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作成:森岡正博 
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『中央公論』2001年2月号 318−327頁
日本の「脳死」法は世界の最先端
森岡正博

*若干修正して、『生命学に何ができるか』に採録しました(2001年11月)。

*【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。

 

臓器移植法改正を前に

 二〇〇〇年十月に、臓器移植法は施行後三年目を迎えた。早ければ、二〇〇一年の国会に、臓器移植法改正案が提出される可能性がある。現行法の枠組みを守るのか、それとも制限をゆるめてもっと臓器を摘出できるようにするのかという議論がすでに起きていることは、周知の通りである(『論座』二〇〇〇年三・四月合併号、八月号、『世界』一〇月号参照)。われわれ全員の生と死の定義にかかわる大問題であるから、もう一度、幅広い国民的論議を行なう必要がある。日本の臓器移植法改正の動きは、海外からも熱い注目を集めている。なぜなら、いま、海外の専門家のあいだから、脳死見直しの論議が出始めたからである。
 日本の臓器移植法は、脳死を人の死とするのか、それとも人の死としないのかを、個々人がドナーカードによってあらかじめ選択することができるという、世界でもユニークな法律だ。アメリカでも、この二〜三年、脳死法の見直しの機運が起きている。後述するように、そのなかで提唱されているものこそが、日本型の「多元的な死の定義」と、日本で根強い支持者を持つ「違法性阻却論」なのである。日本の現行臓器移植法は、二十一世紀の脳死法のモデルとなり得るかもしれないのだ。
 さらに、最近の脳神経科学は、脳死について驚くべき知見を獲得している。こ【318】の新事実は、脳神経科学の専門家以外には、ほとんど知られていない。移植医すら、以下に詳述するような事実を把握していない。一〇年以上も前の、時代遅れになった知識でもって、われわれは脳死についての議論を行なっているのである。二〇〇一年からの臓器移植法見直しの議論は、これから述べる新事実に基づいてなされなければならない。海外の状況や、脳神経科学の新事実を知らずになされる議論は、無意味である。
 以下、次の三つの点について詳しく述べることにする。
(1)脳死状態になっても心臓はすぐには止まらない。数年以上も身体の統合性が安定して保たれるケースがある。
(2)脳死状態なのに自分の力で両腕を動かして祈るような動作をする「ラザロ徴候」が世界中で確認されており、脳幹が生きている可能性も指摘されている。
(3)脳死は人間の死ではないという考え方を、ひとつの選択肢として法律の中に取り入れようとする動きがアメリカで始まっている。

