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作成:森岡正博 
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脳死の人

 

森岡正博『脳死の人』法藏館、初版1989年、決定版2000年

第1章 脳死とは人と人との関わり方である (1〜19頁 傍点・文字飾りは省略 後ほど公開される縦書きのPDF版では完全なレイアウトが見られます)

 

決定版のまえがき

  一九九九年に、脳死の人からの心臓移植が再開された。
  実に、三十一年ぶりのことだ。
  しかし、脳死と臓器移植は、今後、さらに大きな問題となってわれわれに迫ってくることだろう。なぜなら、脳死の本質とは、この社会における「人と人との関わり方」の問題だからであり、さらには、臓器移植を可能にした現代の科学文明のあり方をどう考えるのかという問題だからである。
  いまから十一年前、すなわち一九八九年に出版した『脳死の人』は、それらの点を徹底的に掘り下げたものであった。本書が、脳死問題だけではなく、広く生命倫理を考えるうえでの基本図書として読み継がれてきたことは、とてもうれしい。「脳死は人と人との関わり方である」という本書の主張は、いまなおその鋭さを失っていないはずだ。
  旧版が絶版となったのを機に、このたび法藏館から「増補決定版」として再刊していただけることになった。『脳死の人』初版の本文には、まったく手を加えなかった。
  今回、増補決定版と銘打ったのは、『脳死の人』出版後に書いた二本の重要な文章を付け加えたからだ。ひとつは、臓器移植法が制定された一九九七年、心臓移植施設に指定されて緊張感みなぎる大阪の国立循環器病センターで、現役の移植医たちを前に積年の思いをぶつけた「移植前夜、循環器病センターでの講演」(未発表)である。もうひとつは、臓器移植法見直しの年である二〇〇〇年に、雑誌『論座』に発表した、脳死の子どもからの移植についての提言「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」である。ともに、『脳死の人』初版発表後の、私の思索として読んでいただければうれしい。
  脳死は、われわれの死生観や、現代の科学文明の行く末を考えるうえで、避けては通れない問題だ。これからもしぶとく考え続けていきたい。

