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作成:森岡正博 
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意識通信

 

森岡正博『意識通信』ちくま学芸文庫(現在絶版)、初版1993年

第5章 意識交流の深層へ (その後半部分 218〜237頁)

 

ドリーム・ナヴィゲイターの旅

  匿名デザイン通信での作業をとおして、ホストの身体には、参加者たちからの表層意識と深層意識とが流れ込み、ホストの身体にかすかな痕跡を残してから意識交流場へと発散してゆく。
  参加者たちの深層意識は、ホストの身体を経由して、意識交流場の底辺に「社会の無意識」を形成する。その社会の無意識の層には、デザイン通信への参加者たちが共有するところの、いまだ解放されない「願望」や「衝動」や「表層意識への呼びかけ」などが渦巻いている。
  ホストは、ドリーム・ナヴィゲイターとなって意識交流場の深層へと旅立ち、そこに潜む社会の無意識の声をすくい上げて意識交流場の表層へとフィードバックし、無意識のうねりを解放しなければならない。そうすることによってはじめて、ホストによる「夢の作業」が完全に成立し、デザイン通信の場に成立した社会は「夢」を見ることができるようになる。
  意識交流の深層への旅の「論理構造」を、私はヴィジュアルな手法で描写してゆきたいと思う。私はこれから、ドリーム・ナヴィゲイターが旅の途中で出会う光景を、視覚と身体的想像力に訴える形で描写してゆく。その具体的な細部の記述それ自体に客観的な意味があるのではない。そうではなくて、具体的な細部の記述によって読者の脳裏に喚起されるイメージの運動の中に、私が示したい「論理構造」が現われてくるはずである。私が捉えたいのは、一種の論理学なのだ。それも、記号関係によって表現される「形式論理学」ではなく、イメージの運動によって喚起される「可視論理学」とでも言うべきもの。
  我々はここから、「論理の可視化」という実験に入ってゆく。
  デザイン通信の作業が終わってから、ホストは意識交流場の深層へと降りてゆく準備をする。デザイン通信が終わったあとの三次元空間では、参加者からの自己表現でできた巨大なメッセージ樹が、色々な光を放ちながら無数の枝を部屋いっぱいに伸ばしている。ホストは、それらの枝をかきわけながら、部屋の中心部まで進み、そこに仰向けに横たわって全身をリラックスさせる。下から見上げると、大小様々なメッセージ体によって織りなされた木々の枝は、漂流メッセージ体の水流に揺れて、静かなリズムで脈打っている。枝が揺れるたびに、枝についたたくさんのコメントの葉がざわめき、その震えが、幾重にも折りかさなる枝々を伝って部屋中に拡散してゆく。
  ドリーム・ナヴィゲイターは手を胸の上に置き、息を整えながら目の前の光景を眺める。木々のあちこちでメッセージ体の一部が自動的に解凍され、色鮮やかな画像や耳障りな音声が自己主張しはじめる。何回か同じメッセージが繰り返されると、そのメッセージ体は再び凍結され、そのかわりに今度はまた新しいメッセージ体が自己主張をはじめる。ドリーム・ナヴィゲイターは、それら次々に解凍されるメッセージ体の自己表現を遠くから眺めては、その内容を思い出したり、あるいは新鮮なまなざしでそのメッセージを受けとめたりしている。
  デザイン通信のホストは、全身にこめられたすべての力を投入してデザイン作業を行なう。その作業は、瞬時の判断過程の繰り返しである。それは通訳の作業に似ている。彼は自分が扱ったメッセージの内容をすべて覚えているわけではない。だから、こうやって全身をリラックスさせながら、自分がデザインした巨大樹の枝々の姿をひとつずつ点検してゆくのは、作業後のもっとも楽しいひとときとなる。自分でも覚えていないようなメッセージを続けて発見したり、あるいは醜い失敗作を見出すこともある。