脳死後の身体

 脳死状態になったら、遅かれ早かれ、約一週間ほどで心臓も停止すると専門家たちは語ってきた。ADHとエピネフリンを投与することで心臓停止を引き延ばすことができることは知られていたが、これはあくまで人工的な例外とみなされてきた。脳が死んだ人間は、ちょうど操縦席が破壊された飛行機と同じであり、いずれ地面に墜落して粉々になると言われてきた。
 二〇〇〇年五月に総理府が行なった世論調査でも、回答者には、次のような文章が示された。「脳死状態とは、呼吸などを調節している部分も含め、脳全体の機能が停止し、元には戻らない状態。人工呼吸などの助けによって、しばらくは心臓を動かし続けることもできるが、やがては心臓も停止する」。
 しかしながら、脳死になったら「やがて」心臓も停止するというのは事実に反していることが、一九九八年に医学的に明らかにされた。脳神経科学のもっとも権威ある雑誌Neurology(1998,Dec.)に、UCLA医科大学のD・A・シューモンが「長期にわたる脳死」という論文を発表して、関係者の話題をさらった。彼は、過去三〇年間の医学文献に現われた脳死についての記述を徹底的に調査し、医学的なデータの裏付けが取れるものを厳選して、脳死判定から心臓停止までにかかった時間を調べた。その結果、一七【319】五例の脳死患者(原文でもpatient=患者と書かれている)の心臓が、少なくとも一週間以上、動き続けていたことが分かった。そのうち、八〇例が少なくとも二週間、四四例が少なくとも一ヶ月、二〇例が少なくとも二ヶ月、そして七例が六ヶ月のあいだ心臓が動き続けていた。さらには、二年七ヶ月が一例、五年一ヶ月が一例あり、最長では一四年五ヶ月というケースがあったのだ。*1
 一四年五ヶ月も心臓が動き続けたのは、四歳のときに脳死になった男の子で、その後、自宅で人工呼吸器をつけたまま現在(一九九八年時点)も心臓は動き続けている。彼は脳死状態のまま十八歳を迎えた。このほかにも、退院して、施設や自宅で看護が続けられた例が五件ある。シューモンは述べる。長期にわたる脳死状態では、時間が経つにつれ、肉体の状況はむしろ安定してくる。身体のホメオスタシスは調整され、血流動態は改善され、栄養吸収が再開され、管理に手がかからなくなる。いわば、脳死の身体は安定飛行にはいるのである。
 これらの事実は、何を意味しているのだろうか。それは、脳が死んでいても、身体は統合作用を保ち続ける不思議な潜在力を秘めているということだ。脳が死んでも、身体の各部分はかならずしもばらばらにはならず、お互いに連携を取りながら全体性を保つ力があるということが、医学的に明らかにされたのだ。シューモンは言う。脳が死んだら人間は死ぬといままで見なされてきたのは、次のような仮説があったからである。すなわち、「脳は身体の<中心的統合体>あるいは<中枢的臓器>であり、それが破壊されたり不可逆的に機能停止すれば、身体の統合機能は失われ、熱力学的な意味での「不帰の点」を超えることを意味し、文字通り全体としての有機体の<解体>を意味する」(一五三八頁)という仮説である。しかしながら、今回の調査によってあきらかになったのは、脳死になっても、かならずしも身体の統合機能は失われないということ、そして「身体の統合作用は、脳という中枢臓器からのトップダウンの指令によって成立しているのではなく、臓器のあいだの相互のやりとりによって成立している」(一五四四頁)という事実である。
 シューモンが明らかにしたこの事実は、われわれがいままで脳死論議で前提としていた右の仮説を、根底から覆すものであると言ってよい。「脳が死んだら、身体は統合作用を失ってばらばらになる。その証拠に心臓はすぐに止まる。だから脳死は人間の死だ」、という考え方は誤りであることが医学的に明らかにされたのである。
 脳死になれば臓器摘出されるか、あるいはただちに人工呼吸器のスイッチを切られる情勢下で、長期の脳死状態の例がこれだけ多く見つかったことの意味は大きいとシューモンは強調している。なぜなら、そのままにしておけば長期の脳死状態になるであろう元気のよい患者こそが、まっさきに臓器摘出の候補になるからである。【320】