 二〇〇〇年五月


旧版のはしがき

  わが国の脳死論は、だいたい三つの時期に分けることができます。
  最初の時期は、一九八〇年ごろから一九八五年ごろまで。この時期は、脳死論のいわば夜明けです。一九八三年に、厚生科学研究費による「脳死に関する研究班」(いわゆる竹内班)が発足し、脳死という問題が社会的に注目され始めました。この時期を代表する書物としては、
東大PRC企画委員会編『脳死』(技術と人間、一九八五・三、初版)
中島みち『見えない死』(文藝春秋、一九八五・九)
があります。
  第二期は一九八六年ごろから一九八七年ごろまで。この時期には、一九八五年一二月に発表された厚生省竹内班の脳死判定基準(いわゆる竹内基準)をめぐって議論が集中しました。マスコミはいっせいに竹内基準をとりあげ、脳死ということばは一気にポピュラーなものになりました。第二期を代表する書物としては、
立花隆『脳死』(中央公論社、一九八六・一〇、雑誌連載は一九八五・一一〜一九八六・八)
竹内一夫『脳死とはなにか』(講談社ブルーバックス、一九八七・五)
があります。一九八八年一月に「脳死をもって人間の個体死と認めてよい」という日本医師会の見解が出されて、政策上は、脳死に対して一定の方向性が打ち出されました。しかし、判定基準の問題は決して解決されたわけではなく、現在も議論が続いています。
  いまや脳死論は第三期に入ろうとしています。第三期の特徴は、「脳死」そのものの解明というよりも、「脳死」をきっかけにして見えてきた社会の姿、日本文化の姿、現代医療の姿を追求してゆこうとする姿勢です。言い換えれば、「脳死」を見るのではなく、脳死を通して「現代」を見るという問題意識です。このような視点からの先駆的な書物として、
波平恵美子『脳死・臓器移植・がん告知』(福武書店、一九八八・五)
があります。これは脳死・がん告知などをきっかけにして、日本の文化や社会の深層構造を解明しようとする試みです。
  本書もこの第三期の書物です。私は本書で、次の二つのことを重点的に述べようと思います。
  (1) マスコミでは「脳死の倫理問題」ということばがよく使われていますが、「脳死の倫理問題」とは本当のところ、いったい何なのでしょう? 私は、「脳死の倫理問題」の本質は、脳死になった人とそれを取り巻く人の、人と人との関わり方の問題であると考えます。
  (2) 脳死を追求してゆくと、そこには現代社会の抱えるさまざまな問題、たとえば現代社会の効率性、現代医療の部分主義、医師の啓蒙観などが、じつにクリアーに見えてきます。ことばを聞いただけではまだピンとこないと思いますが、これらを分かりやすく考えてゆきます。
  本書を書くにあたっては、すでに他の本で述べ尽くされていることがらはほとんど全部省きました。たとえば脳死が起こるメカニズムや、判定基準についてはまったく述べません。これらについてくわしくお知りになりたい方は、竹内一夫氏の『脳死とはなにか』をお薦めします(しかし私は、竹内氏の判定基準の考え方に全面的に賛成するものではありません)。ただ、これらについてよく知らない方でも、本書は充分理解できるように書かれています。
  読者層としては、大学一〜二年生の方々や、医療に関心のある一般市民の方々を念頭において執筆しました。私は、普段は学者相手の論文ばかり書いているので、このような試みにはたいへん刺激を受けました。なぜ、一般読者を対象にした本を書いたのかというと、脳死の問題は学者だけの問題ではなく、むしろ一般の人々の問題だということに気づいたからです。「いのち」についての学習会などの副読本として本書が利用されれば、これほど嬉しいことはありません。
  本文に入る前に医学的な補足を二つ。私は、脳死とは徹底して臨床医学的な概念であると思っています。脳死は、それを外から観察し、判定し、感じ、触れ、疑い、悲しみ、拒否し、受け入れる人なしにはありえない、ということです。
  もうひとつ。本書を読まれると、私が医学的な「脳死」の概念と、脳死の判定基準を無批判的に受け入れているかのような印象をもたれるかもしれません。しかしそれは、本書の課題から「脳死」の医学的な側面の検討を省いたことに由来します。決して、批判の目を閉ざしているわけではありません。
  本書は、私が木原記念横浜生命科学振興財団の研究員であった一九八七年度の木原記念財団公開研究会「脳死が問いかけるもの」で、私が報告したレポートをもとに、新たに書き下ろしたものです。また、本書の一部には一九八八年度の千葉大学総合講座「バイオエシックスの展望」で、千葉大学の学生に話をしたときの講義ノートがふくまれています。
  木原記念財団のシンポジウムをいっしょに準備した皆さん、当日参加された皆さん、そして千葉大学の学生の皆さんに感謝いたします。

第1章 脳死とは人と人との関わり方である

   医師の目からは見えないもの

  いままでの脳死論の多くは、医師の目から見た脳死論でした。脳死という医学的な状態についていちばんよく知っているのは、脳を研究している医師ですから、脳外科のお医者さんが脳死についての本を出すのは、当たり前の話です。
  けれども、脳外科の医師が脳死の本質を知っているとはかぎりません。脳外科のお医者さんがよく知っているのは脳死の「医学的な面」だけです。脳死の人を目の前にしたときに家族の方がどのようなことを感じ、何を考えるか、あるいは脳死を人間の死と認めることが社会や文化についてどのような影響を与えるか、これらのことについて脳外科の医師が必ずしもくわしく知っているわけではありません。
  しかし、脳死の本当の問題は、その医学的な面にあるのではなく、脳死の人を私たちが社会の中にどうやって迎え入れてゆけばよいかという点にあるのです。そして医療の現場にいない私たち「一般市民」が本当に気になっているのは、脳死の医学ではなく、脳死になった人との、つき合い方をどうするかということだと思うのです。
  この点をもっと分かりやすく述べてみましょう。
  たとえばここに水谷弘という脳外科のお医者さんが書いた『脳死論―生きることと死ぬことの意味』(草思社、一九八六・一二)があります。この本は脳死論の中でも、たいへん広い視野で書かれた好著です。この本の第一章は次のように始まっています。

