と第五章)では、社会の夢とドリーム・ナヴィゲイターの誕生について思考実験と妄想を広げた。この『意識通信』第二部は、学界からは完全に黙殺されている。ある学者は、第二部の途中まで読んで、怒って私に本書を突き返してきた。そこまで強烈な反応ではなくても、第一部を面白く読んでくれた読者のほとんどは、この第二部をどういうふうに解釈すればいいのか、とまどったことであろう。
 私は、この第二部を書くために、本書全体を企画したようなものだ。第二部で言いたかったことは、電子メディアが社会全体に浸透するようになったら、それは、われわれの集合的な無意識と密接な相互交流をすることになるはずだということである。深層心理学が扱ってきたようなことがらが、電子メディア全体の規模で生じるようになる。それを示すために、私は視覚的なイメージを使って描写した。集合的な無意識と電子メディアというテーマが、本書の真の主題だった。
 電子メディアは無意識を取り込むのであるから、そこでは「夢」が重要になる。夢を整序する役割としての、ドリーム・ナヴィゲイターの誕生。(ネットスケイプ・ナヴィゲーターが世に出たのが一九九四年のことだから、ドリーム・ナヴィゲイターのほうが先輩なのだ)。ドリーム・ナヴィゲイターという存在は、すでにどこかに誕生しているのだろうか。それとも、それは、今後さらに複雑怪奇に発展していくであろうネット世界の片隅に、いずれひっそりと産声を上げることになるのであろうか。
 単行本が出版されたときに、何人かの方々から、本書の内容は「早すぎる」と言われた。一部に熱狂的なファンを生み出したものの、広く一般読者に受け入れられるところまでは行かなかった。特に第二部のせいで、トンデモ本と言われたり、カルト本と言われたりした。いつしか絶版となり、書店からも姿を消してしまった。しかし、ここ数年のインターネットの盛り上がりと、ネット人口の急増によって、本書を取りまく状況も劇的に変化したのではないかと思われる。家庭からネットに常時接続できる時代の若者たちが、本書をどのように読むのか。ちくま学芸文庫というハンディな形でふたたび書店に並ぶのは、私にとっては夢のような話である。
 実は、インターネット後の「意識通信」について、いずれ本を書いてみたいと思っている。しかしこれはずいぶん先の話になるだろう。それまでは、学芸文庫版『意識通信』をじっくりと批判的に吟味してほしい。私のホームページにおいても、ネットでのコミュニケーションの可能性を試している。興味ある方はぜひ訪れてみてほしい。ちくま学芸文庫に本書を収める決断をしてくださった、渡辺英明さん、山本克俊さんに深く感謝したい。

 何年か前におきた事件のことを私は忘れることができない。
 ある男が、妊娠した女性の部屋に侵入し、彼女を殺害して、腹をナイフで切り裂いた。男は、腹の中から赤ちゃんをひっぱり出し、そのかわりに、部屋にあったぬいぐるみを詰め込んだ。そして最後に、コードのついた電話機を彼女の腹の中にしまい込んだ。
 この事件は、異様な戦慄と、後ろめたいほどの感動を私にもたらした。息絶えた母親と、そのそばで生死の境をさまよっている胎児。そして母親の腹の中に吸い込まれてゆく、一本の電話機のコード。人間の深層に降ろされた電子通信メディア。
 もし、この電話機のベルが不意に鳴ったとしたら、それはどんな世界からの声を運んでくるのだろうか。耳に当てた受話器を通して、どのようなメッセージがささやかれるのだろうか。
 こうして本書は成立した。際限のない想像力を白日のもとにさらすことで、私はようやく悪夢から解放されるのかもしれない。


目次

T メディアの思想

第一章 意識通信

情報通信から意識通信へ/電話と匿名性/断片人格/自己演出/CBとハンドルネーム/パーティーライン/パソコン通信とチャット/自己演出ともうひとりの私/チャットの中の人間関係/コンピュセックス/統合メディアと匿名性/匿名性のコミュニケーション/顔の存在/二世界問題/失われた他者を求めて/註

第二章 匿名性のコミュニティ

都市と雑踏/ファッション街の視線/雑踏と匿名性のコミュニケーション/二つのコミュニティ/ノン・プレイス・コミュニティ/第三のコミュニティ/匿名性とは何か/意識通信と様々な人間関係/註

第三章 意識交流場

コミュニケーション論/シャノン=ウィーヴァー・モデル/意識交流モデルの開発/意識通信モデル五つの要素/交流人格/触手/人格の形態/自己表現/意識交流/意識の流れの様相/構造/意識交流モデル/モデルの意味/註

U ドリーム・ナヴィゲイター

第四章 社会の夢

深層意識の活性化/グループメディアの深層/社会の無意識/社会の夢/夢の作業/ドリーム・ナヴィゲイター/ホスト介入型グループメディアの進化/註

第五章 意識交流の深層へ

ホスト介入型グループメディアの構造/統合メディアへの展開/意識をデザインする/匿名デザイン通信/ドリーム・ナヴィゲイターの旅

あとがき
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邦文文献一覧