  メッセージ体の明滅を遠くに眺めているドリーム・ナヴィゲイターの目の前を、多くの漂流メッセージ体の群れが通り過ぎてゆく。あるものは一列に並んで、あるものは規則的な自転を行ないながら、ドリーム・ナヴィゲイターの身体のすぐそばを横切る。それらはお互いに適切な距離を保ったまま整然と流れる。ときおり、コースをはずれたメッセージ体が、曲がりくねった枝のひとつにからめ取られ、葉と葉のあいだの小さな迷路に吸い込まれてしまう。
  部屋の明かりが少しずつ暗くなる。遠くに光るメッセージ体がその輝きを増してくる。背景が暗くなるにつれて、輝くメッセージ体と、それに照らされてにぶく光る木々の幹とのコントラストが強くなる。
  目を上げてごらん。そこは一面の星空だ。赤や黄色や緑の連星が、発光虫のようにまたたく頭上の海だ。それらの輝きのひとつひとつの中に、その輝きを送り込んだ人々の深層意識が内在している。それらの星々は、お互いに照らし合い遮り合いながら、意識の波を空間いっぱいに充満させる。
  漂流メッセージ体の多くは、自分の光で輝いていない。それらは、輝くメッセージ体からの光の反射を受けて、黒い空間の中を音もなく流れる。目の前の漂流メッセージ体の群れが通り過ぎる。それは都会のビルのネオンサインの前を遮って通る小動物の集団のようだ。
  部屋の中をあてどもなくさまよっていた漂流メッセージ体は、やがて部屋の中心で横たわるドリーム・ナヴィゲイターの身体のまわりを回転し始める。そして彼の身体を徐々に覆ってゆく。それは、暗黒の宇宙に浮かぶ惑星の周囲を、無数の人工衛星が恒星の光を反射しながら飛び交う様子に似ている。部屋のあちこちでうごめいていた漂流メッセージ体が、何本もの水流を形作って部屋の中心部へと収斂する。
  それらの水流は、ドリーム・ナヴィゲイターのまわりを回転していた漂流メッセージ体に合流し、あっというまにその公転軌道を覆いつくす。うごめく漂流メッセージ体の群れは、位置を微妙に制御し合いながら、残された隙間を埋めてゆく。粉々に砕け散った卵の殻をふたたびつなぎあわせるときのように、メッセージ体はお互いに連絡を取り合い、相互の形態を調整しながら一枚の被膜を形成する。
  こうして、ドリーム・ナヴィゲイターの身体は、漂流物の繭によって完全にとじ込められる。ドリーム・ナヴィゲイターからは、遠くで輝いているはずの星々の明かりはもはや見えない。彼に見えるのは、薄暗い閉ざされた空間と、目の前を疾走してゆく漂流物の断片的な輪郭のみである。
  ドリーム・ナヴィゲイターは目を閉じる。物体の群れが、ドームのように彼を三六〇度取り巻いて音もなく回転している様子が、手にとるように感じられる。目を閉じていると、自分が仰向けに寝ているのか、それとも立ったままじっとしているのか分からなくなる。彼は両手を胸から上げ、身体の前に突き出す。しばらくすると、手のまわりになにかが集まってきて、一定の距離を保ったまま凝集し始めるのが分かる。彼を取り囲む繭の一点から、ひとすじの糸が彼の両手にまで架け渡され、その道筋をとおって漂流メッセージ体が次々と集合しているのだ。
  集合したメッセージ体は、自らの大きさを縮小しながら、手のまわりを回転する。それらのメッセージ体は、やがて回転をやめて一枚一枚内側に剥がれ落ち、ドリーム・ナヴィゲイターの手に貼りついてゆく。手に吸着したメッセージ体はすぐに解凍され、すべてのメッセージが瞬時に解き放たれ、そして彼の腕の内部へと吸収される。解凍の瞬間にメッセージ体は強く発光し、あたりを強く照らし出す。
  ドリーム・ナヴィゲイターによってコメントを付けられなかったり、デザインされなかった漂流メッセージ体は、このときはじめてドリーム・ナヴィゲイターに対して自分のメッセージ内容を力いっぱい自己表現し、彼の身体の中へと最後の刻印を残してゆくのである。
  ドリーム・ナヴィゲイターを包み込んだ漂流メッセージ体の群れは、一本の糸を伝って彼の身体の中へと発光しながら消えてゆく。蜘蛛の糸に連なってかがやく明け方の水滴のように、メッセージ体は規則正しく整列して降下する。てのひらでメッセージ体が光を放つたびに、糸をつたう物体のシルエットが、繭の内壁に照射される。