報告された「ラザロ徴候」

 脳死状態になっても脊髄は生きている。だから、脳死の人にも脊髄反射はあると言われてきた。脊髄反射があったとしても、それは脳が生きていることを示すものではない、と。八〇年代以降の日本の脳死論議で、この点をめぐる「論争」はほとんどなかったと記憶している。脳死の人の自発運動は、脊髄反射の一言で片づけられてきた。脊髄反射と言われれば、膝を叩いたときに、脚がポンと自動的に持ち上がるような動きだと、多くの人は理解するだろうからである。まさか、それ以上の動きを脳死の人がしていたとは、専門家以外は誰一人として想像しなかったであろう。
 ところが、実は、そのような想像をはるかにこえる事実が八〇年代より専門誌に報告されていたのである。そして、この情報は、後に述べるような理由で、一般市民に情報公開されてこなかった。
 一九八二年、医学界のもっとも著名な専門誌The New England Journal of Medicine(vol.307,Mo.8)に、テンプル大学病院のS・マンデルらによる驚くべき報告が記載された。二十八歳の男性が脳死となった。その一五時間後に、患者は左脚を自分の力で持ち上げ、手足を動かした。両腕は、四五度まで上がった。そして両手で祈るような動作をして、手のひらを握りしめた。その後、両腕が離れて、身体の横の元の位置に戻った。そのあいだ、両脚はあたかも歩いているような動きを見せた。この動作は、四日間自発的に続いた。この患者の心臓はその後二ヶ月のあいだ動き続けた。マンデルらは、未知の現象として、この事例を報告している。
 一九八四年、マサチューセッツ総合病院のA・H・ロッパーは、脳神経科学専門誌Neurology(Aug.)に、同様の症例を五例、詳細に報告し、これを「ラザロ徴候」と名付けた。ラザロとは、新約聖書でイエスによって死から蘇らされた人物の名前である。ラザロ徴候は、脳死判定を終えて人工呼吸器を取り外したあとに四例観察され、脳死判定の無呼吸テスト中に一例観察された。
 ロッパーの記述にしたがって、その典型的な動きを見てみよう。
 まず、人工呼吸器を取り外した四〜八分後、腕と胴体に鳥肌が出現。両腕に小さな震えが見られる。三〇秒もたたないうちに、肘が、ガクンと機械的に曲がる。そして二秒もしないうちに、両腕は大きく持ち上げられて胸の前にまで運ばれ、そこで一時的に止まる。さらに腕は胸の上で小刻みな運動を見せる。突如、両腕は首や顎のところまで動いたり、胴体から十数センチ持ち上がったりする。指にも不規則な動きが見られる。両腕は硬直しているので、他人がそれを動かすことはできない。肩が動いたり背骨が少し弓なりになる患者もいる。両腕は自発的に動いて、互いに交差したり、手のひらを合わせたりする。そして最後に、両腕は二秒かそこらでベッドの上に戻される。両腕の動きは、あたかも祈っているよう【321】に見えたり、人工呼吸器のチューブをつかもうとしているように見えたりした。再度確認しておくが、以上はすべて、脳死患者が、自力で、自発的に動き始めたのである。ロッパーの観察した五例では、胴体、脚、顔の動きは見られなかった。そのほか、脳死患者の首を医師が動かしたら、それに刺激されて腕が持ち上がることもあった。これらの動きは連続写真に撮影され、雑誌に掲載されている。
 ロッパーは、これらの動きの原因を、低酸素状態によって誘導された筋肉神経の自発運動だろうと推定している。脳死判定がなされている以上、脳の関与はないはずだからである。そして医学的に言えば、これは「脊髄反射」ということになる。
 しかしながら、脳死状態でも脊髄反射はありますと言われたときに、誰がこのような身体の動きを想像できるだろうか。ロッパーは論文の最後に、注目すべきコメントをしている。「人工呼吸器が最終的に取り外されるときには、家族に過度の恐怖とストレスを与えないためにも、家族が病室の脳死患者のそばに残ることを、思いとどまらせるべきである」(一〇九二頁)。家族がラザロ徴候を目撃して動転しないように、家族を脳死患者から遠ざけておくべきだというのである。もちろん、医師の配慮としてそれがなされることは理解できる。しかし、脳死患者がそのような動きをすることがあるという情報それ自体を、一般市民から隔離してはならないのではないか。なぜ、八〇年代以降の脳死論議において、このような重要な情報が、われわれ一般市民の前に公開されなかったのか。(一九九三年の日本神経学会で症例が報告されたが、一般市民には全く詳細が知らされていない。)
 一九八九年、ベルギーのアントワープ病院のL・ハイテンスらがJournal of Neurology(vol.71)に、五一歳男性のラザロ徴候について報告した。このケースでも、脳死状態の患者は自発的に両腕を持ち上げ、首までもっていき、それから元の位置に腕を戻した。注目すべきは、その動きのあいだ、脳死患者の血圧は上昇し(230/120mmHg)、心臓は一分間一五〇回の鼓動を示し(頻脈)、顔の紅潮が見られた。何の刺激もないのに、背中を定期的に弓なりにした。これらの動きは、人工呼吸器を取り外してから、二・三分後に始まった。このケースを見ると、ラザロ徴候が、単なる「脊髄反射」の一言で片づけられないことが分かる。神経反射、筋肉収縮、心臓の鼓動、血液循環動態はすべて相互関連的に生じており、まさにシューモンが言うところの、臓器の相互のやりとりによる統合作用が見られるからである。
 さらに、ハイテンスらは、次のように書いている。「この患者が脳死であるのは明白であり、もしこのような動作がもっと長く続いていたとしても、われわれは人工呼吸器のスイッチを切るのをためらわなかったであろう。他方、このような自発運動は、臓器移植の手続きをいつはじめるかという決定をはっきりと遅らせることになる」(四五〇頁)。慎重な言【322】い回しであるが、ラザロ徴候の問題が、脳死の人からの臓器移植に影響を及ぼす可能性を示唆している。

