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作成:森岡正博 
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エッセイ

 

『朝日新聞』大阪版、2006年10月6日・夕刊
脳死移植、「匿名」貫け
移植法改正案、ぬぐえぬ臓器売買の危険性
森岡正博 

 

 愛媛県の宇和島徳洲会病院でなされた腎臓移植手術をめぐって、臓器売買があったとの容疑で、手術を受けた患者らが逮捕された。健康な人から腎臓病患者へ移植する「生体腎移植」は、原則として患者の親族からの提供に限定されている。このケースの場合、親族ではない人物が偽って臓器を提供したうえ、金銭の授受まであった。
  ところで、今回の事件をめぐって、見過ごすことのできない見解が、一部の新聞・テレビによって報道されている。それは、今回のような臓器売買事件が起きた最大の原因は、日本の臓器不足にあるというものである。なぜ臓器不足が生じたのかと言えば、日本の臓器移植法が、脳死移植の際にドナーカードなどによる意思表示を必要条件にしているからである。したがって、本人がドナーカードをもってない場合でも、家族の承諾さえあれば脳死者から臓器を摘出できるように、臓器移植法を改正しなければならない、と言うのである。(註:心臓停止後の腎移植についてはすでに家族の承諾のみで可能となっている)
  臓器移植法を改正すれば、脳死者から腎臓が多く取り出せるようになるから、無理に生体腎移植をしなくてすむかのような論調には、大きな事実誤認がある。たとえば、家族の承諾があれば脳死者から臓器を取り出せる米国の現状を見てみよう。米国は、脳死移植の「先進国」であるが、それでもなお慢性的な臓器不足に悩んでいる。なぜなら、家族がなかなか承諾しないからである。
  その結果、米国では、腎臓不足の切り札として生体腎移植に期待が集まった。一九九〇年代を通じて生体腎移植の件数は増え続け、二〇〇一年には、とうとう脳死者をも含む死体からの移植よりも多くなってしまったのである(生体移植6038件、死体移植5528件。米国の公的機関のデータによる)。つまり、家族の承諾で脳死者からの移植ができる米国においてすら、「生体腎移植」の存在感は増すばかりなのである。同様の傾向は、カナダにおいても見られる。「日本では脳死移植が法によって制限されているから生体移植が増える」、というのは大きな誤りである。
  ここから明らかなことは、たとえ日本の臓器移植法を欧米のように改正したとしても、生体腎移植が目に見えて減るわけでもないし、今回の事件を生み出した土壌が変わるわけでもないということだ。
  臓器移植法改正に関しては、まったく別の視点が必要だ。現在の第一六四回国会には、二種類の臓器移植法改正案が提出されているが、ともに「脳死者の臓器を親族に優先提供できる」という条項が盛り込まれている。これは世界的に見ても希有な条項である。
  脳死者の臓器を親族に優先提供できるという条項に、私はかねてより反対してきた。なぜなら、脳死移植は「人類愛」に基づいて実施されるべきものであり、けっして「親族」などの閉じた血縁関係に還元すべきではないと思うからである。そして今回の事件は、この「親族への優先提供」条項に、さらに大きな疑問点を突きつけることとなった。
  現在の臓器移植法では、脳死者から提供された臓器が誰に移植されるのかは、ドナー家族にはけっして分からない。だから臓器売買は起き得ない。ところが、脳死者からその親族へと臓器を優先提供できるようになったら、いったいどうなるのか?
  そのときには、今回の事件のような、事前の裏取引や、金銭の授受などが生じる危険性が出てくるのである。ドナー家族への「無言の圧力」や、レシピエントからの「見返りの期待」なども出てくるだろう。脳死移植は、ドナーの死が出発点となるわけだから、一人の人間の死をめぐる泥沼のような光景が繰り広げられる危険性がある。死を前提とする移植は「匿名」を貫くべきである。
  「親族への優先提供」条項についての議論は低調である。しかし、今回の事件があった以上、この点こそ国会で議論を尽くして審議すべきだ。