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『東京新聞』1999年4月2日夕刊

脳死移植について  森岡正博
 

 高知赤十字病院で脳死判定された患者から、心臓、肝臓などの臓器が移植された。和田移植から三一年ぶりの脳死移植再開となったわけだ。これについて思うところを書いてみたい。
 私はいまから一〇年前の一九八九年に『脳死の人』を出版して、当時の脳死論議に加わっていた。私は、脳死が人の死かどうかという一般論の問題の立て方は無意味であると主張し、脳死の人が生きているのか死んでいるのかは、脳死の人と、それを見守る人とのあいだの、人間関係によって決まってくるのだと述べた。
 脳死になった患者と歴史を共有していない医師にとってはその患者は死んでいるかもしれないし、脳死になった患者と様々な歴史を共有してきた家族にとってはまだ生きているかもしれない。だから、脳死が人の死かどうかは、いちがいにはぜったいに決まらないというのが私の主張だった。
 『脳死の人』のなかで、私は、脳死とは人と人との関わり方であると書いた。脳死の人の生死は、それを取り巻く人々とのあいだの人間関係の歴史に応じて様々に立ち現われる。「科学的」な見方というのも、われわれの世界のなかの単なるひとつのリアリティにしかすぎない。生死を決めるのは科学ではなく、われわれひとりひとりが生きている人生のリアリティなのだ。
 私のこの考え方に賛同してくれる人も多かったが、客観性がないとして否定する意見もかなりあった。脳が死んだら人は死ぬのだから、家族が脳死の人をまだ生きていると思ってしまうのは、大事な人を失いたくないという家族の感情がそういう誤った判断をさせているにすぎないのだという反論もあった。
 しかし、私はいまだに当時と同じ考え方をしている。他人の生死というのは、その人を取り巻く人間関係によって決定される。何が人間の死なのかを、科学が決めることは原理的にできない。「脳が死んだら人は死ぬ」というのは、科学的な言明ではない。なぜなら、人間を人間たらしめているものは「脳」であるという考え方は、すでにひとつの「信念」であり、それ自体、科学の枠組みを超えているからである。
 だが、当時から、こういう考え方は非科学的だと言われてきた。そして、日本の生命倫理学は脳死をもはや問題として考えないアメリカよりも一〇年は遅れている、と言う日本人の学者もいた。人間関係などという古くさいことを言っている日本の生命倫理学は、いつまでたっても国際的水準には達しないのだと。
 ところが、昨年東京で開催された国際生命倫理学会の脳死分科会に出席した私は、驚くべき光景を見てしまったのだった。脳死をもはや問題とは考えていないはずのアメリカから来た生命倫理学者たちは、日本の脳死論議を高く評価し、とくに、家族が脳死の人をどうとらえるのかというわれわれの論点に、強い興味を示したのである。そして、アメリカではこのような議論はなされなかったと告白し、日本の議論から多くを学ぶべき時期に来ていると述べたのであった。アメリカは進んでいるというのは、幻想だったのだろうか。
 今年の三月に、アメリカから日本に来ている学者がアメリカ人学生と開いているゼミナールで、私は脳死の話をさせてもらった。そこでもまた、人間関係に基礎をおく私たちの脳死論は、彼らの強い興味を引いた。学生たちは、そのような考え方にはじめて触れたと言った。その学者もまた、日本の脳死論の研究を開始したところであり、アメリカに紹介したいとのことであった。
 昨年から今年にかけてこのようなことを何度か経験した私だが、そのたびに思うことがある。先端医療にかんしてよく言われる、「海外ではすでに行なわれているのに、どうして日本ではできないのか。こんなことを議論しているのは日本だけだ。日本は遅れているのではないか」という言い方は、怪しいのではないかということだ。
 世界はもっと多様であっていいはずだ。海外でやっているから日本でもやるべきだという考え方は疑うべきだ。そしてその裏返しである「日本はこうなのだ」という考え方をもまた疑わねばならない。社会差別と権利侵害に敏感になりながらも、具体的な人間関係に埋め込まれた個人のリアリティを尊重した生き方をさぐること。それが、生命倫理の基礎になるべきである。

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