日本でも同様の症例が

 ラザロ徴候は、日本でも確認されている。ひとつは、産業医科大学病院の浦崎永一郎らによるものである。一九九二年のJournal of Neurolosurgery(vol.76)で、浦崎らは、三例のラザロ徴候を確認したと述べ、そのうちの一例についてくわしく検討している。これは六十七歳女性で、脳死を確認するための無呼吸テストを行なっていたときに、典型的な両腕の自発運動が見られた。脳死判定終了後、家族にラザロ徴候が起きる可能性のあることが説明され、ビデオ撮影がなされた。人工呼吸器がはずされて五分後、自発呼吸のような動作が三回起きた。両肩は内転し咳をするような動作が見られた。両腕が持ち上がり、右腕の指は何かを掴むような仕草をした。続いて、膝と脚の関節に自発運動が繰り返し見られた。これらの動きは約三分半続いた。二〇分後、心臓は停止した。浦崎らは、この脳死患者に自発呼吸のような動きが見られた原因として、おそらく脊髄神経の中に呼吸に関与するニューロンが含まれているからだろうと推定する。無呼吸テストにともなう低酸素状態が引き金となって、それら呼吸ニューロンを含めた複雑な神経反射が生じ、そのような動作を起こしたのだろうというわけである。脳死判定は済んでいるのだから、そのように考えるしかないのであろう。
 もうひとつは、愛知県の藤田保健衛生大学病院での症例である。野倉一也らは、『臨床神経学』(一九九七年三月号)で、三例のラザロ徴候を報告している。ただし、この三例とも、ほぼ脳死に近い状態だったが、厚生省の脳死判定基準を厳密には満たしてはいない。ここでもまた、八十五歳女性二名、五十歳女性に、ラザロ徴候が観察された。野倉らは、ラザロ徴候がなぜ起きるのかについての病態生理が十分解明されていないとし、解剖を行なって研究した。その結果、脳幹と脊髄のあいだの連絡は絶たれていた可能性が高いとしながらも、脳幹の一部である延髄が器質死していたことを診断するのは困難なので、ラザロ徴候に「延髄が関わっていないとする積極的な証拠はなく、下部延髄の一部が関わっていた可能性は否定できない」と結論する(二〇六頁)。延髄というのは脳幹の一部だから、これは、脳死判定がなされても脳幹の一部は生きている可能性があるということである。
 アルゼンチンのラモス・メヒア病院のG・サポスニクらは、二〇〇〇年に、ラザロ徴候をも含めた脳死患者の自発的な反射についての研究を、Neurology(Jan.)で発表した。それによれば、脳死患者三八例中、三九%に、なんらかの自発的な身体動作が見られた。いちばん多かったのは指の自発的な動きである。典型的なラザロ徴候は、一例観察された。三八例中一例ということは、ラザロ徴候はそれほど稀な症状ではないかもしれないことを示唆している。彼らは、他の一【323】例で、脳死状態における顔の動きを観察している。顔に動きがあったということは、脳幹反射が存在して、脳幹がまだ生きていることになるので、これは現在の脳死判定基準を無効にする現象かもしれないとサポスニクらは述べている。
 同誌同号に掲載された、スペインのサンタ・クル・イ・サント・パウ病院のJ・マルティ=ファブレガスらの論文も衝撃的である。まず三〇歳女性は、脳死判定直後、典型的なラザロ徴候を示した。ついで、一一歳の男の子も脳死判定後に典型的なラザロ徴候を示した。そして、この二人ともに、手首を外側に屈曲させて硬直するという「除脳姿勢」を取ったのである*2。「除脳姿勢」とは、大脳が働かなくなり、脳幹部分だけが働いているときに、人間が取る姿勢のことである。ということは、脳死判定がなされた後でも、脳幹部分の脳細胞は生きて機能していたことになる。除脳姿勢が出現したら脳死ではないというのが、医学の常識である。この除脳姿勢は、脳死判定が終わってから三〇時間後に出現している。さらに、一一歳の脳死の男の子の場合、指の反射の力が非常に強く、医師が男の子の手のひらに指を入れると、男の子は医師の指を握りしめ、医師が腕を上げると男の子の腕も一緒に持ち上がった。雑誌にはその模様を映した写真が掲載されている。
 以上のように、ラザロ徴候という現象が現場でたびたび起きているにもかかわらず、その情報がいままで専門家集団の外部に公開されてこなかったことがよく分かる。かつ、これらの研究では、脳死判定後も、脳幹部に生きて機能している細胞が存在していることを示唆するデータが報告されている。従来言われていたような、「脳死後も脊髄反射は続く」という一言では、もはや片づけられない状況になってきているのである。脳死になった後でも、脳死の人は、自力で自発的に手足を動かして祈るような動作をすることがあるという詳しい事実を、専門家は一般市民に情報公開するべきである。これだけデータが集まっているのに、それを一般に公開しないのは、おかしいと思う。正確な事実を広く共有したうえで、脳死を人の死とするのかしないのかを、われわれひとりひとりが考え、今後の議論に結びつけていくべきである。