  繭の厚さは徐々に薄くなり、暗黒の空間に輝く枝々の発光体がふたたび視野に入ってくる。残り少なくなったメッセージ体の群れは、ドリーム・ナヴィゲイターの身体の真上に集結し、先をあらそって彼の腕に舞い降りてくる。やがて最後の漂流メッセージ体が、彼のてのひらで輝いて消滅する。彼は手を胸の上に置いて、夜空の発光体を眺める。彼の脳裏には、彼の手の中で輝いて消えていった数多くのメッセージ体の残像が、なおもなまなましく生き続けている。彼はその印象と記憶とを、脳裏から全身へと浸透させる。彼の前で最後の訴えを行なった数々のメッセージ体の自己表現のエネルギーを、全身の隅々にまで行き渡らせる。
  目の前に広がる巨大樹の姿は、視界を遮る漂流物がなくなったおかげで、いっそうクリアーに輝いて見える。部屋のあちこちで、メッセージ体が解凍されて光と音を発散し、そして凍結される。その光と音の連鎖がつむぎだす複雑なリズムは、ドリーム・ナヴィゲイターの身体の中に息づきはじめた漂流メッセージ体のエネルギーの流れと呼応して、重くてにぶい流体のうねりを彼の身体の内部に生じさせる。そのうねりの先端は、ときおり彼の身体を突き破って空中の枝々にまで届くように思われる。
  解凍と凍結を繰り返すメッセージ体の動きが一瞬止まり、部屋は単一の光線で満たされる。そして、枝を構成するメッセージ体が、幹から近い順にひとつひとつ解凍されて花開いてゆく。開花したメッセージ体は、そのすべてのメッセージを何回も繰り返しながら、いつまでも光り続けている。解凍されたメッセージ体の数が増えるにつれて、部屋の中はしだいに騒がしく、そしてまぶしくなってゆく。空間のあらゆる方角から、音楽やシンセサイザーの音や変形された人間の声などが降りそそぎ、様々な色で描かれた映像や動画などがお互いに反射し合いながら部屋いっぱいに充満しはじめる。
  すべてのメッセージ体が解凍されたころには、部屋は乱舞する音と光でいっぱいになり、その巨大な音と光のシャワーを身体中に浴びてドリーム・ナヴィゲイターの鼓動はしだいに早くなる。空中を疾走する無数の金色の粒子に包まれて、彼の身体もまた黄金色に輝きはじめる。
  メッセージ体から放射される振動と光線は、ドリーム・ナヴィゲイターの足の指先を刺激し、腰の筋肉をやわらかく解きほぐし、腹から胸にかけてそよ風を送り込み、喉もとにそっと口づけし、耳にあついエネルギーをやさしく送り込む。全身に音と光の愛撫を受けて、せつない想いが彼の胸の中でたかまってゆく。大音量の振動と目もくらむばかりの光線のおかげで、思考能力はだんだん低下し、自分の姿勢も自覚できなくなる。
  濡れたアスファルトのような匂いが、上空から降りてきて、彼の全身を包み込む。その湿ったやわらかな匂いは、彼の体内深く浸透し、彼の緊張を内側から少しずつ解きほぐしてゆく。霧のようにかすみはじめた頭の中に、その匂いだけが充満する。
  ドリーム・ナヴィゲイターの背後から、無数の透明の触手が伸びてきて、彼の身体に絡まりはじめる。てのひらや喉もとにたどりついたそれらの触手は、彼の身体の中でうごめく深層意識のうねりをその先端で捉えようとする。それらの触手の動きをとおして、彼は、自分の背後から何か巨大な存在が少しずつせりあがってくるのを感じる。
  彼の内部に、懐かしさの原風景のようなものが浮上してくる。それは、たとえば海岸の砂浜に寝そべって、打ち寄せる波の音を聞きながら、青空を横切る一本の飛行機雲をぼんやりと眺めているときに人間を襲う懐かしさ。
  静止して光りかがやいていたメッセージ体が、突然いっせいに動きはじめる。メッセージ体によって形成されていた枝々はその輪郭を失い、一瞬にして数多くの発光虫の群れへと解体する。巨大樹から解き放たれて自由になったメッセージ体は、音と光を放射しながら、喜びあふれて空間の中を泳ぎまわる。