 人の死は脳死でなくとも脳と密接に関係しています。それで死の話の前に、まず脳の基本的構造の話から始めましょう。(一五ページ)

 こう述べたあと、大脳辺縁系、脳幹、脊髄の機能の話になり、その二ページ後に脳の断面図が大きく描かれています。脳死の話をするのに、何はさておき脳の機能と脳の断面図の話をする。こういう語り方をする点で、水谷の脳死論は、医師の目から見た脳死論であるといえます。
  もう一つ例をあげましょう。椿忠雄という医師と関正勝という神学者の対談集『脳死』(日本基督教団出版局、一九八八・四)です。この本もまた、「脳死状態とは」という見出しで始まり、血圧や人工呼吸器の話をしたあと、大脳と脳幹の機能の説明に移り、やはり同じ脳の断面図を出して話を進めています。
  もちろん脳死を議論するためには、脳死についての最低限の医学的知識は必要です。そして立花隆のように、医学的な話が片づかないうちは、そのあとの話を軽々しくすべきではないとおっしゃる人もいます。それはそれで一理あります。
  しかし私は、こんなことを考えるのです。脳死の話をするときに、脳の断面図の話から始める人が、どうしてこんなに多いのだろうかと。そういう人たちは、脳の断面図と脳の機能がしっかりと理解されれば、脳死も完全に分かったことになると思っているのではないか。だけど、脳の断面図と脳の機能が分かったときに、私たちが理解するのは、医師の目から見た脳死にすぎない。
  医師の目から見た脳死だけが、脳死のすべてでしょうか。
  私はそうは思いません。医師の目から見えない側面にこそ、脳死の本質はあるのです。
  世に出ている多くの脳死論は、あるひとつの物の見方を共有しています。それは「脳の中身が分かれば脳死は分かる」という世界観です。この世界観に立っているかぎり脳死の本質は見えてきません。
  この点を別の角度から考えてみましょう。

   家族にとっての脳死とは

 病院の現場で脳死に直面する人を、三種類に分けることができます。脳蘇生術を施す医師と、患者のケアをする看護婦と、患者を集中治療室の外から見守る家族です。このうち医師は、患者の脳の中身がいま、いったいどうなっているかに全神経を集中させます。脳のどこが破壊され、いまどんな状況になっているのかを的確に把握しないかぎり、適切な治療はできないからです。この意味で、医師は「患者の脳の中身」に直面しているわけです。
  これに対して看護婦は、少し違った状況にいます。看護婦は昏睡状態の患者の身体に神経を集中し、身体の様子を観察し、身体に取りつけられたさまざまな測定装置や治療器具の具合いに気をつかいます。そして患者の感染管理に気を配り、患者の身体を厳重に管理します。この意味で、集中治療室の看護婦は、なによりもまず「患者の身体」に直面しているといえます。
  家族は、看護婦ともまた異なった立場にいます。看護婦にとって目の前の患者ははじめて出会った見知らぬ他人ですが、家族にとってはついこのあいだまで生活をともにしてきた、かけがえのない肉親なのです。家族は集中治療室の中へ日に二、三回、数分間だけ入れてもらえ、そのときはじめて患者と対面できます。このとき、家族はいままで生活と歴史をともにしてきた「患者という人」に直面するのです。
  懸命の努力もむなしく患者は脳死状態になったとしましょう。家族は集中治療室へ入れられ、医師から脳死を告げられます。家族は医師の話を聞きながら、ベッドに横たわる肉親の姿を見つめます。このとき家族が直面しているのは、患者の脳の中身ではありません。患者の身体でもありません。家族が直面しているのは、脳死という状態になったひとりの「人」なのです。
  私たち一般市民が脳死に直面するのは、自分の肉親が病院で脳死状態になったときだけです。そしてこのとき、私たちは集中治療室の中で、脳死の脳の中身に出会うのではなく、脳死状態になった肉親という「人」、つまり「脳死の人」に出会うのです。
  言い換えれば、私たち一般市民にとって本当に問題なのは、「そこに脳死の脳がある」ということではなく、「そこに脳死の人がいる」ということだと思うのです。だとすれば、脳死論も、もしそれが一般市民のための脳死論であるのならば、脳死の脳についての説明から話を始めるのではなく、「脳死の人」という地点から話し始めるべきではないでしょうか。
  私たち一般市民は、病院の集中治療室の中で、脳死状態になった親、子供、兄弟、親戚、知人などの「脳死の人」に最初に出会う。つまりそこにあるのは、人と人との出会いです。つまり、心臓も脳も働いている人と、脳は働いていないが心臓はまだ動いている人との、出会いです。
  この点を見事に描写した中島みちの有名な文章があるので、少々長くなりますが引用してみます。