二つの選択

 欧米では脳死は人の死として受け容れられているが、日本には独特の死生観があるから脳死をなかなか認められない、という話が広く流通している。しかし、これは非常に疑わしい。欧米での脳死の議論が最近ようやく学際的になってきたおかげで、欧米の一般市民が脳死をすんなりと受け容れているわけではないことが分かってきた。これと対照的に、欧米の専門家のあいだには、大脳死、すなわち植物状態になったら人間は死ぬということにしていいじゃないかという意見が根強くある。一九八〇年代には、全脳死=人間の死ということでOKだったアメリカが、ここにきて、脳死を人の死と認【324】めない世間の感情と、大脳死を人の死とする専門家の、両側から揺さぶられはじめている。
 ケースウェスタン・リザーブ大学のL・A・シミノフとA・B・ブロックは、「脳死に関するアメリカ人の態度と信念」という論文を一九九九年に発表した(The Definition of Death, Johns Hopkins University Pressに収録)。彼らによれば、アメリカではいままで死の定義に関する国民的議論がなされたことはない。だから、一般市民は脳死についての情報をほとんど与えられていない。アメリカでは脳死についての世論調査が行なわれたことがない。脳死について一般市民がどう考えているかについての研究も、小規模のものしかない。たとえば、脳死移植を承諾したドナー家族九四例の調査では、一四例が、移植後も脳死についてはっきり理解していなかった。シミノフらが専門家と一般市民に対して独自に行なった調査では、約二〇%が「心臓が止まったときに人は死ぬ」と考えていた。さらに、四〇〇例のドナー家族と、移植を承諾しなかった家族に調査をしたところ、三二・五%が脳死をよく理解していなかった。そして患者はいつ死んだのかと直接に家族たちに尋ねると、なんと四〇%の家族が、脳死患者は人工呼吸器が切られるまでは死んでいなかったと答えるか、あるいは脳死患者がいつ死んだのかについて混乱していたことを認めた。
 アメリカのドナーカードの普及率は、二〇%前後にとどまっている。ドナーカードをもたない理由としては、死への恐怖、臓器摘出への恐怖、早すぎる死を宣告される可能性、臓器配分の公平性への懸念、葬式の準備への影響、死後に身体が完全であることへの深い信仰などがあげられている。さらに、脳死の人の温かい身体がほんとうは死んでいるということを、多くの人々が受け容れることができない。「回答者の三分の二は、死を頭では受け容れても、感情的にはどうしても疑ってしまうと答えた」(一九〇頁)。温かい身体をしている脳死の人が、死んだとは思えないという話は、右記の書物に繰り返し出てくる。
 この結果を見てみると、日本の状況とほとんど変わりはない。書物を編集したS・J・ヤングナーは、日本の状況についての論文を読んで、事情はアメリカも同じだと書いている。日本では、脳死の感情的受容の問題は八〇年代から一貫して議論されてきた。アメリカでは、いまようやくこの問題が正面から議論されようとしている。アメリカでは脳死は受容されたが、日本では抵抗が大きいという話には、何の根拠もないと言ってよい。これにもとづいて今までなされてきた比較文化論も、再考が必要である。
