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掲載誌不明(たしか大阪市の雑誌だった・・という「大阪」的なことをしているわたくし)2000年ごろ
大阪の思想構造
森岡正博


 私は高知県生まれだ。いちおう、関西圏出身だということになる。一八歳のときに東京に行った。私の二〇代は東京だ。東京は私の第二のふるさと、いや、正直に言えば第一のふるさととなってしまった。あの解放感あふれる東京の空気。だれもが孤独で、それであるがゆえにやさしい距離をもって人々と接しようとする、あの東京の人たちがなによりも好きだ。
 三〇歳になったときに京都に就職した。京都という場所は、私はあまり好きになれなかった。うわさどおり閉鎖的なところがあったから、住みやすくはなかった。観光するにはいいところなのだが。そして三年前に大阪に移ってきた。こうやって、気がついてみれば、もう一二年間も関西にいるわけだ。
 大阪に住むようになってから、私は、関西が好きになった。なぜだか分からないが、そうなのだ。その理由はこれから述べていくことにするが、とにかく、関西もいいじゃん、という気持ちになってきたのだ。もちろん、私のあこがれは東京である。それに変わりはない。私の青春が刻み込まれた街、東京。それは、私にとって、かけがえのないものである。だが、いまの気分としては、大阪も東京と同じくらいいいところかもしれんなあ、という感じなのだ。不思議だねえ。なんで、こうなってしまったんだろう。
 関西が好きになったと書いたが、ずばり言えば、大阪がけっこう好きになったのである。とくに、「アジアの街」としての大阪が、気に入ってしまった。私はいま大阪市のミナミに住んでいる。自転車に乗って、心斎橋や難波のあたりをうろついているのだが、これがけっこう面白い。
 どこが面白いのか。ひとことで言って、「わけが分からん」ところが面白いのである。第一、店の並び方が、わけ分からん。なんで、ファーストフードショップのとなりに、大人のおもちゃ屋があるのか。なんで、ラブホテルが、こんなに違和感なく街路に収まっているのか。東京の常識では考えられない。
 たとえば、あの難波駅の地下の複雑怪奇な道は、いったい何を考えて作っているのだ。難波の高島屋には、いったい出入り口が何カ所あるのだ。誰が設計すれば、あのくらい奇妙な蜘蛛の巣のような迷路ができあがるのか。大阪に住んでみて、確信したのは、大阪人には「都市設計」という概念が存在しないということだ。それは大阪の辞書には載っていない。都市とは、設計されてできあがるものではなく、ぐじゃぐじゃと、いろんな欲望が押し合いへし合いしているうちに、自己創出的に生成してくるものだというのが、どうも大阪人の発想らしい。
 大阪に来た東京人が、かならず悲鳴を上げるのが、大阪の地下街の「表示」のいいかげんさである。例の、「JRはこちら」という表示である。大阪の梅田や難波の地下街を歩いていて、たとえばJRに出ようとしたときに、天井に書いてある表示どおりに歩いていって、無事にJRまで行き着いたことがない。たいがいの場合、表示どおりバカ正直に進んでいくと、行き止まりになったり、デパートのなかに突入したりする。私など、いったい何度、これでひどい目にあったことか。東京から遊びに来る友人たちも、同じことを言っている。大阪人は、全体像を俯瞰する能力というものが、ないのか。全体の設計図のなかで、いまの自分の位置を測定する、という発想がないのか。
 と、思っていたのであるが、実は、最近、逆にこのことが面白く思えてきたのである。大阪の街では、全体像がつかめない。いたるところが迷路のようだし、それをすっきりと整理しようという意志が大阪人には感じられない。そこが、大阪のよいところなのではないかと、思い始めたわけだ。
 大阪とまったく逆の発想で作られた街が、つくば市である。あそこは、政府の主導のもと、巨大な学術研究都市として、まさに設計図の通りに作られた。だから、全体の見取り図のなかで、いま自分がどこにいるのかが、手に取るように分かる。街のあちこちにも全体の地図があって、バスを使えばどこへでも行ける。しかしながら、つくば市に行ったことのある方はお分かりだと思うが、あそこはきわめてぬくもりのない街だ。混乱とか、混沌というものが、ないのだ。混乱や混沌がない街には、人間は住みつきにくい。