 私は、五ヶ月間のICU(集中治療室・森岡註)通いの中で、はじめなんとも奇妙に思ったことがあった。
  夫の、妻の、そして愛児の脳死を聞いても、誰一人として、患者の手をとるものがなく、涙一粒こぼさないのである。最初のうち私は、たまたま、つめたいというか、理性的というか、そういう人々ばかりにめぐりあったのかと、思ったりもした。しかし、やがてわかったのは、脳死している人を見ても、誰しも、死の実感が湧かないのだということであった。
  家族は、ほんの何分間か、白やブルーの滅菌帽、滅菌衣を着け、紙マスクをかけさせられて、生命監視装置や、蘇生機器がズラリと並ぶベッドサイドに立つ。そこで医師が、いかに平易に脳死の解説を試みたところで、家族の側は、ただ機器を目で追い、うなづくばかりで、ほとんど、うわの空である。(中略)
  しかし、そんな人々が、ほとんど例外なしに、脳死者の心臓が停止して呼吸器を外した時、はじめて、ワッと泣き出したり、涙をぬぐったりするのである。この時、はじめて、死を実感するのであろう。(『見えない死』一二〜一三ページ)

 中島のこのような描写を、センチメンタリズムであり、とても科学的な討議に耐えないとか、家族の感情的な反応がどう変わろうと、それは脳死という厳然たる医学的事実とは何の関係もない、と言って批判する人がいます。しかしそれらの批判は、ものごとの半面しか見ていないと思います。家族が集中治療室で出会うのは、そして家族にとって本当に大事なのは、脳の中身の厳然たる医学的事実でもなければ、脳の機能についての科学的討議でもありません。家族が集中治療室で出会うのは、昨日までいっしょに暮らしていた「脳死の人」であり、人工呼吸器を外したときに家族が別れを告げるのは、ベッドに固定されて熟睡しているように見えた「脳死の人」なのです。そしてこのような人と人との出会いと別れにとっての真実は、科学的データではなく、感情であり、実感であり、死の拒否であり、死の受容ではないでしょうか。