 脳死が人の死かどうかを選択できる法律は、世界で二つしかない。ひとつは日本の臓器移植法である。もうひとつが、アメリカのニュージャージー州の脳死法だ。ニュージャージー州は、一九九一年に、信仰を理由とした脳死の拒否を認める「良心条項」を導入した。この州には、伝統的なユダヤ人のコミュニティがあり、【325】彼らは脳死を人の死とは認めていない。それに配慮して、脳死への拒否権を法律に書き入れたのである。脳死を拒否できるのは、本人のみであり、家族には拒否権はない。だから、脳死を判定されたくない人は、配布されているアドヴァンス・ディレクティヴの書類(事前指示の書類。リビングウィルのようなもの)を作成しておかなければならない。それを書いておけば、脳死になっても心臓が停止するまでは生きているものとみなされる。健康保険の支払いも心臓停止までなされる。
 この法律の作成にかかわったR・S・オリックによれば、少数者であるユダヤ人の死生観を認めることが、彼らを力付けることにもつながると考えたという(Kennedy Institute of Ethics Journal,1991,vol.1,no.4)。草案の段階では、宗教的理由に加えて、倫理上の信念によっても拒否できるようになっていたが、その後の政治的妥協によって、これは削除された。しかし彼は、「多元的な社会」における死の定義は、このような倫理上の信念による脳死の拒否をも認めるような、真に多元的なものになるべきだと示唆している。
 脳死に一貫して反対を続けている専門家に、セントルイス医科大学のP・A・バーンがいる。彼は早くも一九七九年に『アメリカ医師会雑誌』に「脳死:反対の視点から」を発表し、機能停止を判断するだけの全脳死の判定基準では、脳細胞が死滅する器質死を判定できないと論陣を張った。その後も、アメリカで脳死反対を唱え続けた。一九八八年の講演録『脳死を理解する』で、彼は、心臓が鼓動し、血圧があり、体温がある者を死んだというのは誤りであるとし、脳死の人は瀕死の重傷であるが、まだ死んではいないと書く。そして人間の生命は神から与えられたものであるから、受精から心臓死まで神聖なものなのだと説く。彼は、二〇〇〇年十一月、脳死に反対する論説を集めた専門書Beyond Brain Deathを老舗の医学出版社から出版した。興味深いことに、彼の脳死反対論は、アメリカのキリスト教原理主義に受け容れられている。たとえばアメリカン・ライフ・リーグは、中絶・安楽死・脳死に一貫して反対している。バーンの脳死反対論が、その根拠として引用されている。キリスト教は霊肉二元論だから脳死を受け容れやすいという俗説(米本昌平、梅原猛)があるが、これも怪しい。ごりごりのキリスト教原理主義が脳死を受け容れないことを説明できない。
 これらを背景として、九〇年代半ば以降のアメリカの生命倫理の論調は、ニュージャージー州や日本のような、死の多元主義の方向へと大きく舵を切ろうとしているのである。日本の議論には、このあたりの情報がほとんど伝わっていない。

脳死を捨て去るべきとき?