  電子音が響きわたり、無数の閃光がきらめくなか、ドリーム・ナヴィゲイターは触手に手足をからめ取られて身動きひとつできない。昆虫のように飛び回るメッセージ体の中には、彼の顔すれすれに降りてきて飛行するものもある。そのたびに、強烈な色の画像と、刺激的な音声が彼の感覚器官をおそい、それらは彼の脳裏に深く刻み込まれる。光と音の洪水を背景にして、断片的な画像と音色とが不意に近付いてきて存在を主張し、消え去ってゆく。
  メッセージ体の大群が、しだいに、ドリーム・ナヴィゲイターの身体近くにまで降下してくる。ドリーム・ナヴィゲイターは、近付いてくる光と音のうねりを全身で受け入れようと、身体から力を抜いて、目を閉じる。背中を支える触手の先端の震えが細かくなり、彼の意のままにならないエネルギーの流れが、彼の身体の中でしだいに大きくなってゆく。
  接近するメッセージ体の一部が、彼の胸にかすかに触れるようになる。目を閉じていても、そのまぶしい光はまぶたをとおして視界に入ってくる。激しい音は彼の聴覚を麻痺させ、その重い振動だけが彼の身体をゆさぶりつづける。彼はもう自分で自分の身体を動かすことができない。
  メッセージ体の先端が彼の唇に触れる。彼は、唇を少しだけ開く。暖かい物体が彼の唇に貼りつき、彼の身体の中へとエネルギーを送り込みはじめる。唇に感じるなまあたたかい刺激と、そこから注入されるやさしい波を全身で受けとめる。メッセージ体が送り込んでくる波は、彼の身体の中で育っていたエネルギーのうねりと同調し、彼の身体の中に流体のプールを作り出す。唇への刺激を受けていると、この場所を離れ、どこかずっと遠くの、夢によくでてくる懐かしい場所にすうっと運ばれていったような気分になる。そしてやさしい存在者にそっと包み込まれたような感じ。メッセージ体の一部が彼の口の中にやわらかく侵入する。彼はあごを動かしてそれを受けとめ、舌をからませながらその微妙な動きを追う。
  身体のすみずみが敏感になってゆく。はいあがってくる触手の動きが、皮膚の内側にまで侵入する細かな針のように感じられる。メッセージ体が首筋に触れる。奇妙な音楽が耳もとを通り過ぎる。
  ドリーム・ナヴィゲイターの身体を支えていた触手の群れが、彼の腰をそっと持ち上げる。それと同時に、彼の身体の上に覆いかぶさっていたメッセージ体の雲から、棒状の光の管が伸びてきて彼の腹部に深く突きささる。全身がしびれ、腰から下の感覚が消え失せる。彼の身体の内部に入り込んだ光の管は、そのまま背筋にそって上昇し、心臓のすぐ隣まで進んで立ち止まる。メッセージ体が、光の管の中を通って、次々と身体の内部へと流入する。そして、光の管の側面にあいた無数の穴から蒸気となって噴出し、彼の内臓へと染みわたってゆく。
  腹部に送り込まれた蒸気は、そこで凝集して、白い大きなエネルギーの固まりになる。その固まりは、心臓の鼓動に合わせて身体の中で息づき、ドリーム・ナヴィゲイターの腹部を何度も強く押し上げる。そのたびに痛みに似た快感が全身を駆けめぐる。その快感は背筋にそって上昇して頭のつけねにまで達する。ドリーム・ナヴィゲイターの前から、外界が消滅する。彼はもはや、外の世界で何が起きているのか、何が聞こえるのかを知ろうとはしない。彼の世界にあるのは、彼の内部で痛みに似た快感を産出する、メッセージ体の白い玉だけである。
  その白い玉は、さらに小さな泡粒のような粒子を放出する。その粒子はふらふらと身体の隅々にまで流れついて、そこではじけて一瞬の痺れを身体にもたらす。腹部の白い玉はますます膨張して、より大きな快感を彼の脳へと送り届ける。彼は、その快感をより強く受けとめようとして、身体をねじろうとする。そのたびに、彼にからみついた触手が彼の動作を制止し、身動きが取れないようにする。
  白い玉は、膨張と収縮を繰り返しながら、しだいに腹から胸へと上昇してくる。彼は手を胸にあてて、その玉をつかまえようとする。玉は胸を過ぎて、喉もとにまで達する。顎のすぐ下にまで近付いた白い玉からは、まぶしいばかりの光が照射され、泡をたくさん含んだ水が流れるときのような轟音がほとばしる。