  脳の働きの止まった「人」

 このように、家族はもっとも劇的に脳死の人に出会うことになります。しかし、よく考えてみれば、患者の身体を管理している看護婦も、脳蘇生をしている医師も、本当は目の前で脳死の人に出会っているわけです。ただ、それぞれ患者のある特定の部分にだけ注意を集中させているので、その患者全体がひとりの人であるという点に注意が向きにくいのではないでしょうか。
  してみると、次のように考えることはできないものでしょうか。いままで脳死とは、脳の働きが止まった患者の、脳の中身のことと思われてきました。しかしそれはすでに述べたように、医師の目から見た脳死にすぎません。医師の目から見た脳死とは、本来はもっと広い「脳死」というものの、ほんの一面でしかありません。
  ここで発想の転換をします。病院の集中治療室というところにひとりの「脳の働きの止まった人」がいます。その人を取り巻いて、医師という人、看護婦という人、家族という人、さらにさまざまな病院関係者の人、地域住民の人がいます。これらの人々は「脳の働きの止まった人」を中心としてお互いにいろいろな人間関係をもちます。たとえば、家族の人は「脳の働きの止まった人」に一目でも会おうと医師という人に懇願しますし、医師という人は「脳の働きの止まった人」から人工呼吸器を外すか否か悩みますし、看護婦は「脳の働きの止まった人」が細菌に感染しないように、その人の身体を消毒したり拭いてやったりします。あるいは病院の外から、移植医という人が「脳の働きの止まった人」から臓器をいただこうと電話をかけてくることもあるでしょう。
  「脳の働きの止まった人」を中心とした、このような人と人との人間関係の「場」のことを、私は「脳死」と呼びたいのです。「脳死」とは、「脳の働きの止まった人」の脳の中にあるのではなく、その人を取り巻く人間関係の場の中にあるのです。問うべきは「場としての脳死」です。
  言い換えれば、「脳死」の本質は、人と人との関わり合いにあることになります。そしてその一面として、医師が「脳の働きの止まった人」の脳の中身を見たときに見えてくる、医師の目から見た脳死があるわけです。
  「脳死」の本質が人と人との関わり合いであるならば、当然、脳死の人をめぐって、医師、看護婦、家族、移植関係者、住民、一般市民などの人々が、どのように関わり合ってゆけばよいかという問題が出てきます。これが、脳死の倫理問題です。「脳死」の本質が人と人との関わり方であるからこそ、ではどうやって人と人が関わってゆけばよいかという倫理問題が生じてくるのです。後に述べる臓器移植も、まさに、臓器をあげる人と、それに同意する人と、臓器をもらう人と、それを仲介する人との、関わり方の問題といえます。

  「脳死の人」の状態

 ではここで、そのような人と人との関わり合いの中心に置かれる「脳死の人」について、基本的な説明をしておきたいと思います。まず、次のような三種類の人を想像してみて下さい。