 一九九七年、ハーバード大学のR・D・トゥルオグが、生命倫理のもっとも権威ある雑誌Hastings Center Report(Jan.-Feb.)に、「脳死を捨て去るべきときが来たのか?」という論説を発表し【326】て、関係者に大きな衝撃を与えた。彼は、現在の全脳死の脳死判定基準が欠陥だらけであるということを指摘し、次の三つの提案をしている。(1)脳死を捨て去って伝統的な身体死に戻る、(2)ニュージャージー州のように脳死への拒否権を認める、(3)人の死は身体死としたうえで、生きている人からの臓器移植を認める(違法性阻却論)。とくに(3)は、日本でも八〇年代より議論された方式である。だが一点だけ違うのは、トゥルオグは、生きている植物状態や無脳児からも臓器を摘出できるようにしようと言っているところである。アメリカではこのような意見が、専門家のあいだで根強い。
 死の多元主義を主張しているのが、生命倫理学者のR・M・ヴィーチである。一九九九年の「良心条項」という論文(前記書物に収録)のなかで、クリアーな主張をしている。
 彼は、ニュージャージー州の脳死の拒否権を高く評価する。そして、アメリカ全土が、死の多元主義を取るように提案する。ただしヴィーチは、デフォルト(基本線)としては全脳死=人の死を置き、伝統的ユダヤ人や日本人のように脳死を人の死と認めない人々にはそれを保証し、同時に、植物状態・無脳児も死んでいるとみなしたい人々にもまたそれを保証するべきだと言う。
 アメリカの状況を概観すれば、一九九七年のトゥルオグの論説をターニングポイントとして、全脳死=人の死ということで動いてきたアメリカの脳死法を、もう一度考えなおそうという動きが本格的に表面化してきているのである。その過程で、彼らが注目しているのがニュージャージー州の脳死法と、日本の現行臓器移植法なのである。ともに、死の選択を認めた世界で二つの法律だからである。
 二〇〇〇年から始まった日本の臓器移植法改正論議でも、いまだに、日本の臓器移植法は世界から孤立しているから、欧米のスタンダードに合わせなくてはならないという意見が聞かれるが、これは現在の世界の状況を把握していない論である。同様に、欧米では脳死の議論は終結した、日本だけがいつまでも議論しているという意見もまた、状況判断を誤っている。
 以上に述べたような、脳神経科学の最新の知見と、現在の海外(とくにアメリカ)の議論の状況をしっかりと把握したうえで、これからの臓器移植法改正論議を時間をかけて行なっていくべきである。私自身の立場は、脳死と身体死のあいだの選択を認める現行法の枠組みでよいというものである。ただし植物状態や無脳児からの臓器摘出は認めない。私が本論文で紹介した情報をもとに、前向きの議論が展開されることを期待したい。

 *子どもからの臓器摘出については、拙論「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」(『論座』二〇〇〇年三・四月合併号)および「臓器移植法・「本人の意思表示」原則は堅持せよ」『世界』(二〇〇〇年十月号)で詳述したので参照していただきたい。【327】


訂正(該当個所を以下のように訂正する:著者2001年3月12日)
*1 さらには、二年八ヶ月が一例、五年一ヶ月が一例あり、最長では一四年六ヶ月というケースがあったのだ。
*2 同誌同号に掲載された、スペインのサンタ・クル・イ・サント・パウ病院のJ・マルティ=ファブレガスらの論文も衝撃的である。脳死判定された三十歳女性と十一歳の男の子は、脳死判定直後、手首を外側に屈曲させて硬直するという「除脳姿勢」を取ったのである。(このケースでは、除脳姿勢は上半身に限られていたので、著者たちは「除脳様姿勢decerebrate-like posturing」と表現している)。