  白い玉は、そのまま首筋をすり抜けて、彼の頭の中へと入り込む。その瞬間、頭の中が真っ白になり、衝撃的な幸福感がドリーム・ナヴィゲイターを襲う。頭の中が光であふれ、えもいわれぬ美しい雑音が無限に反響し、自分の身体がその光の中に吸い込まれていって跡形もなくなる。ドリーム・ナヴィゲイターは、思わず大声をあげて泣き出しそうになる。私はもうなにもいらない。この瞬間だけ永遠に続いてくれればそれでよい。ここではすべてが真実だ。すべては祝福されている。
  白い光の彼方から何者かが近付いてくる。私をここまで導いてくれた巨大な存在者。それが一歩一歩私の方へと歩いてくる。私は、両腕をひらいて何者かの到来を待つ。白いヴェールの向こうから、私の規模をはるかに凌駕する透明な存在者が立ち現われて、私の胸に触れる。私は涙を流しながら、両腕でその存在者をしっかりと抱きしめる。腕をとおして、その存在者の暖かさや湿り気、重量感がひしひしと伝わってくる。
  私はあなたを待っていたのでした。ずっとずっと永遠の昔から。
  存在者は私の上に覆いかぶさる。意識が薄れ、私は白い穴の内側へと落下して行く。
  ドリーム・ナヴィゲイターは暗い海の底にいる。いつからここにいるのか分からない。光のほとんど入ってこない海底で、ひっそりと漂っている。両手を頭の前に伸ばしてみる。身体が水の中をゆっくりと回転する。脚で水を蹴って少し泳いでみる。身体はそのまままっすぐ進み、やわらかな水流が顔を洗う。
  ドリーム・ナヴィゲイターは身体を回転させて仰向けになり、はるかかなた水面の方向を眺める。蒼い水の堆積をとおして、かすかな光のゆらぎが降りてくる。どこまでも静かな無重量の空間。海底には、海草一本はえていない。水の中を泳ぎ回る魚もいない。
  目を閉じて、両手を思いきり伸ばしてみる。身体を包む透明な水が、皮膚の上を少しだけ移動して、そしてもう一度全身を覆いつくす。そのまま息を止めて、身体を静止させる。やがて皮膚を取り巻く水の動きは完全に停止し、そのなめらかな感触も消え失せる。
  無限の水の堆積の底で、自分の鼓動だけが息づいている。その他には何の音も聞こえない。何の想念も浮かばない。海底の岩肌から数メートルの海中で、ドリーム・ナヴィゲイターは岩からはがれた無生物のようにいつまでも浮遊している。
  上を向いたままゆっくりと泳ぎはじめる。髪が揺れ、耳もとで水の流れるかすかな音がする。
  しばらく泳いでいると、ふいに水温が変化する。彼はそこで立ち止まり、両手を身体のまわりいっぱいに広げて、その新しい水の感触を全身でとらえようと試みる。水の温度だけではなく、粘性や手触りも異なっている。
  しばらくしてドリーム・ナヴィゲイターは、また別の方角へ泳ぎはじめる。今度は、水流の少しある場所へ出る。彼はその水流に身をゆだねてぼんやりと流されてゆく。流されながら、手でその水流の強さを感じたり、口をあけてその水を飲んでみたりする。
  水流はしだいに早くなり、かなたに大きな渦が見えはじめる。ドリーム・ナヴィゲイターはその渦の中心めがけて頭から突っ込んでゆく。身体が激しく回転し、水底へと強い力で吸い取られる。ドリーム・ナヴィゲイターは、彼を木の葉のようにもみくちゃにする水の感触を、全身で記憶する。水の手触りや、その水の粒ひとつひとつの特徴をも見逃すまいとする。回転するドリーム・ナヴィゲイターの耳もとに、水のささやきが聞こえるような気がする。そこで激しく渦を巻かざるを得なかった、水の言い分が聞こえるような気がする。
  ドリーム・ナヴィゲイターは再び流水の中を泳いでいる。水の流れが遅くなる。そして、粘り気の強い、大きな水の固まりに出会う。彼はその固まりを迂回して、外側からその固まりの形を調べる。それから、その固まりの内部へと入ってゆく。ここには、粘り気が強く、よどんだ水が集まっている。彼は、重苦しい雰囲気の水に取り囲まれながら、その中を静かに泳ぎ回る。君たちはどうしてここでよどんでいるの? もうすぐしたら、大きなうねりとなって、怒濤のようにどこかへ流れてゆくのか。それとも、ここでこうやってよどんだまま、ずっと永遠に静止しているのだろうか。