  (1)心臓が動いていて、脳も働いている人。
  (2)心臓が動いていて、脳は働いていない人。
  (3)心臓が動いておらず、脳も働いていない人。

 (1)の、心臓も脳も働いている人とは、私たちのような普通に生活している人間のことです。胸に手を当てれば心臓の鼓動が聞こえますし、脳が働いているおかげで、いろいろなことを感じたり考えたりすることができます。(3)の、心臓も脳も働いていない人とは、棺桶の中で身体がもう冷たくなって二度ともとへ戻らない人間のことです。身体に触わっても鼓動はありませんし、何の反応もありません。 (1)の人と(3)の人は、私たちの日常生活でもなじみの深い「人」です。ところが最近、心臓は動いているのだが、脳は働いていない(2)のような人が現われるようになりました。これが「脳死の人」です。
  現在の統計ですと、死んでゆく人間の約一%弱が、大病院の集中治療室の中で、脳死の人になります。普通だと、数日間脳死状態が続いてから、心臓も停止し、冷たい死体となります。
  脳死状態が続いているあいだ、脳死の人は、集中治療室のベッドの上で、人工呼吸器をはじめとするさまざまな生命維持装置や、測定装置、輸血のチューブなどにつながれています。逆にいえば、このような数多くの装置があり、専門のスタッフがそろっている大病院の集中治療室という場所でしか、脳死の人は出現しないことになります。集中治療室がどのような場所であるかは、次章でくわしく述べます。 脳死の人は、人工呼吸器のおかげで肺と心臓は動いているが、脳は働いていないと考えられています。
  脳死の人は次のような状態にあります。まず、深昏睡といって、深く眠っているような状態にあり、痛みの刺激を与えても全然反応しません。たとえば虫ピンで顔をつついても顔をしかめたりしません。また、自分の力で呼吸ができないので、人工呼吸器の力を借りなければなりません。もし人工呼吸器を外すと、すぐに呼吸は止まり、心臓も停止します。脳幹反射消失といって、目の角膜を綿棒で刺激しても目をつむったりせず、喉や気管の中を刺激しても、耳の中に冷水を注入しても何の反応もありません。目に光を当てても瞳孔は開きっぱなしです。また、脳波計で測っても脳波はまったくみられません。これは思考や感情をつかさどっている大脳が、働いていないことを示していると考えられています。病状が回復する可能性はなく、多くの場合、一週間以内に心臓も止まってしまいます(ただし例外があって、それについては第4章でくわしく述べます。脳死の判定基準についてくわしく知りたい読者は、『日本医師会雑誌』第九四巻第一一号、一九八五年の脳死特集をご覧になってください。いわゆる竹内報告の全文が載っています。日本医師会かお近くの図書館で相談されるとよいでしょう。そのあとで立花隆の『脳死』を読むといっそう理解が進むでしょう)。
  脳死の人は人工呼吸器と昇圧剤のおかげで、脳以外の全身に血液が循環しているので、身体がまだ温かいのです。そして、身体には血液が流れているのですから、汗をかきます。垢がたまります。だから、定期的に体を拭いてやらなければなりません。汗となって出ていった水分を補給する必要があります。また、排泄もしますので、その処理をしなければなりません。寝たきり老人と同じように、床ずれをするので、定期的に体位の交換が必要となります。
  このように脳死の人にはいろいろとケアが必要です。現場では看護婦さんがケアしてくれることが多いようです。息子さんを脳死状態を経て亡くされた杉本健郎は、次のように書いています。

 午前九時十分。私がトイレに立っている間に診察に来た医師から、床ずれが指摘されたという。定期的に体位を変えてやるようにとのことだった。
  確かめてみると、脚の裏側に赤い床ずれが出来ていた。自分達の看護の至らなさを恥じた。パットを当て、時々体位を変えてやるようにした。(『着たかもしれない制服』波書房、一九八六・三、四五ページ)
  

  「脳死の人」とは、このような人です。そして脳死の人は、それを取り巻くいろいろな立場の人にとって、さまざまに異なった人間として現われます。たとえば多くの医師や看護婦にとっては、脳死の人とは、突然集中治療室に飛び込んできた見知らぬ他人です。しかし家族にとってみれば、脳死の人とは、つい先日まで長い期間、生活と歴史をともにしてきた身近な人です。これとは逆に、現場から離れた他の病院で臓器移植を待つ人々にとっては、脳死の人とは、顔もまったく分からない抽象的な想像上の人にすぎません。ちょうど、私が、子供にとってはよき父親であり、妻にとっては多少くたびれた恋人であり、会社の同僚にとってはきまじめなサラリーマンであり、飲み屋のおやじにとっては陽気な酔っ払いであるのとまったく同じことが、「脳死の人」の場合でもいえるのです。脳死の人を取り巻く人々のあいだの、この認識の落差、この点を理解しないかぎり脳死問題の本質は全然見えてきません。