 思うに、近代の科学というのは、われわれの世界を、きわめて見通しのよいものにしようという精神性に満ちていたのではないだろうか。都市の全体設計をして、その内部でいろいろな機能の割り振りをする。人々が都市のどの部分で、どのような活動をしているかが、一望のもとに見渡せて、きちんと管理される。これが、近代的な都市管理の思想だったのではないか。
 大阪にあるものは、それと反対のものである。全体像が見渡せない。目的地に行くのに、どうすればいいのかが、わかりにくい。だが、近代の行き詰まりが誰の目にもはっきりとしてきた現代では、むしろ、大阪のような思想こそが、逆説的に時代の先端を行っているのではないかと思うのである。
 全体像が見渡せないから、いつも人々は、自分の力で自分の動く方向をコントロールしなければならない。分からないときには、他人に遠慮なく聞いて、確かめなくてはならない。そこで、コミュニケーションが必要となる。大阪の街を歩くには、知らない人とコミュニケーションできる能力が必要である。東京では、そんなものはいらない。街の表示をたよりにすれば、どこへだって行ける。つまり、東京という街は、他人とまったくコミュニケーションしなくても生きていけるような街なのだ。
 大阪の革新性があるとすれば、それは、東京的な世界から見たときの、「わけの分からなさ」である。それは「アジア的なもの」と言い換えられるのかもしれない。その「わけの分からなさ」にどこまで開き直って、独自なものを発進できるかが、これからの大阪の正念場ではないのだろうか。「大阪は、わけが分からん。でも、気になる。そのわけの分からなさの秘密を知ろうと思ったら、大阪に来て住まないとダメだ」というふうになったら、大阪も再活性化するかもしれない。
 思うのだが、大阪は、東京を相手にしないほうがいいと思う。東京を相手にしたら、ぜったいに負ける。ファッションだって、結局のところ、渋谷系に占領されてしまったではないか。HEPだって、心斎橋だって、渋谷の植民地だ。大阪が渋谷に対抗できるようなモードを生み出す、というふうに考えない方がいい。そうではなくて、大阪に入ってきた「渋谷」を、大阪の「わけの分からんパワー」で「大阪化」してしまって、そして世界に発信してしまえばいいと思うのである。東京へ文化を輸出しようと思うから失敗するのであって、逆に、東京から来たものをどん欲に取り入れて大阪化して、「大阪」ブランドとして世界に輸出すればいいのである。そうなのだ。東京を、大阪にとっての餌にしてしまえ。
 ファッションだけじゃなくて、そのほかの産業や、文化や、芸術や、学問もまた、こういうやり方を開発できるかもしれない。私は学問の世界にいるが、いま大阪というのはとても面白い場所になっている。というのも、東京にくらべれば情報量は圧倒的に少ないが、しかし必要最小限の情報はきちんと存在している。逆に、東京は情報量ばかり多くて、かつ権力が集中しているから、どうしても目先のことに左右される。その点、大阪は、時の権力とは関係なしに、じっくりと本質に迫るような仕事ができやすい。
 それにくわえて、いまはインターネットの時代だ。これは、学問にとっては超画期的なことである。私もホームページを開いていろんな実験をしているし、近々英語のホームページも立ち上げる。インターネットの世界では、東京から発信しようが、大阪から発信しようが、まったく同一なのだ。家賃の安い大阪からのほうが、得だとすら言える。かつ、ほしい情報は、ネットを通じて、いくらでも収集できる。
 たぶん、学問の世界では、ほんとうに研究したい学者の東京離れは、これから決定的に進むと思う。インターネットさえあれば、あとはどこでも同じ。だとすれば、適当な規模の、面白い街に住むのがいい。大阪は、その有力候補となり得る。
 インターネットの世界もまた、実は、「わけの分からない」「全体像の見えない」世界である。つまり、インターネットの時代とは、全地球が、大阪化しつつある時代でもあるのだ。大阪人は、これからのネット時代に、いちばん適応できる人種であると思われる。

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