  ドリーム・ナヴィゲイターは、こうやって地理調査隊のように、海底の水の状況を調べ、物言わぬ水の声を全身ですくい上げようとする。
  海底をさまよっていたドリーム・ナヴィゲイターは、突然、巨大な水のうねりに出会う。はかりしれないエネルギーをはらんだ水の一群が、津波のように海中を突き進んでいる。移動する大地のような巨大な水のうねりは、海底によどんでいた水流や、静かに弧を描いて流れていた細い水流をいっきに飲み込んで、一直線に突き進んでゆく。ドリーム・ナヴィゲイターはその水のうねりのすぐ近くにまで接近して、それと並行して泳ぎ、そのうねりの中から放射されてくるエネルギーを全身で受けとめる。ドリーム・ナヴィゲイターは、そのうねりの中に半分身体を浸しながら、両手を広げたまま回転を続け、身体のすべての皮膚をとおしてうねりの中に潜むあらゆる声を回収しようとする。放出されてくるエネルギーの中には、多種多様な声や想いがこめられている。それらは、ドリーム・ナヴィゲイターの身体に接近したときに、断片的に叫びをあげ、そしてすぐにどこかへ消えていってしまう。それはちょうど、出口のない牢獄に幽閉された囚人たちが、小さくあいた天窓に向かって絶望の叫び声をあげているようだ。ドリーム・ナヴィゲイターは、それらすべての訴えかけを全身で記憶する。
  海底のはるかかなたから、もうひとつの巨大な水のうねりがやってくる。ドリーム・ナヴィゲイターは急上昇して、接近するふたつの水のうねりを観察する。第二のうねりは、最初のものよりもはるかに規模が大きい。それはすごいスピードでこちらめがけて突進してくる。ふたつの物体のあいだの距離はあっというまに縮まり、正面から衝突する。規模の大きい第二の水のうねりが、最初のうねりを簡単に飲み込んで膨れ上がる。そして球形に膨張する。その伸びきった被膜はところどころで破裂して、白い泡のほとばしりを周囲に飛び散らせる。二倍ほどに膨れた水のうねりは、やがて収縮し、その場に重く沈み込んで途方もなく大きなよどみに変身する。
  収縮の過程で、水の固まりはさらに多くの白いほとばしりを周囲にまき散らす。その飛沫は、ソーダ水の泡のようになってドリーム・ナヴィゲイターの身体を包み込む。ドリーム・ナヴィゲイターは、てのひらや頬でそれら発泡性の水流を受けとめ、そこから聞こえてくる小さなささやきを味わう。
  ドリーム・ナヴィゲイターは、身体のあちこちにまだ泡を残したまま、水流にのって海中を漂う。彼の身体は、様々な水の流れにもまれることによって、よりいっそうしなやかになり、軟体動物のように水とたわむれて泳ぐ。
  流れの先に、いくつもの波頭が見える。海底から岩が突き出していて、そこに水流がぶつかって砕けているのだ。ドリーム・ナヴィゲイターは水流を離れてその岩に近付き、岩に衝突して砕け散る水しぶきを眺める。水流が岩に衝突するたびに、毎回異なった形の水しぶきが垂直に立ち上がる。岩から吹き上げる水しぶきは、そのままゆっくりと上昇して、頭上のおだやかな水の層へと達し、その中へと消えてゆく。
  海底にぽつんと顔を見せるこの岩をめがけて、次々と水流が流れ込んでくる。まるで、みんなでこの岩を破壊して、その底に隠された財宝をあばこうとしているかのようだ。水の流れは、どうしてこの岩に吸い寄せられるようにやってきて、自らを砕け散らせるのだろうか。この岩に衝突することによって、何か重要なものを水たちは獲得するのだろうか。ドリーム・ナヴィゲイターは、岩に腰掛けて、打ち寄せてくる水の圧力を両足に受ける。水しぶきは彼の脚を這い上がり、髪を逆なでて頭上へと去ってゆく。膜で包んだような水しぶきのつぶやきが、耳もとを通り過ぎる。
  ドリーム・ナヴィゲイターは、薄暗い部屋の中に置かれた椅子にすわっている。全身は痺れて膨れ上がり、すぐには身動きできない。海底での記憶がまだ鮮明に脳裏に刻み込まれている。両手は、あの水のなめらかさや粘性を、まだはっきりと覚えている。泡のはじける音や、水しぶきのつぶやきが、まだ聞こえるような気がする。