「生きている」人だけが「人」なのか

 ここまで聞いてきて、「脳死の人」ということば遣いに、違和感をもたれた読者も多いかと思います。というのも、他の本では「脳死者」とか「脳死体」とか「脳死状態の患者」などの言い方をするからです。でも、そのようなことばでは、私が強調したい脳死状態の「人」という側面がうまく表現できなくなります。
  するとさらに反発する人もいるでしょう。つまり、脳死の「人」というのは絶対におかしい。脳死になった時点ですでに死んでいるのだから、その死体を「人」と呼ぶのは非科学的であり、間違っている。こんな反発です。それが非科学的かどうかについては後の検討に譲りますが、この反論そのものは重要なので、ここで少し考えてみます。
  そういう反発をする人に、こちらから逆に質問してみたいことがあります。人は死んだら、いったい何になるのですか? 彼らは「死体になる」と答えるでしょう。では死体とは「人」ではありませんか? 「ありません」。では死体はいったい何なんですか? 彼らはこう答えると思います。「死体は物です。人じゃありません」。
  私は、まさにこの思想そのものが、いま脳死問題によって問われているのだと考えます。死体が物であるとすれば、死ぬとは物になることです。人間は生きているあいだは「人」ですが、死んだら「物」になるという思想です。これは「生きていること」と「人であること」を同一視する思想でもあります。しかし、本当にそうでしょうか。
  「死んだ人」ということばがあります。これは何を指すのでしょうか。死体を物とみなす考え方では、死んだものはすべて「物」なのですから、「死んだ人」ということばは、本来ありえないことば、矛盾したことばであることになります。
  しかし、私たちは日常生活で「死んだ人」ということばをよく使います。そして「死んだ人」ということばを使うとき、さほど矛盾を感じることはありません。私たちは死体のことを指して「死んだ人」と言います。つまり、ある種の死体のことを死んだ「人」としてとらえているわけです。これは重要な点です。私たちにとって、ある種の死体は、「人」なのです。
  つまり、生死に注目するとき、「人」は、「生きている人」と「死んだ人」の二種類に少なくとも分類できることになります。そして「生きている人」と「死んだ人」とでは、まったく状態が異なり、日常生活における私たちの関わり方もまったく異なってきます。しかしどちらも「人」であるという点だけは共通しています。 見方をかえれば、「人」はまた違ったふうにも分類できます。
  以前に、「人」を三種類に分類しました。(1)心臓が動いていて、脳も働いている人、(2)心臓が動いていて、脳は働いていない人、(3)心臓が動いておらず、脳も働いていない人、です。
  私たちの言い方でいえば、(1)の人は「生活している人」です。この中には病気の人もふくまれます。(2)の人は「脳死の人」です。(3)の人は「心臓死の人」です。脳と心臓の働きに注目したとき、「人」は、この三種類に分類できることになります。これら三種類の人はその性質がかなり異なっています。しかしこれらがすべて「人」であるという点だけは共通しているのです。
  よく、脳死が人の死かどうかという点が問題にされます。この問題は、要するに、右にあげた「人」の二通りの分類方法を、どうやってうまく重ね合わせるかという問題にほかなりません。一七ページの図を見てください。図のAの分類とBの分類とを重ね合わせたとき、@のように重なるのが脳死=人間の死という考え方であり、Aのように重なるのが脳死を人間の死とみなさない考え方です。
  脳死が人間の死かどうかという問題は、相続や死体損壊などの点で法的には大問題ですが、倫理的にはそれほど大きな問題ではありません。倫理的に本当に問題なのは、脳死の人が生きているか死んでいるかという問いではなく、死んでいようが生きていようが、その「脳死の人」に私たちがどのように関わってゆけばよいかという問いだからです(脳死と人間の生死については、拙著『生命学への招待』勁草書房、一九八八・四、第八章「脳死をめぐる言説構造と倫理」でくわしく述べましたので、参照してください)。

 