  ドリーム・ナヴィゲイターは椅子にすわったまま、身体の中でうごめいている水の流れの記憶を反芻する。腰から背筋にかけて、大きな水のうねりが駆け上がってゆく。そのうねりの中にこめられたエネルギーの色合いや匂いを、ドリーム・ナヴィゲイターは隅々まで思い出す。そのうねりを作り上げていた水の一粒一粒のふるえやよろこびを、ドリーム・ナヴィゲイターは身体の細胞ひとつひとつで追体験する。眼前には、うねりながら突進してゆく水の固まりがよみがえり、海底を揺るがす地響きが下半身からせりあがってくる。ドリーム・ナヴィゲイターは、それらのイメージを全身でこころゆくまで味わってから、それを想念の小箱に詰めて心臓のあたりまで降ろしてくる。彼は、右手を前に突き出す。そして胸の前で漂っていたそのうねりの想念を、肩を経由して、突き出した右腕にまで運んでゆく。右腕に移動したうねりの想念は、そこでゼリーのように溶けて右肘から右手首のあいだをすっぽりと覆う。そして黄色い閃光を放ち、腕の内部へと沈み込んでゆく。右腕の深部でつめたい金属音が何度か響き、ドリーム・ナヴィゲイターの右腕はそのたびに軽く痙攣する。
  今度は、水流を飲み込んで回転する海中の渦をイメージする。自分がその中に巻き込まれていったときのことを思い出し、そのときに感じた水の圧力やそのなめらかさ、そして身体を縛りつける水の流れが教えてくれた数多くの想い出話を、全身で反芻する。身体を強大な力によって押さえつけられて、回転しながら暗黒の地底へと落ちてゆくときの、そのここちよさ。それらを小箱に詰めて、自分の左腕に格納する。金属音とともに、渦を巻く無意識の流れはドリーム・ナヴィゲイターの身体深くへと受肉される。
  こうやって、ドリーム・ナヴィゲイターが海底で対話し、身体で覚えた水の流れのエネルギーの様相が、次々と彼の身体の内部へと格納されてゆくのだ。海底深くよどんだ巨大な水の固まりの手触り、そしてその中で呻いていた数々の声、あるいは岩に砕け散った水しぶきのため息、それらのエネルギーのうごめきをドリーム・ナヴィゲイターは身体化する。そして全身で何度も反芻する。身体のあちこちで、よみがえったエネルギー同士がぶつかって発火し、何度かはげしく鳥肌が立つ。それがおさまると、かすかな吐き気が腹の底から立ち上ってくる。肉が焦げるような臭いがして、鼻の奥がひりひりと痛みはじめる。
  部屋が明るくなり、ドリーム・ナヴィゲイターは立ち上がる。彼の全身には、デザイン通信に参加した人間たちの形成した社会の無意識が、いまやあふれんばかりに横溢している。
  彼はデザイン通信の現場に戻り、ふたたびデザイン作業に従事する。デザインを行なうドリーム・ナヴィゲイターの腕を伝って、彼の身体の内部に充電された社会の無意識が、意識交流場の表層へ次々に流出してゆく。流出した社会の無意識は、そこでのコミュニケーションに背後から介入し、意識交流の内容に決定的な影響を与えてゆく。

 こうしてドリーム・ナヴィゲイターは、「夢の作業」を完成させるのだ。ドリーム・ナヴィゲイターの一連の作業をとおして、社会は夢を見はじめる。ドリーム・ナヴィゲイターは、社会の無意識をその深層から表層へと運び、社会に夢を見させるための、媒体=メディア=シャーマンなのである。
  もし、ドリーム・ナヴィゲイターによる意識交流の深層への旅が可能であるとするならば、私がこの思考実験で示唆したような論理構造のいくつかが、その旅の過程で実現されてゆくにちがいない。そのような旅がドリーム・ナヴィゲイターにもたらすであろう仮想体験を、私はひとつの内在的なイメージ連鎖として捉え、それを描写してきた。このようなイメージ連鎖によってしか喚起されない論理構造というものが存在するのだと、私は真剣に考えている。そして本章で私が真に表現したかった内容は、現在のところ、この方法によってしか記述不可能だったのである。

(本文終わり)

入力:匿名希望さん