  脳死の人をめぐる人と人との関わり方

 さて、私たちは、生活している人とのつき合い方について、昔からいろいろなことを考えてきました。それらは私たちの伝統となり、文化となって受け継がれてきました。たとえば、私たちは、「生活している人」といっしょに社会生活をするとき、最低限の礼儀作法にのっとった行動をしています。礼儀作法というとおおげさですが、相手が深く傷つくようなことばは慎むとか、他人の家への突然の訪問は控えるとか、贈り物は喜んで受け取るとか、そういう日常的にありふれたことです。お互いの生きてゆくうえでの権利を認め合うということも、入るかもしれません。そのような人と人との関わり方の積み重ねが、私たちの倫理的な伝統を形作ってきました。そしてその伝統は何度か転換の歴史を経験してきたにちがいありません。
  まったく同じことは、「心臓死の人」との社会生活にも当てはまります。心臓死の人との社会生活というとびっくりするかもしれませんが、たとえば葬式がそうです。私たちの社会は、人が死ぬと(心臓死の人になると)葬式という一大事業を行ないます。葬式には親族、知人が招かれて焼香し、お通夜をし、最後の別れをしてから出棺し、火葬場で焼きます。葬式のやり方は地域・時代によって異なりますが、いずれにしても、心臓死の人を取り囲んで、ある社会的な葬式が代々受け継がれてきたのは事実です。
  葬式には、もちろん残された親族や地域共同体の人々の結束を確認するという意味があったと思います。しかし、葬式とはただそれだけの社会的行事ではありません。それは、心臓死した人の魂を無事にあの世に送り、残された親族が死を受容するために、まわりの人々が設定する人と人の輪です(現実には葬儀屋や僧侶の利権がからんできますが)。そこにあるのは、心臓死の人を中心とした、人と人との関わり合いです。それが人と人との関わり合いであれば、そこには、それなりの礼儀作法があります。たとえば、死者の身体はていねいに扱うとか、死者の悪口は言わないとか、親族の人の心を動揺させたりしないとか、葬式の厳粛な雰囲気を損なうような行為は慎むなどのことです。このような最低限の礼儀作法を私たちの社会が受け継いできたおかげで、親族たちは肉親の死をゆるやかに受容でき、死者の魂は無事にあの世へゆけると信じられてきたのでした。
  このように、「生活している人」とつき合う際にも、あるいはまた「心臓死した人」とつき合う際にも、私たちの社会は人と人との関わり合いにおける最低限の礼儀作法を作り上げ、受け継いできたのです。ところで、「脳死の人」もまた「人」です。だとすれば、脳死の人を私たちの社会へ迎え入れる際に、家族、医師、看護婦、移植関係者などが共有すべき最低限の礼儀作法を、私たちはいま時間をかけてでも作り上げ、次の世代に伝えてゆくべきではないでしょうか。そして、この点について考えることが、本当の「脳死の倫理問題」ではないでしょうか。
  米本昌平は、脳死に限らず広く生命倫理全体を話題にして、次のように述べています。

 われわれの文化のかたちとして、先端医療の倫理問題が欧米なみの濃密な議論へと連動しにくいのであるとしたら、当面の目標は、われわれがこれらの技術とつきあう、もしくはこれを回避する作法を創りあげることになるべきなのだろう。(『先端医療革命』中公新書、一九八八・四、一八一ページ)

 米本は、「かたち」とか「作法」といった基準について議論を深めることが、日本における倫理的議論となるべきだと述べています。これは、正義論を人々の共生の「作法」としてとらえ直した井上達夫の姿勢と通じるものといえます(『共生の作法』創文社、一九八六・六)。この考え方には共感を覚えます。
  現在の、脳死と臓器移植をめぐる社会的混乱のある部分は、米本の言う「かたち」や「作法」が、皆が納得する形で確立していないために起きているのだと思います。私のことばで言い直せば、脳死の人をめぐる人と人との関わり合いの、最低限の礼儀作法を、私たちの社会がまだ共有していないために、さまざまな倫理問題が生じているのです。
  そしてポイントはやはり、脳死の人も「人」であり、脳死とは人と人との関わり方であるという点にあります。
  見方を変えれば、脳死の倫理問題とは、脳死の人と私たちの「共生」をいかにして確立するかという問題です。脳死の人と私たちの共生が達成される社会は、たとえば「障害者の人」や「痴呆性老人の人」もその中で共生してゆける社会にちがいありません。
  この点に注目するとき、臓器移植の問題よりも先に議論しなければならない倫理問題が見えてきます。それは、脳死の人がその大部分の時間を過ごす集中治療室の中で、人と人とがどのような関わり方をしてゆけばよいかという問題です。すなわち集中治療室の倫理問題です。

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